福島・被災地への旅に思う(元理事長天野編)

研修会 2019/04/06

やっとやっとの連休なのに、出勤扱いでもないのに、しかも4万円の自己負担-それでも本部主催の「福島大熊町避難困難地域見学ツアー第2弾」には十六人もの職員が手をあげた。昨年の経営陣の見学後、案内してくれたソーシャルワーカーを招いての講演会、そしてその後の交流会で、知りたいこと、聞きたいことが体の奥から湧いてきた若手の職員達だ。3.11、あれはなんだったんだろう?電気を煌々とつけスマも家電も使い放題のいまの暮らしでいいんだろうか?この先の便利さだけを享受して、脅威的に進化する社会をこのまま続けていくんだろうか。たくさんの疑問符のさきにある福島。それは知りたい、見たい。とにかく行きたい、こんなチャンスはないだろう、そんな思いが結集した見学ツアーだ。
やっぱり-と誰もが思った。日頃の現場の喜びや悲しみとはまた次元の違うような光景に圧倒された。これはなんだ、どう考えるんだ、これは何と繋がっているんだろう。それぞれの心の中に入り込んだものを必死に組み立てその正体を探す、こんなに言葉を探したことがあっただろうか。一言一言にためらい、戸惑う事があっただろうか。地震、津波、放射能、そして避難の後の帰還不能のままの四万人を越える人たち、ディアスポラも難民もどこか遠い外国のことと思っていたら、東京から電車で3時間のところにこんな地域が広がっていたことも驚きだ。

考えることはいくらでもある、除染中間処理から始まる最終処分場の問題。5回も6回もの転居と適応や不適応、家族の解体、子供の学校やひろ月差別、作業員の健康被害や生活保護からホームレス。終わらない恐怖の放射能に再稼働の動きも出てきて、電力問題やら再生エネルギー、加速する二酸化炭素と地球温暖化、どこでどう折り合いをつけるのか頭の中は混乱するばかりだ。東京に電気を送る太い送電線の下にソーラーパネルが広がり、そこをすぎると除染の山がデイズニーシーとディズニーランドを合わせた面積の16倍の広さで広がっている。複雑系をなん乗にもかけたこのどうしようもなさに身震いがする。そんな職員の声にならない様子を伺いながら、きっかけ作りをした私も、一緒にきてよかったとつくづく思った。少なくとも次に繋がった。かれらにはまだ時間がある。

思えば社会人になって働くとその世界、業界で何十年も生きるから、社会で起きている根元的なことと無関係になりがちだ。これだけ人が孤立してゆく社会なのに専門とかプロいう言葉を隠れ蓑に大事なことを知らないまま歳を重ねてしまう。100年生きることが当たり前の時代と言われているのだし、精神障害の問題はいつの世も社会の矛盾と深く関わっているのだから。多くを知ってまた現場に戻るという学習の仕方を提供したかった。この見てしまったことの足場から考えを、言葉を、行動を広げていって欲しい。

3.11から8年目を迎えた今年。テレビでも毎日のように様々な報道が流れた。何時間何日費やしても語りきれないほどに課題は、毎年膨らんでいくばかりだけど、日本中のみんなが共有しているという気持ちも合わせて持てるようになった。

昨年出逢った浪江町の自治会長さんが言っていた。見て欲しい、語って欲しい、これは一つの世代で終わる事ではないのだからと。
だから贅沢すぎる見学ツアーだった。受け入れてくれた大熊町の高瀬さん、コーディネーターの松本さんの度量の深さには感服するばかりだ。

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