特集「書評『精神障害のある人の就労定着支援』」が始まりました

法人本部 2019/12/11

精神障害のある人の就労定着支援 – 当事者の希望からうまれた技法』が本年(2019年)5月に発売となってから、半年以上が過ぎようとしています。

そして季節は初夏から冬へと移りました。
先日この本をもう一度読み返してみました。読後の感じが刷り上がったばかりの興奮気味に読んだ時とは少し違う感じがありました。
もともと読みやすさを心掛けたこの本ですが、今回はさらにその言葉の数々が、樹木が水を吸い上げるようにすっと体に入っていく感じに自分でも驚きました。特に第二章「経験から蓄える」は、天野さんの強烈でもあり悲惨でもあるそれが、私の中にも一つの体験として蓄えられていく、そんな感覚を強く持ちました。不思議です。
中央法規出版 担当編集者の柳川さんが、「この本は爆発的に売れるというより、じっくり長く読み継がれていくものだと思います。」と話されていたのを思い出しました。
「読み継ぐという事はこういう事なのかもしれない……」そんな風にも感じました。

そこで今回、この本がたくさんの人々に読み継がれていく事を願い、こんな〈特集〉を組んでみました。

題して……
“私は『精神障害のある人の就労定着支援 – 当事者の希望からうまれた技法』をこう読んだ”

地域・医療など精神保健の分野で活躍される方々に、この本を読んだ感想や、この本への思いをご自分の体験などと重ねあわせて、大いに語っていただこうと思います。お願いしたのは「ぜひこの方の感想が聞きたい!」と言う方々ばかりです。ぜひご一読ください。

→ “私は『精神障害のある人の就労定着支援 – 当事者の希望からうまれた技法』をこう読んだ”

賛助会通信「はれのちくもり」発行しました(出版特別号/2019年6月号)

法人本部 2019/07/17

棕櫚亭賛助会通信「はれのちくもり」第115号(2019年6月号)を発行しました。

今回は、天野聖子著「精神障害のある人の就労定着支援」の発売に伴い、出版特別号を企画しました。

賛助会通信2019年6月号

主な内容は

  • 書評 (中村干城氏)
  • 天野聖子さんインタビュー(ピアス通信よりインタビュー記事の抜粋 ・・・ 全文はこちらから⇒ピアス通信37号を発行しました!
  • 本文より抜粋
  • 購入方法のご紹介

です。是非ご一読くださいませ。

 

また、賛助会へのご入会につきましては、こちらのページをご覧ください。

賛助会へのご入会

なお、お手元に届いていない会員の方や、住所変更等希望される方がいらっしゃいましたら、お手数ですが棕櫚亭までご連絡くださいますと幸いです。

特集/連載 Part ⑬ 【最終回】『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “対談編 – 過去を振り返って未来へ”

法人本部 2019/05/31

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

対談編 – 小林由美子(棕櫚亭 理事長)✖︎ 櫻井 博(棕櫚亭 ピアスタッフ)

次世代につなげる、支援につなげる

あの頃見たことを語り続けることが必要だと思うようになった。様々な出来事が記憶の底に沈まないうちに、それを次世代の現在の仕事に繋げる事が私の役割かもしれない。

『精神障害のある人の就労定着支援 – 当事者の希望からうまれた技法』
天野聖子 著/多摩棕櫚亭協会 編著(中央法規出版) より

小林: 元職員の森内勝己さんを皮切りに『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 (以下、『ある風景』)の後半戦も興味深く読ませていただきました。森内さんの文章が面白かったのは、棕櫚亭で仕事として体験したことが外に出てみて、深化しているというか。それは凄く分かりやすく書いてあって良かった。そして現在は福祉分野を離れてはいるが、今の仕事にきちんとつなげているのだと思いました。

櫻井: 経営感覚を磨くって凄いことですよね。目の前の支援をやりながらも、どうやってこの施設の行く先を考える、つまり森内さんで言えば広い視点で会社を経営しながらやっていく。ユニクロの社長が言っていたけど「全員が社長の気持ちでいないとダメだ」と話していたことを思い出しました。主体的に仕事に取り組みながら、俯瞰的にみていくことはこの世界にいると特に必要なことで、私なんか、ついいつのまにか目の前のことに巻き込まれています。

