ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

対談編 – 『ある風景』から見えてきたこと

 対談のはじめに

今年は、官公庁の障がい者雇用水増し問題などあってはならない由々しき問題が起こってしまいました。この件について、棕櫚亭にも多くの取材がきて意見させていただきましたが、これは「障がい者の就労支援といえば棕櫚亭」という認識がされているということかもしれません。嬉しい反面、私達はあわせて伝えなければいけないことがあると常々考えています。それは、私達が就労支援をする際に大切にしているのはその「手法」だけではなく、「理念」にこそあるということです。つまり私達が行なう就労支援には、「幸せ実現」という中身を詰めたいということです。よく職員に話すのは、「百人の就職支援をしたいのではなく、百人の幸せ実現をしていきたい」ということです。似ていて近い言葉のようですが、実は意味合いが違います。このあたりのことに、今回の対談(小林由美子×櫻井博)で触れられたらと考えています。

繰り返しになりますが、ホームページ(HP)で『ある風景』のような企画連載をするのには、「理念のない(就労)支援はない」ということを読者の皆さんに知っていただきたいと考えたからなのです。

それでは少しの時間、話にお付き合いください。

多摩棕櫚亭協会「ある風景」企画委員会

 

●理事長 – 小林 由美子  × ● ピアスタッフ – 櫻井 博

病院からみた作業所の風景

櫻井:  連載『ある風景』も折り返し地点に来ました。

この連載は、勤務経験者で当時若手といわれた5人の方が見た作業所の風景をリレー形式で描いています。皆さんの心をこめて書いた文章を読んで、棕櫚亭はメンバーと職員の垣根なくいろんなことを言える雰囲気だったのだと感じました。そしてメンバーに愛される棕櫚亭であるということがひしひしと伝わるエピソードもいっぱいでした。職員としての立場で語るならば、今も多くの職員の根底にはそれが流れていると普段の仕事をしていても感じるところです。この精神を「棕櫚亭イズム」と捉えるならば、これから先にも若い職員もきちんと受け継いでほしいと思いました。私は、今の若い職員も未来に、『ある風景』をどんな風に語ってくれるのか興味深いです。

さて、小林さんは、実は作業所の勤務体験がないとの事ですが、病院からみえた作業所について少しお聞かせいただけますか?

小林:  私は、1997年に棕櫚亭に入職しました。それまでは病院のワーカーとして作業所をみていました。少しその頃の病院のことをお話しすると、その約10年前には宇都宮事件がおきています。そのような中、国が精神病院改革に手を付け出しましたが、今にして思えば、精神科の病院は組織として疲弊していた感じがします。それを契機により良い医療に取り組んだ病院もあります。しかし、もともと精神病者を収容する形で経営していたところに、改革の手が伸びたものですから、デイケアをやってみたり、訪問看護やってみたり工夫しようとするのだけれども、もともとの構造が大きく変わらないようでは、いくらそういう開放的なものを注入しても根本はそう大きく変わらない感じがしました。

そんな中、私が作業所に最初に出会ったのは、退院前の患者さんといくつか近隣の府中市の作業所の見学に行ったことでした。患者さんが体験でいくつか作業所に通っているうちに元気になっていく。通所を楽しみにして身だしなみに気をつけたりする。なぜ彼らが元気になっていくのかとその頃考えたのは、そこに居場所があるからじゃないか。そこにいくと迎えてくれる人がいる。当時の彼らには、病院にも家庭にもなかったのですよ、居場所が。家族の邪魔にならないとか、病院に居たら居たで良い患者でいなければならないとか、問題起こすと退院できないとか。自分中心でいられないのに、作業所では皆主体になって居られる。彼らが輝いてみえたのですよ。当時の精神病院にはどこも医者を頂点としたヒエラルキーがあって、次に看護師さんがたくさんいて、その下にケースワーカーがいて、そしてたくさんの患者さんが一番下にいてという状況でした。でも作業所はそれをひっくりかえしたような状態で、それまであった精神医療の常識を破ったのではないかと思うのです。

でも、ここまで話してきて思いますが、創設世代の4人の方(天野聖子さん、藤間陽子さん、寺田悦子さん、満窪順子さん)は、病院で働いていた私が感じた閉塞感を何倍もお持ちだったのだ思います。

語弊を恐れずに言ってしまえば、彼女達をもってしても病院と言う構造は本当にちょっとやそっとでは変わらない手強いものなのかもしれないですね。

 

作業所で働く職員の風景

櫻井:  なるほど、小林さんは精神病院から作業所をそんな風にみていたのですね。そのような作業所で働いていた職員の視線の先にある風景を、今回この企画で書いていただいたのですが、外側から彼らのことをどのように見ていましたか?

