『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❾ “思春期を振り返る -櫻井 博からの手紙”

法人本部 2018/02/14

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

思春期を振り返る

偏差値教育におけるゆがみ

前略
荒木 浩 さま

前回、自我と他我に関して触れました。私は自我と他我の考え方をここで話そうと思いはありません。
ただ自分が物心ついた頃、集団にはいるのが怖かったことで、避けて逃げていたことがありました。そのことで社会性みたいなものの形成が遅れ、自分を追い込み、その結果病気になったのかもしれないとの思いがあります。自分の殻に閉じこもり、気の合う人と話し遊び群れるという考え方です。
その当時(1980年代)も大学生が大人の社会性についていけず、悩みひきこもる人もいました。私の場合
「自分が大人の社会になじめない」そのような苦手意識はありました。今考えると「なんでだろう」と、疑問に思います。自分が社会を見ようとしないで、見ないですぎた分、あとにつけはまわってきました。
荒木さんは自我と他我についてエピソードは忘れたと言っていますが、わかった時があったのですね。自分と他人を違うとういう認識が確固としてあったということですね。
その認識も荒木さんが社会になじんでいたからだと思います。

荒木さんに前回、自我と他我について説明していただいたことありがたく思っています。前回は性格と病気に関して私なりの考えを書きましたが、「アイデンティティの確立は今受けしない」と、荒木さんは書かれていて、その根拠がインターネットの出現だと言われると「なるほどなあ」と、納得するも、隔世の感に似たものがあります。

私の高校生活はサッカー部の練習に多くの時間を割いたと思います。進学校な為か部活は盛んではありませんでした。一回目の書簡で荒木さんが触れた、偏差値も私の年代(1970年代後半)も重要視されていました。私が現役で大学を受けた年が共通一次試験元年でした。私はクラブ活動に身を入れるいっぽうで、なにか自分の確立した考えを確立したいと思いました。勉強はできるほうではなかったですが、そのころ読んだ、前回お話しした、坂口安吾の「堕落論」にひかれ、勉強からドロップアウトしました。自宅学習が必要な理数系はほとんど勉強しなかったです。

大学進学があたりまえの高校で、すこしでも偏差値のいい大学を目指す校風には当時馴染めなかったです。
大学浪人時代、「偏差値を上げるのは皆ができない問題に正解することだ。」と思い、そのへんの技術的なことに一生懸命になったことは、ゆがんでいるとおもいました。基本的なものを飛び越した感じはありました。(基本的な知識はおざなりにし、応用的知識の習得訓練)

浪人時代の一年(多分一生で一番勉強した一年)は自分にとっても、精神的にも肉体的にも追い込まれた一年ではなかったかと思います

自然気胸を発症したのもこの一年の冬でした。そして受験を控えた当日、統合失調症にかかりました。
このおいこまれた経験は、自分の性格ではなく、自分がつくりだした世界にも起因するのではないかと思うこともあります。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

櫻井 博

小さいころ病気の兆候はあったか?

小学生の頃、落ち着かず人にちょっかいをだして、いじめられた経験から発達系の障害もあったのかなと思うこともありましたが、少なくても幻聴、妄想がなかった日々があったのですから、やはり病気になったのは高校生活の過ごし方が大きく影響したのではないかと思います。
やるせない気持ち、不安な気持ちを内包しながら、罹るべくして罹った病気ではなかったかと思うこともあります。

病気になっても幸せ感を得られた

自分の偏差値で、せーいっぱい背伸びして入学した高校で劣等感をもちながら過ごしたことも、自分が歩んできたことには変わりません。今回この往復書簡を書くにあたって思い起こした高校生活も綺麗ごとばかりではなかったかと思います。
ついつい自分の過去は脚色しがちです。
でもこの10代最後の年に病気に罹ったことは、「不幸でもあり幸せでもあるかな」と最近思えるようになりました。そうでなければ、ズーっと偏差値のより高いところを目指し続け、数字でその人の能力をみて、格差社会における、いわゆる上のほうを、偏差値を上げるのと同じように目指す。そんな生き方だとしたら、いまのような幸福感は得られなかったと思うからです。

草々

櫻井 博

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

  • 『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』
    Part ❿ “タイトル未定 – 荒木 浩からの手紙”
    👉
    2018年2月28日(水)公開予定

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

賛助会通信「はれのちくもり」発行しました

法人本部 2018/02/01

多摩棕櫚亭協会 賛助会通信「はれのちくもり」第95号(平成30年1月号)を発行しました。

大変遅くなりましたが、新年のご挨拶もかねての内容となっております。是非ご一読ください。

賛助会通信30年1月号

同封資料 棕櫚亭I絵画ワークショップチラシ

また、賛助会員の皆様にはいつもご支援賜り厚くお礼申し上げます。平成29年度賛助会費の振込用紙を同封させて頂いておりますので、引き続きご支援頂けましたら幸いです。

また、賛助会へのご入会につきましては、こちらのページをご覧ください。

賛助会へのご入会

『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❽ “失われた青春期と喪失感、発病 -荒木 浩からの手紙”

法人本部 2018/01/31

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

 

前略
櫻井 博 さま

1月も下旬になり、かなり寒い日が続きます。いかがお過ごしでしょうか。

気持ちの良い秋が短く一気に冬に突入したためか、この時期になっても体が寒さに慣れていきません。原因は異常気候のせいでしょうか? それとも単に私の老化のせいでしょうか? 老化というのは、冗談も交じっていますが、とは言え私も2年後には50歳になります。見た目は50歳を大幅に超えていますが。

