『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❸ “病気の原因に対するささやかな反論 – 荒木 浩からの手紙”

法人本部 2017/11/15

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part3 精神病の原因に対するささやかな反論

櫻井さんの主張に対するささやかな反論

櫻井さんへの深い感謝と彼との対峙

前略
櫻井 博 さま

櫻井さんの気持ちを振り絞るように書いてくれた手紙には、心揺り動かされるものがありました。情景や心情が目の前に浮かびます。これほどリアルに、そして誠実に答えてくれたことに感謝します。私自身、支援者としての医療保護入院などに何度も立ち会った経験がありますが、本人はもちろん、取り巻く家族などの複雑に交錯した思いにいつも困惑し、何が正解なのかと悩んでしまいます。

ところで、櫻井さんは今も「人生は終わった」と思っていますか。確かに当時の櫻井さんの入院の辛さはわかりましたが、正直言うと「その程度」に対して忠実に思いを馳せることは、経験を積んだ今をもってしてもかなり厳しいです。しかしこの書簡を通じてそのあたりの繊細な部分に触れさせていただければありがたいと思います。そしてここで筆を終えてしまうことは「健常者職員」のありようを探る始点につながっていかないので、あえてすすめさせて頂きます。
そして、これから櫻井さんが書かれた発症の原因について、少し私見を書きたいと思います。
私はいわゆる団塊ジュニアと呼ばれた世代で、櫻井さんとは10歳ほどの年齢差があります。
従って、これから書くことは時代を考慮しないという前提で櫻井さんにお読みいただければと思います。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part3 精神病の原因に対するささやかな反論

荒木 浩

猛烈な勉強からは、精神病の入り口には立たなかった私

当事者である櫻井さんは「病気の原因」について、頭を酷使した結果であると書かれていますが、私は精神科医ではないのでそこに関しては答えることはできません。
ただ「頭を酷使した⇒(結果)病気になった」という構図には賛成しかねるという意見を持っています。「頭を酷使して」の解釈がもしかしたら違うのかもしれませんが、手紙を読む限りは「勉強して」と同義のような気がしましたのでそこをスタートとしました。勿論、誘因にならないと思っているのではなく、主因にはならないのではないかということです。
まぁ、そう思うのには私事を少し綴らなければいけないのですが、私自身が世代的にもいわゆる偏差値戦争に巻き込まれてきた苦い経験があります。「推薦入学」などもわずかにありましたが、学力一発!が幅をきかせていた時代だと思います。AO入試なんて、子供を持った今でも実はよく理解できていません。
「偏差値」これが私にとっては大きな意味を持つ数字でした。
特に父親の学歴コンプレックスはひどく、週に1時間しかテレビを見せてもらえない。結果、朝教室で友達が無邪気に「昨日のテレビ面白かったよね」などと話す会話に入っていくのが辛かった日々の思い出は、今も強烈にあります。案外とこういう思いは強くながく心に残るものなのです。ただ、立ち振る舞いが上手かったのかちょっと癖のあるこんな私がいじめ等にあわなかったのが、今思えば不思議なことです。特に中学生時代の学習は濃密でした。体育会系の部活動もしていたので、帰って1時間ほど寝て、朝の3時ぐらいまで机に向かう生活をしていました。そうして県内でも有数の進学校に入学しましたが、所詮はお山の大将で、偏差値お化けが沢山いることも思いしらされ、ショックを受けました。努力だけじゃ越えられない何かがあるのだと、子どもながらに思ったものです。
いえ別にここで自慢話をしたいわけではなく、櫻井さんに言いたいのは、単純に「私は精神病院にいかなかった」ということです。

精神病の入り口に立った者、すり抜けた者

それでは、自分が健全な子どもだったかというと、振り返ると後悔で過去を消してしまいたい思いに駆られることも数え切れないほどあります。今考えると「すさんでいたなぁ」と思うことも多々あります。このあたりのことは追々書いていくことになるかもしれません。勿論、個人の精神的負荷というものは主観的なものですから、櫻井さんと私のどちらが、大変な思いを重ねたかは比べることはできません。まぁ客観的には櫻井さんの方が大変な思いをしたのだと思いますが。

「ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない」と劇作家の寺山修司はある詩の中でこのように書いています。私はこのフレーズが大好きです。特に若いときには何度もこの言葉に助けられました。確かにそうかもしれませんが、しかしこの年になると「ふりむいて ふりむいて 前に夢をもつ」ことはできないかとも思うのです。ですから何らかの夢をもちながらも、壁一枚のところで違う青春時代を過ごした二人の青年期のことをもうすこし話してみませんか。もちろん私は、一介のしかも優秀とは言い難い精神保健福祉士でしかありません。ですから生物学上のとか、医学上のとか、アカデミックな話をすることはできませんので、櫻井さん個人の視点に立った精神病の実態を軸に「健常」とは何かということについて考えさせていただきたいと言うお願いです。
そこでまず「主治医」や「薬」といった病気や障がいと切り離せない事柄のお話を聞いてみたいと思いました。
いかがでしょうか?

草々

荒木  浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

  • 『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』
    Part ❹ “くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの – 櫻井 博からの手紙”
    につづく 👉
    2017年11月29日(水)公開予定

 

Photography: ©Masaaki Miyara / Argyle Design Limited

『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❷ “発症時の記憶と病気の原因 – 櫻井 博からの手紙”

法人本部 2017/11/01

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part1 発症時の記憶と病気の原因

発症時の記憶と病気の原因

発症~ 猛烈に打ち込んだ受験勉強から統合失調症の入り口へ

前略
荒木 浩 さま

「ある日目覚めてみると虫になっていた。」カフカ作の『変身』を思い起こした。
その当時を思い起こすとその小説と同じ感覚にとらわれる。結果的には猛烈に受験勉強したあげく試験当日に襲われた病である。一年間生活全体をひたすら勉強に費やし多くの受験に必要な知識を記憶した結果なったのではないか、と今は想像することができるが、当日の朝は不思議な感覚であった。朝5時ぐらいに目覚め、鳥が〈ピーチク〉鳴いていることが、自分になにか語りかけているような気がした。自分を取り巻く世界が変わった、不思議な感覚であった。
今なら清々しい朝といえるが、その朝は全世界が自分に注目している錯覚が起きた。その感覚(妄想)にとらわれ、受験の朝にもかかわらず、起きあがることができなかった。まさに虫になっていた。

たまたまスイッチをいれたラジオ放送で毒蝮三太夫が話す内容が自分の母の事を言われている感じがした。結局その年は願書をだしているにもかかわらず、一校も受験できなかった。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part1 発症時の記憶と病気の原因

櫻井 博

40年前の日本の精神医療の状況。

その当時つまり、昭和53年の精神医療はどうだったか。
昭和58年には宇都宮事件が起きている。栃木県宇都宮病院で看護師の暴力により患者2名が亡くなった事件である。世界では昭和53年イタリアでバザーリア法(精神病院廃絶法)ができている。イタリアではかなり精神病院を取り巻く状況はすすんでいた。日本では精神病院の理解は遅れていた。その遅れから病院は透明性を欠き、私には実態はわからなかった。

人生の終わり~ 精神病院の鉄扉の向こうへ。

私は最初これが病気だとはわからなかった。両親もそうだと思う。深い森のような病院にタクシーで着いた時、本当にここで自分の人生は終わると確信していたのをいまでも記憶している(病院は病気をなおすことと考えれば笑ってしまうことだが)。その時の病院の鉄扉を開けて中で展開される世界はいまだに脳裏に焼き付いている。恐怖だけである。扉の向こうに入ったとき、皆の好奇の視線を感じながら振り向くと鍵をかけられた。その当時は精神病に関する情報量が圧倒的に少ないため、原因もわからないし、病気自体も知られていなかった。
入院した病院の閉塞感から自分の精神は壊れ始めた。私は精神科医ではないのでうかがいしれないが、自分では病気になる前の一年間は「無理して生活していたのだな」と、今は思う。生活を一変させた受験浪人した一年の生活である。この一年、頭を酷使しすぎた結果病になったのではないかと思うが、もしかしたら他の要因がもともとあったのかもしれない。精神病院と出会ったこの経験が後の、家族への接し方や生き方にすくなからず影響を与えた。

