特集/連載 Part ❹『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “失われた〈共同作業所〉が、もしかしたら世界のトレンドになるかもしれないというウソのようなホントの話”

法人本部 2018/10/19

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

失われた〈共同作業所〉が、もしかしたら世界のトレンドになるかもしれないというウソのようなホントの話

NPO法人多摩在宅支援センター円
添田 雅宏
(棕櫚亭OB)
はじめに

平成元年に精神科領域(無認可共同作業所)に就職してかれこれ30年が経過した。
ちょうど「精神衛生法」から「精神保健法」に大転換された年に就職したことは後々知ることになるのだが、入職当時はそのようなことは知る由もなく、唯々その環境に可能性と魅力とを感じていたことを思い出す。一緒に働き、昼食を作り、同じ場所で昼寝をし、また作業を行う、作業が終了すればお茶を飲みながらよもやま話に花を咲かせる、今思えばよくそれで仕事が回っていたものだと思うところもあるが、同じ空間を共有し、利用者と共に歩むことが良しとされ、素人でも市民性と対等性で仕事ができていた時代ではなかったかと思う。

『精神医療』第83号 コラム(批評社 2016年)より引用

これは私が2年前に依頼された原稿の冒頭部分である。タイトルは『無認可共同作業所再考 ~共同・協働とイギリスのco-productionをめぐる道程~』というちょっと硬いもの。私は3年前に現場復帰したのだが、目まぐるしい医療・福祉制度改編に振り回され、使えないワーカーになっているかもしれない(いや、たぶんなっている)不安に苛まされている。そしてそこから逃避するかのように気がつけば共同作業所時代の棕櫚亭のことばかり考えているように思う。されど、逃避するだけではもったいないほど無認可共同作業所時代の棕櫚亭には、現代の細分化された医療・福祉制度が切り捨ててきた大切な原石が埋もれており、それを再評価することで、これからの精神医療・保健・福祉制度をリカバリー志向で改革していく礎になる気がしてならない。
「くにたち共同作業所棕櫚亭」は私の職業人生(福祉職・教育職)の原点であり、その後の生き方にも大きな示唆を与えていただいた大切な場所である。
ここでは共同作業という言葉に秘められた大切な理念に思いを馳せながら、これまでの棕櫚亭とこれからの精神保健福祉のあり方について海外の事例との比較の中で綴ってみたい。

素人性、市民性、対等性が大切にされていた

棕櫚亭に就職した30年前、私は大学で演劇論を聴講していた学生であった。師事していた教授が市民病院の精神科で、遷延化したうつ病と神経症圏(当時)の新しい療法を研究していたことがきっかけで、精神科の患者さんと出会った。グループ運動表現療法と名付けていたその療法はのちに棕櫚亭で「雅教室」として形を変え、心身のリラックスと自己表現の練習のためのプログラムとして展開されるが、この時の私は精神科と一般科の違いも良く分からない素人であった。この病院で棕櫚亭がアルバイトを募集していることを聞き、消防設備の点検のアルバイトより勉強になるしお金ももらえるから良いかぁという軽い気持ちから応募した。そんな私の採用に関しては棕櫚亭運営委員会でいろいろと議論があったようで、定職に就いていないことや演劇をやっている変わり者ということがマイナス要因だったと入職後に聞かされた。今思えばそんな男をよく雇っていただいたものだと感謝しかない。精神保健福祉士という資格のなかった時代、様々なフィールドから作業所に転職する「変わり者」がいて、私の経歴はそんなに珍しくなかったようにも思うのだが。
そんなこととはつゆ知らず、私はと言えば呑気にも、魅力溢れる4人のお姉さま達との出会いと、当時東京に20か所程度しかなかった共同作業所を一緒に作り上げていくことに軽い興奮を覚えていた。一流の女優陣を擁した舞台を一から作り上げる、そんな感覚に似ていたのかもしれない。
棕櫚亭では当時、多摩地域の精神科医療に風穴をあけるというスローガンがあり、市民感覚を持ち合わせ地域で共に暮らしていくことを理念に掲げていた。生活のすべてを医療機関が管理することが普通に行われていた時代であり、精神病者という言葉はあったが精神障害者という言葉はなかった、つまり障害という概念がなかった時代でもある。自分たちの仕事は、精神医療の延長なのか、福祉事業なのか真剣に議論していたころが懐かしい。
またパターナリズムや専門性に疑いを持つ風潮があり、そのような背景が私のような「どこの馬の骨」な男の雇用を後押ししたのかもしれない。採用後、私は国立に移り住み作業所利用者(メンバーと呼んでいた)が暮らす街で共に生きることになる。
以下の文章は精神保健福祉士養成の教科書に寄せた文章である。メンバーと私との日常を記したものだが、時代の雰囲気がわかるものになっているのではないかと思い紹介する。

