『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❸ “病気の原因に対するささやかな反論 – 荒木 浩からの手紙”

法人本部 2017/11/15

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part3 精神病の原因に対するささやかな反論

櫻井さんの主張に対するささやかな反論

櫻井さんへの深い感謝と彼との対峙

前略
櫻井 博 さま

櫻井さんの気持ちを振り絞るように書いてくれた手紙には、心揺り動かされるものがありました。情景や心情が目の前に浮かびます。これほどリアルに、そして誠実に答えてくれたことに感謝します。私自身、支援者としての医療保護入院などに何度も立ち会った経験がありますが、本人はもちろん、取り巻く家族などの複雑に交錯した思いにいつも困惑し、何が正解なのかと悩んでしまいます。

ところで、櫻井さんは今も「人生は終わった」と思っていますか。確かに当時の櫻井さんの入院の辛さはわかりましたが、正直言うと「その程度」に対して忠実に思いを馳せることは、経験を積んだ今をもってしてもかなり厳しいです。しかしこの書簡を通じてそのあたりの繊細な部分に触れさせていただければありがたいと思います。そしてここで筆を終えてしまうことは「健常者職員」のありようを探る始点につながっていかないので、あえてすすめさせて頂きます。
そして、これから櫻井さんが書かれた発症の原因について、少し私見を書きたいと思います。
私はいわゆる団塊ジュニアと呼ばれた世代で、櫻井さんとは10歳ほどの年齢差があります。
従って、これから書くことは時代を考慮しないという前提で櫻井さんにお読みいただければと思います。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part3 精神病の原因に対するささやかな反論

荒木 浩

猛烈な勉強からは、精神病の入り口には立たなかった私

当事者である櫻井さんは「病気の原因」について、頭を酷使した結果であると書かれていますが、私は精神科医ではないのでそこに関しては答えることはできません。
ただ「頭を酷使した⇒(結果)病気になった」という構図には賛成しかねるという意見を持っています。「頭を酷使して」の解釈がもしかしたら違うのかもしれませんが、手紙を読む限りは「勉強して」と同義のような気がしましたのでそこをスタートとしました。勿論、誘因にならないと思っているのではなく、主因にはならないのではないかということです。
まぁ、そう思うのには私事を少し綴らなければいけないのですが、私自身が世代的にもいわゆる偏差値戦争に巻き込まれてきた苦い経験があります。「推薦入学」などもわずかにありましたが、学力一発!が幅をきかせていた時代だと思います。AO入試なんて、子供を持った今でも実はよく理解できていません。
「偏差値」これが私にとっては大きな意味を持つ数字でした。
特に父親の学歴コンプレックスはひどく、週に1時間しかテレビを見せてもらえない。結果、朝教室で友達が無邪気に「昨日のテレビ面白かったよね」などと話す会話に入っていくのが辛かった日々の思い出は、今も強烈にあります。案外とこういう思いは強くながく心に残るものなのです。ただ、立ち振る舞いが上手かったのかちょっと癖のあるこんな私がいじめ等にあわなかったのが、今思えば不思議なことです。特に中学生時代の学習は濃密でした。体育会系の部活動もしていたので、帰って1時間ほど寝て、朝の3時ぐらいまで机に向かう生活をしていました。そうして県内でも有数の進学校に入学しましたが、所詮はお山の大将で、偏差値お化けが沢山いることも思いしらされ、ショックを受けました。努力だけじゃ越えられない何かがあるのだと、子どもながらに思ったものです。
いえ別にここで自慢話をしたいわけではなく、櫻井さんに言いたいのは、単純に「私は精神病院にいかなかった」ということです。

精神病の入り口に立った者、すり抜けた者

それでは、自分が健全な子どもだったかというと、振り返ると後悔で過去を消してしまいたい思いに駆られることも数え切れないほどあります。今考えると「すさんでいたなぁ」と思うことも多々あります。このあたりのことは追々書いていくことになるかもしれません。勿論、個人の精神的負荷というものは主観的なものですから、櫻井さんと私のどちらが、大変な思いを重ねたかは比べることはできません。まぁ客観的には櫻井さんの方が大変な思いをしたのだと思いますが。

「ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない」と劇作家の寺山修司はある詩の中でこのように書いています。私はこのフレーズが大好きです。特に若いときには何度もこの言葉に助けられました。確かにそうかもしれませんが、しかしこの年になると「ふりむいて ふりむいて 前に夢をもつ」ことはできないかとも思うのです。ですから何らかの夢をもちながらも、壁一枚のところで違う青春時代を過ごした二人の青年期のことをもうすこし話してみませんか。もちろん私は、一介のしかも優秀とは言い難い精神保健福祉士でしかありません。ですから生物学上のとか、医学上のとか、アカデミックな話をすることはできませんので、櫻井さん個人の視点に立った精神病の実態を軸に「健常」とは何かということについて考えさせていただきたいと言うお願いです。
そこでまず「主治医」や「薬」といった病気や障がいと切り離せない事柄のお話を聞いてみたいと思いました。
いかがでしょうか?

草々

荒木  浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

  • 『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』
    Part ❹ “くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの – 櫻井 博からの手紙”
    につづく 👉
    2017年11月29日(水)公開予定

 

Photography: ©Masaaki Miyara / Argyle Design Limited

「じっくり」という事。~なぜ今、往復書簡なのか?~

法人本部 2017/11/02

「往復書簡の様な事が出来ないだろうか?」こんな事をスタッフの荒木さんに相談したのはまだ暑さが残る頃でした。新体制がスタートして半年が過ぎようとしていた頃の事です。創設世代の熱さはそのまま引き継ぐにしても、「私達なりの外部への発信の仕方はどの様にしていけばいいのか?」そんな事に悩んでいました。併せて、福祉分野に参入してくる民間事業所の広報力に、資本もマンパワーも敵わない中「どの様に対抗していったらいいのだろうか?」という思いもありました。

そんな時に、口について出たのが書き出しの言葉です。今はSNSの時代、スマートフォンが一台あれば世界と繋がる事が出来ます。時間も場所も選ばず、情報伝達も早い、倍々ゲームのように拡散するその広がりが、SNSの魅力なのだと思います。だから、生き馬の目を抜くような現代に、このコミュニケーションツールは爆発的な人気があるのでしょう。

でも、だからあえて「往復書簡」と考えました。「手紙」は一人の人が、ある特定の人に向けて、自分の思いを綴ったもの。そこからは、その人の心の形が見えてきます。SNSの様は速さや、一気に拡散する広がりはありませんが、そこには「じっくり感」があります。常に宿題を抱え、それに答えを迫られる日常の繰り返しは、人の心を手に取って味わう事を後回しにします。

先日、障害者雇用企業支援協会(SASEC)を訪ねました。混迷を極める障害者雇用の現状を、どう読み解けばいいのか?ヒントが欲しくて数々の質問をする私に、諭すように畠山理事がおっしゃった言葉が印象的でした。「障害者雇用は雇用促進を急ぎすぎるばかり、支援者、企業、そして、当事者自身もじっくり育て、育つ事をやめてしまったんでしょうね・・・・」

もしかしたら、今起こっている企業の不祥事などの社会問題は、世の中が「じっくり」をやめてしまった事と関係があるのかもしれません。ただ、この激流のような社会の流れを戻すことは出来ないでしょう。ですから、この流れに乗りつつも、ホームページの中だけでも、一つのテーマに時間をかけて考えていきたいと思いました。

  それを担うのは、櫻井さんと荒木さん、これまた二人がじっくりと練った企画です。両氏なら役者に不足はありません。据えたテーマも、なかなか本質的もので答えが出るのか?とも思いますが、私も二人の手紙を読みながら、時間をかけて一緒に考えていきたいと思います。

(理事長 小林 由美子)

特集/連載 『往復書簡』
www.shuro.jp/tag/friendship-letters 👉

『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❷ “発症時の記憶と病気の原因 – 櫻井 博からの手紙”

法人本部 2017/11/01

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part1 発症時の記憶と病気の原因

発症時の記憶と病気の原因

発症~ 猛烈に打ち込んだ受験勉強から統合失調症の入り口へ

前略
荒木 浩 さま

「ある日目覚めてみると虫になっていた。」カフカ作の『変身』を思い起こした。
その当時を思い起こすとその小説と同じ感覚にとらわれる。結果的には猛烈に受験勉強したあげく試験当日に襲われた病である。一年間生活全体をひたすら勉強に費やし多くの受験に必要な知識を記憶した結果なったのではないか、と今は想像することができるが、当日の朝は不思議な感覚であった。朝5時ぐらいに目覚め、鳥が〈ピーチク〉鳴いていることが、自分になにか語りかけているような気がした。自分を取り巻く世界が変わった、不思議な感覚であった。
今なら清々しい朝といえるが、その朝は全世界が自分に注目している錯覚が起きた。その感覚(妄想)にとらわれ、受験の朝にもかかわらず、起きあがることができなかった。まさに虫になっていた。

