「じっくり」という事。~なぜ今、往復書簡なのか?~

法人本部 2017/11/02

「往復書簡の様な事が出来ないだろうか?」こんな事をスタッフの荒木さんに相談したのはまだ暑さが残る頃でした。新体制がスタートして半年が過ぎようとしていた頃の事です。創設世代の熱さはそのまま引き継ぐにしても、「私達なりの外部への発信の仕方はどの様にしていけばいいのか?」そんな事に悩んでいました。併せて、福祉分野に参入してくる民間事業所の広報力に、資本もマンパワーも敵わない中「どの様に対抗していったらいいのだろうか?」という思いもありました。

そんな時に、口について出たのが書き出しの言葉です。今はSNSの時代、スマートフォンが一台あれば世界と繋がる事が出来ます。時間も場所も選ばず、情報伝達も早い、倍々ゲームのように拡散するその広がりが、SNSの魅力なのだと思います。だから、生き馬の目を抜くような現代に、このコミュニケーションツールは爆発的な人気があるのでしょう。

でも、だからあえて「往復書簡」と考えました。「手紙」は一人の人が、ある特定の人に向けて、自分の思いを綴ったもの。そこからは、その人の心の形が見えてきます。SNSの様は速さや、一気に拡散する広がりはありませんが、そこには「じっくり感」があります。常に宿題を抱え、それに答えを迫られる日常の繰り返しは、人の心を手に取って味わう事を後回しにします。

先日、障害者雇用企業支援協会(SASEC)を訪ねました。混迷を極める障害者雇用の現状を、どう読み解けばいいのか?ヒントが欲しくて数々の質問をする私に、諭すように畠山理事がおっしゃった言葉が印象的でした。「障害者雇用は雇用促進を急ぎすぎるばかり、支援者、企業、そして、当事者自身もじっくり育て、育つ事をやめてしまったんでしょうね・・・・」

もしかしたら、今起こっている企業の不祥事などの社会問題は、世の中が「じっくり」をやめてしまった事と関係があるのかもしれません。ただ、この激流のような社会の流れを戻すことは出来ないでしょう。ですから、この流れに乗りつつも、ホームページの中だけでも、一つのテーマに時間をかけて考えていきたいと思いました。

  それを担うのは、櫻井さんと荒木さん、これまた二人がじっくりと練った企画です。両氏なら役者に不足はありません。据えたテーマも、なかなか本質的もので答えが出るのか?とも思いますが、私も二人の手紙を読みながら、時間をかけて一緒に考えていきたいと思います。

(理事長 小林 由美子)

特集/連載 『往復書簡』
www.shuro.jp/tag/friendship-letters 👉

当事者発信

法人本部 2017/10/16

9月の末に連日、当事者の方々の訪問がありました。(詳しい内容は、9月27日、28日にすでに公開されている櫻井さんの記事をお読みください。)

お一人は宮内さん、国立市在住の方です。現在、市内初になる依存症の自助グループを立ち上げようと奮闘されています。ご自身も発達障害とギャンブル依存を抱えていらっしゃいますが、自助グループに出会い、回復した体験をもとにグループ立ち上げを考えたそうです。「どんな依存症でも広く受け入れ、様々な方が利用できるグールプにしたい。」と、訪問時に熱い思いを語ってくださいました。

もうひと方は、青梅市で「ぶーけ」というピアサポートグループの活動をしている松井さんです。仲間の方々と5名で来所してくださいました。「ぶーけ」は10数年前から、当事者活動を続けている団体ですが、今、過渡期を迎え、今後どの様な方向に進めていくのかを検討している最中との事でした。「活動を発展させていくためには、経済基盤の安定がとにかく大切」と、話される姿は正に経営者。こちらもまた熱い思いを語ってくださいました。

そして先週、ピアスOBで現在、ピアサポーターとして活躍している塩田由美子さんからメールをいただきました。そこには、メッセージと共に、都が発行しているミニ通信が添付されていました。中身を空けてみると、彼女が多摩総合保健福祉センターのデイケアプログラムで、講師を務めた時の様子が掲載されていました。統合失調症で何度も入院をしたり、薬をやめて病状悪化してしまった事、それでも自分ができる事があると始めたピアサポーターの活動の様子など、様々な体験をお話された様です。結果は大好評。メールにも「当事者の自分がそこに居させていただけて、なんらかの役に立てることは、うれしいし、やりがいを感じています。」とありました。

