『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❼ “対談編”

法人本部 2018/01/17

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

新年あけましておめでとうございます

ホームページをご覧いただいている皆様、遅まきながら、新年あけましておめでとうございます。

旧年中は『往復書簡』をお読みいただき、ありがとうございました。
読んでくださる方からは「楽しみにしています」とお声掛けいただき嬉しく感じています。
さて、紙面も思いの他すすみましたので、ここで一度対談をしたいと考えました。
案外とこの文章書きという作業は私(荒木)にとって負担で、少し息抜きがしたかったというのが本音で、加えていうならば、公開後読み返した時に少し内容の補足が必要かもしれないと思ったからです。
裏話をすると、公開の少し前から実際の手紙に近いやり取りを始めていて、わずかばかりのストックがあったのですが、いざ公開する段になって「やっぱりこのように書きたい」と手直しをしてしまう。そうするとそれを受けた櫻井さんも話の流れから書き直しせざるを得ないという悪循環を、私がまねいているという始末。桜井さんごめんなさい。結局、タイムラグが少ないほぼリアルタイムな手紙のやり取りをしているのが実態です。もっと言ってしまえば、お互いできるだけ職場で時間を作って書こうと思っているのですが、持ち帰って夜遅くまで自宅のパソコンに向かっています。私はともかくも、櫻井さんにとっては負担になっているような気がします。「まぁ、なんと時間外まで使って熱心な」と褒めてくれという気はまったく無いのですが、気持ちを入れて書いているという気持ちを吐露させてください(笑)
ということで、今回は指向を変えて、以下が対談の模様になります。

荒木 浩

対談編

荒木: あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

櫻井: こちらこそよろしくお願いします。

荒木: このページで使っている写真どうですか? 秋に近くの谷保天満宮でとった写真なのですが、天気もよく、いい写真だと思いません。

櫻井: いいですよね。ここは菅原道真公を祭る学問の神様がいることで有名ですよね。正月は出店も並びにぎやかになります。高台があるのですが、ここから見える富士山は本当に綺麗ですよ。

荒木: たくさんの鶏が解き放たれていてのどかなところですしね。

櫻井: のどかなところだけに、かっこいい古いポストも残っていますね。このポスト写真を撮ってくれたアーガイルデザインの宮良さんが探してくれました。ホームページの多くの写真が彼の手によるものですが、いいものばかりです。

 

櫻井博 と 荒木浩

荒木浩 と 櫻井博

昨年を振り返って

荒木: さてそろそろ本題に入りますか(笑) この書簡が始まった昨年(平成29年)を振り返って、櫻井さんにとってどのような年でしたか? 私にとっては、棕櫚亭の30周年記念行事を喜んでくれたメンバーさんの笑顔を忘れることができません。そしてこの組織はメンバーに支えられているのだなぁという実感がありました。また天野さんと藤間さんという組織の創設者が退職され、ついに継承がまわってきたかという1年でしたね。周囲に聞いてみると、社会福祉法人、なかでも精神障がい者の支援を中心に行なってきた法人にとって、立ち上げた団塊世代の退職で組織継承の事は切実な課題になっているらしくどこも苦戦しているとのこと。そういう意味では、うちの法人は、小林さん(理事長)、高橋さん(常務理事)、山地さん(オープナー施設長)、荒木のアラフィフ4人で探り探り、苦戦した1年だったと思います。理事会の審議などで自分の力のなさに肩を落とし、メンバーの就職にヤキモキしたり、逆に喜んだり、ある意味エキサイティングで背伸びした一年だったかもしれません。よく自分に言い聞かせているのですが、「個人的には、背伸びって必要な時期がある」と思うんです。背伸びすることで足元が不安定にはなるけれども、そうしないと強い筋肉が足につかないというか。メタボ対策というか(笑)

