『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❹ “くくりつけられた心 精神科医との出会いを振り返る -櫻井 博からの手紙”

法人本部 2017/11/29

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part4 くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの

くくりつけられた心 精神科医との出会いを振り返る

前略
荒木 浩 さま

お便りありがとうございました。荒木さんが相当自己開示して、自分のことをお話していただいたことに感動しました。この書簡で荒木さんの疑問にどこまで答えられるかわかりませんが、今回は過去の辛い時期のこと、そして主治医との出会いなどを振りかえってみようと思います。
これはじつはかなり辛い作業でもありますが。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

櫻井 博

妄想の世界。人生の終焉(しゅうえん)。

1975年に公開された「カッコーの巣の上で」というアメリカ映画を高校二年の時、新宿まで観に行きました。この映画は精神病院のことを描いており、その年のアカデミー賞を取った有名な作品です。高校の頃は映画が好きでいろいろ観ましたが、主演のジャック・ニコルソンがこの映画の最後で、電子プラスチックを頭に埋め込まれてロボトミー(※1)にされてしまうシーンが印象に残り、社会のいわゆる道徳、法、慣習などを壊すものは罰せられると強く心に植えつけられたのです。
以降この主人公のことが忘れられず、不調で病院に入院となるたびに、「自分はロボトミーにされるのではないか」という恐怖感で、病院が死の場所だという考えが浮かびました。
被害者意識、被害妄想、誇大妄想が強くなると、自分が見るもの聞くものが関連づけられていて、私はキリストの再来だとか、BMW(ドイツ車)が道に止まったのは、そこからやくざが降りてきてなにかされるのではないかなどという考えが強くなりました。また病院内では密かに殺人も行われているのではないか?とあらぬ考え(間違った認識)から、病院で「人生は終わる」と思いながら、恐怖に怯えながら過ごす日々もありました。いわばそれは自分の頭のなかで生まれた世界です。
もちろん「妄想が現実とは違う」という認識がないわけではないのです。映画の主人公にはならないし、キリストの再来などに違和感があることも知っています。でも入院時(不調な時)はどうしても現実と妄想や違和感を整理できない自分がいるのです。

(※1)かつて「精神外科」という、精神科医が大脳手術で精神病を治療するという医療分野があった。代表的なものが前頭葉切截術(ロボトミー)である。

精神科医との出会い。

それではせめて、その病院の中で頼りにできるはずの精神科医との治療関係の中で納得し信頼関係を築けたか?というと疑問が残ります。受験期の入院は親が同意する医療保護入院であったし、この時の医師は私が医師の質問に答えないのをみて、入院を決めたという感じであります。その質問は「どうですか。気分は?」という感じだったと記憶しています。
大学の時出会った先生が一番長く私をみてくれました。先生のお宅に呼ばれたり、ジッポライターの交換をしたり、人間にとってなにが大切なのかを教えてくれました。ただ趣味の話にとどまらず、「男子たるもの高校時代はギャングエイジ(思春期の特徴で、親や先生に隠れてこっそり、友達皆といたずらをすることなど)といった連帯感の中でアイディンティは確立される」と社会の荒波にもまれることの重要さも話してくれました。一回目の手紙で「頭を使いすぎた」と原因にあげたともに、思春期のアイディンティの確立のないまま過ごした自分にとって、納得のいく理由を示してくれたように思います。しかし、この先生の処方する薬のきれは悪く、幻聴、妄想の症状は一向に良くなりませんでした。この間15年ぐらいにわたり、入退院の繰り返しも10回近くあったかと思います。
他人の考えに流され、自分の考えがないと、この頃いつも思っていました。確かにこの医師は私のとりとめのない妄想話につきあってカウンセリングしてくれました。でも薬のきれが悪いのは、その後新薬をためして、良くなった現実を考えると納得せざるを得ません。

精神科医に、今思うこと。

人間関係を良好に保つことや、病気にあった薬を選ぶことは大切ですが、あまり医師の言う通りに行動することが、現実にそぐわないことは、精神の病気の人は皆体験しているのではないかと思います。
現在の医師はカウンセリングをほとんどしません。でも自分にあった薬をみつけてくれたことには感謝しています。
先生とよく話しあうのは障害年金の更新の時ぐらいになっています。現在精神科医とは程よい距離をとり、うまくつきあっていくことしか考えません。
相談や意見交換が現実に沿わないことを知っているし、症状も改善してきているからです。
でも肝心な時は精神科医の力はすごいことも知っています。外来に通い薬を服用していますが、このつきあいは一生続くのかと思っています。
さて、自身の精神病の原因と考えている「勉強のしすぎ」ということに関しては、またの手紙の中で話を深めさせていただければと考えていますがいかがでしょうか?

草々

櫻井 博

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

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