特集/連載 Part ⑪『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “十年先に向かって ― 回想”

法人本部 2019/04/05

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

“十年先に向かって―回想”

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会
障害者就業・生活支援センター オープナー 施設長 山地圭子
(精神保健福祉士)

採用面接

棕櫚亭が二つ目の共同作業所を作った頃は、法外施設と呼ばれた無認可共同作業所がどんどん増えた時代です。作業所が持っている安心できる空間や様々な活動は精神障害者の社会復帰、再発・再入院の防止に力を発揮していることが認められて、毎年作業所の数と補助金が(ばんばん?)増えていきました。当然棕櫚亭も事業展開に忙しく、「運転できる男性」が求人条件でした。

ジャズが流れるマンションの一室で髭をたくわえた職員の天野寛(ユタカ)さんは、ウェルカムドリンクの薄味のコーヒーを入れてくれます。棕櫚亭Ⅱの朝はみんなでコーヒーを口にしながらミーティングで始まります。

採用実習でⅡのミーティングで紹介された私はまず、職員ではなく「監督」と呼ばれる男性に内職のペーパーバックづくりを教われることになりました。その人は、テーブルを囲み黙々と作業をする老若男女の後ろで時々指示し、でも何もしません。

休憩中は「どこから来たの?」「麻雀できる?」「棕櫚亭で働くの?」と皆声をかけてくれるので、緊張なんてほぐれませんでした。

「監督」は作業手順を確認し仕上がりを指摘したり、運転免許の有無を聞いてきたりと、「試し」をいろいろしてくるので気が抜けず、必死感が出まくりだったと思います。後日採用の知らせを受けたとき、決め手は「監督」の一押し「運転もできるし、女でもいいんじゃないの・・・」棕櫚亭の一員として迎えられる素晴らしい一言をもらったのでした。

精神保健福祉の分野に無知だった

知識も経験も知らなかった私は、メンバーとともに作業して、食事を作って食べて麻雀する日々の中で、少しずつ心の病や精神病院の現実を教えてもらいました。小説のような物語が一人ずつにあり、棕櫚亭と縁あって利用するまでの長い道筋には、医療・福祉・家族・法律などいろんな社会の問題が透けて見えました。ぽつりぽつり語る赤裸々な体験談に私は驚いたり腹立たしく思ったりし、世間知らずであることが申し訳なく思いました。私のような無知や無理解が精神保健福祉業界を遅れさせている原因だと強く感じ、一人でも多くの人に棕櫚亭を知ってほしいと私はバザーやコンサートに打ち込みました。

自分と向き合うことの大切さ

対人援助の上で利用者と自分は「合わせ鏡」です。若かりし私はメンバーを傷つけ、傷つき、調子に乗って失敗し悔やんで眠れない夜を何度も経験しました。感情を引き出し、引き出されてしまっていたのだと思います。こういう時は、思い込みや先入観で相手を決め付けていたはずです。価値観や常識に囚われていたかもしれません。自分と向き合うこと・自分を疑ってみること、自分の中に生まれる感情をコントロールしていかないと、この仕事は続けていけないと深く思いました。反省や後悔を通じて、対人援助の仕事への覚悟をしていきました。

「縦でなく横」の関係

作業所では支援者の前に、「生活者として居る」ことを求められました。一緒に悩むこと、横に並んで取り組むことが基本。目上のメンバーに甘えたり、対等にものを言うことが当たり前な空間です。自然に生まれる関係は横のつながりでした。こうして出来上がる関係はメンバーも職員にも成長を与えてくれました。

団塊の世代の創設者は議論好きで(時に迷惑だったが)、喧々諤々にものを言い会議は白熱するので私の眼には恐ろしく映りました。でも決めるときは話し合い、判断に悩むときほどメンバーに意見をもらって、隣の林さん・知り合い・有識者などから情報を引き出し論議することは重要なことだと言う事を知りました。私は言いたいことを言う仲に入れてもらえて「何かしゃべってやろう」と背伸びしながらワクワクしていたことを覚えています。仕事に生きる体験とはこういうものだと思います。

設立から30年の間には精神保健福祉の法律や行政の変革が絶えませんでした。時代の潮流に抗い、批判しながらも周りを味方につけながら棕櫚亭は一つ一つ丁寧に方針を作ってきました。難しい判断の時には「一旦3か月やってみて、うまくいかなければ軌道修正」で乗り越えてきたと思います。しっかり振り返りすることを課し、問題を明確にして前に進むことは棕櫚亭のスタイルです。

