期間限定連載「時事伴奏」をよろしくお願いします!

法人本部 2018/08/09

「時事伴奏~ ニュースをともに考える①」

多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ   櫻井博

 ◆ はじまりにあたって

往復書簡を書き終え、次の企画でなにをするかこの間考えていました。書簡が自分の過去や病気の振り返りでしたので、目を外に向けて例えば社会ニュースを題材に自分の考えを書いてみたいと思いました。goriIMGL9697_TP_V1

従って今回この企画では、毎月ごとに気になった時事ネタを取り上げ私なりの意見を書いてみたいと思います。トピックスということではホームページアップと時間のずれがあるかとは思います。その点は十分に考慮して題材を選んでいきたいと思います。

私が選んだテーマ(社会に起こる出来事やニュース)を皆さんにも追体験していただきながら、いろいろな視点から「一緒」に考えていただけたらと思っています。連載期間としては半年を予定していますのでよろしくお願いします。

 今月の気になるニュース ~日本ボクシング連盟の問題

◆ 私にとってのボクシングとの出会い

私が高校時代、「ロッキー」という映画がつくられました。ハリウッド映画としてはお金もかけていないし、ストーリーも単調だと一部評論家も言っていましたが、結果的に大ヒットしました。この作品を作った無名の監督は、正にアメリカンドリームを果たしたのですが、同時にこの映画で、ボクシングとは如何に実力がものいう世界ということを示し、このスポーツが脚光を浴びることになりました。

◆ 日本ボクシング協会で何が起こったのか ~マスコミ報道から

今回のこのボクシング連盟の問題のポイントは、組織の中で、ある特定の人物が強大な力を持ち乱用し、物事をゆがめたのgahag-010698ではないか?ということです。具体的には、日本ボクシング協会の会長が不適切な助成金を流用したことやインチキな審判をするよう働きかけたことという二つの疑惑です。但し、私自身はマスコミ報道の扱いにも問題があって、会長の人物像を面白おかしく扱って、焦点がぼやけてしまった感じもあります。

インチキというのは、会長が判定を自分が推すボクサーに判定で勝つよう圧力をかけるということです。先日以来、問題となっている「忖度(そんたく)」があったかということです。「忖度」の意味はもともと「他人の心中をおしはかること。推察。(広辞苑 岩波書店)」とあります。「相手の気持ちを妙に配慮する」という最近はやりのこの言葉は、悪い意味で使われることが多いように思います。少し前に流行った「空気をよむ」と同様な言葉で、現代社会を象徴するもののような気がします。

さて、話を戻しますと、少し前になりますが、日大アメフト部での問題は監督、コーチが自分のチームの選手に相手にケガをさせるように強要した事件もありました。プレイに関わらない選手に後ろからタックルする映像は何度となくテレビに流れました。ケガをさせた選手が一人で真実を述べるという記者会見を行い、監督、コーチは懲戒免職というかたちで終わりました。これなども監督という立場を使った権力の濫用といえるのではないでしょうか?

結局、この問題は複数の人の告発というかたちでマスコミに取り上げられました。

権力が集まる中枢の人物が現場の人(日本ボクシング協会では審判、日大アメフトでは選手)に圧力をかけても、それを告発する人がいるという精神風土が日本にはまだまだあることはせめてもの救いでありました。

◆ 日本の闇は、他人事ではないかも?

最近読んだ小説で池井戸潤の「空飛ぶタイヤ」というのがあります。映画にもなった作品です。不良部品によって大事故が引き起こされましたが、その欠陥をひた隠しした大企業である自動車会社と、整備不良を疑われた中小運送会社の社長の戦いの物語です。社長である主人公の正義感が何度となく折れそうになりますが、最後には勝つという話であります。

先ほどの話ではありませんが、自動車会社といういわば大権力との戦いでもあり、この小説に人気が集まるのは、日本人の間ではこの手の話がそこらにへんに転がっていることの証左であるのかもしれません。

私の働く福祉の世界ではこういうことを耳にすることはあまりありませんし、実経験もありません。ただし、精神医療・病院の場合はどうなのでしょうか?

かなり、最近は医師と患者の間ではインフォームドコンセント(説明責任)などがすすんできて、比較的対等な関係になってい無題るような気がします。丁寧な説明をしてくれる先生、優しく接してくれる先生も増えてきているような気がします。しかし、そもそも医療には医師を頂点としたヒエラルキー(ピラミッド型の階層)があるといわれています。例えば、山崎豊子の「白い巨塔」には医学界に関わる人物の傲慢さやいやらしさなど、理想的な医者の人や裁判でやむにやまれず偽証した医者が最後には真実を言うすがたも思い出されます。これはなどは極端かもしれませんが、「医療における権力構造」の一端を見た思いがしました。もちろんこれは小説の世界でしたが。

ヒエラルキーは緊急時の人命救助など、治療に対して、組織が同じ方向を向くための指示系統の仕組みとして医療の中に作られているのだと、いい意味で解釈しています。しかし、その仕組みが少なくとも私たち治療を受ける者にとって権威的ではなく(医師からの一方的なものではなく)、しかも治療上の不利益にならないという視点で見ていく必要があるのではないかと私は考えました。

そのように考えると、ボクシングの問題も日大のアメフト問題も私たち精神障がい当事者にとって、全くの他人事ではないように思います。

皆さんはどう思われますか?

(了)

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