この2週間の間に相次いで聞いた当事者発信の言葉、そこには力強さがありました。

今、平成30年の精神障害者の雇用率算入に向けて、障害者雇用の現場は大きく揺れています。規制緩和後の就労移行支援事業所の乱立や、障害者を専門にした転職サイトの活況さなども手伝って、どこに向かっていくのか混迷を極めています。今まで私達が大切にしてきた就労支援のスタイルなどとは関係なく、時には禁じ手としてきた様な手法で支援が進んでいく現状を見ると、自分たちの手詰まり感さえ感じます。

そんな矢先に続いた当事者発信の言葉の数々。それは私に「なんだこの人たちがいるじゃない!」と気付かせてくれるものでした。以前、天野前理事長にこんな事を言われたことがありました。「あなたはメンバーの事をまだ信頼しきれていないのよ。」と。そう忘れていました。福祉市場は混迷を極めていますが、それとは関係なく当事者は前に進み、着実に力をつけている事を・・・・。

「ぶーけ」の方々がいらした時に、棕櫚亭のピアサポートグループ「SPJ」との懇親会がありました。その時、あるSPJメンバーがこんな質問を投げかけました。「私達は何をしていけばいいんだろう?」、それに答えて松井さんは「とにかく続ける事だよ、細々でもいいから・・・・」と話されました。その言葉は、少々泥臭くても、前に進んでいく体験からしか生まれないものだと思います。そして同時に「私もとにかく続けなくては。前に進んでいかなくては。」と、私自身に渇を入れてくれるものでもありました。                                  (理事長:小林 由美子)

追伸:棕櫚亭のホームページで新しい連載が始まります。棕櫚亭当事者スタッフの櫻井博さんとスタッフの荒木浩さんが、往復書簡の形をとって、互いの意見を交換していきます。荒木さんからの手紙に返信する形で、櫻井さんの当事者発信が始ります。スタートは今週水曜日です。是非ご一読ください!!

前理事長 天野聖子さんが東京都功労者表彰されました

法人本部 2017/10/03

東京都では毎年秋に、名誉都民顕彰及び東京都功労者表彰を行なっています。地域活動・文化・教育などと共に東京都の福祉の増進に貢献した方を表彰するというものです。

そして今回、平成29年度東京都功労者の福祉分野で、今年3月末をもって退職された前理事長の天野聖子さんが表彰されました。

身体障がいや知的障がいの分野から遅れることはるか、平成7年にようやく精神保健福祉法が施行され、ようやく精神障がい者の支援が福祉分野に位置づけられましたが、それまでは医療の一部として扱われていました。しかもこの福祉法施行後も、精神障がい者だけ受けられないサービス・手当などが沢山ありました。福祉事業(施設)サービスに至っては、他障がいと横並びになるのを平成18年自立支援法施行まで待たねばなりませんでした。今でこそ「障がい者差別解消法」など法整備が一層進んでずいぶん改善されてきたとは思いますが、当時を知る職員は同じ福祉でも露骨な格差があったことが忘れられません。

そのように考えると、天野さんをはじめ先達が奮闘してくれたことにより、ようやく今の精神保健福祉分野の地位向上に繋がったのではないかと思います。そういう意味では今回の受賞は、「精神保健福祉の幕開け」の第1章として相応しいものだったのだと思います。