障害者自立支援法に対して

施行の前「グランドデザイン」という言葉を聞いたのは、元厚労省 村木厚子さんからです。彼女は淡々と優しい口調で、風通しの良い福祉になるイメージを説明しました。妙な説得力で反論することもできず、「就労支援」が制度設計に組み込まれたこともあり、神妙に聞き入ったことを覚えています。

ところが作業所は事業所、活動はサービス、運営は経営。メンバーはサービスの受け手、補助金で安泰は無い。違和感だらけの中、頭の中も切り替わらず渦の中に巻き込まれていきました。作業所時代を恨めしく思ったものです。

それからの棕櫚亭は、自立支援法の事業体にソフトランディングすること舵を切り、事業縮小の苦渋の決断を行い、働き方も変えながら時間をかけ切磋琢磨してきました。

この法律も今年で施行10年目だって・・・

「精神障害者の幸せ実現」に向かって

IMG00004_Burst04福祉のあり方が大きく変わり、制度への疑問や戸惑いが残る中ではありますが、こんな時だからこそ課題や目指すべき方向性をだして私は頑張っていきたいです。発想を変えることも迫られるかもしれませんが、一人一人が役割とミッションを自覚して「理念」を追い求めていこうと思います。職員同士とのコミュニケーションを活発にし、モチベーションを高くすれば超えていける、手に入るものも多くなるはずではないか思う。

作業所で得られた経験と実感を持って自分を鼓舞し、変革を恐れずみんなで挑戦したいと思っています。

理想は、「10年先も精神保健福祉業界のパイオニア!!」

End

~ 追記 ~

この原稿を書いた後しばらくして、声帯と飲みこみの神経が動かなくなるケッタイな病気に罹りました。医者はストレスフリーを心掛けるようにと仕事を休む指示と大量の薬を出してきました。丈夫がウリの私は結構へこんで、あれこれと考え弱気になる「どうした?自分」状態が続いたのです。8日間休んで無事に復帰していますが、体力勝負の働き方に反省しきりです。

2019年の4月から私の働き方改革を決意し、実施していきます。

目標は、「悔いのない10年に!!」

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

山地さんの原稿はある風景が浮かぶだけではなく、棕櫚亭が大事にしてきた、振り返りの大切さ、横の関係の大事さがうかがえます。自立支援法でおおきく舵とりの変更を迫られましたが、10年先も精神保健福祉業界のパイオニアたる矜持をもちつづける心意気は一緒に働かせていただいている身に取って心強く思います。とりあえずやってみて振り返り少しづつ修正していく理念は作業所時代にできていたのかもしれません。職員同士のコミュニケーションを活発にし、モチベーションを高く持つ心意気で皆が同じ方向を見た時、精神障害者の幸せ実現を多くの疾患にある人々との船出を共に歩んでいくのではないかと希望の光をともに照らしすすむ。そんなことを考えました。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

もくじ

 

なびぃ通信4-5月号をお届けします

なびぃ 2019/04/13

今年の桜は花冷えのおかげかいつもよりちょっと長く楽しめた印象でしたが、

天気が悪くてお花見のタイミングが難しかったですね・・・。

さて、今回のなびぃ通信には人事異動が発表されましたので、新年度の職員体制を掲載しています。

詳しくは↓紙面をご覧下さい。

2019年4月5月なびぃ通信

いつもの予定表のほかには、防災訓練の報告なども掲載しています。

 

新年度、そして新元号令和でも、なびぃをよろしくおねがいいたします。

 

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新年度にあたり ~お祝いムードの後ろに透けて見えるもの~

法人本部 2019/04/10

平成30年度が終わり、31年度が始まりました。そしてこの平成も後一ヶ月で幕を閉じ、令和と名付けられた新しい時代がやって来ます。これで棕櫚亭の活動も昭和、平成、令和と三時代を跨ぐことになります。 今、世の中は新年号決定でお祝いムード一色です。しかし、福祉の現場から社会を見る限り、おおよそそこからはかけ離れた現実が見えてきます。

平成30年度は障害者総合支援法や障害者雇用促進法の改正、さらには報酬単価の見直し等様々な外部状況に揺るがされた年でした。 棕櫚亭でも、ピアスで就労定着支援事業を、なびぃでは自立生活援助事業を新たに展開し、オープナーでも精神障害者の職場定着のための新規二事業(「医療機関・就労支援機関連携モデル事」「精神障害者就労定着支援連絡会事業」)を受託しました。これらの事業を通し昨年度は今まで以上にたくさんの当事者の方や、関係機関の方に出会う事が出来ました。現場もいろいろ苦労はありますが、非常に盛況で多忙を極めつつも職員全員で頑張り切った1年でもありました。そこは確かにそうなのです。でもどうしても拭えない思い…