櫻井: なるほど(笑) そうですね、私には挑戦の年でした。2年前から介護従事者の勉強を始め、年末から年始にかけては、日曜日に学校に行き、昨年4月から週5日のフルタイムに変わり6月からは常勤採用になりました。介護の勉強は終わらせ、今は棕櫚亭の仕事に専念しています。
私も30周年の記念行事も忘れられません。組織継承で新しい経営陣とともに退職まで頑張ろうと思った瞬間がありました。本当ですよ(笑)平成29年という年は最後に病院を退院した平成19年から数えてちょうど10年たちますが、棕櫚亭にもっと早く出会えれば人生もかわったかも知れないと思ったりもします。私がメンバーとして棕櫚亭にいたのをかぞえても14年間ぐらいです。30周年を迎えた棕櫚亭は、さらに16年間も積み上げているので、すごいことだと思います。
ピアスタッフつまり当事者スタッフならではの視点で業務に関わればと思いますが、実際仕事にはいると、まわりのスタッフと足並みをそろえることも重要なことに気が付かせられます。
またこの往復書簡がはじまったことも印象に残っています。ベテラン職員の荒木さんとすこしづつつみあげてきたものを「手紙というかたちで」と提案された小林理事長にも感謝です。

自己開示について

荒木: ありがとうございます。櫻井さんの前向きな行動力にはいつも感心させられます。当事者であろうとなかろうと、特にこの仕事を専門職として選んでいる方にとって自己研鑽していくことは大切だと思います。もちろん自己研鑽というのは、技術的なことなども含みますが、個人的には人間としての幅を広げていくことこそ大事なことだと思います。「いったい幅を広げるということってどういう意味ですか?」と、いつも叱りつけている職員に反問されそうですが、そこは各自で考えてくださいとしか言いようがありませんけど(笑)もちろん最低限必要な知識・技術・倫理観などはあると思いますが、それを超えた部分は各々で大いに伸ばせばよいと思います。どうしても知識やテクニカル的なことに意識が向きがちなのは仕方ないことですが、対人援助の仕事はオンリーワンのメンバー支援をしていくのだから、四角四面の知識や技術では現実問題に対応できません。そこを個人の経験や想像力で補わなければならないと思うのです。つまり私の言う「人間としての幅」というのは、想像力というかその人の人生にいかに思いをはせることができる力があるかということなんです。この力ってある時期になればつくものではなく、継続的に研鑽しなければいけないものだと思っています。まぁこれはあくまでも私の考えなのですが。そもそも同質化された職員集団は個人的にはちょっと気持ち悪いので、いろいろな個性があって良いと思います。

そういう意味では、今回この記事、つまりあまり話してこなかった自分個人の過去や考えの一部をさらすことでいろんな評価をうけることは覚悟してもいます。櫻井さんを巻き込んで申し訳ないのですけれどね。それにしても、いくら文章を書くのが上手い桜井さんでも、発症時の過去を思い出したり、自己開示したりという作業は負担だったのではないでしょうか? 先日たまたま、自己開示に関する質問をメンバーさんにアンケートという形でお聞きしたところ「負担である」「話しても良い」の半々の結果が出ました。桜井さんには少しお聞きしたいのですが?

櫻井: そうですね。私にとって、自分の思いや過去を語る、自分のありのままを語るこの書簡での自己開示度は高いと思います。「当事者が自己開示するとは、信頼を置ける関係になってようやく徐々に自分のことを語ること」と、精神保健福祉士取得のための教科書にも書かれています。一般的なイメージでは健常者が酒を酌み交わし、本音で語ることに似ているかもしれません。
一般企業では、例えばコンビニの店長、デパートの店長、商社マン、などはたくさん商品を売り、高い利益をどのようにあげるかということが仕事の目的ですが、福祉の仕事はその方の本音を聞きながら、一緒に考えていくかが、利益をあげるのと同じように大切なことだと思います。
気を付けなければいけないのは、商品にはプライバシーはありませんが、福祉の仕事は自己開示(プライバシー)によって生活の向上を目指すため、その取扱いに職員は注意を払わなければならないという事です。それは法律上などと言うまでもなく、この職に就く者にとって絶対に必要な倫理観です。
今回の往復書簡では、私の自己開示は荒木さんの魔法の言葉(笑)でひきだされていますが、ある程度荒木さんも自己開示されているので、こちらも誠意をみせる意味でも自己開示しています。これが大事で、他人の自己開示には、ある程度自分の自己開示も必要となる場合が多いということです。多いと書いたのは、支援者とメンバーの関係では、メンバーに比べ支援者が自分のことを開示することは少ないからです。しかし支援者はメンバーが自己開示されたことに誠実に反応しなければなりません。
そして当事者が自己開示する意味はもう一つあるのではないかとも考えています。自分の過去、プライベートの部分を会話という形で外にだすことによって、自分を第三者的に俯瞰してみることができるということです。俯瞰してみるからこそ、自己開示すると恥ずかしいという感情がうまれてくることもあるのではないかと思います。だから支援者は過去の生活暦を語るメンバーにたいしては慎重な態度と寄り添う姿勢が必要です。自己開示を受け入れてもらった感をメンバーが感じ取れれば第一関門は通過したといえると思います。