荒木さんは精神の病をどう捉え、入院している方の気持ちをどこまで想像できるでしょうか?
本人の了解を得ない入院がますます病気を悪くする、そんな思いがわき起こる。
閉鎖された空間で精神的に追い込まれたとき、なおかつその状況が孤立したものである場合、おおかたその波にのみこまれ、出口はわからなくなってしまう。退院できることは回復とはいえないことが、この病気の難しいことである。退院後の生活は地域にひきつがれることになると思うが、「入院という手段が本当に適切なのか」いまだに疑問に思うことがある。
入院を否定しているわけではないし、急性期にある時、入院せざるを得ない状況も理解できる。でも、でもだ。入院は個人に多大なストレスな状態を与える。あの時もし他の人に話しができれば、あるいは入院に到らなかったかも……

それは40年前ここで人生が終わると思った鉄扉の向こうに行ってしまった者の思いである。

草々

櫻井 博

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

  • 『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』
    Part ❹ “くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの – 櫻井 博からの手紙”
    につづく 👉
    2017年11月29日(水)公開予定

 

Photography: ©Masaaki Miyara / Argyle Design Limited

『往復書簡 1 – 櫻井博と荒木浩』Part ❶ “はじまりにあたって”

法人本部 2017/10/18

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part1 はじまりにあたって

はじまりにあたって

棕櫚亭は今年ついに30年。新たな時代のはじまりに。

当法人は、東京都・国立市に共同作業所棕櫚亭Ⅰを立ち上げたことを皮切りに活動を開始しましたが、今年ついに30年をむかえることができました。
創設世代は平成29年3月を最後に退職しましたので、法人化以前の過去を知る者も少なくなってきました。私自身その歴史の中で25年近く職員をさせていただいているので、振り返ると入職当時と比べて精神障がい者の福祉が充実してきたなぁと深く実感できる最後の世代かもしれません。

若き日に思い描いていた仕事の将来像。

精神障がいの何たるかも知らない二十歳そこそこの若造が入職当時、勝手に思い描いていたのは、「私達健常者職員がいなくなることがこの業界の一つのゴールである」ということです。これは、本当に本当に真面目に考えていました。理由としては、彼らがリハビリをして、精神状態が安定してくれば健常者と替わらないのではないかという思いが一つ。骨折等の怪我のリハビリのイメージが念頭にありました。次に障がい当事者の気持ちは彼ら当事者にしかわからないという強い思い(こみ?)が一つ。経験者にしか経験の辛さはわからないという価値感は自分自身の成育歴と結びついてきているかもしれません。そして最後に、その頃この障がいはこころが風邪をひいているようなものだと盛んに言われていて、風邪ならいつか治るだろうし、むしろもしかして自分もひくかもしれないと思っていたのが三つ。
こういった三つの理由をまとめると、少なくともこの分野では健常者と当事者の境は有るようで無く、むしろボーダレスになる(統合される)ことこそ健全な世の中でだと考えていたからです。実際、この業界に飛び込んでくる職員は確かに、強い悩みを抱えていることが多いですし、近親者に障がい者がいるなど、健常者と障がい者との間辺りにいる方が多いように感じます。

ピア(当事者)の時代だからこそ自分達のありようを見直したい。

しかし、25年間職員をしているといろいろな心境や環境の変化があるものです。自分の思い、つまり「私達健常者職員がいなくなることがこの業界の一つのゴールである」という思いは、「ピアスタッフ」という方々の台頭で正しかったのだと思う一方、残念ながらまだまだ全体の一部でしかないのが実状だと思います。もちろん、当事者の時代が始まったということの実感は、当事者の櫻井さん(往復書簡を行なうパートナー)が法人のスタッフに加わったことからも意識していますが、彼のような方は極まれです。そうだとすると、ボーダレスになるという私の過去の仮説は少しだけ違っていて、境界線は薄まってきているということなのかもしれません。