『一杯のジュースから』

その共同作業所は終戦直後に建てられた平屋で、どこか長閑(のどか)で日本の原風景を色濃く醸し出していた。今から 20 年ほど前、私は「彼」と出会った。彼は当時30代。2人の兄を持つ末っ子として大切に育てられた。
20代の頃、統合失調症を発症。その後は入退院を繰り返し、アルバイトを行いながら何とか社会生活を営んでいた。やがて家にひきこもりがちになった彼は、保健師の勧めで開所したばかりの共同作業所に通い始めたのだった。一流大学卒で留学経験もある彼は他の利用者との関係がうまく築けず、孤立しているように見えた。
ある年、記録的な猛暑の中、私達は公園の草むしりの作業を一緒に行なった。仕事が終わって共同作業所に戻り彼はジュースを美味しそうに飲んでいた。私は意図せずに「そのジュース僕にもちょうだい!」と彼に話しかけた。彼は「いいよ!」と私にジュースをくれた。
仕事を終えた充実感とともに、とても和やかな時間が流れた。
その後父母が相次いで他界、遺産相続の件で兄たちと折り合いが悪くなり病状が悪化した。医療保護入院となった病院で待遇の悪さを批判し病院スタッフに暴力を振るったことが原因で転院となり、彼は「処遇困難患者」となった。そして彼はこの後いくつもの病院を転々とすることになる。
ある日、付き合いのない病院の医師から私宛に電話が入った。彼が私に会いたいと言っている。病状は安定しているのだが兄達は退院に反対している。何とか兄達を説得し、もう一度地域生活ができるよう支援してくれないかとのことだった。彼が作業所を離れて5年の月日が過ぎようとしていた。私はどうして彼が私に会いたいと言ってくれたのかを聞いてみた。「あの暑い夏の日、一緒に草むしりをしたことを思い出したんだ。あの時僕からジュースをもらったでしょ。僕はとても嬉しかったんだよ。仲間ができたって思ったんだ」。
家族の調整を終え、燻り続けていた遺産相続に一応の決着をつけた後、彼は退院し一人暮らしを始めた。そして現在の彼は、地域活動支援センターに所属しホームヘルパーを上手に利用しながら、ピアサポーターとして地域移行支援事業に積極的に取り組んでいる。

『精神保健福祉の理論と相談援助の展開Ⅰ』[第1版] 第5章 コラム
(古屋 龍太=責任編集 弘文堂 2012年4月30日刊行)より引用、一部改

このジュースはもちろん「回し飲み」である。炎天下の中での作業を終え、皆バテバテで喉はカラカラだった。過酷な状況を生き延びた戦友のような気持が自然に芽生えていたように思う。後日彼はこうも言った。精神障害者として差別されている自分が飲んでいるジュースを欲しいと言ってくれている人がいる、しかも回し飲みで。そんなことを言ってくれた人は初めてだった、高校時代の部活の友人関係を思い出したと。
もちろんこの話はメンバーと友人のように付き合えということではない。ここで伝えたかったことは、同じ空間を共有する中で人としての対等性を確認し合ったこと、そしてそのことを理屈ではなく身体知として理解しているのかは試されるということである。また精神障害に起因するスティグマを抱えて生きている当事者にとって、身近な存在である作業所職員の言動、立ち振る舞いはその後の人生をも左右することがあるかもしれないということだ。共同作業の中には目に見えない豊かな副産物がそこここにあることを改めて実感している。

共同作業とco-production

共同作業所のすべてが優れていたわけでもなく、そこに戻れば良いというものでもない。来てもらわなければ何もできない場所であったことは大前提として、素人故に疾患を見逃したことがきっかけで命を落とす人がいたり、身分保障があいまいだったり、ほとんど社会資源のない中で生活・就労支援などすべてに気を回さなければならない状況であったり、メンバーの就労先探しに奮闘したりと苦労の連続であったことも事実だ。
時は過ぎ、大学の教員になった私はイギリスに研修に行く機会を得た。ピアサポートワーカーのことを学ぶために行ったのだが、そこで見聞きした世界情勢に大いなる刺激と示唆を受けた。引用ばかりで恐縮であるが以下を参照されたい。

一昨年、イギリスのリカバリーカレッジと精神保健福祉改革を学ぶために現地へ赴く機会を得た。(中略)私が感銘を受けたのが、その改革の中核をなす言わば哲学ともいうべき理念である。まずは、まだ世界的に定義の定まっていないリカバリーという概念をその中核に据えたこと、次にコ・プロダクション(co-production:共同制作、協働、共同作業など)という考え方を改革の柱とし、当事者と家族、専門職、地域住民らが一体となって改革を進める方向性を示したことである。(中略)先にも述べたようにイギリスでは連携のその先にco-productionを据えた。改革の中心人物から聞いた話だが、イギリスはヨーロッパという土地柄、個人主義の上に立ち、異民族との血で血を洗う戦いの末に、如何にして対立する民族、文化、慣習と共生するかを考えている国であるという。(中略)このように考える国がco-production(共同制作、共同作業、協働)を通してこそ相互理解を得られるという結論に至っていることは非常に興味深い。日本の文化の中で培われた共同作業の概念とは厳密には異なるのかもしれないが、(中略)当事者と専門職の垣根を越え地域の中で共により良いものを作っていくという姿勢に変わりはないことは、熱意(Passion)を持って改革を進めようとする人達との交流から容易に感じられた。