「本当に困っている人に私達は出会えているのか?」

それはどんな時代でも、自分達の支援が全ての人に届く訳ではありません。しかし、それを承知の上でも、その届かない感覚は年々広がる様に感じています。 今、福祉現場は報酬単価のという見えない鎖でがんじがらめにされ、そことの格闘でエネルギーを使い果たしているのが現状です。一方、経済の停滞や少子高齢化を背景に、社会問題はますます複雑化、深刻化しています。タイトになる福祉現場と、一見の豊かさで覆い隠されていく社会問題、出会わなければならない二者の溝はさらに深くなっていく様に感じてなりません。どんどん掻き消されて行く声に、私たちはどうコミットメントしていくのか?お祝いムードに浮かれる世の中を見ながら、その後ろに透けて見える本当の社会の姿を見続けて行かなければと思いを新たにしたところです。取材・メディア掲載/講演

今年は、棕櫚亭の30年をまとめた天野聖子著「精神障害のある人の就労定着支援~当事者の希望からうまれた技法~」が5月28日に発売されます。ここには正に、社会にコミットメントし続けて来た棕櫚亭の足跡が記されています。ぜひ皆さんご一読下さい。 そして今年度も棕櫚亭をどうぞよろしくお願いいたします。

理事長 小林 由美子

当法人ホームページ www.shuro.jp で近日中に

新刊予約ページをOPEN予定です!

ホームページのチェックをお忘れなく!

 

 

福島ツアー (元理事長天野編)

そのほか 2019/04/06

やっとやっとの連休なのに、出勤扱いでもないのに、しかも4万円の自己負担-それでも本部主催の「福島大熊町避難困難地域見学ツアー第2弾」には十六人もの職員が手をあげた。昨年の経営陣の見学後、案内してくれたソーシャルワーカーを招いての講演会、そしてその後の交流会で、知りたいこと、聞きたいことが体の奥から湧いてきた若手の職員達だ。3.11、あれはなんだったんだろう?電気を煌々とつけスマも家電も使い放題のいまの暮らしでいいんだろうか?この先の便利さだけを享受して、脅威的に進化する社会をこのまま続けていくんだろうか。たくさんの疑問符のさきにある福島。それは知りたい、見たい。とにかく行きたい、こんなチャンスはないだろう、そんな思いが結集した見学ツアーだ。
やっぱり-と誰もが思った。日頃の現場の喜びや悲しみとはまた次元の違うような光景に圧倒された。これはなんだ、どう考えるんだ、これは何と繋がっているんだろう。それぞれの心の中に入り込んだものを必死に組み立てその正体を探す、こんなに言葉を探したことがあっただろうか。一言一言にためらい、戸惑う事があっただろうか。地震、津波、放射能、そして避難の後の帰還不能のままの四万人を越える人たち、ディアスポラも難民もどこか遠い外国のことと思っていたら、東京から電車で3時間のところにこんな地域が広がっていたことも驚きだ。

考えることはいくらでもある、除染中間処理から始まる最終処分場の問題。5回も6回もの転居と適応や不適応、家族の解体、子供の学校やひろ月差別、作業員の健康被害や生活保護からホームレス。終わらない恐怖の放射能に再稼働の動きも出てきて、電力問題やら再生エネルギー、加速する二酸化炭素と地球温暖化、どこでどう折り合いをつけるのか頭の中は混乱するばかりだ。東京に電気を送る太い送電線の下にソーラーパネルが広がり、そこをすぎると除染の山がデイズニーシーとディズニーランドを合わせた面積の16倍の広さで広がっている。複雑系をなん乗にもかけたこのどうしようもなさに身震いがする。そんな職員の声にならない様子を伺いながら、きっかけ作りをした私も、一緒にきてよかったとつくづく思った。少なくとも次に繋がった。かれらにはまだ時間がある。

思えば社会人になって働くとその世界、業界で何十年も生きるから、社会で起きている根元的なことと無関係になりがちだ。これだけ人が孤立してゆく社会なのに専門とかプロいう言葉を隠れ蓑に大事なことを知らないまま歳を重ねてしまう。100年生きることが当たり前の時代と言われているのだし、精神障害の問題はいつの世も社会の矛盾と深く関わっているのだから。多くを知ってまた現場に戻るという学習の仕方を提供したかった。この見てしまったことの足場から考えを、言葉を、行動を広げていって欲しい。