「人生が終わった」と感じた瞬間

荒木: なるほど、櫻井さんは、自己開示しそれを話題にすることで、自分を客観視するという事をしているのですね。そしてその情報を生活の中で生かしていくという姿勢は、私たち職員にも必要な態度なのだと思います。ところで櫻井さんは医療保護入院になった時のことを「本当に人生がここで終わる」と話されていますが、そのあたりのことを詳しく話していただけますか?どういう点で人生が終わると考えたのでしょうか?どうしてこの質問にこだわっているかというと、私達職員は、「人生が終わる」といかないまでも精神的に多くの苦悶を抱えた、あるいは抱えている人達と日常接しているということをきちんと意識することが必要だと思うので聞きたいからですけれども。

櫻井: 医療にかかっているのに、人生が終わるとは不思議に思われるかもしれませんね。医療は人の命を助けると思うのが普通だと思うのですが、医療保護入院時の精神状態のなかで『精神病院では自分の命が失われる』という被害妄想が働き、『自分の人生の終着点が精神病院になってしまった』という誤った考えで入院したからです。もちろん今ではそんなことは思っていませんが。閉鎖的な精神病院の世界では、この考えは直るどころか、いっそう加速され、自分の命をとるため病院に暗殺者を送り込んできた。その思考から抜け出して退院をして具合が悪くなり、また病院に戻るの繰り返しが何十年も行なわれていました。被害妄想は閉鎖的空間では助長されるというのが、私の実感です。
医療が人を助ける場所だと信じることが入院の時はなかなか信じられませんでした。それが『本当に人生が終わる』という発言に繋がっています。実際最近聞いた話では、精神病院での身体拘束が以前に比べ増えているという話をききます。精神科特例など問題があるといわれる精神病院では、地域生活をしている以上に苦しんでいるのではないかと思うこともあります。
ところで逆にお聞きしたいのですが、職員の方は『人生が終わる』なんて考えたことがありますか?

荒木: 私は少し書いた通り東京に上京した時はかなりピンチでしたが、それでも『人生が終わった』とまでは思わなかったですね。決して楽観的ではなかったのですが、それでもわずかながら選択肢があったように思います。例えば最悪、私の場合九州に帰ることもできたのではないでしょうか。他の職員の方はどうでしょうか?聞いてみたい気もします。
振り返ると私の入職当時も精神科に対する偏見はあったと思いますし、社会も昔に比べればよくなりましたが、それでもというところが今もあります。いまだに内科を受診すれば周囲は「病気を心配する」のに、精神科を受診すれば「人生を心配する」みたいなところがないとは言えません。「人生が終わる」と感じる方が私たちの周りにいるという思いで、この仕事の重みを感じなければならないと改めて思わされましたね。

あぁ、ただ、いま話をしながら思い出したのは「人生が終わったとは少し違うのですが、「生活がやばい」と思ったことは確かにありました。22歳の入職後2年で子どもを授かったのですが、勿論当時学生だった奥様は働けず収入がなく、手取り14万円の給与で家族3人暮らしていかなければならなかった時は「オワタ」(笑)と思いましたね。当時は私もタバコを吸っていましたが、喫煙場所でタバコを一緒にくよらせていたメンバーの方から「市に(生活保護を)申請してみたら」といわれました。さすがにできませんでしたけど。

これは棕櫚亭の給与がどうのこうのというのではなく、この精神保健福祉業界の地位や補助金が低かったということなんですよ。誤解のないように。そういう意味では職員が安心して働けるように基盤作りをしていくことも私の今の仕事であるという、最初の話につながってくるのです。ということで、すこし話が長くなりましたが、桜井さんありがとうございました。それでは後半戦に突入したいと思います。