記念すべき棕櫚亭30周年と喜ばしきことが重なりましたが、ここで改めてお伝えしたいと思います。

「天野さん、おめでとうございます」

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天野 聖子さん 職 歴 等 期   間
北山病院精神科ソーシャルワーカー(京都府京都市) 昭和46年4月~ 昭和51年3月
川口病院精神科ソーシャルワーカー(埼玉県川口市) 昭和51年4月~ 昭和56年3月
青木病院精神科ソーシャルワーカー(東京都調布市) 昭和56年4月~ 昭和62年3月
くにたち共同作業所棕櫚亭 施設長 昭和62年4月~ 平成9年3月
社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 理事 平成9年11月~ 平成12年11月
同上 常務理事 平成12年11月~ 平成21年11月
同上 理事長 平成21年11月~ 平成28年11月
立川ハローワーク相談員 平成7年4月~ 平成9年3月
社会福祉法人はらからの家福祉会 評議員 平成20年10月~ 平成24年9月
同上 理事 平成24年10月~ 平成26年9月
東京都障害者就労支援協議会 委員(福祉保健局) 平成19年4月~ 平成26年2月
東京都地域移行推進専門研修企画検討委員会 委員(福祉保健局) 平成22年9月~ 平成22年10月
障害者総合福祉推進事業検討委員会 委員(福祉保健局) 平成24年4月~ 平成26年3月
独立行政法人高齢障害雇用支援機構 雇用管理サポート協力専門家 平成22年4月~ 平成24年3月
障害者の職業能力測定基準に関する調査研究委員会 委員 平成22年4月~ 平成24年3月
多摩総合精神保健福祉センターと地域関係機関との連絡会議 委員 平成24年4月~ 平成26年3月
東京都障害者職場定着サービス推進事業推進連絡会 委員 平成27年4月~ 平成28年3月
全国就労移行支援事業所連絡協議会 副会長 平成24年8月~ 平成27年3月
東京都福祉保健局障害者就労支援体制レベルアップ研修 委員 平成21年4月~ 平成23年3月

相模原事件を振り返って

法人本部 2017/08/22

相模原事件を振り返る

 

あの悲惨で許されない事件から一年がたちました。

あの時、コンビニに走り、そこにある全ての新聞を買ってきて読んだのが思い起こせられます。

事件報道された当日、自分が当事者スタッフとして棕櫚亭に雇用されている職場も失われるのではないかという、恐怖に襲われました。精神障害の当時者が凶悪な事件をおこしたことが気にかかりました。

私は措置入院ではなかったですが、医療保護入院を経験し、地域で暮らし10年あまりたちます。精神障害の方の支援をしていて、当事者がスタッフとして働いていることが、当事者の親御さんから、「櫻井は大丈夫なのか?」というふうに思われるのではないかということを考えました。

彼が起こしたことは許されない事件ではありますが、精神障害で措置入院を経験したということが、引っかかりました。病気を語ってはいましたが、急性期にあって犯罪を起こす限りは病気とは思えないという思いがあります。精神症状が長い間、急性期でない限りは本人の考え、思想的なものが原因かと思えたのも、いろいろな方の文章を読んだからです。

ピアスタッフの存在が追い風であった風潮に水を差した事件でもあり、私はより気持ちを引き締め仕事に打ち込んだ一年でもありました。

また障害者の立場では、健常者に襲われるのではないかという不安があることも、メンバーさんと語りあいました。

スタッフでこの事件を話しあった当時、目の前のメンバーさんに届けられるサービスを提供し、できる限り不安を取り除こうという考えを共有しました。

事件を起こした容疑者の優性思想とかは私は間違っていると思いますが、ネットとかでこの容疑者の行為に理解を示す人の存在も知っています。

衆議院会館にスタッフ数人で「集い」に行ったのも多様な理解を知る意味もあったからです。そこである当事者は「命にそもそも価値をもたせるのが間違っている」ということを言われました。命はそこにあるもの、というあたりまえのことを語っていました。

命を取り巻く様々な人間関係を考える時、その重さをひしひしと考えながら一年を振り返りました。この事件を風化させず、自分の胸に刻んだ一年でもありました。

 

 

(ピアスタッフ 櫻井 博)

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相模原殺傷事件から1年~何が変わったのか・・・~

法人本部 2017/07/28

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が刺殺、27人が負傷するという事件が起きてから1年が過経ちました。ご遺族、施設関係者の方々、そして何より被害に遭われた当事者の皆さんの事を思うと、どんな一年を過ごされたのか心が痛みます。そして、亡くなられた19人のご冥福を改めて祈らずにはいられません。

さて、死傷者合わせれば46人という戦後最悪の犠牲者を出したこの事件、発生当初は「とんでもない事が起こってしまった…」と、えも言われぬ恐怖感に襲われた事を思い出します。犯人が発したという「障害者はいなくなればいい」という言葉は、「精神障害者の幸せ実現」を目指し、活動を続けてきた私達を、大いに傷つけるものでした。自分たちが確信を持ちながら歩み続けてきた道の足元は、この様にも脆く危ういものであったのだと痛感させられもしました。

