特集/連載 Part ❿『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “贅沢な時間をすごせた時代 切り取ることができない大切な時間”

法人本部 2019/03/08

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

贅沢な時間をすごせた時代 切り取ることができない大切な時間

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会
障害者就業・生活支援センター オープナー 主任 川田 俊也
(精神保健福祉士)

 「どうして精神分野で働くことになったのか」今振り返る

思えば、物心ついた頃から僕の周りには障がいのある方がいて、彼らが地域で暮らしていることが当たり前の生活で育ってきたように思います。聴覚障害者の親戚、脳性まひがある幼馴染、そして同じマンションには気分障害の方がいて、彼らとの関わりの中で、戸惑い、何か自分にできる事はないか? どうしたら彼らの手助けができるのだろうか? などと子供時代を過ごしているうちに、気がつけば大学では心理学を専攻していました。
授業を受け、やがて教授の助手としてカウンセリングに同席し始めると、訪れる人達をみて更にいろんな思いに駆られるようになりました。
例えば、カウンセリングの間、顔色を変えず全く笑顔を見せないAさんは、どのような気持ちで座っているのか考え、気がつくとAさんをじっと見つめている自分に、はっと気がつくのでした。このようなことを繰り返すうちに、まぁ何はともあれ「Aさんの笑ったところをみてみたい! 笑わせたい! なんとかしたい!」と感情がわいてきたのを今でも思い出します。
「もう少し踏み込んで彼らに関わっていきたい」 そんな自分の心境の変化が芽生えるのも時間の問題で「もっと精神障がいのある方とかかわりあえる仕事につきたい」と考えて精神保健福祉士の門を叩きました。今ここにいるのは、このような経緯なのです。

私自身何でも全力投球して目の前のことに没頭してしまう性格でした。いまでこそ主任という立場になり、何か起こってもそれなりに落ち着いて対処することが普通になってきましたが、昔は体育会系ののりでとにかく動いてしまうことが多かったように思います。そんな私がどちらかというと文化系の臭いを纏う(まとう)棕櫚亭と出会ったのは、学生時代に実習したことに始まります。ともかく一生懸命やっている姿が評価されたのか(笑)縁あってその後棕櫚亭で働くことになりました。最初は週一回のスポーツプログラムを担当する非常勤職員として勤務がはじまりました。アルバイトでスポーツインストラクターをしていたのもよかったのかもれません。

メンバーさん達からしてみれば、「こういう職員って嫌だよなぁ」と今なら思っただろうし、「よく棕櫚亭は採用してくれたよなぁ」 と思うときがあります。
そのころ思っていたことは「精神障害者をなんとか普通の生活ができるようにしたい」、「健康にさせたい」という気持ちが強く、思いだすと「思いあがった新人」という感じがして今顔が赤らむ思いがします。もし、自分と同じような新人がきたら「頭でっかちになるな!」と言うと思います、間違いなく(笑)。

自分は精神疾患に対して偏見みたいなものはないと考えていました。しかし、地域で生活している人というよりも、「病者」と感じ接していることがあったことを考えると「偏見がなかった」といえるかは、今となってははなはだ疑問に思うところです。勿論、今はそんな考えが間違っていることは重々わかっています。

この仕事を続ける上で、切り取ることができない大切な時間

連載されている「ある風景」の執筆依頼があって、構想を練っている時に自分には「ある風景」をひとつには絞れないと思いました。考えれば考えるほど、「この日、この場所、この場面」ひとつひとつをとってみても、真剣勝負で濃密な時間を過ごしていました。

ベランダの喫煙所で「おい! 川田! お前は間違ってる」とタバコを吸いながら本気で叱ってくれたUさん、夕方、お茶をしながら「息子のように育てたいのよ」と話してくれたKさん、ソファで相談にのってもらいながら「大丈夫!なんとかなる」と励ましてくれたKさん、市民祭や一泊旅行の実行委員を担当したとき、「一緒にやれてよかった!」と話してくれたYちゃん、送別会を開いてくれたとき、ハグをしてくれたSさん…… 数え上げれば切がないほどのメンバーさん達の顔が浮かびます。

言えることは、僕を育ててくれたのはメンバーさん達の率直な話だということです。もちろん先輩同僚職員のアドバイス等もたくさん受け、感じるところや考えさせられることもたくさんありました。それでもやはり大きいのは、メンバーさんの日々のかかわりでの率直な意見や表情、空気感など関わりの中から得たものです。ちょっと今では考えられないかもしれませんが、毎月あるグループミーティングで、私自身の1ヶ月間の振り返りを「じっくり、たっぷり」してもらっていたことを思い出します(これってものすごい贅沢な時間(笑))。

当時の僕もなかなか頑固で、言われることも多かったのですが、メンバーさん達に対しての感情やああしたい、こうしたい20190308121114ということを率直にぶつけていました。「そこまで言うのか?」というのもあったかもしれません。メンバーさん達からは「いやいや違うだろう!」という押しかえしもたくさんありました。結果的に僕が間違った態度も多く、素直に「ごめんなさい」と謝ることもたくさんありました。この年になっても人に謝るということができることは大切な財産だと思います。

とことん悩む時間をもらい…なんていうと少し格好をつけていて、実際は、そのままこの分野で働くことに自信を失うこともしばしばありました。少し前言を撤回するようですが、「口で言うほど素直なやりとりというのは簡単じゃない」という気持ちも半分はあります。