前出 『精神医療』第83号 コラム(批評社 2016年)より抜粋

話が大きくなり過ぎたかもしれない。私は棕櫚亭時代から夢見がちで、夢を語るより目の前の仕事をきちんとこなせとよくお叱りを受けていた。その癖はそうそう変わるものではないようで、もう少しお付き合いをお願いしたい。
リーマンショックにより財政破たんしたイギリスは精神医療福祉予算を大幅に削減しなければならなくなった。イギリスの優れたところはただ予算削減をするのではなく、これを機にリカバリー志向で精神医療福祉改革を行おうとしたところだ。その中心理念がco-productionつまり共同作業、共同制作である。お金がないのは日本も同じ。何もないところから文化を作り上げていったあの時代と重ねもう一度夢を見たいと思うのは浅はかなことなのだろうか?

おわりに

先が見えず無我夢中で駆け抜けてきた共同作業所時代の棕櫚亭は紛れもなく“レガシー”であろう。それをどう受け止め、解釈し、次の時代に引き継いでいくかは、とても大切な仕事だと思う。もし私の書いた文章がその一助になれば幸いである。
最後に。身勝手な私をいつも寛容な心で受け止めてくれる棕櫚亭の皆様に対する恩返しになればと願いつつ、前出のコラムで書いたものをまとめの言葉としたい。

“無認可共同作業所はその歴史的使命を終え、「障害者総合支援法」の中で形を変え現在に至っている。事業が細分化され縦割りの支援システムが増えていく中で、当事者のリカバリーを中心とした事業・制度がどの程度まで浸透しているのか、まだ見えてこない。
しかし、日本には当事者と支援者らが培ってきた日本らしい仕組みが存在していたことは事実であり、誇りに思っても良いように思う。共同作業所は切迫した状況を打開するために家族や支援者・当事者達が必要に迫られて作り上げてきたものである。天から降ってきた制度に振り回される昨今、ここに考えが至ったことでもう少し先へ進める兆しが見えた。”

 

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

今回、添田さんへの原稿依頼で職場である東京都八王子市に伺わせていただいたきました。ご多忙にもかかわらず本当に暖かく迎え入れてくれました。棕櫚亭らしく元職員というだけで、ぶしつけに原稿依頼をしたにもかかわらず、快く受けていただいたその優しさは、たくさんのワードとして文中にあふれるほどちりばめられています。私自身、精神保健福祉士取得のため、学校に通っていたのですが、その時に師事したのが添田さんで、文中の「一杯のジュースの話し」は、私が知る添田さんらしいエピソードだと思いました。ピアスタッフとして働いている中で、私はいつも自分の立ち位置について悩み、考えあぐんでいますが、添田さんのおっしゃる「素人性、市民性、対等性が大切である」という言葉は、今後の働きにヒントを得たような気がします。

ありがとうございました。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

もくじ

 

SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信28号発行しました

ピアス 2018/10/17

SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信28号発行しました。

ピアス通信28号

今号の内容は・・・

  • ピアスお弁当の歴史~初代厨房職員の工藤さんのお話を中心に~
  • ピアス弁当人気メニュー紹介
  • 厨房スタッフの人見さんにお弁当メニューの話を伺いました

などとなっています。ぜひご覧ください。

アルジャジーラが棕櫚亭にやってきた!

法人本部 2018/10/12

官公庁の障がい者雇用水増し問題が公(おおやけ)になり、沸々と怒りが沸き起こりました。「何ということだろう、こんなに必死にメンバーさんも就労訓練して、企業側も一生懸命考えながら職場の受け入れをしてくれているのに!」あんなに「働けよ」「受け入れよ」とせっついていた、本家本元の行政機関がごまかしていた雇用率の数の多さに唖然としました。

「企業が雇用率をごまかしたら、さも鬼の首をとったように行政の指導に入るのだろうなぁ」と話しをしていたら、既報の通り、どういう伝(つて)か東京新聞からの取材があって、理事長の雄々しい(?)姿が社会面にデカデカとのりました。そして、その後も各方面からのインタビューなどが相次いだあと、今度はなんとあの「アルジャジーラ」の方々がやってきました。これは驚きです。

ご存知の方も多いかとは思いますが、何と言ってもイラク戦争でアルカイダ情報を流し続けたあの中東の新聞社です。「そんなところが、いったいなんで棕櫚亭に取材だ?」と職員が驚き悩むなか、なぜかメンバーさんは嬉しそうに受け入れをしてくれました。「確かに、そりゃそうかも」なにしろアルジャジーラの名前は世界に轟(とどろ)いています。ニューヨークタイムズでも、BBCのような大手でもなく、どういうわけかアルジャジーラの取材。日本の全国紙でもなく、一挙に世界に飛んでいったのも、何はともあれ興味を持ってくれるのは嬉しいから、理事長以下職員一同、メンバーさん達も大歓迎でウェルカム!

