4月の予定をお知らせします

棕櫚亭Ⅰ 2018/03/27

暖かい日が続いています。
先日のウォーキングで大学通りの桜を見てきました(^^)/
ちょうど満開に近づいていて、とても綺麗でした!

HP用②

HP用①

さて、4月の予定をお知らせします♪
4月は障害者スポーツセンターの改修工事のため、代替施設となる味の素スタジアムへ見学に行きます。
また、5/2に歓送迎会を行うのでその準備も始めていきます(^_-)☆

4月の予定表はこちら→4月月間予定表

また、今まで絵画の展示をさせていただいていた多摩総合精神保健福祉センターさんが、展示のレイアウトを変更するということで、絵画を回収してきました。

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国立社協の喫茶わかばさんと、なびぃ、ピアスⅡには引き続き展示をしていただいています(*^_^*)
また今年も、6月頃に絵画展をする予定なので是非足を運んでください!

今年度もよろしくお願いします(^^)

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SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信22号を発行しました

ピアス 2018/03/26

SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信22号を発行しました。

ピアス通信22号

今号の記事内容は・・・

1面から3面までを「全国就労支援連絡協議会」の新人職員研修にピアスOBの方と職員が参加しましたので、そのご報告に関する記事構成となっています。

ぜひご覧ください。

【報告】家族講座(その2)を開催しました

なびぃ 2018/03/20

去る3月17日(土)、今年度2回目の家族講座を開催しました。今回のテーマは、“笑いヨガ”です。

講師は、ラフターヨガ(笑いヨガ)認定笑いヨガティーチャーの岡井裕美さん。岡井ティーチャーの用意してくださった。資料には、『笑ってごきげんで暮らそう!』のタイトルが・・・・素敵です!

笑いヨガは、笑いの健康体操にヨガの呼吸法を組み合わせたものです。私たちの脳は、可笑しくて笑っても、体操として笑っても(笑うふりをしても)実は区別がつきません。笑う体操で、笑いの効用(自立神経の活性化、脳の活性化、免疫力のアップ)が得られるのだそうです。

そして、実際の笑いヨガの体操では、なんと・・

アロハ笑い、ライオン笑い、鳥のフン笑い、お尻に一万円札笑い、梅干し笑いなどなど・・・waraiyoga

体操の中でハワイに行って泳いだり、鳥のフンをかけられたり、宝くじが当たってお札の扇子であおいで笑ったり、お尻に一万円札を挟んで笑ったり・・・奇想天外な笑いの数々、恥を忘れて、思い切りやりました。やり切りました。

不思議にも、終わる頃には、肩や背中が軽くなっていました。

最後になりましたが、岡井ティーチャー、当日お集まりくださったみなさま、本当にありがとうございました。

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1日レクで横浜中華街に行ってきました!

棕櫚亭Ⅰ 2018/03/19

3/16(金)、1日レクで横浜の中華街に行ってきました!

1か月ほど前からパンフレットを見ながらお昼ごはんの場所などを決め、ついに当日です♪

駅に着いて、まずは横浜関帝廟に行ってお参りをしました(^^)/

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そのあとはお待ちかね、お昼の時間です☆
サンドイッチ組と中華料理組の2組に分かれたのしみました(^O^)

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大満足な量とおいしさでついつい笑顔がこぼれてしまいました(^O^)

そのあとはおみやげ探しです(^_-)☆
みなさんパンフレットを見ながらお目当ての品を探していたようで、大満足の表情を見ることができました♪

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そして最後は食べ歩き☆

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あんなに満腹ごはんを食べたのに、豚まんやらチーズタルトやら胡麻団子の誘惑に勝てずついつい、、、(*^_^*)
その分歩いたのでよしとしましょう!

残念ながらお天気には恵まれませんでしたが、みなさんの笑顔をたくさん見ることができてとてもたのしい1日レクとなりました!