それでも、社会人ほやほやの僕に対して、社会経験豊富で自分自身と向き合ってきたメンバーさん達だったから、受けて止めてくれていたのかと改めて思えます。

本当に自由に過ごさせてもらっていましたし、この貴重な時間は私のキャリアにとって切り取ることができない貴重な時間だったと思います。

メンバーさんから育てられ、自分の気持ちが変化する

私もなんだかんだで中堅職員として、職員にいろんなことを伝えなければいけない立場になってきました。そんな私が苦手なことの一つは職員を育てることだという自覚があります。だから、すこしこの場で語りたいと思います。私の場合、一つのエピソードが自分を変えたというものはありません。メンバーさんとの日常的な関わりであるユニット活動やお茶を一緒に飲むこと、一泊旅行、スポーツプログラムなどの活動を通して、本当に徐々に考えや気持ちや姿勢が変わったという感じがします。「心境の変化」とは私の場合そのようなものです。
繰り返しになりますが、入職した頃、メンバーさんの「できないところをどうしようか」と思っていました。そしてそれが、自分の仕事だと思っていました。

しかし、メンバーさんと同じ時間を過ごし、共に笑い、メンバーさん同士が助け合っていたり、褒め合い、一生に悩んで

「最近夜、眠りにくいんだよ」と話し始めた時、他のメンバーさんが相槌を打ちながら「先生に相談してみたら」と、アドバイスする

20190308121025時には泣いて。そんな日常風景が流れていき、この作業所一部に溶け込んだ時に、メンバーさんの「いいとこ探し」をしている自分がいることに気がついていました。棕櫚亭Ⅰ(だいいち)の「ワンピース」になったみたいな感じです。

ようやくその頃の自分が「朝からちゃんと起きないからだよ」と笑いながら自然に応じている姿は、他の人からも違うように見えていたのではないかと思います。

「自分のアイデンティティが崩れ」なんて言うとかっこいいのですが、逃げ出したくなるようなしんどい気持ちと向き合い、理由を自問する。これを繰り返すことで自分自身を見つめなおす…そんなことがあったことをこの文章を書きながら、昨日のように思い出してきました。
私が私の専門家であるように、精神疾患の専門家というのは実はメンバーさん本人自身であり、教科書の知識は所詮、机上の知識であり、現実はメンバーさんから学ぶことが大切なことだと思いました。こんなことを後輩には伝えたいと思っています。

当時の棕櫚亭Ⅰに勤務できたことは私の財産であり、そのことには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

終わりに

仕事を始めて時間がすこしたち、自分がメンバーさんと共に生活をしていくにつれ、仕事をしているというか、自分も成長させてもらっているので、これでお給料を頂いていいのかなぁと思うことがありました(笑)
当時、作業所でメンバーさんにこんな質問をしました。「職員の役割ってなんでしょうか?」と。

メンバーさんは「一緒に悩んでくれて、側にいてくれて、何かあったら話せる相手」と答えてくれました。この言葉は今でも心に刻んでいます。
私の仕事のスタンスは「まず本人に教えてもらう」そして「黒子になろう」ということです。
これからも学ぶ・教わる姿勢は忘れないような関わり方を大切にしていきたいと思います。
たまに、先回りしてしまうことは自分の個性として受け入れてもらう他ないですが(苦笑)

この仕事に対する姿勢というものは就労系のオープナー勤務になった今も胸に刻みながら、職場と職場、そしてオープナーを汗をかきかき駆け回っています。

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

川田さんが実習生で来て、非常勤として働き始めた頃からを知っているので、成長したなあ、Kさんが言うように育ったなあという感じをもちました。
川田さんが入職した頃とてもハンサムで(今もか(笑)) スマートで都会的センスにあふれ、かっこいいなとメンバー皆で話していたのが昨日のように思い出されます。
障害者自立支援法ができ、いろいろメンバーの活動が制限されていった頃、当時あった車の棕櫚亭号を運転し、いろいろな所にメンバーを連れて行ってくれました。
今で言う地活のⅡ型で(その当時は作業所)生活全般にわたって川田さんには相談を引き受けていただきました。その頃のメンバーは40代、50代の重鎮もいて正直仕事しづらかったかとも思います。もともと誠実で素直な性格だったので、この並み居る重鎮に言われたことを自分で消化し自分の仕事に生かしていったことかと思います。
今や棕櫚亭になくてはならない人になった川田さんの考えが後の方に継承されればと思います。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

もくじ

 

特集/連載 Part ❾『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “始まりはボランティア”

法人本部 2019/02/08

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

始まりはボランティア

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会
地域活動支援センターなびぃ 職員 工藤 由美子
(精神保健福祉士)

出会い

あれは1990年ごろ、20年近く勤めた教師の仕事を辞め、立川に引っ越してきた私は、主婦の仕事と週2日ほどのアルバイトではなんとなく物足りなくなり、何かボランティアでもしてみようかと、立川市役所の一角にあった(当時)社会福祉協議会の事務所に行ってみました。そこで、担当の職員さんから、家から徒歩10分ぐらいで行ける棕櫚亭Ⅱ(だいに)を紹介していただきました。

・・
その頃、Ⅱは開所して間もない時で、高松町のマンションを借りて、所長の寺田さんと若い男性スタッフの天野豊さん(いずれも当時)がいました。個性豊かな利用者の皆さんが代わる代わるやってきて、奥の一室は「タバコ部屋」と呼ばれ、いつも紫煙がもうもうだったことを覚えています。

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会 地域活動支援センターなびぃ 工藤 由美子

地域活動支援センターなびぃ | 工藤 由美子

・・

私は、毎週金曜日の午前中に伺って、利用者さんと昼食作りをさせてもらいました。一緒に買い物に行ったり調理をしたり、さりげないおしゃべりをしたり。出来上がった昼食を一緒に頂いて、だんだん名前も憶えて、自然にみなさんと打ち解けていったような気がします。当時の私は、精神の病いのことはほとんど知識がなかったので、利用者さん一人一人の事情や大変さには思い至らず、少しでも役に立ってもらえれば嬉しいなぁぐらいの気持ちだったと思います。さらに、年1回の旅行に誘ってもらったり、忘年会にお邪魔したり、皆さんから思いがけない贈り物をいただいて、胸が熱くなったことなど、いまも忘れられません。

