ピアスがNHK・Eテレの取材を受けました!いよいよ放送・4月3日(火)20:00~!!

法人本部 2018/03/31

「就労支援は誰のためにあるのか?」

新体制が本格的にスタートした平成29年度が終わろうとしています。個人的には季節を感じる間もなく、走り抜けた(走り抜けてしまった??)一年間でした。そしていよいよ平成30年度、障害者総合支援法や報酬単価の改正、精神障害者の法定雇用率算入と、様々な変化が待ち受ける激動の一年となりそうです。特に、法定雇用率の算入は、棕櫚亭がこの数十年、力を入れてきた就労支援に大きな影響を与えることが予想されます。

棕櫚亭が通所授産施設ピアス(現:就労移行支援事業所ピアス)を開所したのは、平成9年、今から20年以上も前の事です。「どうすれば当事者の方々の「働きたい」に応えられるのか?」を考え、働く準備の場として、完全通過型のトレーニング施設としてピアスはスタートしました。当時は、精神障害者の就労支援を行っている事業所は皆無に等しく、モデルもない中、試行錯誤を繰り返し、現在のピアスはあります。

さらに、平成18年には「障害者就業・生活支援センターオープナー」を開所させ、「就労準備」だけではなく、「就労定着」にまで支援を広げ「働き続けられる」システムを作り上げていきました。そして、この20年間で400名近い方々が就職されています。

これらの取り組みを通して、私たちが世の中に伝えていきたかった事は、「精神障害者も、丁寧な準備をすれば再発する事なく働く事が出来る。そして、適切な支援があれば、働き続ける事が出来る。」という事です。

確かに今、障害者雇用、とりわけ精神障害者の就労支援には、一見すると追い風が吹いています。都内には就労移行支援事業所がひしめき合い、障害者向けの転職サイトも活況です。そのような状況を受けて、精神障害者の就職者数は上昇の一途を辿ります。

しかし一方で、職場定着率は、就職後3か月時点で69.9%、1年時点で49.3%と、約半数の方々が離職していくというのが現状です。(2017年独立行政法人高齢・障害・求職者雇用機構調査)さらにそれは数年前の調査と変わらず、「病状悪化」は離職理由の上位にあがります。こんな状況を見ながら最近、ふと考える事があります。

「私達はこんな事を目指してきたのだろうか?」・・・・

そこで今回、「精神障害者の就労支援」を問い直す意味も込め、ピアスがNHK・Eテレ(教育テレビジョン)で放送中の「ハートネットTV」の取材を受ける事になりました。そこには、一人のピアス利用者の方のトレーニング風景が映し出される予定です。その映像を通して、棕櫚亭の就労支援が大切にしてきたものが伝わればと思っています。

放送は、

NHK/Eテレ 4月3日(火)『精神障害者と働く 第1回 「働き続けるために」』20:00~

ピアスはその中の一部に登場する予定です。ぜひご覧ください。

規制緩和後、株式会社等の台頭により就労支援は支援ではなく、ビジネスになろうとしています。ですが、こんな時だからもう一度考えたいと思います。「就労支援は誰のためにあるのか?」を、そしてそんな状況に少しでも一石を投じられる、そんな組織であり続けたいと思っています。

(平成29年度最後の日に 理事長 小林由美子)

 

 

『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ⑫ “誰にとっても、選んできた「人生に間違いはない」 -荒木 浩からの手紙”

法人本部 2018/03/28

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

誰にとっても、選んできた「人生に間違いはない」

前略
櫻井 博 さま

寒い冬もいつの間にやら消え去り、冬には気にも留めなかった木々に赤やピンクが色づいているのをみて、気持ちまで暖かくなるのを感じます。

さて、この往復書簡も秋に始まり半年がたとうとしています。少し大げさに書かせていただくと、文章を書くということは身を削り取るようなものだとつくづく感じさせられたものです。自身の内面を描く行為は、例えるならば、鉛筆の黒い芯の部分を削っているようなものだという感覚です。私の場合、太い芯があるわけではないので、ゆっくり、そろそろと削らないとポキッと折れてしまうのではないかと思います。まあそういう意味ではこの半年の間にただでさえ細い芯を結構を削ってしまったので、近々この書簡の幕引きを考えたいと思っています。芯の太い櫻井さんには、誘っておいて申し訳ないのですが。

さて、櫻井さんの前回のお手紙の最後に「荒木さんは幸せですか?」という世にも恐ろしい質問をいただきました。櫻井さんにはどのように映りますか? 想像ですが、多分私のまわりの方には「荒木さんは幸せだよね」と言ってくれると思います、何となくですが。少し楽観的すぎますか?