3.11から8年目を迎えた今年。テレビでも毎日のように様々な報道が流れた。何時間何日費やしても語りきれないほどに課題は、毎年膨らんでいくばかりだけど、日本中のみんなが共有しているという気持ちも合わせて持てるようになった。

昨年出逢った浪江町の自治会長さんが言っていた。見て欲しい、語って欲しい、これは一つの世代で終わる事ではないのだからと。
だから贅沢すぎる見学ツアーだった。受け入れてくれた大熊町の高瀬さん、コーディネーターの松本さんの度量の深さには感服するばかりだ。

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SSKPはれのちくもり 別冊ピアス通信34号を発行しました

ピアス 2019/04/02

いよいよ新年度が始まりました。ピアスも新しい職員を迎えてのスタートです。

それに伴いピアス通信34号を発行いたしましたので、ご紹介します。今回は2月に職員有志で行った福島被災地研修を主に特集しました。

「福祉の施設なのになぜ被災地に?」

「自分たちの支援にどう活かしていくのだろう?」

「またとない機会だと思うので、ぜひ特集してみたい。」

メンバーから上のような声が集まり、満場一致で特集することになりました。早速研修に行った職員向けにアンケートを作成し、しっかりと書いてもらいます。熱い思いのこもった意見が多く(中には枠をはみ出して書かれている方も!)集計がたいへんでしたが、なんとか形になりました。

その一方で、季節はすっかり春。お花見のシーズンということで、春にぴったりなスイーツ特集を組んでみました。ピアスメンバー・スタッフおすすめのお店やスイーツについてアンケートを行い、まとめてみました。

さらに毎回恒例となっているOB会報告や退職された職員のあいさつ等々、今回も盛りだくさんです。ぜひ、ご覧ください!

ピアス通信34号

今年度もどうぞ、よろしくお願いいたします。

(ピアス 大貫)

4月の予定をお知らせします

棕櫚亭Ⅰ 2019/03/29

HP用

 

 

棕櫚亭Ⅰの玄関も春めいてきました。

 

手前の桜の枝は、国立市から委託されている公園清掃で行っている第四公園に落ちていた桜の枝です(^O^)

綺麗に咲いてくれています!

さて、4月は1日レクを行います。
今年は立川にある、焼肉やお野菜、お寿司、ケーキなどが食べ放題のスタミナ太郎へ行く予定です!

また、10連休とも騒がれているゴールデンウィークですが、4/30(火)、5/1(水)、5/2(木)は開所します。
絵画展のポスター貼りや大掃除を行う予定ですので、お時間のある方お待ちしています(*^_^*)

詳しい予定は下記をご覧ください。

4月の予定表はこちら→4月月間予定表

来年度もよろしくお願い致します(^^)/

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福島・被災地への旅に思う(熊谷編)

研修会 2019/03/19

福島の被災地のことはずっと気になっていた。実は、東日本大震災当日、ぼくは福島を旅行中であった。被災したのは福島市内だったが、移動した郡山の公民館で2泊お世話になり、原発事故から逃げるようにして東京に戻ってきた。

その年(2011年)の7月、友人の誘いを受けていわき市の久之浜付近でガレキの処理のボランティアをしに行ってきた。その当時、被災地のあちこちにガレキの山があり、被災した家の中はメチャクチャで浜には船やクルマが引っくり返ったまま放置されていたりした。ぼく自身が福島で被災したこともあり、公民館へのお礼も兼ね、まず現地がどうなっているのかこの目で見たいというのが動機であった。以来、被災地とりわけ福島にはとくべつな想いがあり、東北への旅の途上、福島には何度か立ち寄ったり、すっと気にかけていた。震災後の8年でどう変わったか見てみたいということもあり、今回参加したわけである。

1-a2 (2)ガレキに代わって除染で出た汚染土が大地をおおっていた。被災した建物が広大な荒地にポツンポツンと残されている。人がこなくなり土地が自然にかえっていく。だが、これは津波や地震という天災だけがつくりだしたものではない。原発事故という人災が重なることによって、荒涼とした風景がつくりだされたのだ。この地に立つと、オリンピックだ万博だと浮かれている場合ではないとつくづく思う。汚染土の中間貯蔵施設が30年たってもそのあとはどうなるのかと思うとやりきれない。国は放射線濃度が基準値以下の汚染土を県内の公共事業で再利用する計画をすすめている。二日目に通った常磐自動車道は片道二車線にする工事中だったが、そこにも使われるのだろうか。するとこれこそまさに最終処分そのものではないか。そんなに安全というなら東電や政府のおえら方の広い庭に埋めてくれといいたくなる。高瀬さんから現地の住民の帰りたいけど帰れないという葛藤や孤立感をうかがって、ぼくは言葉を失った。家や土地を失うだけではない。そこで暮らした日日の生活、代々の歴史や文化や自然、人と人とのつながりが断たれてしまった。