小林: 確かに柳井さん(ユニクロの社長)は強力な言葉をもっていますよね。あのレベルは難しいとしても、(精神障がい者の)支援を言葉で行なっていく私達、特に経営陣がまだまだ力量不足なのだと思う。勿論あれほど強烈にはなれないけど、言葉って大切で、私達もパートナーシップを持ちながらも、いろんな言葉を駆使して支援していくことは凄く大切だと思う。職員一人ひとり、みんながその意識をもってやってくれたら、凄い発進力になるよね。まず空気を読むということではなく。
話を戻しますが、『ある風景』の後半戦を読んで感じたのは、メンバー(利用者)に教えてもらったとかメンバーと共にやってきたとか、そういった精神みたいなものは今も棕櫚亭に大切に引き継がれているのは、この『ある風景』に一貫していると改めて感じました。多分、その具体的なものの一つはメンバーとのパートナーシップです。このパートナーシップというところは今も引き継がれて、それは利用者であるメンバーも今もとても評価してくれるところですよね。
と、同時にメンバーシップを大切にするような姿勢や精神といったものはきちんと私達が引き継ぐだけではなく、これからも先の世代に引き継いでいかなければいけないのだろうと思いました。
なぜ、こんなことを言うかというと前回(12月)の対談の終わりでも少し触れたとおり、引き継ぐということは、人を育てるということ、つまり人材育成のところに次の宿題が残されていて、連載のなかでもうひとつ大きなトライをしていかなければならないことだと改めて思いました。「人材育成」という単語こそ、職員が描く『ある風景』文章そのものには出てこないことなのだけれど、その意義について私自身として理解したということです。ともすると、人材育成のポイントは、もしかしたら今後研修なんかでケースワークの基本を学ぶことは勿論のこと、社会に対して広い視点をどうやってもてるようになるかと思ったりするわけですよ。

櫻井: 森内さんが言っていた「過去を振り返る」というところで「その起きたことは変えられないが出来事の意味は事後的に決まる、意思が未来を開き、未来が過去を意味づける」こういう言葉を最初に言って、結構センセーショナルな内容だなと思ったんですけど。
小林さんは「パートナーシップ」だけではこの社会福祉というものを乗り切れないということつまり、僕らは一歩すすんで天野さんが耕してきたことをもう一回考え直して、人材育成に力を入れることが必要と考えているのですね。

小林: メンバーとの  「パートナーシップ」だけじゃ足りないとは思っていなくて、パートナーシップは絶対に大切にする必要があるんだけど、『ある風景』を改めて自分なりに咀嚼してみて考えたのは、そこだけを学び取るんじゃなくて、その前提に社会と積極的に関わり続ける強い意識をもった創設世代の存在というものを文章から透けて見えたわけですよ。
その人達が「作業所作ろう」、「授産施設で就労やろう」っていう部分は、社会との関わりを強く意識していたのだと感じ、大切だと思ったのですよ。

櫻井: 森内さんの文章の最後の方で「先人達の意思が、担い手を育てる」という文章が引用されていたんですが、彼のように優秀な人でさえ「(先代の)人材教育を引き継ぐことは難しい」と言っているような気がしました。つまり、小林さんもその先人にならなくてはいけないと考えているのですね。

社会とコミットメントする(つながる)

いろんな精神障害の政策の改善や社会改革などに吸収されて発信されるべきものが個人への攻撃や中傷として表出されている。精神障害の問題もこれらの問題も根っこは皆同じ所だから、どうにもしがたいし犯し難い課題を持っている。私達が長年悩んできた精神医療や福祉の改革も社会の諸問題に結びついているから、そもそも一つの世代で解決できる事ではなかったのかもしれない。いつかきっとの「いつか」は少し長いスパンで考えていこう。

『精神障害のある人の就労定着支援 – 当事者の希望からうまれた技法』
天野聖子 著/多摩棕櫚亭協会 編著(中央法規出版) より

小林:  『ある風景』の中では、文章として現れている部分が少なかったかなぁと思ったんだけれども、そもそも作業所が作られた経緯があって、それは創設世代の人達は社会にコミットメントして(つながって)いくというかソーシャルな存在として、例えば精神障害者が病院に収容されることに対してやっぱり真摯に関わって、作業所という新しい価値を作ったと私は理解しています。創設世代の人達は社会的におかしいと感じたことを「おかしい」とちゃんと言う人達だったんだと思う。
こういう人達が組織からいなくなった時に「おかしい」と言える人間がいないとまずい、必要な新しいサービスが出てこない。
棕櫚亭はいつも社会にコミットメントしてきたということでここまでやってきた気がします。そのために最初は無認可だったけど、どんどんどんどんそうやってコミットメントして、サポートして食える人を増やし、いろんな自分達の力や組織的にも力をつけてここまで来たと思います。社会福祉法人として組織化された今はどうやってある意味窮屈な現状を変えていくのが私達の大きな仕事でしょうね。
そういう意味では、私達が自身を成長させていく時に大切なのは、もう少しものごとを大きく捉えて、つまりフレームを広げ挑戦し社会にコミットメントしていく力で、私も含めて、まだまだ弱いなぁと感じるところです。
社会にどうやって棕櫚亭が関わっていくのか、コミットする力をどのように付けていくのか、考えていきたいと思うのですよ。