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

荒木 浩

 

 本心はどこにある?

話は少し脇道に入りますが、私は「富士山」が大好きです。告白すると5回ほど登頂しています。でも富士登山が楽しいと感じたことはこれまであまりありません。7合目あたりからの急登にしても辛いという思いこそすれ、山頂での眺めが「こんなにも素晴らしい」なんて感じたことは正直ありません。いわんや登り切ったという達成感なんて沸いたことがほとんどありません。山頂からの景色に関していうと、ガスっている(くもっている)ことなど2度ほど経験していますし、「ああそうですか、こんな風景なんですね」という程度です。「これぐらいの風景ならほかにもあるよ」とも思います。櫻井さんはこんな言葉聞いたことがありますか?「富士山に2度のぼるバカ」。これは「『一度は経験』と登るのはいいけど、あんなつまらない場所に辛い思いをして二度も行くのは馬鹿だよ」ということらしいです。言いえて妙だと私は思います。

それでは「いったい富士山の何が好きなの?」と問われると、即答で「富士山のある風景が大好きです」と答えます。「私は日本人だ」という意識の欠如は、オリンピックやWBCといったイベントに全く興味がないことからも明らかなのです。

しかし富士山のあの端正な山容を望むどんな景色も素晴らしいと感じます。なけなしのお小遣いで一眼レフのカメラを購入した動機の一つにもなっているほどです。

繰り返しになりますが、登る富士山は好きではないけれども、観る富士山は大好きなのです。

と、ここまで書いたときに私を知る人からは「『辛いし、景色も良くないし、臭いし』なんてこと言っても、5回も登っているのだから登るのも好きなんでしょ」と突っ込まれます。このようなツッコミを受けて思考停止する私は、実は「富士山に登るのも好き」なのかもしれません。案外、他者の目でみて感じた「あなたって実はこうだよね」と言われてしまう評価の方がその人の本心や本質(あるいはその一部)を正確に言い当てているのかもしれませんね。

 主観と客観の際で自分を探す

そういう意味では、食べ物の嗜好などは別にして、「好き」と「嫌い」などという感情は案外表裏一体なのかもしれません。前回の手紙で櫻井さんから「荒木さんは幸福ですか?」という問いかけをしていただいたわけですが、その答えは「私はなかなか実感しにくいのだけれども、(他者からそう見えている以上)実は今、幸せといえる」のかもしれませんね。

但しこの回答では、櫻井さんの問いを少しはぐらかせたようなところもあるかもしれないので、真面目に補足しておくと、「死を迎えた瞬間に『私の人生は幸せだった』と感じること」が私の生きる上での一つの目標なのですよ。言うは易しですが…

このように自分の事ながら、正解を持ち合わせていないことや明確に理解していないことは往々にしてあると思います。例えば何かに対して「いったい私は好きなのか?嫌いなのか?」という迷いに始まり、「一体自分は何を考えているのだろう」、そして「私はどのように生きていけばよいのだろう」ということにまで思いを巡らすことを「自分探し」というようですが、これはある時期、濃厚に必要だと感じています。せっかくこの世に生を受け、たった一度の人生を通じて「自分」のことを深く理解したいと思う気持ちは誰もがあるべきだと思います。勿論、障がいの有無に関わらずです。

 でも、一度きりの人生だから走り出してみる

とはいえ、少しだけ年齢を重ねた今、私から言えることは「自分探し」は頭の片隅に置きながら、ともかくも考えたことを身体化することも大切なことなのではないかと思います。先ほどの話で言うと「好き」か「嫌いか」というような解かりやすい感情でさえも、深く考えれば考えるほど曖昧になっていきますし、そこには絶対というものはないと考えるからです。今勤務しているピアスでは、メンバーさん(利用者)が就職準備訓練のなかで自己と向き合い、理解し、葛藤しながら行きつ戻りつ受け入れようとする姿勢、歯を食いしばって通ってくる姿勢には感銘を受けることしばしばです。

私も頭でっかちになってしまうところがありますが、「ムーブ!(動こう!)、ムーブ!」と自分を鼓舞して、迷いを片隅において動き始めるようにしています。外国映画の観すぎでしょうか(笑)

こんなことを書いていると、「今年も富士山に行きたいなぁ」なんて考え始めました。6度登る馬鹿も突き抜けていて面白いかもしれません、一度きりの人生ですからね。

そう「一度きりの人生だから…」という言葉は、私の中では字づらだけではない重みのあるものになっています。櫻井さんにとってもそうだと思いますが、いかがでしょうか?

