『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ⑭ “目にはみえない境界線を越えて幸せを考える -荒木 浩からの手紙”

法人本部 2018/04/25

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

 

往復書簡を読んで下さる皆様へ

半年という短い期間でしたが、次号が櫻井さん最後のお手紙、締めくくりは、書簡を終えての二人の対談でフィナーレとなります。従いましてこの回が私にとっての最後の手紙となります。このような場で書くことの重責から解放されホッとしているのが率直な感想です。一方、これまで文章を書きながら、いろいろな方の顔を思い出しながら、私なりに伝えたいメッセージや問いかけを綴る喜びがあったのも事実です。本当にお付き合いいただきありがとうございました。

このミニマラソンも最後の競技場に入ってきました。残りわずか、息も切れ切れですが、完走したいと思います。

目にはみえない境界線を越えて幸せを考える

前略
櫻井 博 さま

本当に気持ちの良い暖かな季節になりました。

ただこの春という時期は、一面穏やかな顔を見せながらも、特有の突風で、歩く道を遮るような意地悪をしてきます。暖かさにつられて洗濯物を外に思い切って出すのですが、帰ってきたらベランダにそれらが飛び散って、泣く泣く洗濯をもう一度しなければいけなくなるという経験はこの季節に多いような気がします。

 もう半年もたつのですね。そもそも、この往復書簡の始まりは、櫻井さんと私の原体験の一部をさらけ出してそれを切り口にしながら「当事者職員と(健常者)職員の境界線を探る」という大命題を掲げたことでした。この問いに対して私なりの「答えはでたか?」というと、潔く「No」と、うな垂れるしかありません。すみません、櫻井さん、私の力不足でした。

そもそも、対外的には法人事務長という肩書通りに顔半分事務職の私が「職員のありよう」を語るということには無理があったのかもしれません。他にも優秀な人材がいるにも関わらず(笑) ただもう一息頑張りたいと思います。

 

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

荒木 浩

 

ソーシャルワーカー(福祉職員)のありよう

私の苦手なことはたくさんあるのですが、人に物事を伝えるということがその一つです。具体的に言うと、職員の教育がとても苦手です。敢えてかっこよく言えば職人気質の職員などと言い訳できますが、今時は全く流行りません。勿論、手をこまねいていても仕方ないので、少しでもそれらしいことを語れるように、時々は学生向けのやさしい本を読むようにしています。ずいぶん緩く書いているなぁと思うものもありますが、その言葉の平易さが人に伝える上では非常に参考になることがあります。

そのように読み漁った本の一冊に(恐らくはやはり学生向けに)「福祉職員のありよう」について書いてあったものを見つけました。この本がとりわけ素晴らしいということでもなく、おそらくは他の本にも同じような意味を綴った文章はあると思います。しかし私たちが書簡を始めるにあたって掲げた「当事者職員と(健常者)職員の境界線を探る」ヒントになるかと思い、少し長いのですが、転載してみました。読んでみてください。文中には「ソーシャルワーカー」と書いてありますが、「福祉職員」と読み替えてよいのではないでしょうか。

恐らく、限りなく理解し、その人に近づこうとすることはできても、本当にその人やその人の人生を理解することなどできません。その人だって自分のことなど本当は分かっていないのに、他人である私にその人のことを理解などできません。(中略)
ソーシャルワーカーの営みは、どれだけ限りなくその人に近づけ得るかにあると思います。限りなさの程度というか限界は、ソーシャルワーカーがどれだけその人の人生を追体験できるか、どれだけ豊かに想像できるかにあると思います。出会った人から直接的に学びとると同時に人類が歴史的に蓄積してきた文学、音楽、芸術、哲学等々、人間を理解するための様々な遺産からどれだけ学びとっているかにも、かかっていると思うのです(以下略)