他人事ではないと思う。原発を受け入れた生活を選んできた都市の我々にも責任がある。1986年のチェルノブイリ原発事故のあと、日本でも脱原発の動きがあった。1988年には、四国の伊方原発で危険な出力調整実験が予定され、ぼくが当時住んでいた杉並・西荻でも脱原発の声が高まり、有志が四国の高松(四国電力本社)まで抗議に行った。その後も西荻ではデモの呼びかけに700人もが集まったこともあった。そんな反対の声も届かず、脱原発の動きはいつの間にか下火になり、変わらずの日常が戻ってきた。なぜつづけられなかった、という反省を大震災での福島第一原発の事故はぼくにつきつけた。悶々とした日日がつづいたが、それもいつしか日常にのみこまれた。そして今、福島の現実の一端を目のあたりにして僕は考え込んでしまう。

こんかいの旅では福島出身の山地さんが、おみやげを買ってください、と何度も呼びかけていた。ぼくには田舎らしい田舎がないので、自慢できる田舎のある彼女がうらやましかった。その山地さんでも福島を去って東京にでてきた人である。東京とはなんだろうとも思う。それはともかく、何でもいい、福島を応援する手立てはいろいろあって、こうでなければということはないと思う。旅行する、宿泊する、おみやげを買う、歴史や文化を知る、自然の中を歩く…自分で出来ることから始めてみてはどうだろう。

高瀬さんの実家のある大熊町ではイノシシに遭遇した。キツネもいた。彼らは放射性物質を浴び、汚染された食べもので相当内部被爆しているはずだ。動物どころではない、というなかれ。除染がされているのは家とその周辺だけである。里山や森林など手つかずのままだ。そこを動物たちは自由に動きまわっている。被爆は子孫に影響する。人間も動物の仲間であり自然の一部である。人間は社会的存在だが、それをとりまく自然生態系なしには生きられない。そこにももっと目を向けてほしい。

 

家族講座を開きました

なびぃ 2019/03/15

3/9(土)に家族講座を開催しました。今回は「アサーティブネスへようこそ」というテーマで、講師としてBe-Happy!アサーティブネスの会を主宰し、エンパワーYOUネットワーク認定ファシリテーターでもある堤 暢子(つつみのぶこ)さんと、その仲間の山口 かほり(やまぐちかほり)さんのお二人が来てくださいました。おふたりともやさしくやわらかい空気を持ちながらも、それぞれの持ち味が違っていてまたそれがとてもステキ・・・そんなお二人でした。(『アサーティブネス』についてはエンパワーYOUネットワークホームページで紹介されています)

例年、なびぃの家族講座は精神障害がある当事者の『ご家族』向けの企画内容で行なっています。今回はともに地域福祉に取り組んでいる児童養護施設神の国寮さんと連携し、子育て中のご家族にも参加してもらえるような会にしたいという思いで企画しました。当日は21名の方が参加してくださり、障害当事者のご家族、子育て中のお母さん、遠方からわざわざ来てくださった方など、様々な立場から色々な方がご参加くださいました。

地域の会場をお借りしたのですが、ここがまたとても良い雰囲気で・・・大通りからは少し離れたところで周囲の雑音もなく、お部屋は広々とした明るい空間、畳と絨毯敷きで車座に座りリラックスした体勢、そんな中で会は始まりました。参加した方のほとんどがアサーティブに今日初めて出会ったということで、まず『アサーティブネスとは』何なのかをお話ししてくださいました。『アサーティブネス』の語訳は『自己主張すること』だけど一方的に自分の意見を押し通すことではない、自己尊重すること、自分を大切にする気持ちを高く持つことだということでした。『自分を大切にする』なんて当たり前のことのようだけど、自分の日常の中の気持ちや感情を思い出してみるとたしかにあまりそれを意識していなかったし、改めて考えたりすることもなかったな、と思いました。H310309家族講座

そして『アサーティブネスの権利』という「私」を主語にした12の権利を読み合わせました。その「私」を自分の名前に置き換えて相手に声に出して読み上げてもらう、自分も相手の名前で読み上げるというワークをしました。『権利』というかたい言葉のためかちょっと遠くに感じていた内容が、名前が入ったことで一気に自分自身のこととして感じられたのが印象的でした。またひとに言ってもらうというのも、自分の存在自体を認めてもらえているような嬉しいような恥ずかしいようなでも安心なような不思議なかんじでした。参加者の中には「難しい内容と思っていたことも、自分の名前を言って読んでもらうことで、素直に入ってくる感じがした」とアンケートに書いてくださった方もいました。