『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ⑪ “就労 クローズ就労での経験 オープン就労がなかった時代 -櫻井 博からの手紙”

法人本部 2018/03/14

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

就労 クローズ就労での経験 オープン就労がなかった時代

前略
荒木 浩 さま

今から20~30年前は、病気のことは話さないで就労するのが当たり前でオープン(自分の障害を話して就労する)クローズ(自分の障害のことを話さず人事面接を受け就労する)という考え方もはっきりなかった時代がありました。今ほど病気の理解もすすんでいない時代でした。

就職の面接に行っても「性格はちょっと内向的で、人間関係とか気にするタイプ」とか自分を表現して乗り切っていました。

企業のほうにも働く側にもある意味、病気が一過性と考えられていた時代でもありました。

いまでは考えられないことですが、学生時代の就活は病院から外出届をだして、面接に行き病院に帰ってくることもありました。病院からスーツで会社面接に行って病院に帰ってくると、「よ、会社員」などと患者さんにからかわれることもありました。

 

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

櫻井 博

病気になったから幸せになれた

病気をしたから得た人間関係、そして自分の悪い性格もすこしは丸くなったかと思いがあります。

病気と真剣に向き合えた棕櫚亭のメンバーとしてこの施設に参加していた何年間で考え方も価値観も変わりました。

ちいさな幸せで十分満足でき、それを他の人と分かちあえる。これはおそらく病気にならなければ体験できなかったと思います。

受験期の自分の価値観は社会的名誉とかお金持ちになりたいとか、そんな考えにあふれていた感じでした。その一方でそうじゃない、もっと違う何かがあると感じていたこともありました。その何かが病気になってわかったような気がします。お金には変えられないもの、それも病気を通じて知りあった仲間が教えてくれたようです。

それも棕櫚亭という施設に出会えたからです。病気になって幸せになれたと考えられたのも多くの同じ病気をもって生活する仲間を知ったからです。

それまでの過程をすこし話したいと思います。

辛いを乗り越えた先

荒木さんが手紙で言われた「生き抜く」というのも、私も病院の中で痛感していました。

先に就労のことを書きましたが、クローズで就職している意識はあまりありませんでしたが、(あまり病識がなかった)患者さんがいなくなっていく(ほとんどが自死)時、死ぬのもいやだが、生き続けることももっと大変でした。病院で死ぬと思っていた19歳の自分は30代にはいなくなっていました。荒木さんが辛いことを乗り越えて成長していったのと同じように辛いことは私も多かったです。

 

問題は仕事ができない

就職の面接に受かっても、現場は細かい指示もあったり、基礎的なパソコンの知識、体力を求められたりして、よく怒られていました。

例えば今日残業になりそうな時、上司と一緒に夜の9時まで仕事をして、翌日は全員が8時出勤とかもありました。自分が精神的な病をよく知らなかったぶん、休みたくても自分の状態を説明できないことが多かったです。「なんでスピードが遅いのか」という指摘が多く悩んで愚痴を言っていることもありました。病院から企業訪問していたので、昼間も眠くてしょうがなかったです。今なら病気を休息期、回復期とか考えられますが、その当時は人並みに仕事をして、現場で鍛えられた感じでした。上司の命令は絶対で、もしかしたら今で言うブラック企業だったかもしれません。仕事をして給料はもらっていたので生活にはあまり困らなかったですが、その分お酒や食事にお金を使っていました。

お酒は仕事が終わると3日に1回ぐらいは同僚、上司と飲みに行っていましたし、夕食は外食でした。

将来への望みもなく、毎日くる日もくる日も過ごしていました。

一人暮らしでしたので、気楽でしたが、今人に支えられているなかで感じられる幸せ感はなかったです。

会社を休みたくても、休めず、「とにかく出社してこい」と言われ、働き続けたという感じがします。

仕事を通じて、皆会社では仮面をかぶって演じていて、会社という舞台で踊っているような感じでした。仕事上、注意され叱責されるのも、長時間働くのも、今でいう「仕事だから」という意識が会社側には強かったです。

自分も生活の為に働いているというわりきりがありました。

「石の上にも3年」というように、長くいれば仕事に慣れてはきましたが、自分の望むような仕事はできなかったし、常に回りを気にしていました。お金は稼いでも幸せはお金を使った時だけでした。

10代で病気になり、気は弱くなっていた自分が社会参加している意識はあまりなかったです。

 

幸せ感再び

そんな中、棕櫚亭との出会いは鮮烈でした。

サラリーマンとして会社に行った帰りにふと目にした棕櫚亭という文字に触れ(その頃の棕櫚亭第一作業所)、施設長に話しを聞いてもらったのが始まりでした。施設長は自分のいうことを否定せず、黙って聞いてくれました。