草々

荒木  浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

H29年度 当事者セミナーの冊子が完成しました!

オープナー 2018/03/27

大変遅くなりまして、申し訳ありません。

2/9(金)に立川グランドホテルで行いました、
“第7弾!! 自分の「働く」を創ろう~変わるなら、今~”という当事者セミナーで話していました、
オープナーメンバーの方々に協力いただいたアンケートを集計した冊子が出来上がりました。

ぜひご覧ください。
何かご質問等ありましたら、お気軽にオープナーへご連絡下さい。

~自分の『働く』を創ろう~変わるのは、『今』~

H29年度当事者セミナー冊子 No.1

H29年度当事者セミナー冊子 No.2

H29年度当事者セミナー冊子 No.3

H29年度当事者セミナー冊子 No.4

ボリュームたっぷりの冊子となっております。
No.1~No.4それぞれを印刷していただくと、1冊になります。

4月の予定をお知らせします

棕櫚亭Ⅰ 2018/03/27

暖かい日が続いています。
先日のウォーキングで大学通りの桜を見てきました(^^)/
ちょうど満開に近づいていて、とても綺麗でした!

HP用②

HP用①

さて、4月の予定をお知らせします♪
4月は障害者スポーツセンターの改修工事のため、代替施設となる味の素スタジアムへ見学に行きます。
また、5/2に歓送迎会を行うのでその準備も始めていきます(^_-)☆

4月の予定表はこちら→4月月間予定表

また、今まで絵画の展示をさせていただいていた多摩総合精神保健福祉センターさんが、展示のレイアウトを変更するということで、絵画を回収してきました。

HP用① HP用②

HP用③ HP用④

国立社協の喫茶わかばさんと、なびぃ、ピアスⅡには引き続き展示をしていただいています(*^_^*)
また今年も、6月頃に絵画展をする予定なので是非足を運んでください!

今年度もよろしくお願いします(^^)

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SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信22号を発行しました

ピアス 2018/03/26

SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信22号を発行しました。

ピアス通信22号

今号の記事内容は・・・

1面から3面までを「全国就労支援連絡協議会」の新人職員研修にピアスOBの方と職員が参加しましたので、そのご報告に関する記事構成となっています。

ぜひご覧ください。

【報告】家族講座(その2)を開催しました

なびぃ 2018/03/20

去る3月17日(土)、今年度2回目の家族講座を開催しました。今回のテーマは、“笑いヨガ”です。

講師は、ラフターヨガ(笑いヨガ)認定笑いヨガティーチャーの岡井裕美さん。岡井ティーチャーの用意してくださった。資料には、『笑ってごきげんで暮らそう!』のタイトルが・・・・素敵です!

笑いヨガは、笑いの健康体操にヨガの呼吸法を組み合わせたものです。私たちの脳は、可笑しくて笑っても、体操として笑っても(笑うふりをしても)実は区別がつきません。笑う体操で、笑いの効用(自立神経の活性化、脳の活性化、免疫力のアップ)が得られるのだそうです。

そして、実際の笑いヨガの体操では、なんと・・

アロハ笑い、ライオン笑い、鳥のフン笑い、お尻に一万円札笑い、梅干し笑いなどなど・・・waraiyoga

体操の中でハワイに行って泳いだり、鳥のフンをかけられたり、宝くじが当たってお札の扇子であおいで笑ったり、お尻に一万円札を挟んで笑ったり・・・奇想天外な笑いの数々、恥を忘れて、思い切りやりました。やり切りました。

不思議にも、終わる頃には、肩や背中が軽くなっていました。

最後になりましたが、岡井ティーチャー、当日お集まりくださったみなさま、本当にありがとうございました。

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1日レクで横浜中華街に行ってきました!