講師おふたりのあたたかい雰囲気が全体に行き渡り、最初は緊張していた空気がいつのまにかやわらかいものに変わり、私自身も他人にどう思われるかや評価を気にせず・・・いや気にする自分を認めることもまた『自分の気持ちに正直』なことなんだと思いながら、いろいろと話すことができていました。とてもすてきな時間を提供してくださった講師のおふたりには、本当に感謝感謝!です。

エンパワーYOUネットワークを立ち上げ、堤さん・山口さんを紹介して下さった岩井 美代子さんにも大変お世話になりました。ご自身の著書『こころのちから』(ワニブックス発行)を「アサーティブに興味を持った方にぜひ差し上げて!」と寄贈してくださいました。帰り際には多くの方が本を手にとってくださり、中には2冊(!)持ち帰った方もいらっしゃいました。また本代という訳ではないのですが、被災地への寄付金も募らせて頂き7,450円も集めることができました。ご協力頂いた方、本当にありがとうございました。責任を持って被災地への寄付金として送らせていただきます。(ご報告はまた後日HPに掲載いたします)。

最後になりましたが、開催にあたりいろいろな形でご協力頂いた児童擁護施設神の国寮さんにこの場を借りて改めて御礼申し上げます。一緒に企画案を考えてくださったり、広報にもご協力いただいたりとこの会のためにご尽力いただきました。本当にありがとうございました。

なんだか御礼ばかりになってしまいましたが、本当にみなさまの支えがあってこそのなびぃなのだと改めて感じました。この家族講座も地域貢献の意味もあって開催しているのですが、結局助けて頂くことのほうが多くてなかなかお返しが追いつかず恐縮ですが、今後とも地域のみなさんと一緒におもしろい・楽しい・ちょっとためになる・ちょっと助かる・ちょっと助ける、そんなことをやっていけたらと思います。              (なびぃ奥迫)

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特集/連載 Part ❿『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “贅沢な時間をすごせた時代 切り取ることができない大切な時間”

法人本部 2019/03/08

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

贅沢な時間をすごせた時代 切り取ることができない大切な時間

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会
障害者就業・生活支援センター オープナー 主任 川田 俊也
(精神保健福祉士)

 「どうして精神分野で働くことになったのか」今振り返る

思えば、物心ついた頃から僕の周りには障がいのある方がいて、彼らが地域で暮らしていることが当たり前の生活で育ってきたように思います。聴覚障害者の親戚、脳性まひがある幼馴染、そして同じマンションには気分障害の方がいて、彼らとの関わりの中で、戸惑い、何か自分にできる事はないか? どうしたら彼らの手助けができるのだろうか? などと子供時代を過ごしているうちに、気がつけば大学では心理学を専攻していました。
授業を受け、やがて教授の助手としてカウンセリングに同席し始めると、訪れる人達をみて更にいろんな思いに駆られるようになりました。
例えば、カウンセリングの間、顔色を変えず全く笑顔を見せないAさんは、どのような気持ちで座っているのか考え、気がつくとAさんをじっと見つめている自分に、はっと気がつくのでした。このようなことを繰り返すうちに、まぁ何はともあれ「Aさんの笑ったところをみてみたい! 笑わせたい! なんとかしたい!」と感情がわいてきたのを今でも思い出します。
「もう少し踏み込んで彼らに関わっていきたい」 そんな自分の心境の変化が芽生えるのも時間の問題で「もっと精神障がいのある方とかかわりあえる仕事につきたい」と考えて精神保健福祉士の門を叩きました。今ここにいるのは、このような経緯なのです。

私自身何でも全力投球して目の前のことに没頭してしまう性格でした。いまでこそ主任という立場になり、何か起こってもそれなりに落ち着いて対処することが普通になってきましたが、昔は体育会系ののりでとにかく動いてしまうことが多かったように思います。そんな私がどちらかというと文化系の臭いを纏う(まとう)棕櫚亭と出会ったのは、学生時代に実習したことに始まります。ともかく一生懸命やっている姿が評価されたのか(笑)縁あってその後棕櫚亭で働くことになりました。最初は週一回のスポーツプログラムを担当する非常勤職員として勤務がはじまりました。アルバイトでスポーツインストラクターをしていたのもよかったのかもれません。