櫻井:  そういえば、社会との接点といえば、1,000人規模のコンサートとかやってましたよね、「憂歌団」とか呼んで。行事をやってそこから運営費収入を得ていたとか、逞しさがありましたよね。

小林:  改めて考えた時、例えばコンサートを開くということの意義は、運営費稼ぎであったり、更に言えば、社会との接点つまり社会とのコミットを行なっていたということなんですよね。そういった感じのものを『ある風景』から学んで棕櫚亭らしさとして引き継いでいかないといけないなぁって思いますね。

櫻井:  小林さんの中で「コミットメント」という言葉が棕櫚亭成長へのキーワードになっているのですね。コミットメントを切り口に私自身の体験にひきつけて語るのならば、「社会からはじかれた自分」ということを思い出しました。
僕が大学の時に病気になって凄く人間不信に陥って被害妄想的なった時に「自分はこういう人間で、こういう考えだから」と先輩に10通くらい手紙を出したが1通も返ってこなかった。手紙を送ったにもかかわらず彼らが、言うならば社会が受け入れてくれなくて爆発しそうなエネルギーがあった。
その時は入院ってことになっちゃって「なんで入院させられるんだ!」という怒りもあったんです。
でも『ある風景』を読み、私が過去を振り返る意味を自分なりに考えた時になんで自分が病気になったかとか、なんで自分が入院しなきゃいけなかったのか、ということを気付かされました。つまり、その時の私は(小林さんが言うような福祉に)繋がらなかった人だったんだと思う。だから病気になってしまった。そしてそのまま(福祉に)繋がらなかったら一生涯わからなかったと思う、自分の病気とか。長かったけれども必要な時間だったのかもしれない。
自分自身のことや病気を知ることはここで言葉にするよりもかなり辛いことなのだけれども、その延長線上で棕櫚亭で仕事をするってこともできなかったと思う。かなり遠回りだったけど、自分を理解することで他の方の理解ができるようになった。自分の思い込みや思い違いがあるってことが実際に仕事をさせて頂いて、電話相談とかフリースペースに来る人達を通じて分かるようになってきたし、その溝を埋めることが、言葉であり、コミュニケーションなのだという気づきにつながっています。
そのことを敢えて伝える必要とは思わないんだけど、困っている人達がなんとなく、福祉に繋がってくれてよかったなぁと思っています。
そして職員となった今の僕も過去にははじかれた人かもしれないけれども、少しずつ引っ掛けていくという、そういう努力はこれからもしていかなきゃと思う。

小林:  櫻井さんが「社会からはじかれた」「辛い思い」は理解できます。でもコミットしていくことの必要を感じている私達の側から言うならば、もう一歩、二歩前にすすんで「本当は私達が出会わなければならない人達に出会う努力をしなければいけない」そしてそれが、社会にコミットするということだと思うということを私は言いたいのですよ。

櫻井:  確かに時間はかかってしまったが、棕櫚亭との出会いのなかから、いろんな人を知ることによって、社会から離れちゃった段階から、また新たに社会に戻されて社会の構成員としての生き方を見つけたんだと思うんですよね。
ちなみに、最近始めた「こども食堂」なんかのサポート事業も社会福祉法人として社会にコミット(貢献)したい流れの中で始めた事業ですかね?

小林:  最初は社会福祉法改正の中で社会福祉法人の社会貢献の義務化の話がでてきたので、棕櫚亭も何かやらなきゃという部分もあった。だけれども本来、社会福祉法が変わったからやるんじゃなくて関わってみたら、それより前にやっぱり社会のなかにある課題なわけだから、だったらそこに積極的に関わっていくというまず姿勢が私達には必要なんだと思い「子ども食堂」のサポートを始めたのですよ。社会福祉法人の社会貢献活動の義務化うんぬんは置いといて。

時代が変わっても – 普遍的なもの

AIやバイオテクノロジーが進化を遂げるなか、もしかしたら統合失調症の治療も大変化を遂げて、悲惨な精神病院の話は前世紀の遺物になるかもしれない。仮にそうだとしても、いつの時代も肝心なのは大きな渦中にいるたった一人のかけがえのない人を思う事であり、その人のありように通い合う心である。

『精神障害のある人の就労定着支援 – 当事者の希望からうまれた技法』
天野聖子 著/多摩棕櫚亭協会 編著(中央法規出版) より

櫻井:  山地さんが「10年後も(精神保健の)パイオニアでありたい」と書かれていたこと凄く印象的だったのですけども、そのパイオニア意識、ようするに開拓者であり改革者あり先人でありたいという意識を若い人にもってほしいと思っているのですね?