いわば人生の折り返し地点を大きく超えてしまって、少し物ごとへの考え方も変わってきたなぁとも感じる今日この頃です。

例えばこの書簡も、全部とは言わないまでも自分の心の内を櫻井さんに書いていますが、数年前までは全くなかった発想です。勿論、これまで私なりに仕事を一生懸命やってきたわけで、決してコミュニケーションに対して手を抜いてきたわけではありません。ただ、どうしてこの書簡を始めたのかというと、何というか仕事への心の向け方というよりも、同世代の今の理事長に「社会の中で、年齢なりの立ち振る舞いができているか?」と言われた時の衝撃が発端になっています。なかなかエキサイティングな職場ですよね、時々私は凹んでいますけど。ともかく、社会の中でアラフィフの自分が行動や発言していくということを考えたとき、経験という資産しかないことに愕然としました。悩みましたが思い直して、当事者スタッフの櫻井さんにこの経験の一部をきちんと開示して、次世代に残すべき別の資産を作りたいと思ったのです。

前置きが長くなってすみません。前回の手紙から少し間が延びてしまったため、お手紙を読み返しています。そして思い出し思い出しながら返信を書かせていただきます。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

荒木 浩

発病と自我について櫻井さんが思うこと

統合失調症になった原因について前回の手紙で櫻井さんは、青春期に「自我」が確立できなかったからだと書かれています。なかなか哲学的な話になってきて、櫻井さんの話についていけるか心配になってきました。「自我」とは学生時代を思い出すような、ワードですね。この手紙はできるだけ背伸びをしないように書きたいとは思っていますが、どうなりますやら。
「自我」という言葉を深掘りすることが目的ではないのですが、解釈でわかれる言葉なので私なりに一応定義づけしておきます。言うならば「『自我』とは、『鏡に映る内面(心)』の『自分からの見え方』」のことだと理解していますが、よろしいでしょうか。

丸めた言い方をすると「自分ってこんな心の持ち主なんだと思うこと」なのでしょうか。

櫻井さんは「ゆるぎない強い自我を青春期に確立できなかった」から病気になってしまったと書かれていますが、「櫻井博ってこんな心の持ち主なのだ」という自我を青春期につくれなかったことが病因であるとおっしゃりたいのですね。

失われた青春期をとりもどす

青春期に自我の確立ができなかったことが統合失調症の原因となるのかどうなのか、正直に言うと私の知識ではわかりません。しかし、櫻井さんの文面から透けて見える、青春期の強い喪失感は理解できるような気がします。間違っていますか?

大切な時期を病院で過ごしてしまったことが櫻井さんにとってどれほど辛い体験でその後の喪失感につながっているかは、就労訓練を行なっているピアスのメンバーさんの支援でもよく感じています。ピアスメンバーの多くも櫻井さんと同じように青春期に発病していることが多いのですが、就職した経験がある方、そうでない方いろいろな方がいらっしゃいます。

そういう意味では決して皆さんを一概には言えないのですが、「ピアスの訓練は辛い」という思いだけで通っている人ばかりではないという実感があります。

勿論、ピアスは就職のための訓練というだけあって、肉体的にも精神的にも負担は大きいと思っています。それでは40名の方皆さんが毎日ゼイゼイいいながら訓練しているかというと、あながちそういうことでもありません。お昼の時間、休憩時間やアフターファイブを生き生き楽しんでいる場面をお見受けすることが多々あります。その彼らの姿はいわば青春の穴埋めをしているがごとくです。他者とのふれ合いの中で自身を取り戻していくということは、ピアスというコミュニティーの強みだとつくづく思うことがあります。

このことがどういうことかと自分なりに解釈したときに、自分の存在というものは他者の存在でようやく浮き彫りにされるのだということです。

少し私事を書かせていただくと、高校時代に「自他の区別」をかなり強烈なインパクトで受けいれた記憶があります。その時強い孤独感を感じたものです。上手く書けないのですが、このような仕事をしている原点はその「孤独感」にあると思っています。これは確信をもって言えることです。ただ残念ながら具体的なエピソードは思い出せませんが、かなり独りよがりな気づきがその時期にあったことは覚えています。その頃から心理的に殻にこもっていったことを手紙を書きながら思い出しました。「自分」と「他人」は別という、言葉以上の強い観念に縛られているという気持ちが今はないとはいえません。
まぁそれはさておき、一方でこのようにも感じるのです。

現代社会と自我の確立

今青春期にあるどれだけの若い人達が「ゆるぎない自我」を確立する必要があるのか?という疑問もあります。

例えばそれは、リアル(現実)と、インターネットを代表とするバーチャル(仮想現実)の世界を私達は行き来しながら生活していることが当たり前になっている昨今です。本名と匿名を使い分けながら、どちらにいようと不自由ない世の中になってきているような気がします。自分が簡単に他人に成り代わることができるのです。むしろそこを闊達にうまく渡り歩いていることがスマートで賢い人という評価を受ける時代だと思うのです。「自我の確立」なんて言葉は、今や過去の遺産となりつつあるのでしょうか。

もしかして、時代時代によって統合失調症の発症原因は違うのかなぁとも考えたりもしました。

私が苦手な哲学的な話を少し避けていただきながら櫻井さんの発症前後、つまり高校生ごろのことをもう少し詳しくお聞きすることができますか? すみません、リクエストが多くて。