これまで桜井さんの話の中に出てきた、アイデンティティーのことや、今そしてこれから先の櫻井さんの仕事への思い・展望などに水を向けすすめていきたいと思っています。桜井さんお手柔らかに、よろしくお願いしますね。

2018年1月吉日
多摩棕櫚亭協会 本部にて

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

【報告】9/1 (金)棕櫚亭30周年フェス(棕櫚亭Ⅰ会場) その5

そのほか 2017/09/15

 

棕櫚亭30周年フェス ~棕櫚亭Ⅰ会場~

棕櫚亭Ⅰのテーマは<未来>!
スタートから1時間ほどは、来てくださったメンバーさんと麦茶を飲みながらのんびりおしゃべりするという棕櫚亭らしいムードで始まったⅠの会場。
人が集まり始めたころから、さあやりますか!と、会場のみんなで「Stand By Me」の熱唱からトークイベントがスタートしました。

松尾さんと櫻井さんをゲストに迎えてのトークは病との格闘を経て、今、自分らしさを活かした仕事を楽しんでらっしゃるお二人の魅力が全開でした。
また、お二人だけでなく、会場のみなさんが「自分の場合は」と語ってくれたのもすばらしく、一緒に空間をつくることができました。

HP用②

また、壁一面に貼られた、「わたしの未来 棕櫚亭の未来」というテーマでの100枚近いメッセージもどれも楽しいもので、今と未来を共有できたいい時間となりました。

HP用①

来てくださったみなさん、ありがとうございました。
(なびい 伊藤)

【報告】9/1(金)棕櫚亭30周年フェス(ピアスⅡ会場)その4

そのほか 2017/09/15

棕櫚亭30周年フェス   ~ピアスⅡ会場~

ピアスⅡ会場では絵画展と絵画のワークショップを開催しました。
棕櫚亭Ⅰのメンバーが描いた作品展示と、来場したみなさんが思い思いの絵を描いて楽しみました。

会場には棕櫚亭Ⅰのメンバーが作ったポップコーンと棕櫚亭Ⅰでお世話になっている杉田先生に
ご協力いただいたチョコレートのおみやげもあり、ポップコーンやチョコレートを食べながら
他の会場イベントの同時中継を見て休憩しつつ楽しむひと時もあり、時には絵を描く場所がないほど
来ていただいて嬉しい悲鳴でした。

また今回は特別に棕櫚亭Ⅰの絵画教室講師の小堀令子先生の作品も展示させていただきました。
お忙しい中での小堀先生のご協力に心より感謝いたします。

フェス用5  フェス用10

絵を描いたみなさんの中には普段は描いたことがない人もいましたが、
描いてみるとみなさん楽しいという感想で、
みなさんの作品はどれも素敵な作品に仕上がって力作ぞろいです!

フェス用12  フェス用7

フェス用3  フェス用2

作品は家に持ち帰った人もいましたが、ピアスⅡに飾って下さいという人の
寄贈していただいた作品はピアスⅡに展示中です。

フェス用8  フェス用6

フェス用1  フェス用11

たくさんの方にご来場いただき、ありがとうございました。
(棕櫚亭Ⅰ 篠原)

 

 

 

 

 

【報告】9/1(金)棕櫚亭30周年フェス(ピアス会場)その3

そのほか 2017/09/15

先ずは参加してくれた皆様、音楽や、報告会などに出演してくれた皆様、ご協力いただいた小堀先生、杉田さん、お祝いを頂いた石川先生、ぶーけの松井さんにお礼をお伝えしたいと思います。本当にありがとうございました。

棕櫚亭30th記念フェスをふりかえって

今回のイベントは今までにない様々な新しい試みを行っています。まずは『フェス』ということで、4会場を使って同時にイベントを行ったり、会場同士をSkype(インターネットを利用したテレビ会議システム)を使い中継を行ったりしています。