棕櫚亭Ⅰ 2018/03/19

3/16(金)、1日レクで横浜の中華街に行ってきました!

1か月ほど前からパンフレットを見ながらお昼ごはんの場所などを決め、ついに当日です♪

駅に着いて、まずは横浜関帝廟に行ってお参りをしました(^^)/

HP用③HP用④

そのあとはお待ちかね、お昼の時間です☆
サンドイッチ組と中華料理組の2組に分かれたのしみました(^O^)

HP用⑤HP用⑥

大満足な量とおいしさでついつい笑顔がこぼれてしまいました(^O^)

そのあとはおみやげ探しです(^_-)☆
みなさんパンフレットを見ながらお目当ての品を探していたようで、大満足の表情を見ることができました♪

HP用②

 

 

 

 
そして最後は食べ歩き☆

HP用①

 

 

 

 

あんなに満腹ごはんを食べたのに、豚まんやらチーズタルトやら胡麻団子の誘惑に勝てずついつい、、、(*^_^*)
その分歩いたのでよしとしましょう!

残念ながらお天気には恵まれませんでしたが、みなさんの笑顔をたくさん見ることができてとてもたのしい1日レクとなりました!

『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ⑪ “就労 クローズ就労での経験 オープン就労がなかった時代 -櫻井 博からの手紙”

法人本部 2018/03/14

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

就労 クローズ就労での経験 オープン就労がなかった時代

前略
荒木 浩 さま

今から20~30年前は、病気のことは話さないで就労するのが当たり前でオープン(自分の障害を話して就労する)クローズ(自分の障害のことを話さず人事面接を受け就労する)という考え方もはっきりなかった時代がありました。今ほど病気の理解もすすんでいない時代でした。

就職の面接に行っても「性格はちょっと内向的で、人間関係とか気にするタイプ」とか自分を表現して乗り切っていました。

企業のほうにも働く側にもある意味、病気が一過性と考えられていた時代でもありました。

いまでは考えられないことですが、学生時代の就活は病院から外出届をだして、面接に行き病院に帰ってくることもありました。病院からスーツで会社面接に行って病院に帰ってくると、「よ、会社員」などと患者さんにからかわれることもありました。

 

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

櫻井 博

病気になったから幸せになれた

病気をしたから得た人間関係、そして自分の悪い性格もすこしは丸くなったかと思いがあります。

病気と真剣に向き合えた棕櫚亭のメンバーとしてこの施設に参加していた何年間で考え方も価値観も変わりました。

ちいさな幸せで十分満足でき、それを他の人と分かちあえる。これはおそらく病気にならなければ体験できなかったと思います。

受験期の自分の価値観は社会的名誉とかお金持ちになりたいとか、そんな考えにあふれていた感じでした。その一方でそうじゃない、もっと違う何かがあると感じていたこともありました。その何かが病気になってわかったような気がします。お金には変えられないもの、それも病気を通じて知りあった仲間が教えてくれたようです。

それも棕櫚亭という施設に出会えたからです。病気になって幸せになれたと考えられたのも多くの同じ病気をもって生活する仲間を知ったからです。

それまでの過程をすこし話したいと思います。

辛いを乗り越えた先

荒木さんが手紙で言われた「生き抜く」というのも、私も病院の中で痛感していました。

先に就労のことを書きましたが、クローズで就職している意識はあまりありませんでしたが、(あまり病識がなかった)患者さんがいなくなっていく(ほとんどが自死)時、死ぬのもいやだが、生き続けることももっと大変でした。病院で死ぬと思っていた19歳の自分は30代にはいなくなっていました。荒木さんが辛いことを乗り越えて成長していったのと同じように辛いことは私も多かったです。

 

問題は仕事ができない

就職の面接に受かっても、現場は細かい指示もあったり、基礎的なパソコンの知識、体力を求められたりして、よく怒られていました。

例えば今日残業になりそうな時、上司と一緒に夜の9時まで仕事をして、翌日は全員が8時出勤とかもありました。自分が精神的な病をよく知らなかったぶん、休みたくても自分の状態を説明できないことが多かったです。「なんでスピードが遅いのか」という指摘が多く悩んで愚痴を言っていることもありました。病院から企業訪問していたので、昼間も眠くてしょうがなかったです。今なら病気を休息期、回復期とか考えられますが、その当時は人並みに仕事をして、現場で鍛えられた感じでした。上司の命令は絶対で、もしかしたら今で言うブラック企業だったかもしれません。仕事をして給料はもらっていたので生活にはあまり困らなかったですが、その分お酒や食事にお金を使っていました。