それから一年、この事件をきっかけに何か変わったのだろうか?と考えてみます。国ではこの事件を踏まえ、精神保健福祉法改正の議論がされました。しかし議論の中身は、犯人が事件前に措置入院をしていた事から、「措置入院制度の強化とその後のフォロー体制作り」に終始されました。しかし、今回の事件は、精神科医療の不備だけで起きたのかと言えば、そうではありません。この流れで措置入院が強化されていく事は、これまで積み上げてきた「病院から地域へ」の流れや、自発的入院の推進から大きく後退をします。また、フォロー体制作りについても、ご本人が望むものでなければ、ただの地域管理になってしまうでしょう。事件の再発防止を押し付けるかの様に行われたこの改正には、様々な危険が潜んでいると思います。

先日テレビを見ていたら、「何も変わらない一年だった。」というご遺族の言葉が紹介されました。確かに、具体的な手立てがないまま、弱者をバッシングする世の中の風潮は、さらに増していくように感じます。また、年明けになったこの事件の裁判では、被害者の名前は一切明かされない事が決まり、盛んに議論された匿名性の問題についても結局そのままになっています。その他、「開かれた施設とセキュリティーの問題」「過酷な福祉現場とそこから出てくる職員の本音」など、この事件は私達の目の前に様々な矛盾を突き付けました。

ある映画監督がこんな事を言っていました。「どんな事件にも、特異性と普遍性がある。」と… 最初はその特異性に目がいったこの事件ですが、時間が経つとそれは犯人の中にある特異なものではなく、私達の中にもある普遍的なものなのだという事に気が付きます。そしてそれは、なかなか解決し難い課題を、たくさん抱えたものでもあります。でも、議論し続ける事、考え続ける事が大切なのだと思っています。棕櫚亭でもこの問題を考え、分らないなりも自分たちの思いを発信し続けたいと思います。

棕櫚亭が開所してから30年が経ちました。精神障害者の方々を取り巻く状況は、病院に収容されるだけの時代から、地域で当たり前に暮らす時代を経て、社会に出て働くことが出来る時代へと変化しました。ですから、ここまで来た歩みを止めることなく、やはり「開かれた組織」であり続けたいと思います。そして、一人でも多く方の「幸せ実現」のお手伝いが出来ればと思っています。

多摩棕櫚亭協会 理事長 小林由美子

 

 

 

 

 

当事者スタッフとして棕櫚亭という組織を考える(My Opinion)

法人本部 2017/05/10

私は当事者スタッフとして2013年5月に採用され、五年目をむかえようとしています。

採用されてここ数年、世界はめまぐるしく変化しています。

2017年新年激動の年を迎えました。アメリカのトランプ大統領の政権が生まれ北朝鮮と一触即発の事態を向かえています。中国、ロシアなどの大国がその脅威を鎮めるかのように政策で動き、日本も日米同盟のもと難しい舵取りを迫られています。

 

棕櫚亭でもこの大変な年に天野理事長から小林さんにバトンが渡され新しい組織継承がなされました。棕櫚亭創設に関わった世代が退職されました。創設世代がその後の世代に交代するという新しい棕櫚亭の幕開けです。もうひとつ言われていることは、社会福祉法人の役割といわれている地域貢献ということであります。主なものにお弁当配達やフリーマーケットなどがあります。あまり知られてないことでは、ピアス内部の会議室貸し出しなどもあります。

棕櫚亭が設立から30年という時が過ぎ、4月23日(日)30年パーティーが開かれ、配布された記念誌を読んだとき障害者自立支援法が出来る前に、すでに福祉法人を勝ち取ったことが書かれていました。あえてここで勝ち取ったという表現をしたのは、作業所というままでなく、法人になって社会的使命を得、社会での役割を法人として果たす役割を担ったことを伝えるためです。私は時々棕櫚亭という法人が、いい意味での社会におけるフィルターとしての役割を果たして、存在しているように考えることがあります。当事者が被害的な思いや感情をフィルターを使って取り除いて、楽しい生活や集中できる仕事の能力をえて、生活者として社会に戻ってく姿を描いています。私のフィルターはまだまだ目があらいです。しかし他のスタッフには精巧できめがこまかいフィルターをもつ方々もたくさんいます。