草々

荒木  浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

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    Part ❿ “タイトル未定 – 荒木 浩からの手紙”
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    2018年2月28日(水)公開予定

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❼ “対談編”

法人本部 2018/01/17

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

新年あけましておめでとうございます

ホームページをご覧いただいている皆様、遅まきながら、新年あけましておめでとうございます。

旧年中は『往復書簡』をお読みいただき、ありがとうございました。
読んでくださる方からは「楽しみにしています」とお声掛けいただき嬉しく感じています。
さて、紙面も思いの他すすみましたので、ここで一度対談をしたいと考えました。
案外とこの文章書きという作業は私(荒木)にとって負担で、少し息抜きがしたかったというのが本音で、加えていうならば、公開後読み返した時に少し内容の補足が必要かもしれないと思ったからです。
裏話をすると、公開の少し前から実際の手紙に近いやり取りを始めていて、わずかばかりのストックがあったのですが、いざ公開する段になって「やっぱりこのように書きたい」と手直しをしてしまう。そうするとそれを受けた櫻井さんも話の流れから書き直しせざるを得ないという悪循環を、私がまねいているという始末。桜井さんごめんなさい。結局、タイムラグが少ないほぼリアルタイムな手紙のやり取りをしているのが実態です。もっと言ってしまえば、お互いできるだけ職場で時間を作って書こうと思っているのですが、持ち帰って夜遅くまで自宅のパソコンに向かっています。私はともかくも、櫻井さんにとっては負担になっているような気がします。「まぁ、なんと時間外まで使って熱心な」と褒めてくれという気はまったく無いのですが、気持ちを入れて書いているという気持ちを吐露させてください(笑)
ということで、今回は指向を変えて、以下が対談の模様になります。

荒木 浩

対談編

荒木: あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

櫻井: こちらこそよろしくお願いします。

荒木: このページで使っている写真どうですか? 秋に近くの谷保天満宮でとった写真なのですが、天気もよく、いい写真だと思いません。

櫻井: いいですよね。ここは菅原道真公を祭る学問の神様がいることで有名ですよね。正月は出店も並びにぎやかになります。高台があるのですが、ここから見える富士山は本当に綺麗ですよ。

荒木: たくさんの鶏が解き放たれていてのどかなところですしね。

櫻井: のどかなところだけに、かっこいい古いポストも残っていますね。このポスト写真を撮ってくれたアーガイルデザインの宮良さんが探してくれました。ホームページの多くの写真が彼の手によるものですが、いいものばかりです。

 

櫻井博 と 荒木浩

荒木浩 と 櫻井博

昨年を振り返って

荒木: さてそろそろ本題に入りますか(笑) この書簡が始まった昨年(平成29年)を振り返って、櫻井さんにとってどのような年でしたか? 私にとっては、棕櫚亭の30周年記念行事を喜んでくれたメンバーさんの笑顔を忘れることができません。そしてこの組織はメンバーに支えられているのだなぁという実感がありました。また天野さんと藤間さんという組織の創設者が退職され、ついに継承がまわってきたかという1年でしたね。周囲に聞いてみると、社会福祉法人、なかでも精神障がい者の支援を中心に行なってきた法人にとって、立ち上げた団塊世代の退職で組織継承の事は切実な課題になっているらしくどこも苦戦しているとのこと。そういう意味では、うちの法人は、小林さん(理事長)、高橋さん(常務理事)、山地さん(オープナー施設長)、荒木のアラフィフ4人で探り探り、苦戦した1年だったと思います。理事会の審議などで自分の力のなさに肩を落とし、メンバーの就職にヤキモキしたり、逆に喜んだり、ある意味エキサイティングで背伸びした一年だったかもしれません。よく自分に言い聞かせているのですが、「個人的には、背伸びって必要な時期がある」と思うんです。背伸びすることで足元が不安定にはなるけれども、そうしないと強い筋肉が足につかないというか。メタボ対策というか(笑)

櫻井: なるほど(笑) そうですね、私には挑戦の年でした。2年前から介護従事者の勉強を始め、年末から年始にかけては、日曜日に学校に行き、昨年4月から週5日のフルタイムに変わり6月からは常勤採用になりました。介護の勉強は終わらせ、今は棕櫚亭の仕事に専念しています。
私も30周年の記念行事も忘れられません。組織継承で新しい経営陣とともに退職まで頑張ろうと思った瞬間がありました。本当ですよ(笑)平成29年という年は最後に病院を退院した平成19年から数えてちょうど10年たちますが、棕櫚亭にもっと早く出会えれば人生もかわったかも知れないと思ったりもします。私がメンバーとして棕櫚亭にいたのをかぞえても14年間ぐらいです。30周年を迎えた棕櫚亭は、さらに16年間も積み上げているので、すごいことだと思います。
ピアスタッフつまり当事者スタッフならではの視点で業務に関わればと思いますが、実際仕事にはいると、まわりのスタッフと足並みをそろえることも重要なことに気が付かせられます。
またこの往復書簡がはじまったことも印象に残っています。ベテラン職員の荒木さんとすこしづつつみあげてきたものを「手紙というかたちで」と提案された小林理事長にも感謝です。