・・
また、その頃、多摩総合精神保健福祉センター主催のボランティア向けの講座があり、そこに参加することで、ほんの少しずつですが、精神の病気のことや作業所のことを知っていきました。その中で印象に残っているのは、国分寺の「はらからの家」の福祉ホームを見学したことです。その後の火災によって全焼してしまいましたが、1970年代、私が上京して初めて入居したアパートと同じく、真ん中に廊下のある古い木造の建物でした。古さのためだけではない、何とも言えない寂寥(せきりょう)感があったのは、なぜだったのでしょう。

棕櫚亭の食という文化

その後、立川に棕櫚亭Ⅲ(だいさん)トゥリニテをオープンするに当たり、調理担当として手伝ってくれないかということで、他のボランティアの方々(4・5人ぐらい)とも会い、なんだかんだと相談の結果、カレーの店にすることになりました。中心になってくれる他のボランティアさんがいたので、私は、水曜日だけ通うことになり2人のボランティアで、店の開店から閉店まで切り盛りしました。
しかし、カレーだけではお客さんが増えない状況が続き、日替わりランチもメニューに入れることになりました。水曜日の担当として、毎週無い知恵を絞って、お客さんの喜んでくれそうなメニューを考えました。大変だったけれど、お客さんが来て完売するとなんとも嬉しかったこと。(初めは、一日十食でしたが)そして今思えば、ボランティアのやりたいようにすべてをまかせ、クレームもつけなかった職員の大らかさというか、懐の深さには敬服するばかりです。
その頃の棕櫚亭は、外の手コンサートや立川競輪場を会場にしての家具祭りなどの大きなイベントが毎年のように行ない、お弁当を作ったり、ビラ配りしたり、豚汁を作ったりとなんだか学園祭のような乗りで参加していました。

スタッフとして働くことになる

そんなこんなで数年ボランティアとして棕櫚亭にかかわった私は、1996年より非常勤スタッフとして棕櫚亭Ⅲに勤務することになりました。当時の施設長だった添田さんが、「精神保健福祉法」や「障害者手帳」の資料を出して、利用者のみなさんと勉強会のようなこともした覚えがあります。
翌年、ピアスの設立とともに転任し、厨房を中心に6年間過ごしました。その中で、私自身の意識も、ボランティアのおばさんとしてではなく、他のスタッフと同じように、支援の専門職としての力を少しでもつけていかなければと変化していきました。折しも「精神保健福祉士」資格が国家資格となり、試験に挑戦しました。50代の私にとっては、なかなか厳しいものでしたが、これまで福祉についての勉強を系統だってしたことのない私にとって、福祉全体のことが見渡せる、とてもよい機会だったと思います。

作業所の危機

その後自立支援法が成立し、棕櫚亭もその対応にあわただしい時を迎えます。私自身は病気で1年間休職しましたが、2008年の棕櫚亭Ⅰの谷保への引っ越しにかかわりました。
それに先立つ、引っ越し前の夏のある日の光景は、忘れることができません。それは、棕櫚亭Ⅰが、「地域活動支援センター」への移行を申請するに当たり、国立市の中には「棕櫚亭には、すでになびぃが地域活動支援センターとして存在するのだから、棕櫚亭Ⅰはなびぃと一緒にすればいい」という意見がある。Ⅰを独立したものにするには、利用者の思いを直接市長に訴えたほうがいいという市の担当者の計らいで、当時の国立市長と棕櫚亭側からは小林(現理事長)、工藤の両名と、利用者数名で懇談しました。市長の心を動かしたのは、職員の説明より、「安心していられる」「行く場所があって、みんなと会えるのが嬉しい」「生活にリズムができた」「料理ができるようになった」等等…… 自分の言葉で切実にあるいは淡々と語る利用者の姿だったと思います。
其のおかげもあって、翌年棕櫚亭Ⅰは「地域活動支援センターⅡ型」、なびぃは「地域活動支援センターⅠ型」と国立市から認められ、現在に至っています。この利用者の力は、引っ越し作業でも発揮され、寒くなり始めた12月、無事新しくなった現在の谷保の場所へ移ることができました。

30年近い関わりの中で今思う事

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会 地域活動支援センターなびぃ 工藤 由美子
それから10年近く、たよりない施設長だった私は、いつもいつも利用者のみんなに助けられてきたような気がします。様々な問題や課題はいつもありましたが、其の都度、利用者に問いかけ、相談し歩んできました。ぶつかることはあっても、お互いの信頼さえあればなんとかなる。棕櫚亭Ⅰで力をつけた利用者・職員が、次に来た利用者のために、あるいは新しい職場でその力を発揮し伝えていけたら、こんな素晴らしいことはありません。

・・
そして私事になりますが、常勤職員としての定年を迎え、昨年の4月より週2日なびぃで非常勤職員として勤務しています。私でいいのかなと思いつつ、60代・70代の利用者も増えている今、行く場所・自分を必要としてくれる場所があることは、障害の有無に関わらず、とても大切なことだと痛感しています。高齢化が増々進む中、作業所の良さをもう一度生かしていくことは、棕櫚亭にとって外せない柱だとおもうのですが。

・・
最後に、ボランティアから出発した私が、なぜこんなに長く棕櫚亭にかかわることになったか。
それは、「私が私でいられる場所だったから」

 