小林:  あの当時作業所の職員は活き活き働いているように見えました。例えば、私が棕櫚亭で初めて出会った「山地さん」は颯爽として素敵に見えました。勿論今もですけど(笑)  どうしてそう見えたかといえば、等身大で働いている感じがしたからです。私などは病院で、ワーカーとして白衣を着て背伸びをして働かなくてはいけない。職員然としていなければならない辛さがあった。当時、このような実感を持っていたのですが、改めて『ある風景』読んで、そう思ったのです。

文章の端々に「こんな私ですが、雇ってくれてよかったのでしょうか?」という雰囲気が出ているでしょう(笑)。添田さんも言っているけれども、作業所職員の「しろうと」感がすごくよかったのではないかと思います。隠しだしてすることなく、自分をさらけ出す、弱みを共有したりすることをためらわない。私達の世界で必要なメンバーとのパートナーシップってありますよね。パートナーシップを結ぶ時に専門家が持つ専門家臭みたいなのがあるじゃないですか?ああいうのを纏っている人は白衣を脱いでも結びきれないみたいなことです。

しろうとの人がいたのが、またなんか作業所の魅力になっていったのではないかと感じました。「よく変わり者を雇った」というような話も『ある風景』には出てきますが、その「変わり者」とメンバーがコラボする、つまりマイノリティー同士が共感しあって作業所の空気を作っていく。なんといっても、しろうとは病気症状で人を見ないですよね。勿論、「しろうと」というのはすごい褒め言葉ですよ(笑)

 

制度の充実と作業所職員の支援

櫻井:  これまでの話から「精神障がい者」という言葉が出てきませんが、当時、私達は、医療の対象であり、福祉の対象ではなかった。そういう意味では何もなかった時代に制度も追いついてきた。そういう意味では「しろうと」然としていた職員もそういられなくなったという事情もあるとは思います。

小林: 私なんかは「 本人の事については、本人が一番専門家のはずなのに」と思うのですよ。それは今も昔も変わらないですよね。「ある風景」にみえる作業所の職員は自分達は専門家でないという事を重々承知しているから、本人から教えてもらうしかない。そこから自然に「本人の事は本人に聞こう」という態度、「パートナーシップ」が自然と生まれたのかもしれないですね。メンバーを信じていなければ出来ない事だから、メンバーへの信頼感も同時に育まれていくのだと思います。

もう一つ職員の振る舞いに関して、感じたことを話してもいいですか。当時の職員は仕事を体感でやっていたのではないかと思うんですよね。共感も体感も。「ああ、このひと困るんだろうな」と。つまり、困った彼らのニーズを自分にも落としこんで支援をしていたように思います。それはつまりパートナーシップだから。

ところが「これが支援ですよ」となると枠組みに入っていれば支援してしまうし、入っていなければ支援しない。つまり本人のニーズをきちんと把握しているのか怪しくなるということなのです。

過去を振り返って何をどのような形で伝えるのか?

櫻井:  体感で支援というのはよく分かります。職員も体当たりで支援するから、メンバーも怒っちゃったりする。そして起こった後に職員が謝るということも当時はよくありました。

時代は戻ることができないのですが、それでも若い職員に伝えていくべきことはあると思います。何をどのような形で伝えていきたいと小林さんはお考えですか?

小林:  大事な事は、今、棕櫚亭が外部から脚光を浴びている就労支援も、結局作業所時代から今日まで脈々と行なってきた活動の全てを内包して、その上で支援を行っているという事を職員が理解すること。その上でメンバーさんと接していくことだと思うんです。就労支援と言うスキルがそこにあって、それを駆使して就職させれば言いというのではなくということなどですね。

櫻井:  研修会で話をしたときに、他の法人の新卒の職員が教科書にこう書いてあったのでこのように対応しましたというのを聞いたことがあります。確かにそれは一理ありますが、あまりにも無条件すぎる気がします。

そのような中「棕櫚亭には優秀な職員が揃っているね」などと嬉しい声かけされることも多いようですが、それでも支援の根っこみたいなところ、つまり棕櫚亭イズムとして大切にしている「パートナーシップ」「その人のありようを知って受け止める」みたいなことを職員が深く体感したりつかんでもらうにはどうしたらいいんだろうなぁと考えます。小林さんとしては今後の職員育成をどのように考えていますか?

小林:  実は職員育成は、棕櫚亭にとっても精神保健福祉にとっても今後の大きな課題だと思っています。どうすれば職員に作業所で行なわれていた肌感覚を伝えていくのがいいのかと考えた時、創設した4人のかたから引き継いだ精神を、つたない言葉でもきちんと伝えていくことが大事だし、その為にも文字に起こして発信していくことだと思います。このHPのようにね。

ただ正直言えば今日話題に出た言葉だけでは、まだまだ伝え足りないと思っています。ほんと難しい…… これは私達継承したものの大きな宿題なんでしょうね。だから、もう少し時間をください(笑)というのが本音かなぁ。

そうそう、これは最後にお伝えしたいことなのですが、少し先に、棕櫚亭としての出版も控えていています。近々詳細をHPに掲載したいと思いますが、この本では、就労移行支援事業のノウハウにとどまらず、櫻井さんの言う「棕櫚亭イズム」とか、この対談で残した宿題なんかにも答えていけるようなものにしたいと考えています。来年の5月発売予定です。お楽しみに。

櫻井:  おお、それは楽しみですね。いろんな人に読んでもらえるようにPRしなければ。

さて、本日は長時間にわたってお付き合い頂き、ありがとうございました。

小林: こちらこそありがとうございました。PRのほうお願いしますね(笑)

年内の『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』は今回が最後になります。
来年も後半戦を御愛顧いただけますようによろしくお願いします。

 

それでは、皆さんよいお年を。
(了)

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

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