自己開示について

荒木: ありがとうございます。櫻井さんの前向きな行動力にはいつも感心させられます。当事者であろうとなかろうと、特にこの仕事を専門職として選んでいる方にとって自己研鑽していくことは大切だと思います。もちろん自己研鑽というのは、技術的なことなども含みますが、個人的には人間としての幅を広げていくことこそ大事なことだと思います。「いったい幅を広げるということってどういう意味ですか?」と、いつも叱りつけている職員に反問されそうですが、そこは各自で考えてくださいとしか言いようがありませんけど(笑)もちろん最低限必要な知識・技術・倫理観などはあると思いますが、それを超えた部分は各々で大いに伸ばせばよいと思います。どうしても知識やテクニカル的なことに意識が向きがちなのは仕方ないことですが、対人援助の仕事はオンリーワンのメンバー支援をしていくのだから、四角四面の知識や技術では現実問題に対応できません。そこを個人の経験や想像力で補わなければならないと思うのです。つまり私の言う「人間としての幅」というのは、想像力というかその人の人生にいかに思いをはせることができる力があるかということなんです。この力ってある時期になればつくものではなく、継続的に研鑽しなければいけないものだと思っています。まぁこれはあくまでも私の考えなのですが。そもそも同質化された職員集団は個人的にはちょっと気持ち悪いので、いろいろな個性があって良いと思います。

そういう意味では、今回この記事、つまりあまり話してこなかった自分個人の過去や考えの一部をさらすことでいろんな評価をうけることは覚悟してもいます。櫻井さんを巻き込んで申し訳ないのですけれどね。それにしても、いくら文章を書くのが上手い桜井さんでも、発症時の過去を思い出したり、自己開示したりという作業は負担だったのではないでしょうか? 先日たまたま、自己開示に関する質問をメンバーさんにアンケートという形でお聞きしたところ「負担である」「話しても良い」の半々の結果が出ました。桜井さんには少しお聞きしたいのですが?

櫻井: そうですね。私にとって、自分の思いや過去を語る、自分のありのままを語るこの書簡での自己開示度は高いと思います。「当事者が自己開示するとは、信頼を置ける関係になってようやく徐々に自分のことを語ること」と、精神保健福祉士取得のための教科書にも書かれています。一般的なイメージでは健常者が酒を酌み交わし、本音で語ることに似ているかもしれません。
一般企業では、例えばコンビニの店長、デパートの店長、商社マン、などはたくさん商品を売り、高い利益をどのようにあげるかということが仕事の目的ですが、福祉の仕事はその方の本音を聞きながら、一緒に考えていくかが、利益をあげるのと同じように大切なことだと思います。
気を付けなければいけないのは、商品にはプライバシーはありませんが、福祉の仕事は自己開示(プライバシー)によって生活の向上を目指すため、その取扱いに職員は注意を払わなければならないという事です。それは法律上などと言うまでもなく、この職に就く者にとって絶対に必要な倫理観です。
今回の往復書簡では、私の自己開示は荒木さんの魔法の言葉(笑)でひきだされていますが、ある程度荒木さんも自己開示されているので、こちらも誠意をみせる意味でも自己開示しています。これが大事で、他人の自己開示には、ある程度自分の自己開示も必要となる場合が多いということです。多いと書いたのは、支援者とメンバーの関係では、メンバーに比べ支援者が自分のことを開示することは少ないからです。しかし支援者はメンバーが自己開示されたことに誠実に反応しなければなりません。
そして当事者が自己開示する意味はもう一つあるのではないかとも考えています。自分の過去、プライベートの部分を会話という形で外にだすことによって、自分を第三者的に俯瞰してみることができるということです。俯瞰してみるからこそ、自己開示すると恥ずかしいという感情がうまれてくることもあるのではないかと思います。だから支援者は過去の生活暦を語るメンバーにたいしては慎重な態度と寄り添う姿勢が必要です。自己開示を受け入れてもらった感をメンバーが感じ取れれば第一関門は通過したといえると思います。

「人生が終わった」と感じた瞬間

荒木: なるほど、櫻井さんは、自己開示しそれを話題にすることで、自分を客観視するという事をしているのですね。そしてその情報を生活の中で生かしていくという姿勢は、私たち職員にも必要な態度なのだと思います。ところで櫻井さんは医療保護入院になった時のことを「本当に人生がここで終わる」と話されていますが、そのあたりのことを詳しく話していただけますか?どういう点で人生が終わると考えたのでしょうか?どうしてこの質問にこだわっているかというと、私達職員は、「人生が終わる」といかないまでも精神的に多くの苦悶を抱えた、あるいは抱えている人達と日常接しているということをきちんと意識することが必要だと思うので聞きたいからですけれども。

櫻井: 医療にかかっているのに、人生が終わるとは不思議に思われるかもしれませんね。医療は人の命を助けると思うのが普通だと思うのですが、医療保護入院時の精神状態のなかで『精神病院では自分の命が失われる』という被害妄想が働き、『自分の人生の終着点が精神病院になってしまった』という誤った考えで入院したからです。もちろん今ではそんなことは思っていませんが。閉鎖的な精神病院の世界では、この考えは直るどころか、いっそう加速され、自分の命をとるため病院に暗殺者を送り込んできた。その思考から抜け出して退院をして具合が悪くなり、また病院に戻るの繰り返しが何十年も行なわれていました。被害妄想は閉鎖的空間では助長されるというのが、私の実感です。
医療が人を助ける場所だと信じることが入院の時はなかなか信じられませんでした。それが『本当に人生が終わる』という発言に繋がっています。実際最近聞いた話では、精神病院での身体拘束が以前に比べ増えているという話をききます。精神科特例など問題があるといわれる精神病院では、地域生活をしている以上に苦しんでいるのではないかと思うこともあります。
ところで逆にお聞きしたいのですが、職員の方は『人生が終わる』なんて考えたことがありますか?