当事者がこのフィルターを通して社会に生活者として地位を獲得していくとき、地域に一市民として生きていけることができれば、これを地域貢献とよぶこともできるのではないかと思います。そして組織としての社会に貢献する福祉法人の役割の一端は担えると思います。

組織継承では棕櫚亭イズムが確実に引き継がれています。このバトンを落とすことなく、組織の中で働くことを考えた5年目であります。

(当事者スタッフ 櫻井 博)

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新年明けましておめでとうございます。

法人本部 2017/01/12

今年は暖かな年越しとなりましたが、ここ数日、急に寒さが増してきました。皆さん、風邪など引いていないでしょうか?

さて、棕櫚亭の昨年は、10年かけて取り組んできた組織継承の総仕上げと、改正社会福祉法への対応とが重なり、二~三年の出来事が一挙に押し寄せてきたような年でした。「あぁ~、一波超えた。」と思うとまた一波、時には二波三波が押し寄せ、「なんでこんなに次から次へと・・・」と愚痴の一つも出てきそうな事もしばしばでした。

しかし、外に目を向けてみれば、世界全体では二波三波どころではない事が起こっています。グローバル化の名の元、押し進められてきた様々な取り組みは、イギリスのEU離脱や、アメリカでのトランプ大統領の誕生と保護主義へと大きく傾こうとしています。さらには、各国で多発するテロ、難民の問題など根底を大きく揺るがす出来事ばかりです。国境の垣根を越えて一つになるはずだった世界は今、対立し分断され様としています。この様な現状を目の当たりにすると、愚痴どころの話ではなく、悲嘆に暮れてしまいます。「『起こるはずがない』なんて事はこの社会にはなくなってしまったのだ。」と、痛感せざるを得ません。そしてこれは対岸の火ではなく、日本で起こる様々な悲惨な出来事とも、どこかでつながっているはずです。

では、この刻々と悪くなる状況に、私達はどう対応すればいいのか?正直、いい答えは浮かびません。でも分らないなりに考えてみて、まずは当たり前の様ですが「目の前の人達を確実に幸せにしていく事」が大切なのではないかと思います。一法人が出来る事は限られていますが、それぞれの法人、事業所が、出会った方々を確実に幸せにしていけば、それが多くの幸せにつながり、今、劣勢の状況も変わっていくのかもしれません。さらに言えば、悪化していると見えるこの状況も、見方を変えれば「一つの変化」、新しい時代が始まる胎動と見る事も出来ます。ですから、この変化にきちんと乗っていける力をつけることも必要だと思っています。ただ急激な変化ですから、油断していると激流に飲み込まれてしまいます。だからこそ、内に閉じこもらず、たくさん学んで、たくさんの人達とつながっていく事がより大切になってくると思っています。

今年は、棕櫚亭にとっても新しい変化の年です。昨年12月には各現場を天野前理事長とまわり、メンバーの皆さんに理事長交代のご挨拶をしてきました。皆さん前理事長の話に熱心に耳を傾け、言葉の一つ一つを胸に刻み込もうとしていました。横で一人一人の表情を見ていると、「自分達にも組織継承のバトンが渡されたのだ。」と自負している様にも見え、頼もしく感じた瞬間でした。一方、職員はというと、昨年初めて、若手職員が企画した研修旅行に行ってきました。秋川に一泊二日で出かけ、そこで前理事長から「棕櫚亭の30年」を聞いて、改めて創設世代の熱いパワーに触れました。その後、グループに分かれて「私と棕櫚亭」をテーマに議論し、各職員がポストイットに「こんな組織にしたい!こんな自分でありたい!」と思いを書き込みました。現場が違い、一緒に話す機会が少ない職員同士が、お互いを知る貴重な時間となりました。今後はこの集まった思いをまとめ、最終的には、新しい棕櫚亭の行動指針にしていこうと、旅行の企画者達は考えているようです。これも頼もしい話です。

とにもかくにも、よちよちとですが新体制は歩み始めました。やる気だけはみんなあります。足りない知恵は周りの皆さんから頂きながら、悪い変化を食い止め、いい変化に変えていける様なサービス作りを目指します。今年もどうぞ棕櫚亭をよろしくお願いいたします。

理事長 小林 由美子

 

 

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精リハ学会・ベストプラクティス賞 受賞!