後に会社を退職し、棕櫚亭に通い始めます。そこに通うことで

よく人が言う「人間関係で鎧も刀で武装しなくていい関係」に気が付き自分もその中で過ごせる幸せを感じられるようになりました。

人間関係の距離の取り方というのも、あまり実感としてもっていませんでした。

棕櫚亭での勉強会で、講師の立川社協で働いている比留間さんが、「人間関係の距離の取り方は、縮めすぎて痛い目にあったことがない人でなければ、わかりません。その経験があってはじめて距離の取り方を知る」と、言われたのが印象に残っています。人間関係で悩んでいたのは距離が近すぎてどろどろになっていたんだと、過去の記憶が思いだされました。

性格を変え、会社を変え、幸せ感を感じるまで、ずいぶん回り道をしましたが、悔いてはいないです。それがあったから今幸せと思えるからです。

荒木さんは幸せってどんな時に感じますか?

 

草々

櫻井 博

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信21号を発行しました

ピアス 2018/03/06

SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信21号を発行しました。

ピアス通信21号

今号の記事内容は・・・

  1. 地域活動支援センター『なびぃ』のご紹介
  2. なびぃ職員 インタビュー
  3. コラム「とっておきのリラックス法 温泉編」
  4. お知らせ

となっております。ぜひご覧ください。

絵画のワークショップを行いました!

棕櫚亭Ⅰ 2018/03/02

2/25の日曜日、ピアスⅡで絵画のワークショップを行いました!
今年で3回目となるワークショップ。
毎年地域の方に参加していただいています(^O^)

3回目ともなれば、顔なじみの方も増えてきました♪
今年も、通常の絵画教室でもお世話になっている小堀先生を講師としてお招きし、そして今年は新たな試みも!!!
以前棕櫚亭に勤務されていた山口圭子さんにも来ていただき、アフリカ音楽も楽しませていだたきました(^^)/♪

HP用①   HP用②

音楽から絵画のインスピレーションを感じた方もいたようで、作品制作もみなさんとてもたのしんでる様子でした(^_-)☆

HP用④  HP用⑤

音楽も絵画もたのしんだあとは、完成した作品を紹介し先生から感想をいただきました。
みなさん個性が出ていて、見ているこちらも楽しませていただきました(*^_^*)!

HP用③

アンケートの中にも「楽しかった」「無心で描けてよかった」など、うれしいお言葉をたくさんいただくことができました。

参加者のみなさん、本当にありがとうございました!
来年も開催する予定なので、是非また大勢の方のご参加お待ちしております(^O^)!

【ご報告】シリーズ第7弾!当事者セミナー

オープナー 2018/03/01

平成30年2月9日(金)障害者就業・生活支援センター オープナー主催の「シリーズ第7弾!働く当事者からのメッセージ 自分の『働く』を創ろう~変わるのは、『今』~」を行いました。今年も定員100名のところ、111名と多くの方々が会場に足を運んでくださいました。

KIMG0151今回の当事者セミナーでは、オープナーメンバーによる事前アンケートの協力と分析、メンバーとスタッフによるバンド演奏…新たな取り組みにもチャレンジしました。

 

 

【第1部】

みずほビジネス・チャレンジド株式会社 企画部 職場定着支援チーム サブリーダー 大森 理智氏と立川市社会福祉協議会N氏、オープナースタッフ川田の3者で「それぞれが思う「働く」とは」をテーマに意見交換を行いました。

3人が共通していたポイントとして、働く前に「自分にあった生活リズムをもつ」「働く上での健康管理が大切」「自分をよく知っておく」ということでした。

意見交換はとても多岐にわたり、Nさんから障害者雇用での賃金の低さについてもずばり質問もありました。障害者雇用で働くまでのN氏の葛藤、企業からの準備性と継続の視点、そして支援者からの視点…。働くとは何か?定着するとはどういうことなのか?それぞれの思い、考えの違いを意見交換できた時間になりました。

「相談しながら自分の人生を選択していく。選択していくためにも客観的な意見を柔軟にとりいれていく」ことがメッセージになったと思います。

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【第2部】

いよいよ第2部では、新たな取り組みとして、オープナーメンバーに事前アンケートの協力をお願いし、結果を分析したものをもとに、大舞台デビューの4名の方にご登壇いただきました。

初めは緊張していた4名のメンバーも時間が経つとともに自然とディスカッションを進めていました。登壇者の意見、考えに多くの聴講者の方達がうなずいていることがとても印象的でした。

やっぱり実体験の生の声は届く!!そして、支援者は考えるきっかけをもらえる!!これが当事者セミナーの醍醐味なんだ!と今年も思える時間になりました。

KIMG0178

 