無題

「日本の障がい者雇用はどうなっている?」「働いているところが見えづらい」「訓練の厳しさは日本社会ならではなのか?」などなど、驚くほど真っ当な疑問質問のインタビューが山ほどあって、あっという間の6時間。何はともあれ、ともかくも精神障がい者の就職実現に向けてメンバーさん、職員の必死の実践はわかっていただけたようでした。打ち解けた取材の終わりには、職員メンバー入り乱れて、私たちからもアルジャジーラの正体(?)やら存在意義やら、根掘り葉掘り聞いたりして思いもかけない異文化交流もありました。

もう何年か後には、外国人受け入れがすすんでイスラムの若者がトレーニングに来ることがあるのかでしょうか?そういえば精神科病院の身体拘束で亡くなった青年はニュージーランドの人でした。外国人の存在が無視できない数になった頃には、手帳の有無や雇用率という数字は案外関係なくなるのかもしれません。

普段見過ごしてしまう大きな視点や先々への思いもめぐらしてくれた貴重な時間となりました。

この模様については、11月に英語版で海外放映されるとのこと。日本ではYou Tubeで視聴可能になるとのことですが、詳細がわかり次第、HPでもお伝えします。

ピアス通信11月号でも、障がい者雇用率改竄問題特集として「緊急!メンバーアンケート」「アルジャジーラにピアス通信員が逆取材!」で取り上げることになっています。

楽しみにお待ちください!

精神障害者就労定着支援連絡会 第2回セミナーのお知らせ

オープナー 2018/10/11

今年度よりオープナーでは東京都福祉保健局による「精神障害者就労定着支援連絡会」を事業受託しています。

8月30日には「精神障害とは何か~企業が知りたい病気の基礎理解と応用」と題しセミナーを開催しました。お陰様で満員を頂き、ありがとうございました。

シリーズ第2回は、「『発達障害とは何か』 企業における就労・定着支援の現状と課題」と題し、講演を行います。

「発達障害とは何か」 ~企業における就労・定着支援の現状と課題~

講 演 : 知名青子氏(独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構

障害者職業総合センター 研究企画部 障害者支援部門 研究員)

・日時  2018年10月31日(水) 13:30受付 14:00~16:00
・場所  立川グランドホテル 2階 キャンティグランデ 
・対象者 精神障害者の方をすでに雇用している企業担当者、これから雇用しようとしている企業担当者、就労支援機関(就労移行支援事業所)
・定員  150 名
・申込〆切 10月12日

詳しくは以下をご覧ください。

精神障害者就労定着支援連絡会 第2回講演チラシ

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「ピアスライブラリー」(図書貸出コーナー)のご紹介

ピアス 2018/10/04

利用者さんの提案で始まった「ピアスライブラリー」。とっても面白い図書貸し出しのコーナーができあがったのでご紹介をします。

 

みんなでつくる成長型共有図書館として生まれたピアスライブラリー。ピアスのみんなに読んでもらいたい本を寄贈する、読む側はふだん自分では選ばない本に出合う機会になる、そんな想いではじまっています。利用者さんがいろいろなアイデアを出し合って、運営されています。レンタル・マネージメント部の方は、早速みんなが書きやすい貸し出し表を工夫しながら作っていました。本はぞくぞくと増えていきそうです。

 

ピアスでは年に数回メンバーミーティングを行います。ピアスからのお知らせがあったり、ふだんメンバーさんが気になっていることや、ピアスへのリクエストをみんなで共有する場です。そこで提案されたのがピアスライブラリーです。私は、自分の世界が広がる手助けになったり、自分が気に入っている本をみんなに紹介できるとっても素敵な企画だと思っています。

私も、どの本を持っていこうかまだ思案中です。選ぶことも楽しいかもしれません。

まだ始まったばかりですが、これからのどんな本が増えていくのか楽しみです。

 

(ピアス 増田)

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毎年恒例BBQを行いました♪

棕櫚亭Ⅰ 2018/10/03

先週の金曜日、昭和記念公園で毎年恒例のBBQ大会をしてきました(^O^)★

前日まで台風で大荒れの天気でしたが、その日だけ唯一の晴天!
みなさんの日頃の行いが良いようで、、、(*^_^*)

公園のBBQ広場に着くと、
火起し組と食材切り組に別れて準備スタートです!

火起しも毎年やっているだけあってみなさんお手の物!