たまたまスイッチをいれたラジオ放送で毒蝮三太夫が話す内容が自分の母の事を言われている感じがした。結局その年は願書をだしているにもかかわらず、一校も受験できなかった。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part1 発症時の記憶と病気の原因

櫻井 博

40年前の日本の精神医療の状況。

その当時つまり、昭和53年の精神医療はどうだったか。
昭和58年には宇都宮事件が起きている。栃木県宇都宮病院で看護師の暴力により患者2名が亡くなった事件である。世界では昭和53年イタリアでバザーリア法(精神病院廃絶法)ができている。イタリアではかなり精神病院を取り巻く状況はすすんでいた。日本では精神病院の理解は遅れていた。その遅れから病院は透明性を欠き、私には実態はわからなかった。

人生の終わり~ 精神病院の鉄扉の向こうへ。

私は最初これが病気だとはわからなかった。両親もそうだと思う。深い森のような病院にタクシーで着いた時、本当にここで自分の人生は終わると確信していたのをいまでも記憶している(病院は病気をなおすことと考えれば笑ってしまうことだが)。その時の病院の鉄扉を開けて中で展開される世界はいまだに脳裏に焼き付いている。恐怖だけである。扉の向こうに入ったとき、皆の好奇の視線を感じながら振り向くと鍵をかけられた。その当時は精神病に関する情報量が圧倒的に少ないため、原因もわからないし、病気自体も知られていなかった。
入院した病院の閉塞感から自分の精神は壊れ始めた。私は精神科医ではないのでうかがいしれないが、自分では病気になる前の一年間は「無理して生活していたのだな」と、今は思う。生活を一変させた受験浪人した一年の生活である。この一年、頭を酷使しすぎた結果病になったのではないかと思うが、もしかしたら他の要因がもともとあったのかもしれない。精神病院と出会ったこの経験が後の、家族への接し方や生き方にすくなからず影響を与えた。

荒木さんは精神の病をどう捉え、入院している方の気持ちをどこまで想像できるでしょうか?
本人の了解を得ない入院がますます病気を悪くする、そんな思いがわき起こる。
閉鎖された空間で精神的に追い込まれたとき、なおかつその状況が孤立したものである場合、おおかたその波にのみこまれ、出口はわからなくなってしまう。退院できることは回復とはいえないことが、この病気の難しいことである。退院後の生活は地域にひきつがれることになると思うが、「入院という手段が本当に適切なのか」いまだに疑問に思うことがある。
入院を否定しているわけではないし、急性期にある時、入院せざるを得ない状況も理解できる。でも、でもだ。入院は個人に多大なストレスな状態を与える。あの時もし他の人に話しができれば、あるいは入院に到らなかったかも……

それは40年前ここで人生が終わると思った鉄扉の向こうに行ってしまった者の思いである。

草々

櫻井 博

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

  • 『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』
    Part ❹ “くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの – 櫻井 博からの手紙”
    につづく 👉
    2017年11月29日(水)公開予定

 

Photography: ©Masaaki Miyara / Argyle Design Limited

【報告】29年前半期職員Day合宿

法人本部 2017/10/30

10月27日の午後の時間を使って、平成29年前期Day合宿を行ないました。開催に当たって、利用者の皆さんにはご協力いただきありがとうございました。

この合宿は、年度の始めにたてた活動目標と、この前半期に行なった各事業所の活動をすり合わせて、報告、検討する場となっています。全職員が集まれることがほとんどないので貴重な時間となっています。

各事業所共に概ね順調に活動していることが確認できましたが、就労系事業所は就労支援上の悩み、生活系事業所は生活支援上の悩みなどが話題としてのぼり、共有できました。

そして、それぞれの活動とその報告の中で見えてきたことは、就労支援も生活(医療)支援も平成30年の法律改正でダイナミックに施策を国が動かそうとしているということです。世界的にみて精神医療が遅れている状況への改善の動きともみてとれますが、一方で国庫支出の削減という国の方向性が強く打ち出されているようにも思えてきます。