なぜそのような形になったかというと「今まで棕櫚亭にかかわってくれた方々すべてと分かちあいたい」という思いからでした。しかし、各施設合わせると現利用者だけでも100名以上いるため、ピアスの食堂だけでは対応する事が出来ません。ある実行委員から『せっかくある施設をフルに使ってお祭りをやってはどうか』という提案があり、『フェス』という形に落ち着いたのです。

しかし、『フェスをやりたい!』と大きく出たものの、参加者の見通しがなかなか立たないこと、企画の内容もいきおいで決めてしまった感もあり、『これでみんなが本当に楽しんでもらえるだろうか』と当日までずっと不安でしたが、ベテラン職員を始め全てのスタッフ、利用者の方々が、このイベントを盛り上げるためにと、準備を進めてくれました。おかげで音楽祭、絵画展、みんなの主張、活動報告会などのイベントを行うことができ、参加された方々から『楽しかった!』との言葉を多くいただくことができました。

当日の参加者も120名を超え、多くの方にご参加いただきました。少しだけですが、ピアス会場の様子をご紹介すると

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音楽祭では、歌や詩の朗読、ウクレレの演奏やバンドなど出演者の皆さんの多彩な部分をとても感じることが出来ました。観客の方々も、とてもノリがよく楽しんでくれていたようです。その中で普段はおとなしい方が音楽のリズムに合わせ、体を動かしている様子をとてもほほえましく感じました。

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天野さんの講演では棕櫚亭での30年間の活動を振り返って頂いています。会場の皆さんにも棕櫚亭Ⅰ、ピアス、オープナー、各施設でのエピソードを聞き、会場全体で共有することが出来ました。その中で感じるのは精神障害者を取り巻く状況の変化です。精神病院に隔離されていた状況から、地域に移り、就労をめざし、自分たちの幸せを発信していく。大きく世の中が変わってきたのだと感じました。最後に皆さんに向けて『当事者が自分たちでサービスを作っていく大切さ』『メンタルヘルスだけでなく、体の健康も大事』と2つのメッセージを頂いています。

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会場のいろんなところで久しぶりに会う面々や過去の写真などを見て『あー、なつかしいね!』と昔話をする笑顔がいっぱいでした。ある方は棕櫚亭の30年の年表を見て、『この時自分が最年少利用者だったです』とメッセージを残していました。またある利用者さんの『もうきっと(棕櫚亭には)来ないと思ってた。でも来て良かった』という言葉も印象的でした。またこんな形でつながり直すことが出来た。今回のフェスはそんな機会にもなったようです。

棕櫚亭は今まで、利用者の方々と『いっしょに作る!いっしょに楽しむ!』を大切にしてきた法人です。今後もこういった形で日頃の活動や、個人の報告などをしあえる機会を続けていきたいと感じています。

各施設でのイベントの様子も随時ホームページに掲載いたします。そちらも是非ご覧ください!

棕櫚亭30thフェス実行委員会 吉本佳弘

ちなみに言葉探しの答えですが『はれのちくもり』でした。CさんSさん正解ですよ!探してくれてありがとう(^-^)

 

【報告】9/1(金)棕櫚亭30周年フェス(なびぃ会場)その2

そのほか 2017/09/14

棕櫚亭30周年フェス ~なびぃ会場~

なびぃ会場では2つの催しを行ないました。

前半は、各施設(ピアス・オープナー・棕櫚亭Ⅰ・なびぃ)の今の様子や事業の説明をそれぞれのメンバーさんとスタッフから発表してもらう「活動報告会~フェスver~」を開催しました。それぞれ趣向を凝らした発表で、実際のミーティングの場面を再現した寸劇や、ふだんの作業風景をコント仕立てで見せてくれたり、実際利用してみての体験談など、盛りだくさんの内容でした。

後半は、「棕櫚亭と私」というテーマでみなさんの「主張」を聞かせて頂きました。各所のメンバーさんがご自身のこれまでの体験、病気や障害のこと、棕櫚亭とどんな風に出会い関わってきたか、そしてこれからの夢・・・を語って下さいました。悲喜交々、それぞれの人生の物語に、会場全体がじっと耳を傾けて、みなさんのお話に聞き入っていました。

