精リハ学会・ベストプラクティス賞 受賞!

法人本部 2016/12/07

先週の12月1日(金)、日本精神障害者リハビリテーション学会第24回長野大会において、「第9回ベストプラクティス賞」を棕櫚亭が受賞いたしました。この賞は、日本精神障害者リハビリテーション学会が2008年に創設したもので、日本の精神保健医療福祉の現状を踏まえ、精神障害者のあるべき姿を展望し、それに到達するためのモデルとなる実践に贈られるものです。選考にあたっては「ボストン基準」と呼ばれる、ベストプラクティスを評価する6つの世界基準に加え、学会独自の基準を加えた8つの基準を満たす必要があり、棕櫚亭の活動は、それを満たしていると評価を受けました。IMG_2305

また、この賞に推薦してくださった社会福祉法人巣立ち会 理事長の田尾有樹子さんは、推薦文にこんな事を書いてくださいました。

『精神障碍者の多くが働きたいと願っている。しかし、かつてはその願いも、「再発の危険が高まるから」「無理をしない方がいい」などのパターナリズムの中で、支援者が握りつぶしてきたような歴史がある。そうした中で、棕櫚亭は当事者の願いに沿った支援を実行していこうという思いのもとに、就労支援に取り組んでいった。かつての作業所時代に期限を2年間と切って就労支援を行ったのは棕櫚亭が最初と思われる。現在、障害者総合支援法の中で、就労に関するリハビリテーションが「就労移行支援」という形で、こんなに発展してきているその最初のモデルを作ったのが棕櫚亭であり、就労リハビリテーションに大きく貢献してきていると考えられる。障害者就労を国が支持することで障害者の自立が促進されるという認識を国にもたらしたことも大きな功績で、その後の雇用率拡大や精神障害者を正式に雇用率に算定していくことにも棕櫚亭の活動が寄与してきている部分があると考えられる。』

棕櫚亭の今までの活動を評価してくださった嬉しい言葉です。

そしてこの受賞は、来年30周年を迎える、棕櫚亭への最高の餞となりました。今後もこの名の通り、「ベストプラクティス」を続けていけたらと思っています。本当にありがとうございました。                     (理事長 小林 由美子)

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理事長退任に当たって

法人本部 2016/12/05
本当に終わりという日が来るものだと新理事長に花束をもらって、しみじみ思った最後の理事会でした。悲しいとか寂しいとかよりやっとここまで来たという安堵感と嬉しさでいっぱいです。
世代交代、組織継承をお題目のように唱え続けたこの数年でした。現場の忙しさや、ワーカーであり続けたい、経営者になりたくないという次世代リーダーたちの本音が漂う中、本当に大丈夫なのかという不安が胸をよぎったことも多々あります。多分現状維持が一番簡単だし、現場も充実するかもしれない。それでも、30周年を迎える今、敢えて交代してゆくことが棕櫚亭にとって必要だと思ってきました。グループは生き物と言いますが、組織も時には生々しい生き物です。職員もメンバーも入れ替わりがあり、事業も時代的制約の嵐で、波風が立つことも多々あります。その中でいつも考えていたことは、全体力量を意識すること、やりがいをもってみんなが働けるよう条件整備と環境づくりに勤めること、問題や課題は議論して早めに解決することなどなど案外地道な(時には保守的な?)ことでした。経営状態が悪化したり、定員割れになったり、いざこざの絶えない組織では良質な対人援助ができるはずはありません。小さくとも風通しのいい棕櫚亭をそのまま渡したいというのは実は私の悲願でした。
精神障害当事者や家族が少しでも楽になる為に、まだまだやることの多い長い仕事だから、次世代また次々世代と繋げていかなければならないのです。そういう意味では40代後半から50代のベテランが数名いて、30代に厚みのある今が一番の交代時機です。そのことを随分話し合って目配り気配りしてきましたが、本当にここでバトンを手渡すことができて幸いです。

ふりかえればさまさまなことがありました。精神病院15年の勤務で5回の転職、時には解雇、時には休職というあまり褒められない働き方をしてきた私が、棕櫚亭で30年働かせてもらえたのは、実に幸運でした。思えば医療ヒエラルキーに反発して、創設者の女たち4人が自在に動きまわり、社会福祉法人にしてからは、組織自体が社会化していく過程で、私自身もいつしか大人になっていったようです。
この間出逢った多くの当事者と、喜びを分かち合ったり、挫折や再発に向き合って涙したりー。そんな時間は私の中にしっかり刻まれていて、これが、まさに私にこの仕事を通算45年続けさせた一番の原動力でもあります。亡くなった方達、消息のわからない方達、無念の思いで病院にい続けた方達にも深く深く御礼を言いたいと思います。この思いは確実に次の世代につなげるということ、それを伝えた上での降板だということもご理解ください、本当にありがとうございました。

PS なぜかバンコクのスタバでこれを書いています。息子宅の新生児育てのヘルブとして来て一週間。家事育児の苦手な私の新しい試練です。
いつも棕櫚亭周辺にいた子供達も育っていき、私自身がやっと大人になったと思ったら、もう孫持ちのおばあちゃん。次の命はぐんぐん大きくなってゆきます。世代交代はそこから見ても自然の流れなのでしょう。

再来週には国立に戻って、来年、3月31日までは棕櫚亭の職員として働いています。皆様遊びに来てください。

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会 前理事長 天野 聖子

理事長就任の挨拶

法人本部 2016/11/25

2016年11月13日に行われました理事会の決定を受け、天野前理事長から理事長の職を引き継ぐこととなりました。ここ10年をかけて取り組んできた組織継承に、一旦の区切りが着きほっとしたと同時に、大きな役割に身の引き締まる思いです。さらに、棕櫚亭は来年で活動開始から30年を迎えます。その様な節目の年を前に、この継承が無事に行われた事をとても嬉しく思っています。