CIMG0524また、昨今マスコミでも取り上げられている様な、貧困の問題、児童虐待、不登校の問題なども私たちの支援とは無関係ではなく、むしろ今後は更に身近な問題になってくるだろうということも共有できました。

今回のDay合宿は、複雑な精神保健福祉やその周辺状況を情報共有することで、私たちの法人がすすむべき方向性を考える良い機会になりました。そういう意味では引き続き、各々の職員も社会の動きにいろんなアンテナを張りながら、意見交換し、「利用者の幸せ実現」につながるような活動展開を考えていきたいと改めて思いました。

ピアス 荒木 浩

 

台風21号による各事業所の開所状況

法人本部 2017/10/23

本日(23日)、ピアス・棕櫚亭Ⅰ・オープナーの各事業所 (なびぃを除く) は通常通り 開所 します。

朝6時30分時点で風が依然強めです。

現時点で交通機関に大きな影響は出ていないようですが、列車の遅れ等も今後発生するかもしれません。

その場合、慌てることなく、いつも通り各事業所に電話していただき遅れる旨お伝えください。

くれぐれも気をつけてお越し下さい。

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会

法人本部

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『往復書簡 1 – 櫻井博と荒木浩』Part ❶ “はじまりにあたって”

法人本部 2017/10/18

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part1 はじまりにあたって

はじまりにあたって

棕櫚亭は今年ついに30年。新たな時代のはじまりに。

当法人は、東京都・国立市に共同作業所棕櫚亭Ⅰを立ち上げたことを皮切りに活動を開始しましたが、今年ついに30年をむかえることができました。
創設世代は平成29年3月を最後に退職しましたので、法人化以前の過去を知る者も少なくなってきました。私自身その歴史の中で25年近く職員をさせていただいているので、振り返ると入職当時と比べて精神障がい者の福祉が充実してきたなぁと深く実感できる最後の世代かもしれません。

若き日に思い描いていた仕事の将来像。

精神障がいの何たるかも知らない二十歳そこそこの若造が入職当時、勝手に思い描いていたのは、「私達健常者職員がいなくなることがこの業界の一つのゴールである」ということです。これは、本当に本当に真面目に考えていました。理由としては、彼らがリハビリをして、精神状態が安定してくれば健常者と替わらないのではないかという思いが一つ。骨折等の怪我のリハビリのイメージが念頭にありました。次に障がい当事者の気持ちは彼ら当事者にしかわからないという強い思い(こみ?)が一つ。経験者にしか経験の辛さはわからないという価値感は自分自身の成育歴と結びついてきているかもしれません。そして最後に、その頃この障がいはこころが風邪をひいているようなものだと盛んに言われていて、風邪ならいつか治るだろうし、むしろもしかして自分もひくかもしれないと思っていたのが三つ。
こういった三つの理由をまとめると、少なくともこの分野では健常者と当事者の境は有るようで無く、むしろボーダレスになる(統合される)ことこそ健全な世の中でだと考えていたからです。実際、この業界に飛び込んでくる職員は確かに、強い悩みを抱えていることが多いですし、近親者に障がい者がいるなど、健常者と障がい者との間辺りにいる方が多いように感じます。

ピア(当事者)の時代だからこそ自分達のありようを見直したい。

しかし、25年間職員をしているといろいろな心境や環境の変化があるものです。自分の思い、つまり「私達健常者職員がいなくなることがこの業界の一つのゴールである」という思いは、「ピアスタッフ」という方々の台頭で正しかったのだと思う一方、残念ながらまだまだ全体の一部でしかないのが実状だと思います。もちろん、当事者の時代が始まったということの実感は、当事者の櫻井さん(往復書簡を行なうパートナー)が法人のスタッフに加わったことからも意識していますが、彼のような方は極まれです。そうだとすると、ボーダレスになるという私の過去の仮説は少しだけ違っていて、境界線は薄まってきているということなのかもしれません。