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

「私が私でいられる場所だったから」という言葉は棕櫚亭に関わる多くの人が共通に持つ思いだと感じます。
「はらからの家」は私にとっても懐かしい思い出があります。病院から退院した当時、「はらからの家」の前にドラム缶で家庭用油から石鹸などを作っていました。「はらからの家」の伊澤さんが大学出たばっかりの頃だったので、何十年前か推し量ってしるべしです。
工藤さんの文中にある2008年の引っ越しと市長への請願も経験しました。まさにその頃は棕櫚亭Ⅰのメンバーとしてライブで工藤さんと過ごしました。
工藤さんが現在なびぃで多くの電話相談者の声を聴いて的確なアドバイスができることも棕櫚亭で培った人間力のようにも感じられます。
「私が私でいられる場所」は工藤さん自身が築きあげたものですが、翻って考えるとメンバーさんにとってそこは心地よい場所なのです。

あたたかい日のあたるその場所は次世代に確実に受け継がれていると思います。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

もくじ

 

特集/連載 Part ❽『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “組織にとっての過去の意味”

法人本部 2019/01/18

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

組織にとっての過去の意味

株式会社 エムエフケイ
代表取締役社長 森内 勝己
(棕櫚亭OB)

森内 勝己さん プロフィール

株式会社エムエフケイ 代表取締役社長
精神病院ケースワーカーを経て、棕櫚亭には 2000年〜2009年 在籍(棕櫚亭Ⅱ・生活支援センターなびぃ)。退職後現在の会社へ。

出会い

私が出会った上司は、みんな弱さを隠さない芯のある人たちばかりでした(気が強いともいうけど)
そして彼女たちの伝えてくれる言葉には必ず強い意思がありました
「私はこう思う」
今思うのは、
その一言は私やその場所に存在する全ての人たちへの強烈なメッセージだったと思います
そこには目の前の人を、あの人がこう言ってたからみたいな
「他人の目」を通して見るような風景は皆無でした
だからいつも突きつけられていたように思います
「で、あなたはどう思うの」
だから必死で関わるしか有りませんでした
そこでは学校で学んだ知識や綺麗事が書いてある教科書は
一切役に立ちませんでした(そもそも学んでないけど)

私の仕事って何

所長代行という役割をいただいて初めてのメンバーミーティング201901151505261
メンバーに決めてもらうという理想と現実とのギャップ
発言できるメンバーの影響力と言葉にできないメンバーの表情
人を枠にはめようとするおこがましさ
自分を安心させたい・いい人でありたい
たった一回のたった20分ぐらいのミーティングが怖くて仕方ありませんでした
でも、ないものはない、あるもので関わるしかなくて
特に息子だったり、同級生だったり、兄弟だったり、親だったり、近所の知り合いだったり
どんどん裸(等身大)になっていく・いや…… 裸になれない感覚の中でいつも考えていました
「私の仕事ってなに?」
よく思い出す夕方の風景があります
ソファーでじっと佇むSさん
今でも思います。何を思ってたんだろなぁ…… と

いま思うこと

20190115150042私が棕櫚亭を退職してから10年近い年月が経ちました
その間私は、福祉といわれる業界と真逆の世界で過ごしてきました
そして、報道や新聞といった媒介以外で福祉業界と関わることは皆無でした
そんな私が「作業所の風景」を語ること自体おこがましく、恥ずかしさすら感じます
私にとっての作業所は、やっぱり言葉では説明しづらい場所だったように思います
あえて言葉にするなら……
来る理由や好きな理由なんてものは、別に今無理やり言葉にしなくてもいい
今のニーズ・動機ありきでないと何も始めちゃダメみたいな風潮
失敗を攻め立てるような風潮とは違う
来たいからきてる、それでいいじゃんみたいな
それをわざわざ綺麗な言葉・計画書にしなくてもいい
したかったら、そのうち自分でするんじゃないみたいな
でもほっとくのだけはやめよう、決めつけるのだけはやめようみたいな……
実はそれが一番難しいんだけど……

過去の意味 何故作業所を振り返るのか?

最近私が出会った「意味の原理」という言葉があります

“起きた出来事は変えられないが、出来事の意味は事後的に決まる
意思が未来を切り開き、未来が過去を意味付ける”

『人を助けるすんごい仕組み – ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか』
(西條 剛央 著 ダイヤモンド社)

私なりに解釈すると
長期入院問題の歴史や作業所がなくなったことは変えられないけれど
いつかこうなってほしいという先人たちの願い(意思)が担い手を育て(未来を切り開き)
育った担い手たち(未来)が先人たちの取り組み(過去)を意味付ける的な感じかなと思います

自分がどうしてもらってきたのか
どうしたかったのか
なぜ今こうなっているのか
ほっておくと、歴史や人との関わりって年数に応じて薄れて行くものだと感じます
だから今回のようなプロジェクトはそんなことを薄れさせない組織にしていくための
大切なプロセスのひとつじゃないかと思います
私は、作業所の存在意義はこれから決まっていくものだし
これから作っていかないといけないものなんだと思います

最後に

私自身、先代の会社を引き継ぎ、10年がたちました
そこで一緒に働く仲間から気づかせてもらった一番大切なことは、
過去を理解し、引き継ぐことを諦めないことなのかなぁと私は思っています
それは長く働いてくれている社員を理解することであったり、組織の考え方、風土、行事……
いろんな学びや時代の流れの中でついつい変えてしまいたくなる・変えなきゃいけないと思い込んじゃうものばかりです。たくさんの反発や失敗をへて気づかせてもらいました。もちろん組織として変化していくことはとても大切なことだと思います。ただ、忘れてはいけないなとも思います。
振り返ることができる歴史は、組織(棕櫚亭)にとって未来を作り出す何よりの財産だということを

「山ぢさん、どう思う……」

 

