『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ⑮ “棕櫚亭の理念を担う-櫻井 博からの手紙”

法人本部 2018/05/09

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

棕櫚亭の理念を担う

前略
荒木 浩 さま

半年にわたり、手紙をよんでいただいてありがとうございます。今回が最後になるのですね。最後に大きなテーマをいただき考えましたがうまく答えられないかもしれません。
今これを書いているのが連休まっただ中の自宅です。職場で書くことは認められてますし、ほとんどそうしてきました。今回は振り返る意味も含めゆっくり書いています。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

櫻井 博

棕櫚亭の理念を担う

棕櫚亭の理念として、「精神障害者の幸せ実現」という大きな目標があります。荒木さんから問われた「なにを担ってくれるか」という問いにこたえるとすれば、法人に関するすべての仕事だと思います。

本当の事を言いますと、電話相談でもプログラムの活動でも高齢者配食でも、その活動が理念のどの部分がどういうふうにあてはまるかはわかりません。仕事として全力投球でやることによってそれがやがて理念として幸せ実現に向かえばと考えています。

棕櫚亭にメンバーとして入り、2回の入院を経て、いろいろな方との出会いがあり、棕櫚亭の魅力にひかれ、精神保健福祉士の資格を取り、週3日から始まった障害者雇用での採用でしたが、自分の中では健常者と障害者の境界は、気持ちのなかではありませんでした。

確かに病気をによる障害はありますが、それを意識しないよう努めました。

精神障害者の雇用率が上がり、一般での雇用は増えてきました。様々の分野に雇用の場は広がっています。荒木さんの手紙でも健常者と障害者の境界(ボーダー)は引けないと返事をいただきました。書簡を通じて境界を引いているのは自分のほうではないかと気が付きました。もともと境界をひけないことの多い社会のなかで、境界をひこうと思い、被害的になったり不安になったりすることは、そのできない境界に怯えているのではないかと思いました。、この半年間往復書簡を通じて荒木さんとの認識の違いでは、自分には多様性をもつことがすくなかったことも得た一つの教訓です。荒木さんの考える多様性に注目しずいぶん自分の思い込みも意識されました。

なぜ棕櫚亭を就職先に選んだか?

私が棕櫚亭を勤務先に選んだのも、そういう多様的な見方や考え方が仕事に許されているからです。荒木さんとの書簡で自分が気づいたこともたくさんありました。境界という考えをもたないほうが働くにはいいということも最後に気づいたことでした。それは回りから合理的配慮してもらうこととは違います。職員としてもつ立ち位置的なものです。

天野前理事長と始めた当事者活動

私は棕櫚亭に入職して天野前理事長とSPJ(棕櫚亭ピア事務局)という当事者の活動をはじめました。構成メンバーは主にオープナーの方が多いです。そこで話された事柄は秘密保持で他では話していけないというルールがあります。私はここで発言することで自分の不安感とか恐れる気持ちを解消しています。これはおそらく障害者というレッテルを「はがそうはがそう」という努力にも似ています。障害者だからこう見られているのではないかということを語りながら、うなずいているメンバーさんをみて安心します。他の方はどうかわかりませんが私の場合はこの茶話会に参加することで、また一週間がんばろうという気持ちになれます。

ここは障害当事者が集まっているという意味ではボーダーレスです。

こういうふうに考えると、境界とは社会の側からは都合よく考えられた言葉で、自分の気持ちのなかでそれを取り除けばとも思います。
荒木さんが「往復書簡の初め」で書いていたとおり、「障害者がリハビリして社会にでていけば私たちの仕事はなくなる」という考えもあったということでした。
でも現実に仕事をしていると、それも不可能だし、専門性の高いワーカーも必要です。その点では荒木さんと意見が一致しています。精神の福祉の分野では障害のない職員がメジャーで当事者スタッフはまだまだ少数です。いくら当事者に追い風が吹いているからといって力の差はあります。今年の5月で雇用されて5年たちますが、当事者性を追い求めて、特色のあるメンバーさんとの関わりを持とうという姿勢はかわりません。職場の上司にはピアスタッフだからできる仕事をしてほしいと言われています。でも私は雇っていただいたからには、なんでもやるつもりでいます。そこから多様性が許されている「棕櫚亭の精神障害にある方の幸せ実現」にすこしでもお役に立てればという思いがあります。
もちろん卓球も一生懸命やります(笑)

荒木さんの手紙で効率性を追い求める社会というのが、それだけではなく無駄もあってもいいと書かれているのを読んで、人間の幸せって無駄にあるものかと思いをよせました。
効率性を求める現代社会も福祉の分野ともうっすらボーダーが引けるのかもしれません。
そんな思いをもったのも、長い間企業にいたという経験があるからかもしれません。

でもそこに境界を引くつもりは今はありません。

最後に

半年の間ホームページにアクセスして読んでいただいた皆様にも感謝しています。
拙い文章で気持ちが伝わったかわかりませんが、境界線を探った結果を自分なりに書かせていただき最後にしたいと思います。

草々

櫻井 博

※いつも「往復書簡」読んでいただきありがとうございます。

手紙でのやり取りは、この号で終了となります。半年にわたりありがとうございました。3週間後の5月30日にスピンオフで「対談編」を上梓して「往復書簡」は完全終了になります。

この5月という時期があまりに忙しすぎて二人で話す時間がないのです。しばしお待ち下さい。本当にごめんなさい。

櫻井 博 & 荒木 浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

  • 《最終回》 『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』
    Part ⑯ “半年の往復書簡を振り返って 対談編”
    👉
    2018年5月23日(水)公開予定

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

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