むしろ私には、誤解を恐れずもっと踏み込んで言うならば、「健常者でも当事者の気持ちが積極的にわかるのではないか?」という気持ちが少し芽生えています。勿論、健常者だからこそできるとは決して思いませんが、ピアとは違うアプローチ『も』支援の受け手の選択肢の一つと「強く」アピールできないかと思っています(現段階ではこちらのほうが圧倒的に主流なのですが)。「当事者の時代」がこの先どのようにすすんでいくのか非常に興味深いところなのですが、この新たな時代のはじまり(少なくとも棕櫚亭にとってのはじまり)に「健常者職員」と「当事者職員」の違いを考えてみるのもいいかもしれないと思いました。
こんな思いの中、同じ職員でありながら何故に自分が「健常者」と言われ、櫻井さんが「障がい者」と言われるのかということを、私達の思考パターンなど内部要因、あるいは生活暦・生育暦など外部要因を切り口にして考えたいということを櫻井さんに提案してみました。そしてそれを往復書簡という形にしてみましたということなのです。

共に「境界線」を探る心の書簡。

服薬の有無といった目に見えることに限らず、べたに「障がい者と健常者の違いは何ですか?」という漠然とした問いを投げかけられても櫻井さん自身が困惑するでしょう。ならばどうすればよいのか考え、櫻井さん個人にせまってみることを考えました。つまり櫻井さんに当事者として自己開示していただきながら、こちらも一人の健常者として自己開示していき医療とは違う視点で、「当事者職員」と「健常者職員」の境界線を探ってみようという試みです。
勿論、できるだけフェアに相互開示できるように書きたいと考えています。但し出たとこ勝負なので、おそらく話は脱線したり、まとまりが無かったりするものと思われますが、その点は御容赦ください。

先に本音を言ってしまえば、櫻井さんの上司であった時期もありますが、腹を割って話すということまでしたことはありませんし、恐らくこの書簡を交わして今の距離を縮めたいと思っているわけではありません。しかし、あらかじめ書いておくと、彼は10才年上の男性として魅力的だし、尊敬もしています。そういう意味でお互いの同意と信頼感の下にこの書簡は成り立っていますので、多少白熱してもいいのかもと、密かに思っています。

なんだか大げさなテーマを掲げましたが、実は極私的自己覚知を櫻井さんの胸を借りておこなわせてもらいたいと腹黒く考えているのかもしれません。もちろん無意識ですが。
それでは櫻井さんの大好きな相撲に例えて「はっきょーぃ!」

社会福祉法人多摩棕櫚亭協会
ピアス副施設長
荒木 浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

  • 『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』
    Part ❹ “くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの – 櫻井 博からの手紙”
    につづく 👉
    2017年11月29日(水)公開予定

 

Photography: ©Masaaki Miyara / Argyle Design Limited

当事者発信

法人本部 2017/10/16

9月の末に連日、当事者の方々の訪問がありました。(詳しい内容は、9月27日、28日にすでに公開されている櫻井さんの記事をお読みください。)

お一人は宮内さん、国立市在住の方です。現在、市内初になる依存症の自助グループを立ち上げようと奮闘されています。ご自身も発達障害とギャンブル依存を抱えていらっしゃいますが、自助グループに出会い、回復した体験をもとにグループ立ち上げを考えたそうです。「どんな依存症でも広く受け入れ、様々な方が利用できるグールプにしたい。」と、訪問時に熱い思いを語ってくださいました。

もうひと方は、青梅市で「ぶーけ」というピアサポートグループの活動をしている松井さんです。仲間の方々と5名で来所してくださいました。「ぶーけ」は10数年前から、当事者活動を続けている団体ですが、今、過渡期を迎え、今後どの様な方向に進めていくのかを検討している最中との事でした。「活動を発展させていくためには、経済基盤の安定がとにかく大切」と、話される姿は正に経営者。こちらもまた熱い思いを語ってくださいました。

そして先週、ピアスOBで現在、ピアサポーターとして活躍している塩田由美子さんからメールをいただきました。そこには、メッセージと共に、都が発行しているミニ通信が添付されていました。中身を空けてみると、彼女が多摩総合保健福祉センターのデイケアプログラムで、講師を務めた時の様子が掲載されていました。統合失調症で何度も入院をしたり、薬をやめて病状悪化してしまった事、それでも自分ができる事があると始めたピアサポーターの活動の様子など、様々な体験をお話された様です。結果は大好評。メールにも「当事者の自分がそこに居させていただけて、なんらかの役に立てることは、うれしいし、やりがいを感じています。」とありました。