HP用①

 

 

あっという間に火が起きました(^○^)

野菜も順に切り終わり、いよいよBBQ大会の始まりです。
昨年度のLifeプログラムで保健師さんに来ていただたいた際に
メタボリックシンドロームにならないための約束を教えてもらい
そこから毎日食事前に唱えているのですが、今日も変わりなく

①野菜から食べましょう
②一口20回~30回噛んでゆっくり食べましょう
③時間をかけてゆっくり食べましょう

の掛け声があってから、みなさんの大きな声の
いただきます!がBBQ開始の合図です(^^)/

HP用②HP用④

 

鶏肉、豚肉、牛肉、ラム肉など種類も豊富(*^_^*)
さらには〆の焼きそばと食後の梨・林檎まで!

中には「焼きそば食べるためにお肉もうやめとく!」という方まで(*_*)笑
HP用

 

 

 

最後はもう「どんどん食べて~~~」の状態でした(^.^)

晴天にも恵まれ、いつもの仲間と食べるお肉は、いつも以上においしかったことでしょう(*^_^*)♪
棕櫚亭Ⅰは来月の市民祭に向けて、今日からポップコーン作りの練習をし始めました!
市民祭では屋台を出店しますので、是非お立ち寄りください(^O^)

特集/連載 Part ❸『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “そこにあるすべてをメンバーとともに”

法人本部 2018/09/28

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

そこにあるすべてをメンバーとともに

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会
地域活動支援センターなびぃ 施設長 伊藤 祐子

〈棕櫚亭〉との出会いの風景。

季節は秋。昭和記念公園の原っぱは、よく晴れて風が吹いています。当時、地域福祉の仕事をしていたわたしは、そこで開催されているイベントの担当者としてテントを見回りながら、ゴミを拾い発電機を点検し団体に声をかけるなどの、雑多な仕事に追われていました。
その一角に棕櫚亭がテントを出していました。他よりずいぶんのんびり準備していて、開店が遅くなった団体です。売り物はポップコーンとビールだったと思います。開店してからは順調にお客さんが訪れているようで、手作りの看板の下から頭にバンダナを巻いた何人もが顔を出し、テントを訪れるお客さんにガヤガヤと対応しています。テントの脇で看板を手にした人の「ポップコーンいかがですかぁ」の声がのどかに響いています。
そのテントの後ろ側にまわったときです。あたたかい日が射す草の上に大きなブルーシートが敷かれ、そこにいろんな人たちが腰をおろしています。紙コップを片手に輪になってのんびりおしゃべりする人たち、かたやぼんやり黙って静かな人たち、横になって目を閉じている人、そして中にはギターを弾いて歌っている人までいます。おもいおもいに過ごす人たちと、せつないような楽しいような聞いたことのないメロディーが漂うその光景が、なんともふわふわと非日常で、でもどこか日常の延長のような感じもあり、そしてどんな人もそこにいられる「懐の深さ」のようなものを感じたその不思議な眺めを、20年経った今も思い出すことができます。

時は平成17年。障害者自立支援法前夜。

それから数年後、縁あってわたしは多摩棕櫚亭協会に入職し、平成17年に〈棕櫚亭Ⅱ・だいに〉に配属されます。当時「小規模通所授産」と呼んでいたこの事業は、その翌年の平成18年に施行された障害者自立支援法によって行き先の選択を強いられることになるのですが、時はまさにその直前。今回総括する〈共同作業所〉としては最終章の場面ですので、わたしはそれを体感できた最後の世代ということになります。今この文章を読んでくださっている方に、その空気が少しでも伝わればいいなと思いながら書いています。

Ⅱは、立川駅南口の雑多な喧騒を通り過ぎた住宅街にあらわれる、ちょっと古ぼけた紺色のアパートの1階にありました。「懐が深い」というイメージを抱いて棕櫚亭にやってきたわたしですが、実際に中に入ってみると、拠り所である信条とやり方が確かであることが「懐が深い」場を維持しているのだということがわかりました。そこには、「作業所で行うすべてのことをメンバーと共有する」という信条がありました。

作業所のすべてをメンバーとともに。

ある夏の日。車を停めて小さなアパートの前に降り立つと、先月も草むしりをしたはずなのに雑草が元気よく青々と茂っています。誰かが「あー、これは草むしりしないとダメだねー」とつぶやき、「草取りやりたい人ー?」とそれぞれの希望を聞いて分担を決めるうちあわせが始まりました。場所は、立川駅から車で5分ほど走った、細い路地に建つ古いアパートです。黒いエプロンの背中の紐をお互いに結び合って支度を整えた8人は、それぞれの道具を手に、仕事にとりかかります。草取りチームは片手に小さな鎌、片手にコンビニ袋を持ち、アパート周りの隙間にしゃがみ込みます。後ろの手すりでは、拭きチームが雑巾がけを始めています。階段では、ほうきチームが、ガシャンガシャンとちりとりを使って掃き掃除を始めています。「休憩は11:15ごろにねー」「お茶持ってきたー?」という声が聞こえています。