むしろ私には、誤解を恐れずもっと踏み込んで言うならば、「健常者でも当事者の気持ちが積極的にわかるのではないか?」という気持ちが少し芽生えています。勿論、健常者だからこそできるとは決して思いませんが、ピアとは違うアプローチ『も』支援の受け手の選択肢の一つと「強く」アピールできないかと思っています(現段階ではこちらのほうが圧倒的に主流なのですが)。「当事者の時代」がこの先どのようにすすんでいくのか非常に興味深いところなのですが、この新たな時代のはじまり(少なくとも棕櫚亭にとってのはじまり)に「健常者職員」と「当事者職員」の違いを考えてみるのもいいかもしれないと思いました。
こんな思いの中、同じ職員でありながら何故に自分が「健常者」と言われ、櫻井さんが「障がい者」と言われるのかということを、私達の思考パターンなど内部要因、あるいは生活暦・生育暦など外部要因を切り口にして考えたいということを櫻井さんに提案してみました。そしてそれを往復書簡という形にしてみましたということなのです。

共に「境界線」を探る心の書簡。

服薬の有無といった目に見えることに限らず、べたに「障がい者と健常者の違いは何ですか?」という漠然とした問いを投げかけられても櫻井さん自身が困惑するでしょう。ならばどうすればよいのか考え、櫻井さん個人にせまってみることを考えました。つまり櫻井さんに当事者として自己開示していただきながら、こちらも一人の健常者として自己開示していき医療とは違う視点で、「当事者職員」と「健常者職員」の境界線を探ってみようという試みです。
勿論、できるだけフェアに相互開示できるように書きたいと考えています。但し出たとこ勝負なので、おそらく話は脱線したり、まとまりが無かったりするものと思われますが、その点は御容赦ください。

先に本音を言ってしまえば、櫻井さんの上司であった時期もありますが、腹を割って話すということまでしたことはありませんし、恐らくこの書簡を交わして今の距離を縮めたいと思っているわけではありません。しかし、あらかじめ書いておくと、彼は10才年上の男性として魅力的だし、尊敬もしています。そういう意味でお互いの同意と信頼感の下にこの書簡は成り立っていますので、多少白熱してもいいのかもと、密かに思っています。

なんだか大げさなテーマを掲げましたが、実は極私的自己覚知を櫻井さんの胸を借りておこなわせてもらいたいと腹黒く考えているのかもしれません。もちろん無意識ですが。
それでは櫻井さんの大好きな相撲に例えて「はっきょーぃ!」

社会福祉法人多摩棕櫚亭協会
ピアス副施設長
荒木 浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

  • 『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』
    Part ❹ “くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの – 櫻井 博からの手紙”
    につづく 👉
    2017年11月29日(水)公開予定

 

Photography: ©Masaaki Miyara / Argyle Design Limited

【情報提供】マル障実現都民集会のお知らせ

そのほか 2017/10/16

東京都精神保健福祉家族会連合会(東京つくし会) 様より 情報提供

精神障がい者に対する、心身障害者医療費助成制度(マル障)実現に向け、都民集会が行なわれます。

日時:2017年11月16日 午後1時より

会場:戸山サンライズ(新宿区戸山) ※下記PDF参照

平成30年度予算での実現に向けての大切な集会となります。

是非多くの方に参加していただければと考えています。

2017.11.16集会PDFチラシ

 

小堀先生の個展でライヴ!

そのほか 2017/09/25

棕櫚亭第Ⅰで絵画教室の講師をしてくださっている小堀令子先生の個展「Black Hole & Earth Attack」が、9月5日(火)から9月15日(金)まで六本木のストライプハウスギャラリーで開かれました。その個展開催中に開かれるパーティで何か演奏をという話を小堀先生からいただきました。
棕櫚亭にはオープナーで結成された「グラッシーズ」というバンドがあり、そこに棕櫚亭第Ⅰから中野、本部事務局から北村がお邪魔する形で実現しました。