この2週間の間に相次いで聞いた当事者発信の言葉、そこには力強さがありました。

今、平成30年の精神障害者の雇用率算入に向けて、障害者雇用の現場は大きく揺れています。規制緩和後の就労移行支援事業所の乱立や、障害者を専門にした転職サイトの活況さなども手伝って、どこに向かっていくのか混迷を極めています。今まで私達が大切にしてきた就労支援のスタイルなどとは関係なく、時には禁じ手としてきた様な手法で支援が進んでいく現状を見ると、自分たちの手詰まり感さえ感じます。

そんな矢先に続いた当事者発信の言葉の数々。それは私に「なんだこの人たちがいるじゃない!」と気付かせてくれるものでした。以前、天野前理事長にこんな事を言われたことがありました。「あなたはメンバーの事をまだ信頼しきれていないのよ。」と。そう忘れていました。福祉市場は混迷を極めていますが、それとは関係なく当事者は前に進み、着実に力をつけている事を・・・・。

「ぶーけ」の方々がいらした時に、棕櫚亭のピアサポートグループ「SPJ」との懇親会がありました。その時、あるSPJメンバーがこんな質問を投げかけました。「私達は何をしていけばいいんだろう?」、それに答えて松井さんは「とにかく続ける事だよ、細々でもいいから・・・・」と話されました。その言葉は、少々泥臭くても、前に進んでいく体験からしか生まれないものだと思います。そして同時に「私もとにかく続けなくては。前に進んでいかなくては。」と、私自身に渇を入れてくれるものでもありました。                                  (理事長:小林 由美子)

追伸:棕櫚亭のホームページで新しい連載が始まります。棕櫚亭当事者スタッフの櫻井博さんとスタッフの荒木浩さんが、往復書簡の形をとって、互いの意見を交換していきます。荒木さんからの手紙に返信する形で、櫻井さんの当事者発信が始ります。スタートは今週水曜日です。是非ご一読ください!!

前理事長 天野聖子さんが東京都功労者表彰されました

法人本部 2017/10/03

東京都では毎年秋に、名誉都民顕彰及び東京都功労者表彰を行なっています。地域活動・文化・教育などと共に東京都の福祉の増進に貢献した方を表彰するというものです。

そして今回、平成29年度東京都功労者の福祉分野で、今年3月末をもって退職された前理事長の天野聖子さんが表彰されました。

身体障がいや知的障がいの分野から遅れることはるか、平成7年にようやく精神保健福祉法が施行され、ようやく精神障がい者の支援が福祉分野に位置づけられましたが、それまでは医療の一部として扱われていました。しかもこの福祉法施行後も、精神障がい者だけ受けられないサービス・手当などが沢山ありました。福祉事業(施設)サービスに至っては、他障がいと横並びになるのを平成18年自立支援法施行まで待たねばなりませんでした。今でこそ「障がい者差別解消法」など法整備が一層進んでずいぶん改善されてきたとは思いますが、当時を知る職員は同じ福祉でも露骨な格差があったことが忘れられません。

そのように考えると、天野さんをはじめ先達が奮闘してくれたことにより、ようやく今の精神保健福祉分野の地位向上に繋がったのではないかと思います。そういう意味では今回の受賞は、「精神保健福祉の幕開け」の第1章として相応しいものだったのだと思います。