小林:  若い人もそうだけれども、まず私達棕櫚亭の経営陣が持たないと駄目だと思う。
何を耕すのか、何を開拓していくのかは社会の課題が見えてないといけないし積極的にそこに関わってなかったら課題が見えてこないから、パイオニアである為には社会に関心を持ちながら日々いなきゃいけない、それは凄く感じる。

福祉法制度上はいろいろ整ってきて、過去に比べれば精神障がい者にとって生きやすい社会になっていると思います。それでは日本が福祉的に充実してきたいえるのか?そこには疑問があって、私自身には実感が伴ってこないというのが本音です。結局、省庁の問題なんかも、障害者雇用促進法に定められた雇用率制度も以前に比べ拡充してきたにもかかわらず、行政庁が守っていなかったなど、露呈してしまった。ある意味実感を伴っていることだったんです。

そして、その実感の裏づけとして当事者の声に耳を傾け、その声を大切にしたいと思っているのです。例えば、SPJのような当事者活動からの声は大切だと思うのです。そういう当事者の声や力がこれから更に必要になってくると思います。

櫻井:  その話を聞いて思い出したことがあります。工藤さんが書いていたのですが、障害者自立支援法ができた時に同じ生活支援を行なっている「なびぃ」と「Ⅰ(だいいち)」のサービスが似通っているから、地域活動センターとして一つに統合されるのではないかという危機感が法人にありました。その時に「それは困る」とメンバーさんが声を上げ、小林理事長と工藤さんとメンバーさんが市役所に行って話しをきいてもらった。その結果、それぞれ地活Ⅰ型とⅡ型として存続できました。確かにあの時のメンバーさんたちの声は大きかったと思います。ああいうことですかね。

いきなり自立支援法でサービスが変わるのはびっくりしてしまいましたけど。

小林: 福祉サービスの法律の改正って、今のような社会情勢の中で必要な通過儀礼だったのかもしれません。措置から契約への変更は、当時も思っていたけれども、でも今から振り返ってみても「自立支援法」ができたことって大きな改革だったなぁって感じるところだよね。

櫻井:  でも、一方で法律が変わったところで変わらないことや場所がある。僕なんかは今も、棕櫚亭Ⅰにはのどかでゆったりできる昔からの雰囲気が残っている気がする。就労を目的をした場所ではないし、みんなが平日に行ってくつろげてる場所とか居場所として使っている所で、ある意味作業所時代のいい所を残している感じがする。あえて、棕櫚亭が残しているということなんでしょうね。

自立支援法によって、いろんなサービス形態ができ、選択の幅が増えたのはよいことだと思うのです。その一方で、社会的にみて経済性だとか効率性だとか強調される中で、人の尊厳なんていうと大げさだけど、安全に快適に過ごせる空間はいいなと思うんですけどね。この障がいの人達って一度経済社会からはじかれた辛さがあると思うので、まずはホッとできる気持ちを取り戻したいと思うのですよ。

形に残すこと – 出版することの意義について

小林: 棕櫚亭が社会福祉の活動を存続していくには、一定程度、制度にのらなくてはいけない事業規模になってきました。活動の継続性・連続性ということは、結果論ではなく法人としてきちんと取り組むべきことだと思います。そこは経営者として私は常に脳の片隅に持っています。それはメンバーと同様に、職員一人ひとりにも大切な生活があるということなのです。とはいえ、制度が変わろうと守らなければいけないものは、有形・無形、意識・無意識にいろんな断片として棕櫚亭のなかに残しているつもりです。

自分達の活動を「福祉サービス」という言葉で語ってしまったり、括ってしまうと、どうしても四角四面な印象が強くなって、自分達ができる事にリミッターを設定してしまうことがある。だから現場で働く職員には「支援の手法」よりも先に精神保健活動の意義や理念、そして棕櫚亭が思想性も含めて大切にしていることを意識して伝えなければいけないと感じている。実際、理念と実践を普段から言葉で結びつけ伝えていくようなことが、日々の忙しい活動の中で物理的(時間的)にも難しくなっている。支援の中身や意味づけって言葉にしづらいし、精神障がい者の方の支援って「言葉で行なうものだ」といいながらも、案外してこなかったなぁという反省が私にはあります。