荒木: 私は少し書いた通り東京に上京した時はかなりピンチでしたが、それでも『人生が終わった』とまでは思わなかったですね。決して楽観的ではなかったのですが、それでもわずかながら選択肢があったように思います。例えば最悪、私の場合九州に帰ることもできたのではないでしょうか。他の職員の方はどうでしょうか?聞いてみたい気もします。
振り返ると私の入職当時も精神科に対する偏見はあったと思いますし、社会も昔に比べればよくなりましたが、それでもというところが今もあります。いまだに内科を受診すれば周囲は「病気を心配する」のに、精神科を受診すれば「人生を心配する」みたいなところがないとは言えません。「人生が終わる」と感じる方が私たちの周りにいるという思いで、この仕事の重みを感じなければならないと改めて思わされましたね。

あぁ、ただ、いま話をしながら思い出したのは「人生が終わったとは少し違うのですが、「生活がやばい」と思ったことは確かにありました。22歳の入職後2年で子どもを授かったのですが、勿論当時学生だった奥様は働けず収入がなく、手取り14万円の給与で家族3人暮らしていかなければならなかった時は「オワタ」(笑)と思いましたね。当時は私もタバコを吸っていましたが、喫煙場所でタバコを一緒にくよらせていたメンバーの方から「市に(生活保護を)申請してみたら」といわれました。さすがにできませんでしたけど。

これは棕櫚亭の給与がどうのこうのというのではなく、この精神保健福祉業界の地位や補助金が低かったということなんですよ。誤解のないように。そういう意味では職員が安心して働けるように基盤作りをしていくことも私の今の仕事であるという、最初の話につながってくるのです。ということで、すこし話が長くなりましたが、桜井さんありがとうございました。それでは後半戦に突入したいと思います。

これまで桜井さんの話の中に出てきた、アイデンティティーのことや、今そしてこれから先の櫻井さんの仕事への思い・展望などに水を向けすすめていきたいと思っています。桜井さんお手柔らかに、よろしくお願いしますね。

2018年1月吉日
多摩棕櫚亭協会 本部にて

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

  • 『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』
    Part ❿ “タイトル未定 – 荒木 浩からの手紙”
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    2018年2月28日(水)公開予定

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

各施設の冬休みについて

法人本部 2017/12/28

今年も多摩棕櫚亭協会をご支援いただきありがとうございました。

新しい年もお付き合いいただけますよう、よろしくお願いします。

法人内の各事業の冬休みは以下の通りになります。

ピアス   12/29(金) ~ 1/3(水)

オープナー 12/29(金) ~ 1/8(月)

なびぃ   12/29(金) ~ 1/4(木)

棕櫚亭Ⅰ  12/29(金) ~ 1/4(木)

ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い致します。

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会

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職員募集(常勤・産休代替)について

法人本部 2017/12/27

多摩棕櫚亭協会では、若干名の職員募集を開始しました。

詳しくは コチラ をどうぞ。 尚、法人本部の冬休みは12月29日~1月4日までとなっております。

お問い合わせ等は、社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会(042-571-6055) 人事担当まで

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『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❻ “性格と病気について -櫻井 博からの手紙”

法人本部 2017/12/27

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part4 くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの

性格と病気について

医師と向き合うとき考えること。

前略
荒木 浩 さま

荒木さん返信ありがとうございます。
医師に関しては、脳に正しく作用する(妄想、幻聴がない状態、副作用で多少、手がふるえたり、眠気があっても)薬を処方する医師の役割に期待しています。荒木さんの言われる「何かだけに頼りたくない」というのは、自分の状態をよりよく維持する為には医師の力だけではないことを知っているからだと思います。それは現実の決定しなければならない問題に直面した時、そうなった経緯、場の状況を医師は詳しく知らないと思うからです。薬は確かに脳の器質的なものには作用します(それは薬を飲んでいる自分が感じています)。

状況をよく知らない医師の意見が果たして正しい決断に影響するか。そこにカウンセリングの力が役立つか疑問に思うからです。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

櫻井 博

自分を形成した10代のころ。

さてこういう風に思う自分の性格は、病気の変遷とともに自分の中に形成されてきました。
病気になる前には性格はおとなしく、どこにでもいるふつうな学生でした。病気になって性格を意識するようになったのは、性格がしっかりしないと、他人に中にはいり踏み込まれたり、自分が流されてしまうことを知るようになったからです。病院では暴力など(言葉の暴力も含む)があることも知りました。もともとおとなしい性格は、ここで初めて思春期にアイデンティティの確立を10代最後の年代にしなければならない事を知ります。
何十年も幻聴と妄想に悩まされ、これは病気ではなく性格の問題ではないかと思うこともありました。対人関係がうまくいかないとき、「相手の考えは変えることはできない。自分が変わらなければならない」などと書かれているハウトゥー(How to)本をこぞって読みました。
第3回目で書いたギャングエイジを経験しないのが、君の病気の原因だと、主治医から言われることもありました。
精神の疾患を書いた本のよく言われている自我の確立と言い換えてもいいかもしれません。
さて学校も卒業し、就職もしてしまった私はどこもにも自我を確立する練習場所がないと諦めていましたがありました。
「病院」です。