メンバーさん達からしてみれば、「こういう職員って嫌だよなぁ」と今なら思っただろうし、「よく棕櫚亭は採用してくれたよなぁ」 と思うときがあります。
そのころ思っていたことは「精神障害者をなんとか普通の生活ができるようにしたい」、「健康にさせたい」という気持ちが強く、思いだすと「思いあがった新人」という感じがして今顔が赤らむ思いがします。もし、自分と同じような新人がきたら「頭でっかちになるな!」と言うと思います、間違いなく(笑)。

自分は精神疾患に対して偏見みたいなものはないと考えていました。しかし、地域で生活している人というよりも、「病者」と感じ接していることがあったことを考えると「偏見がなかった」といえるかは、今となってははなはだ疑問に思うところです。勿論、今はそんな考えが間違っていることは重々わかっています。

この仕事を続ける上で、切り取ることができない大切な時間

連載されている「ある風景」の執筆依頼があって、構想を練っている時に自分には「ある風景」をひとつには絞れないと思いました。考えれば考えるほど、「この日、この場所、この場面」ひとつひとつをとってみても、真剣勝負で濃密な時間を過ごしていました。

ベランダの喫煙所で「おい! 川田! お前は間違ってる」とタバコを吸いながら本気で叱ってくれたUさん、夕方、お茶をしながら「息子のように育てたいのよ」と話してくれたKさん、ソファで相談にのってもらいながら「大丈夫!なんとかなる」と励ましてくれたKさん、市民祭や一泊旅行の実行委員を担当したとき、「一緒にやれてよかった!」と話してくれたYちゃん、送別会を開いてくれたとき、ハグをしてくれたSさん…… 数え上げれば切がないほどのメンバーさん達の顔が浮かびます。

言えることは、僕を育ててくれたのはメンバーさん達の率直な話だということです。もちろん先輩同僚職員のアドバイス等もたくさん受け、感じるところや考えさせられることもたくさんありました。それでもやはり大きいのは、メンバーさんの日々のかかわりでの率直な意見や表情、空気感など関わりの中から得たものです。ちょっと今では考えられないかもしれませんが、毎月あるグループミーティングで、私自身の1ヶ月間の振り返りを「じっくり、たっぷり」してもらっていたことを思い出します(これってものすごい贅沢な時間(笑))。

当時の僕もなかなか頑固で、言われることも多かったのですが、メンバーさん達に対しての感情やああしたい、こうしたい20190308121114ということを率直にぶつけていました。「そこまで言うのか?」というのもあったかもしれません。メンバーさん達からは「いやいや違うだろう!」という押しかえしもたくさんありました。結果的に僕が間違った態度も多く、素直に「ごめんなさい」と謝ることもたくさんありました。この年になっても人に謝るということができることは大切な財産だと思います。

とことん悩む時間をもらい…なんていうと少し格好をつけていて、実際は、そのままこの分野で働くことに自信を失うこともしばしばありました。少し前言を撤回するようですが、「口で言うほど素直なやりとりというのは簡単じゃない」という気持ちも半分はあります。

それでも、社会人ほやほやの僕に対して、社会経験豊富で自分自身と向き合ってきたメンバーさん達だったから、受けて止めてくれていたのかと改めて思えます。

本当に自由に過ごさせてもらっていましたし、この貴重な時間は私のキャリアにとって切り取ることができない貴重な時間だったと思います。

メンバーさんから育てられ、自分の気持ちが変化する

私もなんだかんだで中堅職員として、職員にいろんなことを伝えなければいけない立場になってきました。そんな私が苦手なことの一つは職員を育てることだという自覚があります。だから、すこしこの場で語りたいと思います。私の場合、一つのエピソードが自分を変えたというものはありません。メンバーさんとの日常的な関わりであるユニット活動やお茶を一緒に飲むこと、一泊旅行、スポーツプログラムなどの活動を通して、本当に徐々に考えや気持ちや姿勢が変わったという感じがします。「心境の変化」とは私の場合そのようなものです。
繰り返しになりますが、入職した頃、メンバーさんの「できないところをどうしようか」と思っていました。そしてそれが、自分の仕事だと思っていました。

しかし、メンバーさんと同じ時間を過ごし、共に笑い、メンバーさん同士が助け合っていたり、褒め合い、一生に悩んで

「最近夜、眠りにくいんだよ」と話し始めた時、他のメンバーさんが相槌を打ちながら「先生に相談してみたら」と、アドバイスする

20190308121025時には泣いて。そんな日常風景が流れていき、この作業所一部に溶け込んだ時に、メンバーさんの「いいとこ探し」をしている自分がいることに気がついていました。棕櫚亭Ⅰ(だいいち)の「ワンピース」になったみたいな感じです。