法人本部 2016/12/07

先週の12月1日(金)、日本精神障害者リハビリテーション学会第24回長野大会において、「第9回ベストプラクティス賞」を棕櫚亭が受賞いたしました。この賞は、日本精神障害者リハビリテーション学会が2008年に創設したもので、日本の精神保健医療福祉の現状を踏まえ、精神障害者のあるべき姿を展望し、それに到達するためのモデルとなる実践に贈られるものです。選考にあたっては「ボストン基準」と呼ばれる、ベストプラクティスを評価する6つの世界基準に加え、学会独自の基準を加えた8つの基準を満たす必要があり、棕櫚亭の活動は、それを満たしていると評価を受けました。IMG_2305

また、この賞に推薦してくださった社会福祉法人巣立ち会 理事長の田尾有樹子さんは、推薦文にこんな事を書いてくださいました。

『精神障碍者の多くが働きたいと願っている。しかし、かつてはその願いも、「再発の危険が高まるから」「無理をしない方がいい」などのパターナリズムの中で、支援者が握りつぶしてきたような歴史がある。そうした中で、棕櫚亭は当事者の願いに沿った支援を実行していこうという思いのもとに、就労支援に取り組んでいった。かつての作業所時代に期限を2年間と切って就労支援を行ったのは棕櫚亭が最初と思われる。現在、障害者総合支援法の中で、就労に関するリハビリテーションが「就労移行支援」という形で、こんなに発展してきているその最初のモデルを作ったのが棕櫚亭であり、就労リハビリテーションに大きく貢献してきていると考えられる。障害者就労を国が支持することで障害者の自立が促進されるという認識を国にもたらしたことも大きな功績で、その後の雇用率拡大や精神障害者を正式に雇用率に算定していくことにも棕櫚亭の活動が寄与してきている部分があると考えられる。』

棕櫚亭の今までの活動を評価してくださった嬉しい言葉です。

そしてこの受賞は、来年30周年を迎える、棕櫚亭への最高の餞となりました。今後もこの名の通り、「ベストプラクティス」を続けていけたらと思っています。本当にありがとうございました。                     (理事長 小林 由美子)

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理事長退任に当たって

法人本部 2016/12/05
本当に終わりという日が来るものだと新理事長に花束をもらって、しみじみ思った最後の理事会でした。悲しいとか寂しいとかよりやっとここまで来たという安堵感と嬉しさでいっぱいです。
世代交代、組織継承をお題目のように唱え続けたこの数年でした。現場の忙しさや、ワーカーであり続けたい、経営者になりたくないという次世代リーダーたちの本音が漂う中、本当に大丈夫なのかという不安が胸をよぎったことも多々あります。多分現状維持が一番簡単だし、現場も充実するかもしれない。それでも、30周年を迎える今、敢えて交代してゆくことが棕櫚亭にとって必要だと思ってきました。グループは生き物と言いますが、組織も時には生々しい生き物です。職員もメンバーも入れ替わりがあり、事業も時代的制約の嵐で、波風が立つことも多々あります。その中でいつも考えていたことは、全体力量を意識すること、やりがいをもってみんなが働けるよう条件整備と環境づくりに勤めること、問題や課題は議論して早めに解決することなどなど案外地道な(時には保守的な?)ことでした。経営状態が悪化したり、定員割れになったり、いざこざの絶えない組織では良質な対人援助ができるはずはありません。小さくとも風通しのいい棕櫚亭をそのまま渡したいというのは実は私の悲願でした。
精神障害当事者や家族が少しでも楽になる為に、まだまだやることの多い長い仕事だから、次世代また次々世代と繋げていかなければならないのです。そういう意味では40代後半から50代のベテランが数名いて、30代に厚みのある今が一番の交代時機です。そのことを随分話し合って目配り気配りしてきましたが、本当にここでバトンを手渡すことができて幸いです。