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

森内さんには、大変忙しい中とは知りながらも、多くの職員が読んでみたいということで原稿をお願いしました。退職された中でも、かなりの存在感があった職員です。メンバーさんからも大変好かれていて、退職する際には、大変惜しまれつつ去っていったという強い思い出があります。個人的には作業所勤務時代、メンバーさんスタッフ30名ぐらいで熱海に旅行に行き夜中、お風呂に入った記憶があります。
森内さんの『ある風景』は散文的で、いろいろに読み取れる点で興味をそそられました。前半の部分では、棕櫚亭がとても熱い気持ちを持った人の集まりだったということが感じられました。組織にとって未来が過去を意味づけるという西條氏の引用と福祉の世界の取り組みと経営されている会社にあてはめた解釈はわかりやすく読めました。過去を総括する大切さもうかがえました。「ソファーで佇むSさんは今頃なにをしているんでしょうか。自由で人の生き方がいろいろあったのだな。」という思いをもちました。そこには説明はいらないという森内さんの姿勢は、多様性を受け入れる今の棕櫚亭にも息づいているように思いました。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

もくじ

 

【連載】時事伴奏⑤~ニュースと共に考える(新年号)

法人本部 2019/01/10

新年明けましておめでとうございます。

今年は4月に新元号が発表され、新しい元号が5月から採用されるようです。私などは昭和・平成に加えて新しい元号までの3つの時代を生きることになるわけですから、自分が明治生まれの人達に抱いた感慨のようなもの、まぁ例えば「なんてこの人達は長生きなんだ」などという感情を、私に対して若い人達からはももたれるのかもしれませんね。

さて、昨年末に「ある風景」対談を行ないましたが、皆さんにも読んでいただけたでしょうか?対談の後半で「棕櫚亭でも引き続き、人材育成の必要性があり、課題である」と小林理事長が話されていましたが、この言葉が心に少し引っかかったまま正月休みに突入しました。

正月のテレビ番組は、紅白やお笑いなどが目白押しですが、先ほどのような考えが頭にあったものですから、ついつい人材育成にまつわるあるimages番組を観ましたので少し紹介したいと思います。

それは、「ひとモノガタリ」というNHKの番組で何日間か連続で様々な人を取り上げる番組です。一日目は「左官業」という人の定着率が極めて低い業種の会社で、「どうしたらこの会社で長く働いてもらえるか?」という取り組みを始めたという話でした。この会社では新人に一対一でつき、指導するということでした。いつも会社に遅刻して、将来に展望も描けないようなある若者が、お客さんの褒められた言葉を機に変わっていき、いずれかは一人で現場を任されるようになるという展望がみえてきてすばらしいと感じました。話しの要点は、この言わば「会社の問題児」をどのように育成するかという積極的人材作りにあり、その苦悩がよく描かれていることです。左官の親方が、若い人を手にもてあましながらも不器用に愛情を注ぐ姿に感動しました。

「ひとモノガタリ」の二日目は、卓球の平野未宇選手を育てた母親の話です。彼女の開いている卓球教室で、試合の時にみんなが一致団結して応援しなかったことに腹を立てて、子供達を怒ってしまったエピソードを取り上げていました。平野選手の母は、その後よくよく考えて、団結して応援しない状況をつくっていたのは自分で、その自分に対するふがいなさに実は腹を立てていたのだと気がつき、反省していたのが印象に残りました。

この二日間の番組では、人を育てる難しさや工夫が語られていましたが、少子化の中で人材育成にきちんと取り組まなければ、結局どこの業界もやがて先細りしていく危機感のようなものを私は感じました。

そんな中、私自身が一番興味を持ったのは、怒らない指導、共感の指導を学ぶことができたことです。

アドラーという心理学者の言う、その人の目で物事をみて感じて寄り添い、共感するという思想がそこに流れていることも感じました。アドラーは著書「嫌われる勇気」で有名になりましたが、続編「幸せになる勇気」ではこの共感することの大切さが書かれています。人に思いを寄せるときに、自分の目ではなく、その人の目から見える風景や心情を大切にすることは、小林理事長のおっしゃった、棕櫚亭の大切にしているパートナーシップを理解する上で必要不可欠かとも思いました。

つらつらと筆を走らせましたが、昨年末に小林理事長と語った「人材育成」について、年末年始のテレビ番組から考えてみました。

ところで、冬休み期間に、仕事のことを考える私ってやっぱり、昭和生まれの古いタイプの仕事人間なのでしょうか(笑)

新年の挨拶方々、文章を書き綴ってみましたが、時事伴奏を今年もよろしくお願いします。

ピアスタッフ 櫻井 博

【急募】「調理・調理補助スタッフ(非常勤)」募集中!

法人本部 2019/01/10

「調理・調理補助スタッフ(非常勤)」募集要項

社会福祉法人多摩棕櫚亭協会とは

1987年、多摩棕櫚亭協会は、一人でも多くの精神障害者が住み慣れた地域で生き生きと暮らしていくことを願い、国立市内に共同作業所棕櫚亭Ⅰを立ち上げました。現在は就労移行支援事業ピアス、国事業の「就業・生活支援センター、オープナー」の連携で積極的な就労支援を行っています。生活支援は、国立市内で地域活動支援センターⅠ型とⅡ型が担い、計画相談事業も行っています。小さな法人ですが、さまざまな活動を組み合わせながら理念である「精神障害者の幸せ実現」めざして職員が一丸となって働いています。

業務内容

精神障害者福祉事業所での配食(宅配)事業の調理及び調理補助業務

  • 普通運転免許取得者は配達業務をお願いすることもあります(応相談)
応募資格

普通運転免許あれば尚可

勤務条件
    • 雇用形態: 非常勤
    • 勤務日: 週2日~(応相談)
    • 休日: 夏季休暇・冬季休暇
    • 休憩時間: 45分
    • 勤務時間: 9時00分~17時00分(応相談)
    • 勤務地  ピアス 就労移行支援事業 »  国立市富士見台1-17-4
    • 試用期間: 3ヶ月あり
給与

※ 2018年6月1日現在

  • 基本給: 1,070円/時間
  • 運転手当
  • 交通費: 1,000円/日(上限)
  • 加入保険等
    各種社会保険完備(社会保険、雇用保険、労災) ※ 該当者のみ
募集人数