『ソーシャルワーカーという仕事』 宮本節子 著(ちくまフリマー新書)より抜粋

障害者・健常者以前に私達はソーシャルワーカー(福祉職員)である

上の文章から読み取れることは、3点あると思います。

①どんな人であろうとも、他者の人生の理解は難しい

②しかしソーシャルワーカーは、支援する人の人生を追体験し、豊かに想像することで近づくことが大切

③そのためにもソーシャルワーカーは、直接支援のみならず、歴史的な蓄積からも学ぶべきである

 健常者であれ、当事者であれ私たちは「福祉職員」だから、やるべき仕事は同じです。但し、精神的な病気を体験したという点、つまり追体験という意味では、当事者スタッフの方がメンバーさんの近くにいることは間違いないでしょう。しかし、それでも他者の人生の理解の深い部分は、当事者であろうと「他人である」以上、理解することは難しいのだと上の文章では書かれています。わたしもその意見には同意します。

その意味では櫻井さんが今も自分の経験に胡坐(あぐら)をかかず、いろんなことに挑戦しながら視野を広げていく姿勢は素晴らしいと思うのです。つまりは「健常者スタッフ」であろうと「障がい当事者スタッフ」であろうとこの仕事を選んだからには、経験ということにとどまらず、想像力を深め、文化的な角度からも見聞を広げる努力を続けなければいけないということなのでしょう。

繰り返しになりますが、今回の櫻井さんとの往復書簡では、「当事者職員と(健常者)職員の境界線を探る」という命題を立てながらも力及ばずついに境界線を見つけることはできませんでした。健常者であれ当事者であれ職員の間に引くような線、つまり「境界線なんてものはそもそもない」のかもしれませんね。櫻井さん、それを現段階での私の結論とさせていただくことを許していただけますか。

そして本当の締めくくりになりますが、次のことにふれさせていただき、筆をおきたいと思います。

幸せな社会を、そして棕櫚亭を、どのようにデザインしていくかこれからも皆で考えていきたい

私たちは、ロボット演劇の研究を通じて、人間を人間たらしめているものは何かを追求してきた。(中略)そこでわかってきたことは、どうも私たちがロボットなりアンドロイドなりを「人間らしい」と感じるのは、その動きの中に無駄な要素、工学者が言うところの「ノイズ」が、的確に入っているときだという点だ。(以下略)

『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』 平田オリザ 著(講談社現代新書)より抜粋

現代社会の中で、高い価値とされるものの一つに「効率(性)」というものがあるような気がします。「効率的に税金を使う」とか「効率的に働く」という言葉は、マイナスのイメージがわきにくいですね。そしてこの「効率」という言葉は福祉分野にも根付きつつあります。例えばそれは株式会社など営利企業の福祉事業参入ということです。少ない資金で「効率的」に利益を上げようとする営利企業の活動理念と、限りある税金を福祉に「効率的」に使う行政改革の流れとが結びついているのが現代の福祉の特徴の一つだと考えています。

その一方で、社会福祉論などの学問では、福祉社会とは「人間らしい」生活を営める社会であると教えられます。そして先ほど書いた通り、劇作家の平田オリザさんは、「人間らしさ」について「無駄である」という要素で語っています。これは大変興味深く、私は思わずうなずいてしまいました。私自身が無駄に気楽に生きているからそう思うのでしょうか?

営利企業の福祉事業参入など福祉の「効率化」が進む中、福祉学部の教室では「福祉社会とは『人間らしい(無駄ともいえる)』生活だ」と教授に教えられる状況には想像するだけで目が回ってしまいそうです。

あくまで誤解の無いように書いておきますと、私は決して「効率的な社会」や「株式会社」が悪いと言っているのではありません。努力をして、障がい者雇用で就職し、幸せを得た障がい当事者の方を沢山見ています。彼らを受け入れてくれているのはそのような社会であり、会社であることは間違いありませんし、皆さんのその笑顔に嘘はありません。ただ私がここで言いたいことは、社会の仕組みが一層効率的になりすぎた先に、私たちの幸せはあるのかという不安です。どのような社会が望ましくて、どのようなさじ加減でデザインしていくか、つまり「幸せな社会」を選び作っていくのは私たちの権利であり、大げさに言うならば、使命だと考えています。

そして同時に棕櫚亭の職員である以上、精神障がい者の方の「幸せ」実現、つまりは法人理念実現に向けて、社会の中ではほんの微力でも力を尽くさなくてはいけないのです。

さて、櫻井さんには、最後に職員として「棕櫚亭の目指す精神障がい者の幸せ実現」の何を担っていただけるのか、何を担いたいのか語っていただけますか?最後の無茶ぶりです。

草々

荒木  浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

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