櫻井: 社会福祉のあり方、つまりよいサービスを提供すれば棕櫚亭として事足りるのだという考え方ではないということなのですね。

小林:今回、前理事長の天野さんが『精神障害のある人の就労定着支援 – 当事者の希望からうまれた技法』執筆、出版されました。読ませていただいて、考えさせられたのは、「やっぱり語り継がなきゃいけない、人が育っていかなければいけない」と天野さんが思って、中にしまっていた言葉を全部紡ぎだしてくれたんじゃないかということです。とにかく、その熱量が凄い。理事長を引き継いだ私としてはプレッシャーを感じるほどです。

櫻井: 天野さんの書かれた文章で「諸問題を発信しても、これだけで全部を終われるかというとそうじゃない。これから、これをもとにしてやっていかなければならない」という凄い意欲を感じたのですけども、どのように次世代に繋げていくこととか、どうして過去を振り返るのかという問題を深く考えていかなきゃならないということですかね?

言葉にし切れてないってことはホントに僕らの未熟さもあるし、天野さんはいつも言ってたと思うんだけど「支援って言葉でやっていくんだよ」ってしつこいくらい言われてて、それは続けていかなければいけないし。この前に読んだ本で「社会ってコミュニケーションと言葉でできている」っていうようなことが書いてありました。だからそういう意味では言葉って凄く大事だし、そこは今後僕らに課せられたこと、発言していくことの大切さをこれからも考えていきたいと思いました。

小林: そうですね。これは森内さんも書いてくれたんですが「振り返ることができる歴史は組織にとって未来を作り出す財産だ」と書いてあるけど、まさに天野さんはそれをしてくれたんだろうね。天野さんが仕事を始めた精神病院の悲惨な歴史が今の私達の活動につながっていること、そしてその時遣り残したこと、思い残したことなど自分の負の部分をさらけ出して文字にしてくれている。「明るく、元気に、美しく!」を体現している天野さんもこんな歴史があり、思いがあり、「次どこへ行くのかしっかり自分達で考えなさい」ってバトンを渡されたのだと強く感じました。

天野さんも内省されていたように、私自身がどうしてここ(精神保健分野)で仕事をしているのか? どのような意義を見出しているのか今一度考え直すよい機会をいただいたと思っています。そして、平行して行なわなければいけない人材育成する上でとてもいい財産を残してくれたと感謝しています。

櫻井: 本当にありがたい財産ですよね。精神保健の関係者もさることながら、このような複雑多様化したいき難い社会の中で、ゆれながらも懸命に生きていく一人の人生の読み物としても刺激を受けます。読み手によっていろんなヒントが隠れていると思うので、ぜひ一般の方にも読んでいただきたいと思っています。ぜひ多くの方にお買い求めいただければと考えています。

小林: 最後になりましたが、この本という結晶は天野さんを中心に多くの人の下で生み出されています。形になったのは中央法規の柳川さん、アーガイルデザインの宮良さん、画家の満窪篤敬さん、そして、創設者世代の藤間陽子さん、寺田悦子さん、満窪順子さんのご尽力やアドバイスがあったからだと聞いております。感謝します。

本のあとがきに、感謝の一文を入れるのことが多いのですがかかれていません。それは、本に書かれたような大胆な行動家である一方、案外恥ずかしがり屋の面も強く持つ天野さんだからなのです。ですから、私 小林が現理事長として成り代わってこの場で改めてお礼申し上げます。

小林 櫻井 二人: (笑)

対談を終え…当事者スタッフ櫻井さんのコメント

『ある風景』も最後の対談を終え、『ある風景』に関わった人々皆様への感謝の念でいっぱいです。執筆いただいたかたは忙しい仕事の合間を縫って書いていただきました。ありがとうございました。

最後の小林理事長との対談はいろいろなことに話しがおよびました。

コミットメントというテレビCMでよく聞く言葉もつながっているという意味で使われていることが福祉の業界の特色をだしていると思います。CMでは誓約、確約などの意味で使われていたと思います。話は天野前理事長の本にも及びました。わたしも天野前理事長の若い頃からの人生の軌跡を読み涙がでました。挫折もあったけれどここまで棕櫚亭を大きな組織にした人生に感動しました。棕櫚亭が子供食堂への協力など社会福祉法人として果たしている役割を担っているのも誇りに感じました。

棕櫚亭の『ある風景』を語っていただいた方々につながる若い世代の人々が、この次はどんな “ある風景” を語ってくれるか楽しみです。

このサイトにアクセスし読んでいただいた皆様ありがとうございました。

 

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

購入は ↓

『精神障害のある人の就労定着支援 – 当事者の希望からうまれた技法』
天野聖子 著/多摩棕櫚亭協会 編著(中央法規出版) 

 

もくじ

 

お待たせいたしました! 5月28日に「精神障害者のある人の就労定着支援~当事者の希望からうまれた技法~」が発売されます!!