笑い有り、涙あり、とても濃い内容で、3時間が本当にあっという間でした。

フェスなびぃ000フェスなびぃ001

そして、最後には職員もYOSAKOIソーランに乗せて、渾身の舞とともに思いの丈を主張させてもらいました!踊るのに必死で誰が何を叫んだかちゃんと覚えてないのですが・・・職員の熱い想いも伝わった!!・・・と思ってます。。。

(なびぃ奥迫)

【報告】9/1(金)棕櫚亭30周年フェス その1

そのほか 2017/09/14

去る9月1日、棕櫚亭30周年を祝うフェスを開催しました。

当日は、あわや台風接近かという「はれのちくもり(少し雨)」の天候にも関わらず、

125名というたくさんの方にご参加頂くことができました。

当日、会場に足を運んで下さった方、準備や当日の発表などに関わってくださった方、

周知にご協力くださった方、皆様本当にありがとうございました。

今回のフェスでは、棕櫚亭の各事業所で様々なイベントを行いましたので、

各所の様子を随時アップしていきたいと思います。

残念ながら今回ご参加頂けなかった方は、ぜひこちらでフェスの様子をご覧頂ければと思います。

(フェス実行委員 奥迫)

多摩棕櫚亭協会30周年フェス、開催!

法人本部 2017/08/17

今年で多摩棕櫚亭協会は30周年を迎えました。

これを機に

棕櫚亭を現在利用中の方、以前利用されていた方向けに

記念フェスを企画いたしました!

開催日時は2017年9月1日(金)17時~20時まで(※参加費500円)

各施設で催しものが行なわれますので、一ヶ所だけではなく全施設に立ち寄ることができます。

皆様のご参加をお待ちしております。

詳細は下記チラシをごご覧下さい。

30周年フェス チラシ

棕櫚亭30年史~つたえる、つたえる(棕櫚亭30年の言葉)~

法人本部 2017/05/09

棕櫚亭では開所30年を記念して、「棕櫚亭30年史~つたえる、つたえる~」を出版いたしました。
『はじめる、はじめる』『つながる、つながる』『ひろがる、ひろがる』と、10年ごとに時代を区切りながら、それぞれを象徴した言葉をテーマに据えてまとめてみました。この本の面白いところは、法人の通信誌「はれのちくもり」から記事を抜粋しながら、30年を振り返っているところです。現在から過去を振り返るのではなく、その当時の言葉をそのまま集め、当時のスタッフが「何を考え、何を感じてきたのか?」を大切にしながら作り上げていきました。懐かしい写真も満載です。先日行なった30周年記念パーティーでお配りした際にも、皆さんからご好評をいただきました。

「共同作業所IMG_0940の開所」から始まり、「精神障害者の就労支援」「社会福祉法人の設立」、そして、障害者自立支援法を乗り越えて、組織継承を果たすまでを一冊に込めた30年史。私達が引き継ぐものがまた一つ増えました。

理事長 小林 由美子

 

 

 

棕櫚亭30周年記念パーティー~今までありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。~

法人本部 2017/05/02

昨年、棕櫚亭は開所から30年を迎えました。それを記念し、4月23日(日)立川グランドホテルで30周年記念イベントを開催いたしました。当日は130名近くの方々にご出席いただいた盛大なものとなりました。内容は二部構成でお送りし、日頃お世話になっている皆さんに、楽しんでいただける企画にいたしました。

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第一部「天野聖子 最終講演」・・・・

ここでは天野前理事長に今まで語る事がなかった、精神病院時代の15年間を語っていただきました。今から45年前、精神障害者の人権なんてないに等しい頃、収容所の様な病院と、どのように闘ってきたのかをお話しして頂いたのですが、天野さんの口調は、いつもの力強いそれとは違い、当時の思いを一言一言噛みしめる様なものでした。さらに格闘の末、病院の開放化に成功しても、まだまだ精神障害者が地域で当たり前に暮らしていくには程遠い現実、それとの更なる闘いが、棕櫚亭開所につながっていった事も改めて知りました。講演は、一時間という短いものでしたが、当時出会った患者さん達に後押しされる様に話す天野さんの姿は、その時代を知る者の強い使命感を感じました。