 

この30年を振り返ってみると、棕櫚亭には10年ごとに大きな事が起こります。まず、最初の10年には、社会福祉法人を設立し、通所授産施設を開所しました。法人格を取得した事で、受託できる事業も増え、提供出来るサービスの幅を増やしていきました。そして、さらにその10年後には、障害者自立支援法(現:障害者総合支援法)が施行され、棕櫚亭も、この法改正に合わせ、サービスを再編するという事を余儀なくされました。収入面でもそれまでの箱払い(年度払い)から、個別給付(日払い)に変わり、自分達の意識を「施設運営」から「施設経営」に変えていく必要にも迫られていきました。質の高いサービス提供と経営のバランスに四苦八苦しながら、法人全体が一つになってこの荒波を乗り越えたのを、昨日のように思い出します。そして、30年を迎える今、社会福祉法の改正が行われようとしています。この法改正は「社会福祉法人制度の大改革」と言われ、またまた棕櫚亭にも荒波が押し寄せてきそうです。本当に10年ごとにいろいろな事が起こります。でも、天野前理事長はこんな事をよく言っていました。「組織は10年で腐る。」この言葉を考えれば、色々反論したい事はあるにせよ、法改正も組織の活性化には必要な事なのかもしれません。ただし、そこに飲み込まれることなく、棕櫚亭らしさは大切に守っていかなければと思っています。

 

最後に少しプライベートな話になりますが、数日前に理事長交代を知った友人から、メッセージが届きました。私もそれへのお礼と、ただ旧友という事もあり、少しの不安と本音を織り交ぜた返信をしました。するとさらにこんなメッセージが送られてきました。

「あなたの仕事についてはほとんど全くと言っていいほど、知識がありませんでした。でも時折、棕櫚亭のホームページを見たりしている内に、ああ、こんな世界があって、こんな風に頑張っている人たちがいるんだと気付きました。魅力的な方もたくさんいて。だから素晴らしいじゃないですか!!そんな世界をけん引していけるという事は!!!」

この言葉は、新しい出発にまだ少し躊躇する、私の最後の最後の扉を開けてくれるものとなりました。そして、これは利用者の方々、そのご家族、棕櫚亭がこれまでお世話になった沢山の方々から頂いた言葉の様にも感じています。「棕櫚亭があってよかった。」そう思っていただける様な組織を、職員と共に創り続けていきます。これからも皆さんに助けて頂く事ばかりだと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

平成28年11月24日

多摩棕櫚亭協会 理事長 小林由美子

「緊急発言」天野理事長コメント掲載

法人本部 2016/08/23

考え続ける、ここまでの活動の正当性を信じて発信し続ける

とんでもない世の中になってしまったと、頭を抱えるようなことが多くなった昨今ですが、相模原の事件には本当に驚きました。
報道されて3週間たっても震えがくるような気持ちは一向に収まりません。被害者も加害者も障害者で、19人もの惨殺となればいろいろな立場の人を深く傷つけ、もしかしたら二度と立ち上がれないような思いにさせているのかも知れません。
この中で語られる二律背反的な価値観、病気の開示と匿名性の確保、施設の開放性とそれによるリスク、引き出される自分たちの本音と福祉職員としての理念など立場によって、見方によってさまざまな思いがわきあがるこの問題は、それぞれにがんばってきている人達の神経をも逆なでしています。
それなのにあっという間に世間の関心はオリンピックに移り、またしても風化して消えてゆきそうです。残るは精神障害者は何をするかわからない、恐ろしいという昔ながらの根強い偏見… それが、またしてもじんわり社会に蔓延してゆくのではないかという嫌な予感がします。実際に、会社で同僚の会話に「精神障害者は怖い…」という話が出てきて、暗澹とした気分になった当事者の方もいます。

変わらない非正規雇用と低賃金と人手不足ゆえの重労働、在日の方々へのヘイトスピーチに端を発したネットなどでの暴言や差別発言が、一番弱い立場に向けて噴出するという大きな背景にも、目を向けたいものです。
措置入院や医療のあり方、司法と精神保健の狭間や責任能力という課題にテーマは移りそうですが、この容疑者の幾重にも屈折した存在に対してももっと何かができなかったのかも考えさせられます。
棕櫚亭では今回2度に渡って職員会議を開き、それぞれに深く思うところを一緒に考えました。共通しているのは一昔前にはあった精神障害者差別が、何十年の積み重ねの中でやっと変わってきたのに、それが容易に崩されてしまうのではないかという恐れや、悔しさでした。
その後メンバーの皆さんにも病気をオープンにして働くことや、名前を出して講演することなど自分たちの活動は揺らがないこと、全体としては隔離収容の時代から遠く離れ、多くの人の理解はゆき渡ってきたことなど話しました。
終わらない問題、解決できない課題をたくさん飲み込みながら、考え続けること、ここまできた活動の正当性を信じて、発信し続けることこそ大切な時だと思います。

7月23日の報告会では地域の方がたくさん来てくださいました。(平成27年度「多摩棕櫚亭協会の事業活動報告会及び研修会」が開催 をご覧ください)
地域で生まれ大きくなった私たちです。これからも地域に開かれた多摩棕櫚亭協会でありたいと思います。

社会福祉法人多摩棕櫚亭協会
理事長 天野 聖子

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