若干名

応募方法

まず、以下の担当者にご連絡ください。書類選考、面接、現場実習(謝礼あり)をいたします。

  • 提出書類: 履歴書
履歴書送付先/お問い合わせ

ご不明な点があればお気軽にご連絡いただければ幸いです。

社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 事務局
人事担当 小林由美子/高橋しのぶ
〒186-0003 東京都国立市富士見台1-17-4 アクセス »
tel. 042-575-5911

今年もお世話になりました~冬休みのお知らせ(事業所一覧)~

法人本部 2018/12/28

多摩棕櫚亭協会の各事業所のお休みは、以下のとおりになります。

 

冬休み開始日 冬休み終了日 開所日
オープナー 12/29【土】 1/6【日】 1/7【月】
ピアス 12/29【土】 1/3【木】 1/4【金】
なびぃ 12/29【土】 1/4【金】 1/5【土】
棕櫚亭Ⅰ 12/29【土】 1/6【日】 1/7【月】

 

ダウンロード

寒い日が続きます。特に年末には寒波の予報が出ています。くれぐれもお風邪等ひかぬようにお過ごしください。

新年度も、多摩棕櫚亭協会をよろしくお願いします。

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会 職員一同

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職員研修 救命救急(AED)研修を行いました!

法人本部 2018/12/18

12月14日(金曜日)リコージャパン株式会社の成瀬治一さんを講師にお招きして職員の救命救急(AED)研修を行いました。

ちなみにAEDとは、心肺停止(呼吸をしていない)状態にある方の救命に使用する、オレンジ色の機器のことを指します。

今回の研修では、119番通報してから救急隊(救急車)が到着するまで【平均到着時間8分】の迅速な救命処置で生存率が大きく変わることを教えていただき、救命救急処置の大切さを実感しました。

具体的には、”救急教育用人体モデル”を実際に使って「倒れている人の意識確認・呼吸確認の方法」、「救助者自身の身を守る安全確認」、「効果的に周囲の人へ協力を求める方法」、「AEDの具体的な使い方」、「胸部圧迫の方法」など細かな点を教えていただきました。
職員からは様々な状況での具体的対処方法に関する質問が多く出ましたが、対処方法を丁寧に答えていただき有意義な研修となりました。

AED救命救急研修2018.12.14AED救命救急研修2 2018.12.14AED救命救急研修3 2018.12.14

 

 

 

 

AEDは胸部圧迫処置(中央の写真にあるように胸を強く手で押すこと)と両方を行うことで有効的な救命になるなど、講習を受けて初めて知る情報も多く、昨今の災害等の報道の多さから考えても職員の備えの大切さを実感しました。職員一同学んだことを生かして今後に備えたいと思います。

参考までに谷保駅近辺に設置されているAEDは、ピアス・谷保駅など3箇所になります。

皆さんも有事の際に備えて「日本救急医療財団全国AEDマップ」で、お住まいの地域のどこにAEDがあるかを確認することをお勧めします。

篠原 洋子

 

 

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特集/連載 Part ❻『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “Keywordは、「就労」「ピア」「生活」「食事」…かな。”

法人本部 2018/12/07

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

Keywordは、「就労」「ピア」「生活」「食事」…かな。

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会
障害者就業・生活支援センター オープナー 森園 寿世
(精神保健福祉士)

違和感 ~ 精神科病院での実習

私は福祉の仕事に就くために、福祉系の学校に進学し、そこで実習先に精神病院を選んだことから、今の仕事とつながっていくことになりました。

その精神科病院での実習は女性の半開放病棟で行なうことになりました。
学生実習なので、当然夕方には終了するのですが、半開放病棟を出て、事故も無く終えたことにホッとした瞬間、背後でガチャンと重い扉と鍵のしまる音にドキッとしたことは今でも鮮明に覚えています。

また、病棟では、看護婦長が入院患者さんたちを対象に料理教室を開いていました。
看護婦長は一人で手早く料理を進めて、患者さんたちは手持ちぶさたです。
料理教室なのに、なぜ患者さん達に料理をさせないのかを聞いた時に、「この人たちは普段から『ああしろこうしろ』と言われているので、この時間くらいは、何もしないでいいようにです」と返ってきた答えに、なんか変、それはおかしいという違和感が心に芽生えました。

また、同じ看護婦長から、「この人たちはもう退院できるはずなのに、家族が受け入れを拒否しているから、ここにいるしかない」という事も聞きました。
自分の中のちっちゃな正義感みたいなものがうずいた大きな体験でした。

学生実習では色々な感情に揺り動かされました。そしてこの空間がもたらす違和感のようなものが私の心に、こびり付いたような、そんな感情も生まれました。

棕櫚亭との出会い

卒業後は、精神に携わる仕事に就きたいと精神科病院の就職を希望し、門をたたいたものの、残念ながら機会は得られませんでした。一方地域に目を向けた時、当時はまだ精神衛生法の時代、作業所といわれる施設はほんの一握りでした。

学校を卒業してから更に10年、時代は衛生法から精神保健法に変わっていた頃、棕櫚亭の求人情報と出会いました。応募の電話を入れたところ、「まずは棕櫚亭Ⅰ(国立市・谷保)に来てメンバーと一緒に作業実習をやってみて」と言われ、尋ねたところは、古い一軒家の広い民家でした。

ウエス(雑巾)作りや昼食作りのグループに別れて、にぎやかに作業をしていて、代わる代わるメンバーさんが私に話しかけてきてくれました。主に、年上の穏やかな男性メンバーさんが、この棕櫚亭の説明をしてくれました(後にこのメンバーさんはSSクラブ [生活就労支援部 1] のリーダー役になる方でした)。この日、あんまり職員の方とは話した記憶はありません(笑)。作業所は学生時代に実習をした精神科デイケアの雰囲気より、もっともっとフランクな雰囲気でした。この作業所の中では自分の中に芽生えた違和感が少しずつ払拭されていく感じがしました。