ふりかえればさまさまなことがありました。精神病院15年の勤務で5回の転職、時には解雇、時には休職というあまり褒められない働き方をしてきた私が、棕櫚亭で30年働かせてもらえたのは、実に幸運でした。思えば医療ヒエラルキーに反発して、創設者の女たち4人が自在に動きまわり、社会福祉法人にしてからは、組織自体が社会化していく過程で、私自身もいつしか大人になっていったようです。
この間出逢った多くの当事者と、喜びを分かち合ったり、挫折や再発に向き合って涙したりー。そんな時間は私の中にしっかり刻まれていて、これが、まさに私にこの仕事を通算45年続けさせた一番の原動力でもあります。亡くなった方達、消息のわからない方達、無念の思いで病院にい続けた方達にも深く深く御礼を言いたいと思います。この思いは確実に次の世代につなげるということ、それを伝えた上での降板だということもご理解ください、本当にありがとうございました。

PS なぜかバンコクのスタバでこれを書いています。息子宅の新生児育てのヘルブとして来て一週間。家事育児の苦手な私の新しい試練です。
いつも棕櫚亭周辺にいた子供達も育っていき、私自身がやっと大人になったと思ったら、もう孫持ちのおばあちゃん。次の命はぐんぐん大きくなってゆきます。世代交代はそこから見ても自然の流れなのでしょう。

再来週には国立に戻って、来年、3月31日までは棕櫚亭の職員として働いています。皆様遊びに来てください。

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会 前理事長 天野 聖子

理事長就任の挨拶

法人本部 2016/11/25

2016年11月13日に行われました理事会の決定を受け、天野前理事長から理事長の職を引き継ぐこととなりました。ここ10年をかけて取り組んできた組織継承に、一旦の区切りが着きほっとしたと同時に、大きな役割に身の引き締まる思いです。さらに、棕櫚亭は来年で活動開始から30年を迎えます。その様な節目の年を前に、この継承が無事に行われた事をとても嬉しく思っています。

 

この30年を振り返ってみると、棕櫚亭には10年ごとに大きな事が起こります。まず、最初の10年には、社会福祉法人を設立し、通所授産施設を開所しました。法人格を取得した事で、受託できる事業も増え、提供出来るサービスの幅を増やしていきました。そして、さらにその10年後には、障害者自立支援法(現:障害者総合支援法)が施行され、棕櫚亭も、この法改正に合わせ、サービスを再編するという事を余儀なくされました。収入面でもそれまでの箱払い(年度払い)から、個別給付(日払い)に変わり、自分達の意識を「施設運営」から「施設経営」に変えていく必要にも迫られていきました。質の高いサービス提供と経営のバランスに四苦八苦しながら、法人全体が一つになってこの荒波を乗り越えたのを、昨日のように思い出します。そして、30年を迎える今、社会福祉法の改正が行われようとしています。この法改正は「社会福祉法人制度の大改革」と言われ、またまた棕櫚亭にも荒波が押し寄せてきそうです。本当に10年ごとにいろいろな事が起こります。でも、天野前理事長はこんな事をよく言っていました。「組織は10年で腐る。」この言葉を考えれば、色々反論したい事はあるにせよ、法改正も組織の活性化には必要な事なのかもしれません。ただし、そこに飲み込まれることなく、棕櫚亭らしさは大切に守っていかなければと思っています。

 

最後に少しプライベートな話になりますが、数日前に理事長交代を知った友人から、メッセージが届きました。私もそれへのお礼と、ただ旧友という事もあり、少しの不安と本音を織り交ぜた返信をしました。するとさらにこんなメッセージが送られてきました。

「あなたの仕事についてはほとんど全くと言っていいほど、知識がありませんでした。でも時折、棕櫚亭のホームページを見たりしている内に、ああ、こんな世界があって、こんな風に頑張っている人たちがいるんだと気付きました。魅力的な方もたくさんいて。だから素晴らしいじゃないですか!!そんな世界をけん引していけるという事は!!!」

この言葉は、新しい出発にまだ少し躊躇する、私の最後の最後の扉を開けてくれるものとなりました。そして、これは利用者の方々、そのご家族、棕櫚亭がこれまでお世話になった沢山の方々から頂いた言葉の様にも感じています。「棕櫚亭があってよかった。」そう思っていただける様な組織を、職員と共に創り続けていきます。これからも皆さんに助けて頂く事ばかりだと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

平成28年11月24日

多摩棕櫚亭協会 理事長 小林由美子

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