参加が少ないプログラムのかわりに、大いにやっていこうということになった作業は、地元の不動産屋さんからもらったアパート清掃の仕事でした。あちこちに傷のある8人乗りのステップワゴンに乗りこみ(ええ、その傷のうちいくつかはわたしにも身に覚えがあります…)、小さなアパートをみんなで取り囲み、せっせと掃除しました。そこにまつわるすべての事をメンバー・職員みんなで手分けしました。作業はもちろん、道具の準備から後片付け、日誌を書き、請け負っているすべてのアパートに毎月行けるようにミーティングで予定を組み、月末には請求書を作って不動産屋さんに届け、ほうきが壊れればみんなでホームセンターへ買い出しに。雨が続くと予定が進まないと焦り、落ち葉の多い季節はげっそりし、感謝の言葉をもらえばみんなで喜び、苦情がくればみんなでしょんぼりしながら改善策を考えました。暑い日も寒い日も、体調が悪い人は悪い人なりに、元気な人は元気な人なりに。
他の場面でも同様でした。そこにまつわるすべてのことをメンバーから奪わない、というのがここの流儀でした。いいことも悪いことも、嬉しいことも悲しいことも。

シンプルに。すべてをメンバーと。

みんなが自分のこととして考え行動できるように、物事はシンプルでした。例えば、みんなで使う道具や文房具、食器など、Ⅱにあるいろんな物は、どこに何があるかみんなでわかるようにしていて、使いたいと思うときに誰でも使えるようになっていました。「物がどこにあるかわからないと、知らない人の家に来たような気持ちになるもんね」、と誰かが言いました。しくみ、活動内容、時間の流れについても、一人一人が「主」であるように「お客さん」になってしまわないように、シンプルに見えやすくのが、ここのやり方でした。

それぞれの抱えている課題でうまくいかないこともいろいろありました。それもなるべくメンバー同士でお互い考えることを励ましました。体調が悪いメンバーが来所できなくなったときには、メンバーと一緒に自宅に顔を見に行ったこともありました。ソファや部屋の隅で、いろいろな人が個人的な状況を話したり相手の話を聞いたりしていました。わたしも、自分の生活状況や悩みをずいぶん聞いてもらいました。個人情報という言葉が頻回に聞かれる今となっては、懐かしい光景です。

メンバーと職員の関係性もどこか「お互いさま」というムードがありました。若く、未熟な職員は特に「メンバーに育ててもらう」ことが当たり前でした。わたしにできることといえば、安定して出勤しているということくらいだったでしょうか。人生経験も、言葉の含蓄も、まとっている文化も、メンバーの方が一枚も二枚も上でした。未熟なわたしがときに偉そうなことを言っても、うんうんと聞いてくれた年上のメンバーたちの顔がたくさん思い浮かびます。「懐が深い」とわたしが感じた棕櫚亭の魅力は、まさに、歴代のメンバーたちが造ってきたものだったんだということが、今はわかります。

挿画 バベットしもじょう ある風景 ~共同作業所 棕櫚亭を、私たちが総括する。|社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会

共同作業所の風景 画-バベットしもじょう

それぞれの船出 ~変化の波にのって。

明るく元気に美しく。創設者たちが謳ったキーワードどおり、通所メンバーも増え、活発に活動していたⅡにも、変化の波がひたひたと迫ってきていました。懐深く、いろいろな人のいろいろな活動や在りようを受け入れてきたⅡが、法の枠組みの中で何を選択していくのか。悩みに悩んで出した結論は、事業の終了でした。これは、メンバー一人一人の進路について考え、当時の社会資源、法人全体の方針を考えた上で出した苦渋の決断でしたが、棕櫚亭が大切にしてきた「変化をおそれない」という文化にも当てはまることだったと思います。Ⅱらしく、それぞれの在りたいことやりたいことに向き合っていこうという方針が決まり、ちょうどこの頃、お腹に第一子を授かったわたしは、これから変化していくⅡと同じ状況であることに感慨を覚えながら、次の地点への着地まで見守っていく作業が始まりました。

それぞれの進路について考え、決断していく作業はたいへんなものでした。自分がこれから何をしたいか考えて結論を出し、新しい場でチャレンジするということには、いくつものハードルがありましたが、変化へのストレスと不安と闘いながら、それぞれのメンバーがぞれぞれのペースでそれを超えていきました。だんだん暑くなっていく季節でした。いろいろな社会資源を一緒に見学にまわりながら、ご本人にとって何回目かの人生の岐路に立ち会っているんだと、じりじりと照る陽射しを受けながらわたしは実感していました。汗をだらだら流しながら一緒に歩く妊婦の存在は、みんなにとってプレッシャーだったとは思いますが…。

結果的に、わたしが組ませてもらったメンバーはみんな、次のステップを決めて船出しました。それができたということは、やはり、その人自身に力があったんだと思います。そしてさらに言えば、このⅡですべてを分かち合い、ここで起こる物事を「自分のこと」として受け止め行動してきたことが、この決断につながった、ということもあるのかもしれません。悩んで揺れながら、次の一歩を自分の力で決めていく姿を、横でしっかり見させてもらったわたしは、最後まで本当にメンバーに育ててもらいました。
その後まもなくみんなに見送られて産休に入ったわたしは無事出産し、わたし自身の作業所歴はここで幕を閉じます。