お酒は仕事が終わると3日に1回ぐらいは同僚、上司と飲みに行っていましたし、夕食は外食でした。

将来への望みもなく、毎日くる日もくる日も過ごしていました。

一人暮らしでしたので、気楽でしたが、今人に支えられているなかで感じられる幸せ感はなかったです。

会社を休みたくても、休めず、「とにかく出社してこい」と言われ、働き続けたという感じがします。

仕事を通じて、皆会社では仮面をかぶって演じていて、会社という舞台で踊っているような感じでした。仕事上、注意され叱責されるのも、長時間働くのも、今でいう「仕事だから」という意識が会社側には強かったです。

自分も生活の為に働いているというわりきりがありました。

「石の上にも3年」というように、長くいれば仕事に慣れてはきましたが、自分の望むような仕事はできなかったし、常に回りを気にしていました。お金は稼いでも幸せはお金を使った時だけでした。

10代で病気になり、気は弱くなっていた自分が社会参加している意識はあまりなかったです。

 

幸せ感再び

そんな中、棕櫚亭との出会いは鮮烈でした。

サラリーマンとして会社に行った帰りにふと目にした棕櫚亭という文字に触れ(その頃の棕櫚亭第一作業所)、施設長に話しを聞いてもらったのが始まりでした。施設長は自分のいうことを否定せず、黙って聞いてくれました。

後に会社を退職し、棕櫚亭に通い始めます。そこに通うことで

よく人が言う「人間関係で鎧も刀で武装しなくていい関係」に気が付き自分もその中で過ごせる幸せを感じられるようになりました。

人間関係の距離の取り方というのも、あまり実感としてもっていませんでした。

棕櫚亭での勉強会で、講師の立川社協で働いている比留間さんが、「人間関係の距離の取り方は、縮めすぎて痛い目にあったことがない人でなければ、わかりません。その経験があってはじめて距離の取り方を知る」と、言われたのが印象に残っています。人間関係で悩んでいたのは距離が近すぎてどろどろになっていたんだと、過去の記憶が思いだされました。

性格を変え、会社を変え、幸せ感を感じるまで、ずいぶん回り道をしましたが、悔いてはいないです。それがあったから今幸せと思えるからです。

荒木さんは幸せってどんな時に感じますか?

 

草々

櫻井 博

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信21号を発行しました

ピアス 2018/03/06

SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信21号を発行しました。

ピアス通信21号

今号の記事内容は・・・

  1. 地域活動支援センター『なびぃ』のご紹介
  2. なびぃ職員 インタビュー
  3. コラム「とっておきのリラックス法 温泉編」
  4. お知らせ

となっております。ぜひご覧ください。

絵画のワークショップを行いました!

棕櫚亭Ⅰ 2018/03/02

2/25の日曜日、ピアスⅡで絵画のワークショップを行いました!
今年で3回目となるワークショップ。
毎年地域の方に参加していただいています(^O^)

3回目ともなれば、顔なじみの方も増えてきました♪
今年も、通常の絵画教室でもお世話になっている小堀先生を講師としてお招きし、そして今年は新たな試みも!!!
以前棕櫚亭に勤務されていた山口圭子さんにも来ていただき、アフリカ音楽も楽しませていだたきました(^^)/♪

HP用①   HP用②

音楽から絵画のインスピレーションを感じた方もいたようで、作品制作もみなさんとてもたのしんでる様子でした(^_-)☆

HP用④  HP用⑤

音楽も絵画もたのしんだあとは、完成した作品を紹介し先生から感想をいただきました。
みなさん個性が出ていて、見ているこちらも楽しませていただきました(*^_^*)!

HP用③

アンケートの中にも「楽しかった」「無心で描けてよかった」など、うれしいお言葉をたくさんいただくことができました。

参加者のみなさん、本当にありがとうございました!
来年も開催する予定なので、是非また大勢の方のご参加お待ちしております(^O^)!

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