自我と他我。

ここでゆるがない自我をきづき、他者には侵入されない考え方をもつことの大切さを身をもって得られるほど病院はいろいろな人がいました。自我と他我(※1)のあいだにこそ境界線をひかねばならない大切さを身をもって体験します。
以前シュロの会という家族会の勉強会で慶応大学の先生の「統合失調症の原因は、他我が自我を攻撃し浸食してくると話をしていたのを聞いて、「これだ」と思いました。丸い中心部分に自我があり、その回りを他我が円で囲っているという図式で、他我が中心の自我に入ってくるという統合失調症の原因理論でした。この理論から自分が人に影響されやすかったり、他人の目を意識しすぎる理由がわかった気持ちがしました。
病院で得た体験を生かし、(私は自我の形成だと思っていますが)生きていこうと思いました。
フロイトなどの専門書を読んでもよくわからなかったですが、家族会での先生の説明は腑に落ちたという感じを得ました。

(※1)自我と他我…哲学用語。自我とは、他者や外界から区別して意識される自分。他我とは、他者に存在すると考えられる我のこと。

坂口安吾「堕落論」との出会い。

高校時代読んだ坂口安吾の「堕落論」は10代最後の自分の性格に大きく影響を与えました。この本は第二次世界大戦後書かれた随筆で、「堕落は人間の本性にそなわっていると洞察し、その人間の本性は政治の変革などでは変わることも救われることもない」、「そうした他者からの借り物ではない、自分自身の美なる真理を編み出す為には、堕ちるべき道を正しく堕ちきることが必要」と述べています。「堕落してそこから這い上がることに意味を見出す」という考えに共感を持ち、ストイックに自分を追い込みました。大学受験浪人するまで、のんびりしていた性格が一年で大きく変わりました。有名校に進学する夢をみながら、一年間勉強し続けました。性格はとげとげしたものに変わりストイックに自分に課題をかす、楽しみのない一年でした。最初に勉強しすぎたために病気になったと書きましたが、むしろ性格が厳しいものを追及する、いわば自分の力以上のものに近づく為無理をする性格をうみだした結果ではないかと思います。
一匹オオカミに憧れる、そんな性格形成をしてしまった。どこかで「力もないくせに。」と思いながらです。
でもこういう性格の持ち主でも病気にならない人もたくさんいる社会ですから、病気と性格の関連を考えることは難しいことだと思います。
今ふりかえっても10代の最後の頃はいろいろな考え、思いもありました。この時期になんでも話せる人間関係が大切だったと、今思います。
もともとのんびりして、とても社交的ではなかった性格が、内向的になるとともに、他者や自分に対しては厳しいものを求める。そのへんのアンバランスさももしかしたら、孤立に拍車をかけていたのかもしれません。
数少ない友人を通じて世の中をみていたのも、今思うと社会性に乏しかったとふりかえれます。

草々

櫻井 博

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いつも往復書簡をお読みいただきありがとうございます。

冬休みになりますのでエネルギーチャージしたく、大変申し訳ありませんが、1月は17日と31日の第3・第5水曜日公開となります。新年もよろしくお願いいたします。 

櫻井 博 ・ 荒木 浩

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「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

  • 『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』
    Part ❿ “タイトル未定 – 荒木 浩からの手紙”
    👉
    2018年2月28日(水)公開予定

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

秋の職員研修実施報告

研修会 2017/12/19

10・11月と連続して法人内研修を実施しました。 まず10月6日に「権利擁護研修―意思決定支援について」として、法人の第3者委員で早稲田大学の岩崎香さんに来ていただきました。イギリスにおける「意思決定能力法」を使っての説明は、意思決定支援の仕組みを考える上での基本の姿勢としてとてもわかりやすいものでした。特に、本人にとって危険や賢明でないことであってもおかす権利があることや、意思決定とは私たちが考える本人の利益ではなく本人の最善の利益のために行わなければならないことなど、つい支援者が思い込んでしまうポイントを再確認できたと思います。また、そもそも意思決定を尊重するためには、本人の価値を尊重し、ニーズを自ら表明できるよう支援する、そのための情報提供の方法を準備する必要があることも整理していただきました。権利擁護の視点からの研修でしたが、本人が決めていくプロセスに寄り添うこと、どう考えたかを理解しようと努めることなど、対人援助に必要な土台は変わらないということを改めて感じ、またその姿勢を日々続けていくことの大切さを肝に銘じた時間でした。

11月29日には、「対人援助実践の基本について振り返る」をテーマに、法人の元評議員で立川社協に勤務している比留間敏郎さんに来ていただきました。ご本人のニーズをどのように捉えるかという視点に加えて、スタッフとしての自分が置かれている状況をどのように分析するかを整理しました。素の自分と職業的な自分、その自分が組織の中で何を求められ、その役割に対してどこまで責任を持てるのか等を各々が考えました。特に興味深かったのは、自分の力量では無理な場合、やってくれる人を見つけることで自分の力や法人としてのやれる範囲が広がっていくということでした。自分とチームと法人のアセスメントをすることは、適切なサービスを提供する上でも、棕櫚亭の理念である「精神障がい者の幸せ実現のために地域を創造する」にもつながっていることを強く感じました。棕櫚亭をよく知ってくださっている比留間さんの例えはわかりやすく、作業中の隣同士のやり取りも面接であることや、アセスメントシートは書いて終わるのではなく、本人を理解して終わるのだなどのたくさんのポイントをいただきました。1年目から20数年目の者まで幅広い職員層で受けた研修でしたが、それぞれが持って帰れるものがたくさんあった3時間でした。