作業実習後の二次面接の日程は、「追って連絡する」と言われていました。ところが、私は自分の履歴書を渡し忘れたまま帰ってきていました。そのうえ、渡し忘れていることさえも忘れていたのです。その後、奇跡的に前理事長の天野さんが、住所も電話番号も判からない私を探しあててくれたのです。そんな間抜けなことをする人間によく働く機会をいただけたと思いましたが、反面「これは天命かもしれない(笑)」というくらいに感動しました。そして、今もこの棕櫚亭で働いています。

※1…SSクラブでは先駆的に「精神障害者の生活と就労を考えるプログラム」を提供していました

「どんな仕事をしたいのか?」自己に向き合う

二次面接を経て無事採用後、「喰えて、稼げて、寛げて」をコンセプトにしていた棕櫚亭Ⅱ(だいに・当時立川にあった作業所)に配属されました。再開発され始めたばかりのファーレ立川の近くにある手狭のアパートの一室。タバコ部屋もあって茶色い壁とタバコの臭いを思い出すと今も鼻がむずかゆくなります。この棕櫚亭Ⅱは開所当初から「働いて稼ぐ」ことを目的にした作業所でした。精神障害者が社会で働くなんて一般には想像できない、この時代に、棕櫚亭ではすでに打ちっぱなしのゴルフ練習場の早朝の集球作業をメンバー数人で取り組むグループ就労が行われていました。

20181205130125ほとんどが私より年上の男性メンバーさん方で、喧嘩もあれば、ちょっと女性が聞き辛い話(今で言うセクハラ 話?)もありました。働くことを目指すといっても、作業が終わるとマージャンを毎日のようにやっていました(近所のおじさんたちの集まるサロン!?)。でも、麻雀牌を捨てながら、誰かが「家族とうまくいっていない、そもそも自分の病気のせいで、家族に大変な思いをさせてしまった、だからいま寂しくても仕方がない」なんて話し出すと、そうだよな…… Aさんは大変だよなぁと相槌を打ちながら聞いてあげています。
当時の作業所には面談室もなく、職員とメンバーとの相談はリビングです。聞くともなく他のメンバーさんも相談話しが耳に入ってきたり……。メンバーにとって、自分の家のように思える場所を、スタッフと一緒に作っていたように思います。

その中で、私もまた彼らとの向き合い方を考え始めるのですが、「職員の役割は何なのか? 」「メンバーと私が違うのは、車の運転をする事と作業所の会計の仕事をする事だけなのか?」……。
なぜ仕事として彼らに関わりたいと思ったのか悩み始めることになりました。

それからまもなく、時代は精神保健福祉法となり、精神障害者保健福祉手帳制度が創設されました。作業所では、メンバーさんを集め、手帳に関する勉強会などが始められました。
そして、棕櫚亭にはSSクラブ(生活就労支援部)が作られました。
SSクラブは、仕事やピアカウンセリング(当事者同士によるカウンセリング)について学んだり、「働くこととは自分達にとってどのような意味があるのか」などのディスカッションしたり、活気のある場でした。
ある時、メンバーさんに限らず、職員も「自分はどんな支援がしたいのか?なぜそう思うのか?」というテーマで一人一人プレゼンをする機会がありました。
その場で、私はうまく話すことができませんでした。改めて自分の考えをきちんと話せない自分にとてつもなく落ち込んだのを覚えています。
むしろ、メンバーさん達の頑張りを見れば見るほど、またもや自分の役割や何をするべきなのか、自分の生き方は何だろう。私は、何をしたいのだろうと。自己と向き合うことが益々多くなりました。よもや30歳を過ぎてこんなに迷うとは思っていませんでした。
また、ある日、先輩職員から「勤務時間でない時間でもメンバーとどう関わっていけるかが大事」というアドバイスをもらいました。とても大切なメッセージをもらったと思っています。

棕櫚亭の作業所を象徴するword

時代は自立支援法、障害者総合福祉法と移り、こなさなければいけない業務量も事務量も増え、メンバーとの関わりの時間もタイトになってきました。例えば私の関わる就労支援では、企業の参入など目まぐるしい動きの中で、福祉がサービス化されていく流れがあります。時代の流れの中でものごとを見失いそうになるときもあったりします。そして、難しくなってきた支援自体に行き詰ることもあります。
その中でも、私を受け入れてくれるメンバーやスタッフの懐の深さに救われながら、仕事を続けられています。私も気がつけば棕櫚亭のキャリアも長いほうの部類に入ってきました。たくさん語りたいことはありますが、紙面の関係もあり書き尽くすことができません。従って私が考える、棕櫚亭を象徴するKeywordをお伝えしたいと思います。このwordは今もこの棕櫚亭に息づいていると思います。

私なりに受け取ったそのwordの意味が、作業所から始まる棕櫚亭の理念につながっているのだと思います。それを紹介して私の文章の締めとさせていただきます。

「就労」とは…自己実現の機会を作ること。
「ピア」「生活」とは…一人にしない。支えあうこと。

メンバー一人ひとりに丁寧に関わっていくことなど創設当初から変わらず、いまも引き継がれている棕櫚亭の大切な骨組みです。

そうそう、それから

「食事」もでした。
当初から、皆でご飯を作って一緒に食べることにこだわって、今でも続けている大切なプログラムです。
同じ釜の飯を食うのも、実は一番大切なことのひとつなのかもしれませんね。

 