法人本部 2019/04/24

「精神障害者の就労定着」これは今、障害者の就労支援の喫緊の課題です。しかし裏を返せば、精神障害者が当たり前に働くことが出来る時代になったということです。そして、こんな状況を今から50年前に誰が想像したでしょうか?

1964年に起こったライシャワー事件、これは当時の精神医療の在り方に大きな影響を与えました。「精神障害者を野放しにしておいていいのか?」今から考えれば何とも差別的なものですが、そんな議論が巻き起こったと当時の新聞記事は伝えています。さらに翌年(1965年)施行された精神衛生法の改正にも、紆余曲折があったと伝えられています。そして国策はこれを契機に、精神障害者の隔離収容に大きく傾き、精神病院が乱立されていきました。5月28日中央法規出版から発売となる棕櫚亭3冊目の書籍・天野聖子著・多摩棕櫚亭協会編集「精神障害者のある人の就労定着支援~当事者の希望からうまれた技法~」は、まさにその約半世紀前から話しが始まります。

閉鎖的な病院内、しかしその様な中でも当然あった「退院したい!」「自由な生活がしたい!」「働きたい!」という当事者達の希望の数々。この本にはそれを叶えようと奮闘する一人のワーカーの姿が描かれています。そして、そのワーカこそが棕櫚亭創設者そして前理事長である天野聖子さんです。しかしそれらの希望が実現するのは、その奮闘から約20年後の1987年、棕櫚亭Ⅰ開所まで待たなければなりません。この様に、棕櫚亭が現在行っている活動の多くは、病院内に埋もれてしまった多くの希望、そして叶わなかった無念からうまれたものです。

またこの本は、一冊三部構成となっており、上述した内容は第2部に収められています。第1部には、棕櫚亭が1997年から20年の歳月をかけて蓄積してきた就労支援・定着支援についての内容を、第3部には棕櫚亭Ⅰ開所から組織を作り上げ、次世代へ継承してきた30年をたどりながら、そこに詰まった人材育成や組織作りの考え方やノウハウを記しています。どれをとっても、今福祉の現場で働く方、これから働きたいと思う方に興味深い内容になったと自負しております。ぜひご一読下さい。そしてこの本が、「精神障害者の物語は、全てここから始まった」と皆さんに再確認して頂けましたら幸いです。

(理事長 小林 由美子)

※発売は5月28日ですが、先行予約は当法人のHPより5月10日から開始いたします。

詳しくは   ↓ (予約開始前につき、SOLD OUTとなります。5月10日をお楽しみに!)

https://shuro.official.ec/

談話室にて天野さんの送別会を行いました!

オープナー 2017/03/30

平成29年3月24日(金)にオープナー談話室で天野さんの送別会を盛大に行いました。
当日はオープナー開所時のメンバーから現役メンバーまで、総勢約80名の方が駆けつけてくれました。
今回の送別会では新しいメンバーが一部司会を行うなど、新旧メンバーがMIXしあいながら会を進めました。

CIMG0080まず初めに、天野さんからオープナー開所にまつわる歴史や談話室を作ってきたメンバーとの思い出、葛藤などを話してもらいました。そして、これからは働き続けている当事者から、社会に向けてのメッセージを発信していってほしい!と力強い言葉をいただきました。

途中、スライドショーでオープナーの名前の由来や歴史を振り返り、天野さんを始め、当時のメンバーからも「懐かしい!」との声と表情が溢れていました。

CIMG0096

 

メンバーから天野さんへの一言メッセージでは、「オープナーがあって本当に助かった」「棕櫚亭と出会えたことが幸せ」など、心のこもったたくさんの言葉が続きました。心温まる時間がもっと長く続けばいいのに…と思っていました。

 

最後は、グラッシーズの「贈る言葉」とOさんのエールで締めくくり、天野さんの感涙が流れていました。

CIMG0148 CIMG0138

会が終了した後も天野さんと話し足りないメンバーは、別れの時間を惜しみながら写真を撮ったり握手したり…そんな姿にジーンとしてしまいました。
IMG_3712一方、司会とういう大役を果たした新しいメンバーは、緊張しながらも2人で支え合いながら、進めることができた様子で、会の終了時にはほっとした表情が印象的でした。

終わりに…

天野さんから「利用者に飛び込みなさい」と育ててもらってきたこの12年間。ほんの少しではあったが、言葉の意味がわかったような気がしています。特に天野さんとメンバーの関係がお互いに一人の人として真摯に接し続けたこと、天野さんからの愛情の大きさ・深さが伝わり、そしてメンバーからの想いが伝わり…。本当に全力でぶつかってきたからこそ出来上がってきたオープナーであり談話室だと心から感動した時間でした。