育休後復帰したわたしは、今は「なびぃ」に勤務し、メンバーのみんなと向き合う日々は続いています。あのころⅡメンバーに教わったギターを、ときおり「なびぃ」メンバーとたどたどしくつま弾くとき、Ⅱの風景と手触りがわたしの中にふいに色濃く立ち上がります。その文化をきちんと次世代に伝えるという恩返しができたら…、その時こそ本当に「お互いさま」と言えるのかもしれません。車の運転の上達はもうあきらめたけど、あの頃を思い出しながら、もう少しギターの練習がんばってみようかな。

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

伊藤さんの「ある風景」を読みながら、一つのシーンが浮かびました。ゆったりとした時がながれるなかで、メンバーも職員も分け隔てなく笑いあって過ごしている風景です。
その風景が市民祭の場であったり、アパートの掃除であったりです。そこでかわされる言葉の優しさが、メンバーさんの懐の深さが、伊藤さんに大きく影響を与えたとの思いがあります。メンバーさん皆が作業所のどこになにがあるのかを知っている。皆が主役という考え方は大切にしたいと思います。皆それぞれの道に踏み出し船出していった。その後のメンバーさんに会ってみたくなりました。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会
挿画: バベットしもじょう

もくじ

 

防災訓練をしました&10/13(土)フリマ出店します

なびぃ 2018/09/25

今年は夏の異常な暑さに始まり地震、台風、水害等、日本全国で様々な気象災害が起きていて、ニュースでその様子を見るたびに被災された方や地域の大変さを思い胸が痛みます。そしてそれは決して他人事ではなく、いつ自分自身の身に降りかかって来るかもしれません。そう考えるとやはり「日頃からの備え」をしておくことがとても大切なのだと思います。

9月1日が防災の日であることにもちなんで、9/15(土)になびぃでもメンバー・職員合わせて15名が集まり、防災について考える会を開きました。

まずは3.11東日本大震災の時の地震発生時の様子を動画で見てみました。2011年に起きたこの地震の様子を7年経った今あらためて見てみると、あの当時あんなに頻繁に見ていた被災の様子や、東京でも感じたあの大きな揺れと恐怖感と混乱の記憶が、思っていた以上に自分の中で薄れていることに驚きました。

動画を見た後に、地震がおきた状況をイメージしながら自分の身をどう守るかを実際に行なってみました。東日本大震災の3分間の揺れよりは短く1分を想定して行なってみましたが、その間中揺れに耐えながら机の下などで身を守り続けることがそれだけで大変なのだと感じることができました。揺れがおさまった後には、火災が発生していないか、ケガ人はいないか、建物自体は大丈夫か、通信網は使えるのかなどを役割分担して確認しました。この役割分担も訓練では事前にどんな役割が必要かを確認していたのでスムーズに行なえましたが、実際には突然起こることですからもっと混乱してしまうのだろうと思います。さらにその後、なびぃにいる場合にはどこに避難するか、その際どんなことに気をつけるのかなどを確認しました。

後半は、実際に避難生活を送る時に食べることになるであろう缶入りの「カンパン」と、水を入れるだけで食べられる「白飯」に3年保存できる常備食用に作られた「レトルトカレー」かけて試食をしながらミーティングを行ないました。昔に比べると非常食の味も良くなっていて「思ってたよりおいしい」という感想が多く出ていましたが、それでも「これを避難中、何日も食べ続けてたら辛いだろうな・・・」という声もありました。食べ物や飲料水の備蓄を自宅にどのくらい用意すればいいのかや、「東日本のときはトイレの始末がとっても困ったらしいよ」、「今日は訓練だったけど本当に揺れたらこの辺の棚とかみんな倒れて来て危ないね。そういえば家では布団の横に大きい本棚がある、まずい!」などなど色々な話しが出ました。

またなびぃのメンバーさんはほとんどの方が服薬をされています。避難するときには必ず薬を持っていくことや、避難生活が長引いた場合を考えて「お薬手帳や処方箋などもすぐに持ち出せるようにしておかないといけないね」という話しもありました。住所氏名や家族の連絡先、通院先や普段関わっている支援者の連絡先、そして薬についてなどを記入したものを準備しておくとより安心かもしれません。

1時間半という短い時間では到底全てのことについて考えきることはできませんでしたが、それでもこうして普段からときどき意識して備えをしておくことで必要以上に恐れずに済むのではないかと思います。「いつ起きるかわからない」けれど「いつ起きてもこれをすれば良い」を分かっておくことが、安心そして安全につなげて行くために必要なんですね。これからも時々みなさんと一緒に、いざという時のための備えについて一緒に考え取り組んでいきたいと思います。

 

そして最後になりましたがおしらせです。むっさ21で行なわれるフリマで10/13(土)11:00~出店します。いつもと同じようにチャリティとして行ないますので、売上は全額被災地へ寄付します。お近くへお寄りの際はぜひお立ち寄りください。