お二人ともお忙しい中ありがとうございました。

常務理事   高橋 しのぶ

 

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『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❺ “力強い生き方のヒント ~ 判断と選択の連続を生きていく -荒木 浩からの手紙”

法人本部 2017/12/13

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part4 くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの

 

前略
櫻井 博 さま

精神科医との距離感 ~ 櫻井さんの場合

~「現在精神科医とは程よい距離をとり、うまくつきあっていくことしか考えません」~

先日いただいた手紙のこの一文を読む限り、櫻井さんは精神科医師の存在をかなりドライにとらえていらっしゃる様子。これは意外でした。確かに思い起こすと、櫻井さんからあまり主治医の話を聞いたことがありません。勿論ドライというのは、軽視しているという意味ではありません。重要視しているのだが”全てにおいてではない”という意味に解釈しました。

我々支援者(いうまでもなく櫻井さんも支援者なのですが)は、精神障がい者と精神科医の強力な二人三脚と一途な信頼関係が、社会復帰への必要絶対条件のように考えがちです。そしてともすれば、利用者に何かあれば、安易に精神科医に話をもっていってしまうことが私自身過去に無かったとはいえません。乱暴な言い方をしてしまえば「精神科医が何とかしてくれるだろう」「問題は精神的なものにある」と言わんばかりに。今はさすがにそんなことはありませんが、これは反省しなければいけませんね。

そしてどうも目の前の櫻井さんは、問題を全て精神科医に解決してもらおうとは思っていない。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part3 精神病の原因に対するささやかな反論

荒木 浩

精神障がい者の地域生活を支援する大切な視点

本音を言うといただいた手紙を読んで、私自身かなりハッとさせられました。作業所に利用者として通っていた櫻井さんが職員になるまでに紆余曲折があったことは薄々聞いていますし、その時期のなかで櫻井さんの心の中に大きな地殻変動があったのではないかと想像できます。支援を受ける側から支援する側にまわる、具体的には、利用者が精神保健福祉士の資格をえて職員になるという一つの社会復帰のモデル的な過程を経た櫻井さん。そんな彼が思う精神科医との「程よい距離感」についての解釈に当初悩みました。しかしここは「病気」と「障がい」の違いという視点に立ち戻って、次のように櫻井さんの考えを整理した結果、冒頭の「重要視しているのだが全てにおいてではない」という解釈を私なりにしてみたということなのです。

精神障がいの場合、幻聴、幻視、妄想、うつなどの「精神症状(精神病)」と、その精神症状に伴う生活の不自由さ、つまり「コミュニケーションがうまくいかない」、「家から出ることができない」などの「精神障がい」の面は支援をする上では分けて考えにくいことです。しかし櫻井さんの場合、薬を主体として「精神症状」のコントロールは医師に、ストレス対処や生活面での「障がい」の対処は信頼できる人に相談、解決しているようです。そういう意味では、少しきつい言い方ですが精神症状をコントロールできなかったという意味では、大学時代に出会った「面倒見の良い」先生の薬使いは櫻井さんを満足させることができなかった。

彼の考えを借りるならば、精神障がい者の生活支援においては、私たち地域の支援者の役割も少しは重くなるのではないでしょうか。少なくとも、精神保健福祉士という資格ということを離れて昔を振り返ったときに、上司や先輩にきつく言われたことは「支援者は、病気そのものに目を向けるのではなく、生活者としての視点にたち、信頼関係を作りながら考え行動しなさい」という言葉です。

櫻井さんは「(医師との)相談・意見交換が現実に沿わない」旨のことを話されていますが、もしかして精神障がい者の生活支援者としての自負を先輩方はこの言葉にこめていたのかもしれません。

何かを妄信しない生き方 人生は判断と選択の連続

そしていただいた手紙を読んでいるうちに、櫻井さんのもつ価値観の一端が薄っすらと見えてきました。つまり、櫻井さんは、決して一つのものを妄信していないということです。一般には医師を権威的に見がちですが、櫻井さんの場合そうではなく、自分に力になってくれる必要な方をきちんと判断し選ぶ。これは個人的には大切な考え方の様な気がします。

今や、現在があっという間に過去の話になってしまう、あるいは何が正しくて、正しくないのかわからない、言い換えると善悪の区別をつけることが簡単に出来ない複雑な社会になっています。例えば、ちょっと大きな話になってしまうのですが、ちょっと前まで「世界はグローバル化(国際化)の方向に向かう」なんて言っていたのに、今や「ナショナリズム(国家主義)」の台頭。地震と原発の恐怖とついぞ報道されなくなった日常生活。あれだけ批判されたトランプが選挙で勝って、なんだかいつの間にかそれなりにすっぽりとアメリカ大統領らしくおさまっていたりするのを見ると、魔訶不思議な気持ちになったりします。そんなスピーディかつグレーな世界の中で、価値観もマスコミのたった一言で揺らぐなか、心情的には権威的な何かにすがりつきたくなるものじゃないですか(ちょっと余談になりますが、グレーな世の中だからこそ曖昧さが苦手な発達障がい(※1)をお持ちの方にとってはますます生きにくい時代なのかもしれませんね)。そして以前書きましたが、私が忌み嫌っていた偏差値もそう考えると、裏返って実は私の大きな心のよりどころだったのかもしれませんね。大人になって考えると、こうも物事がひっくり返ってしまうことに驚愕してしまいます。