川田 俊也

理事長退任に当たって

法人本部 2016/12/05
本当に終わりという日が来るものだと新理事長に花束をもらって、しみじみ思った最後の理事会でした。悲しいとか寂しいとかよりやっとここまで来たという安堵感と嬉しさでいっぱいです。
世代交代、組織継承をお題目のように唱え続けたこの数年でした。現場の忙しさや、ワーカーであり続けたい、経営者になりたくないという次世代リーダーたちの本音が漂う中、本当に大丈夫なのかという不安が胸をよぎったことも多々あります。多分現状維持が一番簡単だし、現場も充実するかもしれない。それでも、30周年を迎える今、敢えて交代してゆくことが棕櫚亭にとって必要だと思ってきました。グループは生き物と言いますが、組織も時には生々しい生き物です。職員もメンバーも入れ替わりがあり、事業も時代的制約の嵐で、波風が立つことも多々あります。その中でいつも考えていたことは、全体力量を意識すること、やりがいをもってみんなが働けるよう条件整備と環境づくりに勤めること、問題や課題は議論して早めに解決することなどなど案外地道な(時には保守的な?)ことでした。経営状態が悪化したり、定員割れになったり、いざこざの絶えない組織では良質な対人援助ができるはずはありません。小さくとも風通しのいい棕櫚亭をそのまま渡したいというのは実は私の悲願でした。
精神障害当事者や家族が少しでも楽になる為に、まだまだやることの多い長い仕事だから、次世代また次々世代と繋げていかなければならないのです。そういう意味では40代後半から50代のベテランが数名いて、30代に厚みのある今が一番の交代時機です。そのことを随分話し合って目配り気配りしてきましたが、本当にここでバトンを手渡すことができて幸いです。

ふりかえればさまさまなことがありました。精神病院15年の勤務で5回の転職、時には解雇、時には休職というあまり褒められない働き方をしてきた私が、棕櫚亭で30年働かせてもらえたのは、実に幸運でした。思えば医療ヒエラルキーに反発して、創設者の女たち4人が自在に動きまわり、社会福祉法人にしてからは、組織自体が社会化していく過程で、私自身もいつしか大人になっていったようです。
この間出逢った多くの当事者と、喜びを分かち合ったり、挫折や再発に向き合って涙したりー。そんな時間は私の中にしっかり刻まれていて、これが、まさに私にこの仕事を通算45年続けさせた一番の原動力でもあります。亡くなった方達、消息のわからない方達、無念の思いで病院にい続けた方達にも深く深く御礼を言いたいと思います。この思いは確実に次の世代につなげるということ、それを伝えた上での降板だということもご理解ください、本当にありがとうございました。

PS なぜかバンコクのスタバでこれを書いています。息子宅の新生児育てのヘルブとして来て一週間。家事育児の苦手な私の新しい試練です。
いつも棕櫚亭周辺にいた子供達も育っていき、私自身がやっと大人になったと思ったら、もう孫持ちのおばあちゃん。次の命はぐんぐん大きくなってゆきます。世代交代はそこから見ても自然の流れなのでしょう。

再来週には国立に戻って、来年、3月31日までは棕櫚亭の職員として働いています。皆様遊びに来てください。

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会 前理事長 天野 聖子

「緊急発言」天野理事長コメント掲載

法人本部 2016/08/23

考え続ける、ここまでの活動の正当性を信じて発信し続ける

とんでもない世の中になってしまったと、頭を抱えるようなことが多くなった昨今ですが、相模原の事件には本当に驚きました。
報道されて3週間たっても震えがくるような気持ちは一向に収まりません。被害者も加害者も障害者で、19人もの惨殺となればいろいろな立場の人を深く傷つけ、もしかしたら二度と立ち上がれないような思いにさせているのかも知れません。
この中で語られる二律背反的な価値観、病気の開示と匿名性の確保、施設の開放性とそれによるリスク、引き出される自分たちの本音と福祉職員としての理念など立場によって、見方によってさまざまな思いがわきあがるこの問題は、それぞれにがんばってきている人達の神経をも逆なでしています。
それなのにあっという間に世間の関心はオリンピックに移り、またしても風化して消えてゆきそうです。残るは精神障害者は何をするかわからない、恐ろしいという昔ながらの根強い偏見… それが、またしてもじんわり社会に蔓延してゆくのではないかという嫌な予感がします。実際に、会社で同僚の会話に「精神障害者は怖い…」という話が出てきて、暗澹とした気分になった当事者の方もいます。