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第二部「棕櫚亭30周年記念パーティー」・・・・

二部はがらりと趣向を変え、「棕櫚亭30周年記念パーティー」を開催しました。三幕で構成し、1987年の開所から現在までを振り返りながら、最後は新体制のお披露目もいたしました。

まず一幕目は、「同窓会」と銘打って、創設世代の職員3人が舞台に上がり、出会いから作業所開所、そして、法人化までの出来事を当時のスライドを交えなが語りました。開所した頃は資金がなく、そのためバザー、コンサートなど周りの人々を巻き込みながら、様々な取り組みをしてきた棕櫚亭ですが、その最初の10年を途中、当時お世話になった方々へのインタビューを交えながら振り返りました。本当にたくさんの人達に支えられながらここまで来た事を、改めて感じた一幕でした。

そして、場面は二幕目へと移り、ピアスを開所し、就労支援に試行錯誤してきた次の10年間にスポットを当ててお送りしました。厚生労働省の関口彰さん、全国就労移行支援事業所連絡会会長である電機神奈川福祉センター理事長石原康則さんからは、今までの取り組みへの高い評価や、次世代への力強いエールいただきました。ここ20年、精神障害者の就労支援に邁進してきた棕櫚亭ですが、これらの温かいお言葉は、私達が次に向かうエネルギーとなりました。さらにこの幕では、「当事者のちから」と題したコーナーを設け、オープナー登録者の風間頼高さん、内藤篤子さん、そして、棕櫚亭ピアスタッフの櫻井博さんが次々と壇上にあがり、自分たちの体験や棕櫚亭との出会いなどを語りました。「病気に揺らされなくなった自分」「生活を楽しめるようになった自分」さらには「病気になった事でもう一度人生を生き直し、今、新しい価値観で生きている」など、体験したものならではの力強い言葉の数々に、会場は深い感動に包まれていきました。

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そして最後の三幕目、棕櫚亭がこの10年間取り組んできた組織継承についてのご報告いたしました。まず天野前理事長から、その時々の思いと共に「なぜ組織継承が必要なのか?そして、なぜ、次世代の職員に理事長職を引き継いだのか?」などが語られました。最後となる天野さんのこの挨拶に、会場の誰もが静かに聞き入っていました。そして次に、マイクが私の元に渡ってきました。直前まで「どんな話をしたらいいのか?」と迷いましたが、「ここはこれまでの10年を率直に話そう。」と決め、継承の覚悟をなかなか決められなかった事や、その際頂いた叱咤激励の言葉の数々、そして必死で頑張った最後の二年間についてなどをお話しさせていただきました。舞台には、次の組織を一緒に担う、高橋、荒木、山地の三人も並び、最後は職員一同と共に、全員で挨拶をさせて頂きました。会場は大きな拍手に包まれ、日頃から棕櫚亭を温かく見守ってきてくださった皆さんに見守られながらの継承となりました。「あ~、棕櫚亭って愛されているんだなぁ・・・」、そんな事を改めて実感しながら、これからもそうある組織でなければならないと強く思った瞬間でした。

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会の最後は、棕櫚亭の職員・元職員で結成された「ゆるさバンド」と、オープナー登録者の君成田隆志さんが登場し、「In My Life」、「You Got a Friend」、「Stand  By Me」の三曲が演奏されました。一つ一つの旋律が心に沁み渡り、会場は静かな熱気が漂っていました。そして最後、今までお世話になった方々への感謝を込めた、エンドロールが流れる頃には、拍手と共に会場は一体感に包まれていきました。パーティーの幕が下りた後も、皆さん別れを惜しむかのように、皆さん口々に「楽しかった!」「棕櫚亭らしい会だったよ~」とお褒めの言葉をかけてい頂きました。私達職員にとってもとてもいい会となりました。

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あれから一週間以上、私の中にはあの時の高揚がまだ少し残っています。多分そこには、棕櫚亭をより良いものにしようと走り続けた創設者達のエネルギーと、それを温かく見守ってきた方々の愛情が詰まっているのだと思います。だからそれを大事に持ち続けながら、さらに走り続けます。これからもどうぞ棕櫚亭をよろしくお願いいたします。

皆さんへのたくさんの感謝をこめて・・・ 理事長 小林 由美子

 

 

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