曲目は普段グラッシーズがやっているオリジナル曲を中心にスタンダードを織り交ぜ6曲。エネルギッシュな小堀先生の作品に囲まれ、絵画を観ながらの演奏は格別の時間でした。練習のときよりも本番が一番いい演奏だったのではないかと思います。
会場の反応は正直でその緊張感はライヴならではのものでした。音楽と絵画を結ぶ人と場所が反応し、共鳴、反発する瞬間がもっと生まれたのならよかったのですが、そこはまだまだ自分の力KIMG0147不足を痛感しました。また会場やバンドメンバーに反応しながらその場で表現していくライヴ演奏と、完成作品としてそこに展示されているものを表現とする絵画との違いはとても興味深かったです。小堀先生に「もう1本線を引くという選択肢もある中、何をもってこれで完成!ってなるのか?」などと野暮な質問をしてしまいましたが、中途半端なものばかり作っている自分としては完成って存在するのか?と考える日となりました。小堀先生は「作っているときは必死だから、一度放っておいてしばらくしてから縦のものを横にしてみたりしながらもう一度よく見てみるとまた気づくことがある。でも時間切れ~なんてときもあるのよ(笑)」なんて優しく言っていましたが…特効薬を求めて形だけを作ると速さと量の副作用に苦しみますよと言われているようでした。

声をかけてくれた小堀先生はもちろん、搬入から搬出まで気持ちよく対応してくれたギャラリーの方や、駆けつけてくれた棕櫚亭のみなさんをはじめとする温かいお客様に心より感謝申し上げます。普段3人(歌、ピアノ、ギター)で活動しているグラッシーズですが、今回スケジュールの都合でピアノの百田さんが不参加だったことが唯一残念でした。いつか百田さんとも一緒に演奏出来たらと思います。

北村宥志

『今の自分たちにはどんな音楽ができるのか』なんて考えながらかっこよく出来ればよかったのですが、そんな余裕はどこへやら、とにかく手持ちの材料をこねくり回しながら、楽曲を作り上げていきました。個人的にはうまくいかなかったところもありますが(メンバーで選曲について話しあったり、リハーサルをしたり、機材を運搬したり、そういう過程も含め)楽しく取り組むことができ、良い経験を積むこともできました。 今まで様々な場所で音楽を演奏してきましたが、絵画を背景に演奏するというのは初めての事で、当初から一体どうなるのか不安はありました。それゆえ、たとえどんな不格好な音楽になろうとも、ほんの一瞬でもあの空間にふさわしいものになればと念じながら演奏をしました。そんな祈りが通じたかはわかりませんが、演奏が終わり聴いていただいたお客さんの笑顔を見ることができたとき、それは私たちバンドにとって最高に幸せな瞬間となりました。 改めまして、私たちには勿体ないくらいの素晴らしい機会を与えてくださった小堀先生に感謝いたします。

ブルーナイン中野

KIMG0142個展で歌ってほしいという出演依頼。嬉しくもあり、ちゃんと歌えるのか不安もありました。個展の雰囲気を想定してゆったりした演奏に変化。短時間の集中練習をし、当日は今できる精一杯を届けることができたと思います。聴いてくださった方から「良い歌だった」と好評の言葉をいただき、やって良かったと思いました。これからの活動においても良い経験ができたと思います。

吉岡誠

KIMG0108

 

 

六本木の個展ライヴをした会場は明るい日差しの中で楽しく歌えました。また外に出てライヴをやってゆきたいと思いました。先生の個展の縁で楽しい出会いもありよい1日を過ごしました。

内藤篤子

グラッシーズ
内藤篤子(vo)
百田勇介(key)
吉岡誠(gt)

中野裕介(ba,vo,cho)
北村宥志(gt)

【報告】9/1 (金)棕櫚亭30周年フェス(棕櫚亭Ⅰ会場) その5

そのほか 2017/09/15

 

棕櫚亭30周年フェス ~棕櫚亭Ⅰ会場~

棕櫚亭Ⅰのテーマは<未来>!
スタートから1時間ほどは、来てくださったメンバーさんと麦茶を飲みながらのんびりおしゃべりするという棕櫚亭らしいムードで始まったⅠの会場。
人が集まり始めたころから、さあやりますか!と、会場のみんなで「Stand By Me」の熱唱からトークイベントがスタートしました。