変わらない非正規雇用と低賃金と人手不足ゆえの重労働、在日の方々へのヘイトスピーチに端を発したネットなどでの暴言や差別発言が、一番弱い立場に向けて噴出するという大きな背景にも、目を向けたいものです。
措置入院や医療のあり方、司法と精神保健の狭間や責任能力という課題にテーマは移りそうですが、この容疑者の幾重にも屈折した存在に対してももっと何かができなかったのかも考えさせられます。
棕櫚亭では今回2度に渡って職員会議を開き、それぞれに深く思うところを一緒に考えました。共通しているのは一昔前にはあった精神障害者差別が、何十年の積み重ねの中でやっと変わってきたのに、それが容易に崩されてしまうのではないかという恐れや、悔しさでした。
その後メンバーの皆さんにも病気をオープンにして働くことや、名前を出して講演することなど自分たちの活動は揺らがないこと、全体としては隔離収容の時代から遠く離れ、多くの人の理解はゆき渡ってきたことなど話しました。
終わらない問題、解決できない課題をたくさん飲み込みながら、考え続けること、ここまできた活動の正当性を信じて、発信し続けることこそ大切な時だと思います。

7月23日の報告会では地域の方がたくさん来てくださいました。(平成27年度「多摩棕櫚亭協会の事業活動報告会及び研修会」が開催 をご覧ください)
地域で生まれ大きくなった私たちです。これからも地域に開かれた多摩棕櫚亭協会でありたいと思います。

社会福祉法人多摩棕櫚亭協会
理事長 天野 聖子

「年の瀬に思うこと」天野理事長コメント掲載

法人本部 2015/12/28

世代交代が進む現場では
若い職員達がいろいろなことを吸収して
大きく伸びようとしています

1年はあっという間ですが平成27年も実に足早に通り過ぎていったという感じがします。
思えばその前の年、大規模修繕を終え、綺麗になったピアスで、6年ぶりの活動報告会を行ったのが6月です。自立支援法正以来追い立てられるような流れの中、地域の諸問題からかけ離れてきたのではないか。ただの就労支援事業所になってしまっているのではないか、そんな思いでいたところ、今度は社会福祉応の改正が出てきて、社会福祉法人の体質改善と共に地域貢献が取り上げられ、私達の心配も先どりされる時代であることに臍をかむ思いをしたところです。
更に国の規制緩和による営利法人の参入が精神障害者のサービスに及んでまさに(市場原理主義という言う一匹の妖怪が現代の先進資本主義を跋扈している)という状況になり、個別支援最先端のピアスも影響を受けました。10人が就職した9月以降は珍しくピアスの利用者数が伸び悩み 収入も赤字で折り返したのです。

それでも新しいパンフレットやDVD、掲示板ポスターなどが効を奏したか、今まで作ってきた地道なネットワークの賜物か11月からはまた見学者が引きもきらない状態になって盛り返し中です。お客様は新しいお付き合いも多いのですが、昔から精神障害者支援を続けている人も見え、旧交を暖める嬉しい時もあります。

生活支援も今年は厳しい状況の方が多く、突然の再発や高齢化による体調悪化の対応、果ては虐待ケースもあり、忙しい中にも考え悩む職員の姿が見られました。
人事考課導入を決定した今年は6月から、コンサルタントの方に新組織を作る為の基盤である(人事賃金制度改定)の為の毎月の研修を受けています。そろそろ実務に入りますが、予想はしたものの何事もあいまいなまま笑顔とやる気だけで乗りきってきた棕櫚亭にとっては、難しい課題の連続で、特にリーダーにとっては大きな変化を迫られています。

この間お伝えしていますが、人材育成として天野ゼミを開催、私も本気で職員向けの講義を繰り返しました。素直で元気な人の多い棕櫚亭では、真剣な学習欲もたっぷりありますが、飲む機会やイベントの企画力もあり、皆で運動会までして遊んだりもしています。(仲のいい組織ですね)と外部の講師に言われましたが、これが利用者の方々に影響しているのか、利用者の方同士の中のよさも格別で、就職準備に追われながらも(今が青春です)と、楽しそうな様子が随所に見られます。

世代交代が進む現場では若い元気な職員達が先輩に習いながら いろいろなことを吸収して大きく伸びようとしています。それを引っ張る先輩や次世代リーダー達も降りかかる火の粉を払いながらの組織作りに余念がなく、消化仕切れないまま飲み込みつつも新しい課題にも果敢に取り組むという気概でまとまってきました。組織は30年で腐ると聞いていましたが、ここで屋台骨を変えながら大きくリニューアルしていけばこの先10年はいけるかもという嬉しい予感の年の瀬です。

社会福祉法人多摩棕櫚亭協会
理事長 天野 聖子

トピックス