櫻井さんが生きる術として精神科医(他者)に対してドライであるという心情は、私もレベルは違えども解からなくもないという気持ちもあります。「他者を妄信しない、すがらない」という気持ちは、現役時代に大学受験に失敗して頼るものもないまま、東京に逃げるように住みつくころ沸き起こりました。高校時代に母子家庭になったため、経済面で母親に負担をかけることが出来ず九州での自宅浪人は無理だと考え、ほとんど無一文で上京。東京での食い扶持探しに奔走した日を悪夢のように思い出します。「明日はどうする、どうなる」と眠れない夜を過ごした日々でした。まぁ結果的に新聞販売所での住み込みの仕事に潜り込むことができたのですが、そのころは精神的に追い込まれていたような気がします。物理的にも精神的にも「孤独」と感じたこの時期は、今思えば些細な「方言」、私の場合「こってこっての北九州弁」でさえもコミュニケーションの足かせになっていました。そのように考えると、今ここに生活し対人援助の仕事をしていることが奇跡なのですよ。どこでひっくり返ったのでしょうか?

(※1)発達障がい…対人関係・社会性やコミュニケーション能力に障がいがあり、物事に強いこだわりがあるのが特徴と言われます。またものごとを柔軟に思考することや変化に対処するのが難しい方も多いです。

 

ふと思いついたのですが、そうはいっても単にどこか楽観的で私がルーズな性格なので、このような危機感のなかでも精神病にならなかったのかもしれませんね。病気になる前の性格(病前性格)は精神病の発症と多少関連があるとも言われていますが、そうすると櫻井さんが繊細な性格だから精神的な危機感の中で病気になってしまったのかなぁと考えてしまいました。もしよければ櫻井さんが思う自身の性格について語ってくれませんか?性格について語ることは、気恥ずかしいですか?

草々

荒木  浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

  • 『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』
    Part ❿ “タイトル未定 – 荒木 浩からの手紙”
    👉
    2018年2月28日(水)公開予定

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

やはり「多摩の精神医療を変えたい!!」~二年目のご挨拶に代えて~

法人本部 2017/12/07

先月の11月19日に、理事会・評議員会が開催され無事終了いたしました。思い返せば一年前のこの日、理事長交代が行われ、天野前理事長から理事長職を引き継ぐ事となりました。渡されたバトンは重く、「さぁ、困った、これからどうしよう・・・・」、そんな思いで一杯だった事を思い出します。緊張や不安、焦りや戸惑いと、様々な気持ちがない交ぜとなり、何とも形容しがたい思いばかりが広がっていました。前に進むにもどこに足を置いていいのか分らず、無我夢中の一年だった様な気がします。

でも、具体的な体験や行動は、いい意味で人をシンプルにしていきます。一年前の重たい思いは、少しずつすっきりしていき、不安や緊張に少しの「やりがい」も加わり始めました。躊躇して踏み出せなかった一歩も、「とにかく動こう。」「とにかくやってみよう。」と、思えるくらいになってきました。と、こんな書き方をすると、なんだか順調そうな毎日に聞こえるでしょうが、そんな事はなく、十戦十敗は言い過ぎですが、日々修行、それが新体制を強くしていくと自分に言い聞かせながらの毎日です。

十戦十敗と書きましたが、この一年はたくさんの方々から様々アドバイスを頂きました。時には厳しいお言葉もあり、自分の至らなさを痛感することも多々ありました。しかし、厳しい言葉の裏には、棕櫚亭を大切に思ってくださる思いが透けて見え、「もっともっと自分が大きくならなければ・・・・」と、常に発破をかけてきた様にも思います。また一方で、その何十倍もの温かい励ましやご支援を頂き、改めて、棕櫚亭がたくさんの方々に愛されている事を実感した一年でもありました。そのような方々を残して行ってくれた創設世代には、本当に感謝の思いで一杯です。

こうして二年目に突入した新体制ですが、この一年をどの様に過ごそうかと考えています。その時気になるのが、最近の精神医療、精神病院の動向です。先日参加した東京つくし会主催の「マル障実現都民集会」では、杏林大学の長谷川利夫氏より、身体拘束がここ十年で二倍となり、治療の一環として当たり前に行われているという報告や、巣立ち会の長門大介氏からは「精神疾患を持つ人の余命は20年以上短い」という研究報告がありました。日頃、就労支援の現場に身を置くことが多い私にとっては、非常にショッキングな内容でした。

精神障害者にとって、一番身近なサービスであるはずの精神医療は、何も変わっておらず、むしろ悪い方へと変化している、そして、さまざまな課題は積み残されたまま・・・そんな状況を目の当たりにすると、精神障害者が法定雇用率の算定基礎に加えられ、「働ける時代がやってきた!」とばかりは言っていられない気持ちになります。やはり、私達支援者はこの現状から目を背けず、なんらかのアクションをしていかなければならないと思っています。なぜなら、このつけを払わされるのは、いつも精神障害者の方々自身なのですから・・・・。

 棕櫚亭の始まりは、「多摩の精神医療を変えたい!」という熱い思いからです。それから三十年が経ちました。そして新体制が二年目を迎えた今、やはり「多摩の精神医療を変えたい!」と強く思う今日この頃です。地域からどんな発信が出来るかはわかりませんが、職員一同で試行錯誤しながら、「自分たちが出来る事を考える。」、そんな一年にしていきたい思っています。二年目も温かく、そして時には厳しく見守っていただけたらと思います。                                                                        (理事長  小林 由美子)

 

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