記念すべき棕櫚亭30周年と喜ばしきことが重なりましたが、ここで改めてお伝えしたいと思います。

「天野さん、おめでとうございます」

IMG_6531

天野 聖子さん 職 歴 等 期   間
北山病院精神科ソーシャルワーカー(京都府京都市) 昭和46年4月~ 昭和51年3月
川口病院精神科ソーシャルワーカー(埼玉県川口市) 昭和51年4月~ 昭和56年3月
青木病院精神科ソーシャルワーカー(東京都調布市) 昭和56年4月~ 昭和62年3月
くにたち共同作業所棕櫚亭 施設長 昭和62年4月~ 平成9年3月
社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 理事 平成9年11月~ 平成12年11月
同上 常務理事 平成12年11月~ 平成21年11月
同上 理事長 平成21年11月~ 平成28年11月
立川ハローワーク相談員 平成7年4月~ 平成9年3月
社会福祉法人はらからの家福祉会 評議員 平成20年10月~ 平成24年9月
同上 理事 平成24年10月~ 平成26年9月
東京都障害者就労支援協議会 委員(福祉保健局) 平成19年4月~ 平成26年2月
東京都地域移行推進専門研修企画検討委員会 委員(福祉保健局) 平成22年9月~ 平成22年10月
障害者総合福祉推進事業検討委員会 委員(福祉保健局) 平成24年4月~ 平成26年3月
独立行政法人高齢障害雇用支援機構 雇用管理サポート協力専門家 平成22年4月~ 平成24年3月
障害者の職業能力測定基準に関する調査研究委員会 委員 平成22年4月~ 平成24年3月
多摩総合精神保健福祉センターと地域関係機関との連絡会議 委員 平成24年4月~ 平成26年3月
東京都障害者職場定着サービス推進事業推進連絡会 委員 平成27年4月~ 平成28年3月
全国就労移行支援事業所連絡協議会 副会長 平成24年8月~ 平成27年3月
東京都福祉保健局障害者就労支援体制レベルアップ研修 委員 平成21年4月~ 平成23年3月

ピアサポートグループ「ぶーけ」の方々をお迎えして

法人本部 2017/09/28

9月26日、青梅市にあるピアサポートグループ「ぶーけ」のメンバーの方々5人をお迎えして、棕櫚亭の各施設を見学していただきました。

CIMG0479

皆さん、ピアスの施設に興味をもち、利用したいという方もいらっしゃいました。又オープナーのようなジョブコーチのような仕事に将来、関わりたいという声も聞こえました。

 

各施設の見学は2時間ほどで終わり、そのあと懇親会も含めてカレー屋に行きました。「ぶーけ」は会則もあり事務局長の松井さんをはじめ、いろいろな仕事をしている様でした。SPJ(棕櫚亭PEER事務局)のメンバー内藤さん、織田さんも加わり、当事者活動の素晴らしさも話しながらも維持していく難しさも話され、経営の考えが大切と松井さんが言い切ることをメンバーは重く受け止めていました。

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現在いろいろなところでピアの力が評価されていますが、「ぶーけ」は10年以上も前から活動しているので、その経験に学ぶことはたくさんありました。熱い討論も終えたのは夜の8時頃になっていました。松井さんをはじめ数名のメンバーの方は午前中仕事をしてから駆け付けた方もいらっしゃいました。見学、懇親会と過ごされ疲れたかと思います。皆さまありがとうございました。

この2日間、当事者の方の見学が続きましたけれど、私達も学ぶことが多かったです。今後もこの様な機会を積極的に持っていきたいと思います。  (櫻井 博)        CIMG0477

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当事者の宮内さんと国立社協の飯田さんをお迎えして

法人本部 2017/09/27

9月25日、国立市にお住いの宮内さんと、国立市社会福祉協議会の飯田さんが、棕櫚亭の見学にいらっしゃいました。宮内さんは、国立市で依存症の自助グループを立ち上げる予定で、飯田さんは立ち上げに関わっていくという目的でした。

 

2人は各施設を見学されていかれましたが、宮内さんがピアスⅡを見学した折、ピッキングの練習が、以前、障害者職業センターで経験したのと同じ内容であることにびっくりして、「私も以前はこういう練習をしていました。」と懐かしむ一場面もありました。さらに各施設を回った後には、「現在はスーパーで仕事をしていますが、もっと早く棕櫚亭を知っていたら、利用したかった。」と、おっしゃっていました。

 

見学し終わった後、理事長の小林さんも交えて質疑応答の時間をもちました。棕櫚亭SPJ(PEER事務局)の話題もでたので、現在SPJは働く当事者の自助グループで月一回茶話会を開いていることを話しました。何故働く人のグループにしたのか、茶話会のテーマはどういうテーマなのか突っ込んだ質問もありました。今度立ち上げる予定の「ぶどうの会」は参加者を絞ることなく皆に開かれていて、話すテーマもいろいろ用意したいとのことでした。社協の飯田さんは良き相談相手として、関わってくださるようで、私たちの会話を一生懸命聞いてメモを取っていました。

 

国立市に依存症の自助グループが立ち上がると聞いて、助かる人はたくさんいるかと思います。今日の見学が将来、少しでも役に立てばと願ってやみません。                           (櫻井 博)

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