Photo 2018-02-09 15 46 39全体を通して今回の当事者セミナーで伝えたかったメッセージは、働くためには土台となる健康管理・日常生活を送る力が重要なこと、そして働くことで色々な悩みは出てくるけれども、それを相談しながら乗り越えていくことで自分が成長につながるということです。そのために今出来ることは何なのか、今働きたいと思っている方たちにとって考えるきっかけになってもらえたら嬉しいです。
また、障害年金や生活保護など、各種制度を活用しながらでも、「働いているのに給料だけでは生活が大変」という声をどのようにして社会に届けていくのか?

支援者として、障害がある方達が金銭的にも安心して地域で暮らせる社会作りを目指していきたいと思えるセミナーにもなりました。

これからもオープナーから働きたいと思えるパワーとなるメッセージを、障害と付き合いながら働きたい方々に届けて続けていきたいです!

KIMG0192みんなで打ち上げも盛り上がりました!!

 

オープナー 川田 俊也・本田 美咲

 

終わりに…
当事者セミナーで伝え切れていないアンケートもホームページにアップしていきます。いろいろと盛り込んだ内容になっておりますので、ぜひご覧ください!

『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❿ “生き抜いてこそ~「辛さ」と「幸せ」の境界 -荒木 浩からの手紙”

法人本部 2018/02/28

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

生き抜いてこそ~「辛さ」と「幸せ」の境界

前略
櫻井 博 さま

風が吹くと身がすくむほど寒いと感じます。それでも気のせいか昼の日差しはほの暖かくなってきているので、わずかながら東京は春に向かっているのだなぁと思う今日この頃です。ただ全国的に今年は厳しい冬のようで、特に福井県などは今もヒドイ積雪状態で農作物などがかなりの打撃を受けているとの報道があります。「寒い冬でも、いつかやがて春に向かう」という「自然の摂理」を私は東京にいて体感していますが、一方で福井県の話を例にとるまでもなく「自然の驚異」を意識することが多くなってきました。

「自然の驚異」といえば、それをテーマとしてとり扱った「ジオ・ストーム」という映画を最近観ました。ザ・ハリウッドという作品なので好き嫌いはあるかと思いますが、「アルマゲドン」なんかが類似作品だと思います。この作品は、近未来世界の設定で、人類が国を超えて力を合わせ地球に起こる異常気象のコントロールに乗りだしたことから話は始まります。宇宙ステーションでその後の気象をうまくコントロールしていましたが、やがてウイルスでステーションが故障し、再び各地で大寒波・熱波・竜巻などの大きな問題が起こってしまいます。主人公がこの大問題の解決に乗り出す話なのですが、サスペンス的な要素もあり、すごく面白くて3回も映画館で観てしまいました。天候をコントロールする未来を想像すると、人類が神の領域に入っているような気がしますね。話の落ちにはやや不満が残りましたが、気象問題に関わらず、いくつかの意味深い問題提起をしている良作だと思いましたので、機会があれば櫻井さんにもぜひ観てほしいです。

あぁ、すみません、話が横道にそれてしまいましたが、まずはお礼を言わねばいけませんね。病気と青春時代を絡めて書いていただいた、櫻井さんの前回の手紙を読ませていただきました。受験を控えた前日に統合失調症を発症してしまったのは、高校時代のすごし方にあったのではないか?しかし、今この歳になって振り返ってみると、病気に罹ったのは「不幸でもあり幸せでもある」と締めている。ただでさえ生き辛い今の格差社会の中で、なんとも櫻井さんは「幸福感を得ていらっしゃる」とのこと。

 

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

荒木 浩

 

多くの別れと自身の揺らぎ

「病気になったことが、幸福につながっている」という逆説的なこの一文は、スルーできないところですよね。櫻井さんの辛い10代後半が幸せの50歳につながっているのは、間の30年以上が激動の転換期だったということでしょうか?確かに、私も48歳になったということは、人生の半分以上を東京の地で生活し、仕事に費やしてきたということです。いろんな経験などがあったにも関わらず、それでも人生観や価値観においては10代の呪縛がなかなか解けないでいるのが正直なところです。これは何度かこの手紙のやり取りでも触れたとおりです。それだけに青春期の過ごし方が、その後の自分を大きく左右することは、個人的な考えとして間違いがないと思います。