松尾さんと櫻井さんをゲストに迎えてのトークは病との格闘を経て、今、自分らしさを活かした仕事を楽しんでらっしゃるお二人の魅力が全開でした。
また、お二人だけでなく、会場のみなさんが「自分の場合は」と語ってくれたのもすばらしく、一緒に空間をつくることができました。

HP用②

また、壁一面に貼られた、「わたしの未来 棕櫚亭の未来」というテーマでの100枚近いメッセージもどれも楽しいもので、今と未来を共有できたいい時間となりました。

HP用①

来てくださったみなさん、ありがとうございました。
(なびい 伊藤)

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【報告】9/1(金)棕櫚亭30周年フェス(ピアスⅡ会場)その4

そのほか 2017/09/15

棕櫚亭30周年フェス   ~ピアスⅡ会場~

ピアスⅡ会場では絵画展と絵画のワークショップを開催しました。
棕櫚亭Ⅰのメンバーが描いた作品展示と、来場したみなさんが思い思いの絵を描いて楽しみました。

会場には棕櫚亭Ⅰのメンバーが作ったポップコーンと棕櫚亭Ⅰでお世話になっている杉田先生に
ご協力いただいたチョコレートのおみやげもあり、ポップコーンやチョコレートを食べながら
他の会場イベントの同時中継を見て休憩しつつ楽しむひと時もあり、時には絵を描く場所がないほど
来ていただいて嬉しい悲鳴でした。

また今回は特別に棕櫚亭Ⅰの絵画教室講師の小堀令子先生の作品も展示させていただきました。
お忙しい中での小堀先生のご協力に心より感謝いたします。

フェス用5  フェス用10

絵を描いたみなさんの中には普段は描いたことがない人もいましたが、
描いてみるとみなさん楽しいという感想で、
みなさんの作品はどれも素敵な作品に仕上がって力作ぞろいです!

フェス用12  フェス用7

フェス用3  フェス用2

作品は家に持ち帰った人もいましたが、ピアスⅡに飾って下さいという人の
寄贈していただいた作品はピアスⅡに展示中です。

フェス用8  フェス用6

フェス用1  フェス用11

たくさんの方にご来場いただき、ありがとうございました。
(棕櫚亭Ⅰ 篠原)

 

 

 

 

 

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【報告】9/1(金)棕櫚亭30周年フェス(ピアス会場)その3

そのほか 2017/09/15

先ずは参加してくれた皆様、音楽や、報告会などに出演してくれた皆様、ご協力いただいた小堀先生、杉田さん、お祝いを頂いた石川先生、ぶーけの松井さんにお礼をお伝えしたいと思います。本当にありがとうございました。

棕櫚亭30th記念フェスをふりかえって

今回のイベントは今までにない様々な新しい試みを行っています。まずは『フェス』ということで、4会場を使って同時にイベントを行ったり、会場同士をSkype(インターネットを利用したテレビ会議システム)を使い中継を行ったりしています。

なぜそのような形になったかというと「今まで棕櫚亭にかかわってくれた方々すべてと分かちあいたい」という思いからでした。しかし、各施設合わせると現利用者だけでも100名以上いるため、ピアスの食堂だけでは対応する事が出来ません。ある実行委員から『せっかくある施設をフルに使ってお祭りをやってはどうか』という提案があり、『フェス』という形に落ち着いたのです。

しかし、『フェスをやりたい!』と大きく出たものの、参加者の見通しがなかなか立たないこと、企画の内容もいきおいで決めてしまった感もあり、『これでみんなが本当に楽しんでもらえるだろうか』と当日までずっと不安でしたが、ベテラン職員を始め全てのスタッフ、利用者の方々が、このイベントを盛り上げるためにと、準備を進めてくれました。おかげで音楽祭、絵画展、みんなの主張、活動報告会などのイベントを行うことができ、参加された方々から『楽しかった!』との言葉を多くいただくことができました。

当日の参加者も120名を超え、多くの方にご参加いただきました。少しだけですが、ピアス会場の様子をご紹介すると

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音楽祭では、歌や詩の朗読、ウクレレの演奏やバンドなど出演者の皆さんの多彩な部分をとても感じることが出来ました。観客の方々も、とてもノリがよく楽しんでくれていたようです。その中で普段はおとなしい方が音楽のリズムに合わせ、体を動かしている様子をとてもほほえましく感じました。