ようやくその頃の自分が「朝からちゃんと起きないからだよ」と笑いながら自然に応じている姿は、他の人からも違うように見えていたのではないかと思います。

「自分のアイデンティティが崩れ」なんて言うとかっこいいのですが、逃げ出したくなるようなしんどい気持ちと向き合い、理由を自問する。これを繰り返すことで自分自身を見つめなおす…そんなことがあったことをこの文章を書きながら、昨日のように思い出してきました。
私が私の専門家であるように、精神疾患の専門家というのは実はメンバーさん本人自身であり、教科書の知識は所詮、机上の知識であり、現実はメンバーさんから学ぶことが大切なことだと思いました。こんなことを後輩には伝えたいと思っています。

当時の棕櫚亭Ⅰに勤務できたことは私の財産であり、そのことには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

終わりに

仕事を始めて時間がすこしたち、自分がメンバーさんと共に生活をしていくにつれ、仕事をしているというか、自分も成長させてもらっているので、これでお給料を頂いていいのかなぁと思うことがありました(笑)
当時、作業所でメンバーさんにこんな質問をしました。「職員の役割ってなんでしょうか?」と。

メンバーさんは「一緒に悩んでくれて、側にいてくれて、何かあったら話せる相手」と答えてくれました。この言葉は今でも心に刻んでいます。
私の仕事のスタンスは「まず本人に教えてもらう」そして「黒子になろう」ということです。
これからも学ぶ・教わる姿勢は忘れないような関わり方を大切にしていきたいと思います。
たまに、先回りしてしまうことは自分の個性として受け入れてもらう他ないですが(苦笑)

この仕事に対する姿勢というものは就労系のオープナー勤務になった今も胸に刻みながら、職場と職場、そしてオープナーを汗をかきかき駆け回っています。

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

川田さんが実習生で来て、非常勤として働き始めた頃からを知っているので、成長したなあ、Kさんが言うように育ったなあという感じをもちました。
川田さんが入職した頃とてもハンサムで(今もか(笑)) スマートで都会的センスにあふれ、かっこいいなとメンバー皆で話していたのが昨日のように思い出されます。
障害者自立支援法ができ、いろいろメンバーの活動が制限されていった頃、当時あった車の棕櫚亭号を運転し、いろいろな所にメンバーを連れて行ってくれました。
今で言う地活のⅡ型で(その当時は作業所)生活全般にわたって川田さんには相談を引き受けていただきました。その頃のメンバーは40代、50代の重鎮もいて正直仕事しづらかったかとも思います。もともと誠実で素直な性格だったので、この並み居る重鎮に言われたことを自分で消化し自分の仕事に生かしていったことかと思います。
今や棕櫚亭になくてはならない人になった川田さんの考えが後の方に継承されればと思います。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

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[受付状況更新済]精神障害者就労定着支援連絡会 第4回セミナーのお知らせ

オープナー 2019/03/07

【3/7(木)18:00現在 申込状況 : 残り若干名の受付となっております。3/7までにお申込み頂いた皆様はお席を確保しております】

今年度、オープナーでは東京都福祉保健局による「精神障害者就労定着支援連絡会」を事業受託しています。

8月30日、10月31日の2回は統合失調症をはじめとした精神障害、発達障害を知るセミナーを開催してきました。また、1月18日には例年オープナーが行っております「当事者セミナー」との共催として「働く当事者に聞く! 働く準備と職場定着」と題しセミナーを行いました。お陰様で毎回満席を頂き、キャンセル待ちが出ている状況となっております。

つづくシリーズ第4回では、「平成30年度精神障害者就労定着支援連絡会 事業報告」および「精神障害者の採用面接ポイント~面接は雰囲気作りから始まる~」と題し、精神障害の方を雇用するための採用面接についてデモンストレーションを交えながらポイントを学ぶセミナーを開催致します。

基調講演

講 演 : 大森 理智 氏 (みずほビジネス・チャレンジド株式会社 企画部 職場定着支援チーム)

・日時  2019年3月13日(水) 13:30受付 14:00~16:00
・場所  立川グランドホテル
・対象者 精神障害者の方をすでに雇用している企業担当者、これから雇用しようとしている企業担当者、就労支援機関(就労移行支援事業所)
・定員  150名
・申込〆切 定員になり次第締め切りとなります

詳しくは以下をご覧ください。

精神障害者就労定着支援連絡会 第4回講演チラシ

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