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賛助会通信「はれのちくもり」発行しました(30年9月号)

法人本部 2018/09/13

多摩棕櫚亭協会 賛助会通信「はれのちくもり」第104号(平成30年9月号)を発行しました。

賛助会通信H30年9月号

主な内容は

  • H29年度事業報告・H30年度事業計画
  • H29年度会計報告
  • 6月23日 法人活動報告会&講演会のご報告
  • H30年度賛助会費 お振込みのお願い
  • 各施設の予定・お知らせ

です。是非ご覧ください。

また、賛助会へのご入会につきましては、こちらのページをご覧ください。

賛助会へのご入会

【連載】時事伴奏③~ニュースと共に考える

法人本部 2018/09/10

「障がい者雇用率」水増し報道を受けて

多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ 櫻井博

東京新聞8月29日朝刊で官公庁の障がい者就労水増し問題について、小林理事長のインタビュー記事が3面にて大きく取り上げられました。

      • 障がい当事者スタッフ(ピアスタッフ)である私の見解を少し書かせていただきたいと思います。

この記事について、誤解のないよう補足すると、精神障がい者はその特性で様々な症状があり一人一人症状も異なるし、仕事の特性でマッチングも大切だということです。つまり、紙面でいう精神の病を2つの特徴だとは簡単097d9e0c03342fb0ebf122b507073661_tに言い切れないと考えています。

そもそも一般紙を読む読者の方で、障がい者に関わったことのない人の中には「障がい者って働けるの?」という疑問を持つ方もいるかもしれません。

案外、障がい者に関する記事は、書き手の力量や読み手の力量などが問われる難しい問題のかもしれないと思いました。

後日談として、小林理事長から聞いた話なのですが、取材のときに説明した「チャレンジ雇用」の話が取り上げられなかったということです。行政が雇用を進める方法として、チャレンジ雇用というものを活用しているのですが、これについて私なりに少し解説したいと思います。

チャレンジ雇用※1)というのは、行政が1年間ぐらいの短い期間、障がい者を非常勤職員として雇う形態です。ハローワーク等にこの期間を就労した期間として報告し、その後民間企業へ就労する方もいます。すべてではないにしろ、このような雇用形態が、障がい者雇用としてカウントされていることは少し問題であると思うのです。

※1)チャレンジ雇用とは、障害者を、1年以内の期間を単位として、各府省・各自治体に おいて、非常勤職員として雇用し、1~3年の業務の経験を踏まえ、ハローワーク等を通じて 一般企業等への就職につなげる制度です    (厚生労働省HPより)

残念ながら、障がい者就労という枠組みで働くかたが、正社員になれる確率はとても低いです。したがって、中央官庁こそチャレンジ雇用ではなく正職員として雇い、障がい者と一緒に働くということはどういうことか、現場で知ってもらう努力をしてもらうことが大切だと思います。

民間の会社はその意味では相当努力していると思います。雇用率が達成されなければ、罰金が課されることもその一因かもしれません。

但し、私としては、特例子会社という制度については若干の疑問を感じています。障がい者だけを集めて、同じ0d8ee6c371902d77196ab3bc4c976bd8_tフロアーで雇用することをいうのですが、大手の会社はこの制度を活用しているところもあります。確かにこのほうが障がい者を管理しやすいし、特性もいかされるかもしれません。が、しかし健康な人も障害のある人も一緒に働く社会、つまり共生社会という考えかたがあります。この考え方によると、この特例子会社というやり方は、共生という意味で疑問が残ります。

最後に、新聞の見出しとして「職場環境の整備を!」とあったのですが、小林理事長は障がい者雇用の問題は、制度や職場環境の整備はもちろんですが、働きたい障がい当事者の準備の必要性も常日頃話されています。そういう意味で、障がい者を雇う、働けるようになるには時間がかかるということを小林理事長は訴えたかったのではないかと思います。

就労移行支援事業所ピアスでも障害がある人は最大で2年間という期間のなかで、「1.就労トレーニング」「2.就労プログラム」「3.個別相談」を受けながら、働く為に必要な力をつけるために日々努力しています。この春の法改正によって雇用率が上がったことは喜ばしいことですが、制度上、雇用率が上がることのみに、たいていの方は一喜一憂しているのではありません。

働きたいという希望をもちながら、日々の就職への取り組みのなかで、自分自身を見つめ、成功体験を積み重ね、自信につながり就職しているのだということについて、社会の人に知っていただき、そして雇用という形も含めて、社会がより私達を受け入れてほしいと考えているのです。

私自身、このような文章を書きながら、新聞ではありませんが、考えを伝えることの難しさを実感しています。そして、今回の新聞記事を読んで、当事者スタッフである私の思いを書いてみました。

皆さんに伝わりましたでしょうか?

    • 「本当の意味での共生社会の実現」こそが私の強い願いです。

(了)

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