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

森園さんのキーワード4つが息づいている棕櫚亭という法人が法律の改正とともに歩んできた姿が、手に取るようにわかる文章でした。現在法人のベテランに属する森園さんが、履歴書を出し忘れ、そのこと自体忘れたのに、天野理事長はどうやって探しあてたのだろうそんな疑問もわいてきます。昔のメンバーさんが自分の家のように感じて居場所にしていた棕櫚亭も、多くの人が行き交い、自身を社会へ飛び出させていった場所を今、訪れてみれば隔世の感もあるかと思います。でもその時代一緒に生きたスタッフは健在で、あの頃に話の華を咲かせることができるのも棕櫚亭の良さかと思います。あの頃指導していただいたメンバーの皆様も時々遠い日を目を細めながら思いおこしながら、今を生きている。そのようなメンバーさんの集まりが30周年の記念行事であり、再会し、ピアスで語りあった日々であることを考えると、歴史の重さを感じざるを得ません。この「30年にわたる思い」は今に至るまでずーっと脈々と生き続けています。ひしひしと感じながら今回読ませていただきました。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

もくじ

 

愛知県豊川市に事業所見学と講演の出張に行ってきました

法人本部 2018/12/06

今回は5年ほど前からお付き合いのある社会福祉法人 若竹壮 あけぼの作業所の職員である柴田さんから講演の講師をご依頼いただきました。

内容としては、「自立訓練と就労移行支援の活用の仕方」と「定着率をあげるための支援・関わり方」についてでした。実はものすごいプレッシャーでした(汗)

21日(水)は豊川市内にある障害者施設を見学させていただき、22日(木)が緊張の本番でした!

事業所見学は驚きの連続!そこから感じた地域としての課題

最初に、自立支援協議会を見学させていただきました。豊川市の人口は18万人ということで、ほぼ立川市と同じ人口ですが、精神障害のある方達の社会人資源の少なさに正直、驚きを隠せませんでした。具体的な社会資源は、豊川市全体としての就労移行支援事業所は4ヶ所、そのうち精神障害者に特化した就労移行支援事業所は1ヶ所。地域活動支援センターに関しては、日中活動の場として活用できるのは1ヶ所ということでした。このことについては、豊川市で支援している皆さんも「なんとかしたい!」という気持ちで考えていて、「精神障害の方達が地域で安心して、働いて暮らせる社会」を目指して支援者の熱さも感じることが出来ました。
熱量が同じ仲間同士、事業所間の垣根を超えて、障害者雇用などを地域に発信していく意見交換が活発に行われていました。「就労部会が1番活発なんです」と話されていた、皆さんの表情がとても素敵で、国立はまだまだだな…とも感じた瞬間でした。また、とてつもない忙しさの中で、週1回の頻度で就労部会を開いていると聞き、小声で「すごい…」とつぶやいてしまいました。

いざ、豊川市の事業所に見学へ!

1ヶ所目は社会福祉法人 若竹荘 あけぼの作業所です。こちらの事業所は知的障害の方達を対象にしています。見学風景1

多機能型で、就労移行支援と生活介護事業です。就労移行支援に登録されている方達は、社会福祉協議会の建物内で、清掃訓練をしているとの事で、そちらを見学させていただくことが出来ました。
最初に感じたのは、全ての業務に対して、マニュアルが整備されており、どの利用者へも対応ができると同時に、職員側の指導の標準化が出来ていることに感心しました。
職員の定盛さんは「いい所をみつける、そして、伸ばす」の言葉はとても印象的で、ご本人の目標設定や職員が気づいたことなど、振り返りシートを活用しながら、関わっていました。

訓練をしているとついつい重箱の隅をつつくような対応になりがちな中で、「今、訓練でやる目標と課題」を3人の職員で共有するシステムが参考になりました!2

余談ですが、3人の職員での役割分担を決めていて、厳しめ、お兄さん的、お母さん的な職員として、対応しているとの事でした。そして、就職が決まった方達は笑顔の写真入りで、勤務条件や就職までの利用期間などを廊下に貼り出している工夫もされていました。利用者の方達のモチベーションになる工夫もされていました。

生活介護事業の見学もさせていただきました。3パンや某大手自動車会社の拭きあげで使用するタオルの製造に従事されていました。

とにかく質の高い製品が出来上がっており、法人の稼ぎ頭という説明にも納得できました。

生活介護の方達なので、働くことが目的ではない方達も大勢いらっしゃいました。4

働くことが全てではないため、お一人お一人ができることで、とても笑顔で過ごされていたのもとても印象的でした。

 

 

2ヶ所目は有限会社 ウィングです。5こちらは就労移行支援事業所と就労継続A型とB型の多機能型で、3障害を対象としています。こちらの事業所は、今夏にピアスの見学にいらしてくださりました。有限会社が立ち上げたものだけあって、本当に職場!でした。
就労移行支援の訓練では、中古品のインターネット販売を取り扱っており、出品から発送までを利用者の方が対応しているとの事でした。
6 また、就労移行支援に登録している方達には、ビジネスマナーやコミニュケーションについての座学なども行っているとことでした。
就労継続B型でも内職作業や農作業などを中心に行っているそうです。地域の特性もあり、農作物の袋詰めや車の部品組み立てなど、幅広く行っていることが特徴でした。

 

さらに、地域活動支援センターの見学にも行かせていただきました。豊川市の相談支援事業所が16ヶ所あるのに対し、精神障害者の方が日中利用できる地域活動支援センターは1ヶ所とのことでした。

1ヶ所に集中してしまっているため、利用定員の20人の方達がほぼ毎日通所されているそうです。プログラムも試行錯誤しながら、マジシャンを呼んだり歌を歌ったり、外出プログラムを取り入れたり・・・。本当に一生懸命に「精神障害者の方達が外に一歩出てみる」「日中に安心して通える場所」を目指した取り組みをされていました。

こういった地域活動支援センターが1つでも多く増えて欲しいと強く感じました。 (さらに…)

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