ただ一方、ある程度自分自身の人生観、価値観、自我が重要な青春期に固まったとしても、私のような対人援助職を続けているとそこが揺るがされてしまうことがあります(いや、この仕事に限らないのかもしれませんが)。得てして、このことは頭を抱え込むような大きな悩みにもなりますが、上手く乗り越えると自己の再構築にも繋がります。言葉でさらっと語れるほどに楽なプロセスではないのですが、客観的に語るとしたら、20代・30代のこの時期に仕事を通じて精神的な辛さに直面することで自分をみつめ直し、そしてそこを乗り越えていくことで他者を知る(理解する)というようなイメージです。この時期は大切だったと今なら思えます。揺るぎは大小さまざまな場面やきっかけで生まれるのですが、私が何よりも辛いものを挙げるとしたら、メンバー(利用者)の死や彼らとの別れに直面したときでしょうか。事故など思いもよらない突然の「不自然な」お別れは本当に辛いものです。

 

連絡が取れず、自宅をお伺いすると食べ物を詰まらせて亡くなっていた方。この方は病院から退院するときに親御さんと話し合いをして一人暮らしを勧めました。私が20代の若造の頃のことです。ご両親も他界されていて、身内とも連絡が取れずひっそりと関係者数名で火葬されました。

 

別の40代の方は母親と二人暮らしでしたが、母親が突然病死され、親類に引き取られるように東北のとある町へと旅立っていきました。何とか東京で生活できないものかとぎりぎりまで思案したものの上手くいきませんでした。10数年後、東日本大震災でかの町は津波に飲み込まれ壊滅しました。

e.t.c…..

生き抜いてこその幸せ感

いったい彼らは幸せだったのか?自分の支援は間違っていなかったのか?彼らのことを思い出すにつけ、いろんな感情で頭の中がかき乱されます。こんな時思い起こすのは、かつて前理事長が就職したメンバーに向かって「生き抜くのよ」と笑いながら送り出していたことです。戦後の高度成長期に生まれた私にはあまりにも過激に聞こえましたが、今となっては彼女の言わんとすることはわかります。

「人が生れるということを選べないように、死ぬということも選べない。だから何としても生きていくしかない」というのが、この仕事に就いて行き当った、現時点での生死に関する私の結論です。「どんなに良い支援をしていても、その方が不本意に死んでしまったり、又は死に近づけさせたりしてはいけない」という支援の根幹の考えは、多くの別れの中で体感し確立したと言えますし、私の頭の片隅には必ずあります。実は冒頭で触れた「気象コントロール」も人為の入り込む余地のない「不自然な」振る舞いだと考えています。人それぞれで良いとは思いますが、「不自然であること」の尺度はもっておいた方が良いのではないかと思います。今の私の危機感は、社会が全体主義に飲み込まれるなかで「不自然であること」に対する私達のアンテナの感度が悪くなっていることなのです。

すみません。話が飛躍しましたね。話を戻して、少なくとも「生死に関する」このような考えは若い頃には希薄だったように思います。決して軽んじていたわけではないのですが、どこかで「人生は太く短く」みたいに考えているところがありました。しかし年月の積み重ねの中で考え方が真逆に変化したようです。桜井さんは辛くも、生き抜いてきたからこそ幸せにつながったのではないかと思います。

 

つらつらと手紙が長くなって申し訳ありません。櫻井さんは、青春期以降いろんな体験と長い時間を経て幸せを感じるまでになったと書かれていましたが、どのようなエピソードの中で変化していったのでしょうか?お話していただけますか?

それにしても「辛い」と「幸せ」というのは、漢字が似ていて紙一重なのが良くわかりますね。

草々

荒木  浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

3月の予定をおしらせします。

棕櫚亭Ⅰ 2018/02/27

まだ寒い日が続いていますが、2月も明日で終わりとなりました♪
棕櫚亭Ⅰでは、メンバーさん主体での半日レクでカラオケに行ったり、昼食会で水餃子を作ったり、と盛りだくさんの1か月となりました(^○^)

3月は1日レクで横浜に行ったり、年度末の昼食会があったり、とまたまた盛りだくさんの予定です(^.^)
メンバーの皆さんは契約の更新もあります。
詳しくは予定表をご覧ください☆

3月の予定表はこちら→3月月間予定表

HP用①HP用②

 

 

 

 

この間のウォーキングで谷保天神に行きました!
梅も色づき始めています(^^♪

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