DSC00043

天野さんの講演では棕櫚亭での30年間の活動を振り返って頂いています。会場の皆さんにも棕櫚亭Ⅰ、ピアス、オープナー、各施設でのエピソードを聞き、会場全体で共有することが出来ました。その中で感じるのは精神障害者を取り巻く状況の変化です。精神病院に隔離されていた状況から、地域に移り、就労をめざし、自分たちの幸せを発信していく。大きく世の中が変わってきたのだと感じました。最後に皆さんに向けて『当事者が自分たちでサービスを作っていく大切さ』『メンタルヘルスだけでなく、体の健康も大事』と2つのメッセージを頂いています。

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会場のいろんなところで久しぶりに会う面々や過去の写真などを見て『あー、なつかしいね!』と昔話をする笑顔がいっぱいでした。ある方は棕櫚亭の30年の年表を見て、『この時自分が最年少利用者だったです』とメッセージを残していました。またある利用者さんの『もうきっと(棕櫚亭には)来ないと思ってた。でも来て良かった』という言葉も印象的でした。またこんな形でつながり直すことが出来た。今回のフェスはそんな機会にもなったようです。

棕櫚亭は今まで、利用者の方々と『いっしょに作る!いっしょに楽しむ!』を大切にしてきた法人です。今後もこういった形で日頃の活動や、個人の報告などをしあえる機会を続けていきたいと感じています。

各施設でのイベントの様子も随時ホームページに掲載いたします。そちらも是非ご覧ください!

棕櫚亭30thフェス実行委員会 吉本佳弘

ちなみに言葉探しの答えですが『はれのちくもり』でした。CさんSさん正解ですよ!探してくれてありがとう(^-^)

 

【報告】9/1(金)棕櫚亭30周年フェス(なびぃ会場)その2

そのほか 2017/09/14

棕櫚亭30周年フェス ~なびぃ会場~

なびぃ会場では2つの催しを行ないました。

前半は、各施設(ピアス・オープナー・棕櫚亭Ⅰ・なびぃ)の今の様子や事業の説明をそれぞれのメンバーさんとスタッフから発表してもらう「活動報告会~フェスver~」を開催しました。それぞれ趣向を凝らした発表で、実際のミーティングの場面を再現した寸劇や、ふだんの作業風景をコント仕立てで見せてくれたり、実際利用してみての体験談など、盛りだくさんの内容でした。

後半は、「棕櫚亭と私」というテーマでみなさんの「主張」を聞かせて頂きました。各所のメンバーさんがご自身のこれまでの体験、病気や障害のこと、棕櫚亭とどんな風に出会い関わってきたか、そしてこれからの夢・・・を語って下さいました。悲喜交々、それぞれの人生の物語に、会場全体がじっと耳を傾けて、みなさんのお話に聞き入っていました。

笑い有り、涙あり、とても濃い内容で、3時間が本当にあっという間でした。

フェスなびぃ000フェスなびぃ001

そして、最後には職員もYOSAKOIソーランに乗せて、渾身の舞とともに思いの丈を主張させてもらいました!踊るのに必死で誰が何を叫んだかちゃんと覚えてないのですが・・・職員の熱い想いも伝わった!!・・・と思ってます。。。

(なびぃ奥迫)

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【報告】9/1(金)棕櫚亭30周年フェス その1

そのほか 2017/09/14

去る9月1日、棕櫚亭30周年を祝うフェスを開催しました。

当日は、あわや台風接近かという「はれのちくもり(少し雨)」の天候にも関わらず、

125名というたくさんの方にご参加頂くことができました。

当日、会場に足を運んで下さった方、準備や当日の発表などに関わってくださった方、

周知にご協力くださった方、皆様本当にありがとうございました。

今回のフェスでは、棕櫚亭の各事業所で様々なイベントを行いましたので、

各所の様子を随時アップしていきたいと思います。

残念ながら今回ご参加頂けなかった方は、ぜひこちらでフェスの様子をご覧頂ければと思います。

(フェス実行委員 奥迫)

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