福島・被災地への旅に思う(熊谷編)

研修会 2019/03/19

福島の被災地のことはずっと気になっていた。実は、東日本大震災当日、ぼくは福島を旅行中であった。被災したのは福島市内だったが、移動した郡山の公民館で2泊お世話になり、原発事故から逃げるようにして東京に戻ってきた。

その年(2011年)の7月、友人の誘いを受けていわき市の久之浜付近でガレキの処理のボランティアをしに行ってきた。その当時、被災地のあちこちにガレキの山があり、被災した家の中はメチャクチャで浜には船やクルマが引っくり返ったまま放置されていたりした。ぼく自身が福島で被災したこともあり、公民館へのお礼も兼ね、まず現地がどうなっているのかこの目で見たいというのが動機であった。以来、被災地とりわけ福島にはとくべつな想いがあり、東北への旅の途上、福島には何度か立ち寄ったり、すっと気にかけていた。震災後の8年でどう変わったか見てみたいということもあり、今回参加したわけである。

1-a2 (2)ガレキに代わって除染で出た汚染土が大地をおおっていた。被災した建物が広大な荒地にポツンポツンと残されている。人がこなくなり土地が自然にかえっていく。だが、これは津波や地震という天災だけがつくりだしたものではない。原発事故という人災が重なることによって、荒涼とした風景がつくりだされたのだ。この地に立つと、オリンピックだ万博だと浮かれている場合ではないとつくづく思う。汚染土の中間貯蔵施設が30年たってもそのあとはどうなるのかと思うとやりきれない。国は放射線濃度が基準値以下の汚染土を県内の公共事業で再利用する計画をすすめている。二日目に通った常磐自動車道は片道二車線にする工事中だったが、そこにも使われるのだろうか。するとこれこそまさに最終処分そのものではないか。そんなに安全というなら東電や政府のおえら方の広い庭に埋めてくれといいたくなる。高瀬さんから現地の住民の帰りたいけど帰れないという葛藤や孤立感をうかがって、ぼくは言葉を失った。家や土地を失うだけではない。そこで暮らした日日の生活、代々の歴史や文化や自然、人と人とのつながりが断たれてしまった。

他人事ではないと思う。原発を受け入れた生活を選んできた都市の我々にも責任がある。1986年のチェルノブイリ原発事故のあと、日本でも脱原発の動きがあった。1988年には、四国の伊方原発で危険な出力調整実験が予定され、ぼくが当時住んでいた杉並・西荻でも脱原発の声が高まり、有志が四国の高松(四国電力本社)まで抗議に行った。その後も西荻ではデモの呼びかけに700人もが集まったこともあった。そんな反対の声も届かず、脱原発の動きはいつの間にか下火になり、変わらずの日常が戻ってきた。なぜつづけられなかった、という反省を大震災での福島第一原発の事故はぼくにつきつけた。悶々とした日日がつづいたが、それもいつしか日常にのみこまれた。そして今、福島の現実の一端を目のあたりにして僕は考え込んでしまう。

こんかいの旅では福島出身の山地さんが、おみやげを買ってください、と何度も呼びかけていた。ぼくには田舎らしい田舎がないので、自慢できる田舎のある彼女がうらやましかった。その山地さんでも福島を去って東京にでてきた人である。東京とはなんだろうとも思う。それはともかく、何でもいい、福島を応援する手立てはいろいろあって、こうでなければということはないと思う。旅行する、宿泊する、おみやげを買う、歴史や文化を知る、自然の中を歩く…自分で出来ることから始めてみてはどうだろう。

高瀬さんの実家のある大熊町ではイノシシに遭遇した。キツネもいた。彼らは放射性物質を浴び、汚染された食べもので相当内部被爆しているはずだ。動物どころではない、というなかれ。除染がされているのは家とその周辺だけである。里山や森林など手つかずのままだ。そこを動物たちは自由に動きまわっている。被爆は子孫に影響する。人間も動物の仲間であり自然の一部である。人間は社会的存在だが、それをとりまく自然生態系なしには生きられない。そこにももっと目を向けてほしい。

 

家族講座を開きました

なびぃ 2019/03/15

3/9(土)に家族講座を開催しました。今回は「アサーティブネスへようこそ」というテーマで、講師としてBe-Happy!アサーティブネスの会を主宰し、エンパワーYOUネットワーク認定ファシリテーターでもある堤 暢子(つつみのぶこ)さんと、その仲間の山口 かほり(やまぐちかほり)さんのお二人が来てくださいました。おふたりともやさしくやわらかい空気を持ちながらも、それぞれの持ち味が違っていてまたそれがとてもステキ・・・そんなお二人でした。(『アサーティブネス』についてはエンパワーYOUネットワークホームページで紹介されています)

例年、なびぃの家族講座は精神障害がある当事者の『ご家族』向けの企画内容で行なっています。今回はともに地域福祉に取り組んでいる児童擁護施設神の国寮さんとの連携の中で、子育て中のご家族にも参加してもらえるような会にしたいという思いで企画しました。当日は21名の方が参加してくださり、障害当事者のご家族、子育て中のお母さん、遠方からわざわざ来てくださった方など、様々な立場から色々な方がご参加くださいました。

地域の会場をお借りしたのですが、ここがまたとても良い雰囲気で・・・大通りからは少し離れたところで周囲の雑音もなく、お部屋は広々とした明るい空間、畳と絨毯敷きで車座に座りリラックスした体勢、そんな中で会は始まりました。参加した方のほとんどがアサーティブに今日初めて出会ったということで、まず『アサーティブネスとは』何なのかをお話ししてくださいました。『アサーティブネス』の語訳は『自己主張すること』だけど一方的に自分の意見を押し通すことではない、自己尊重すること、自分を大切にする気持ちを高く持つことだということでした。『自分を大切にする』なんて当たり前のことのようだけど、自分の日常の中の気持ちや感情を思い出してみるとたしかにあまりそれを意識していなかったし、改めて考えたりすることもなかったな、と思いました。H310309家族講座

そして『アサーティブネスの権利』という「私」を主語にした12の権利を読み合わせました。その「私」を自分の名前に置き換えて相手に声に出して読み上げてもらう、自分も相手の名前で読み上げるというワークをしました。『権利』というかたい言葉のためかちょっと遠くに感じていた内容が、名前が入ったことで一気に自分自身のこととして感じられたのが印象的でした。またひとに言ってもらうというのも、自分の存在自体を認めてもらえているような嬉しいような恥ずかしいようなでも安心なような不思議なかんじでした。参加者の中には「難しい内容と思っていたことも、自分の名前を言って読んでもらうことで、素直に入ってくる感じがした」とアンケートに書いてくださった方もいました。

講師おふたりのあたたかい雰囲気が全体に行き渡り、最初は緊張していた空気がいつのまにかやわらかいものに変わり、私自身も他人にどう思われるかや評価を気にせず・・・いや気にする自分を認めることもまた『自分の気持ちに正直』なことなんだと思いながら、いろいろと話すことができていました。とてもすてきな時間を提供してくださった講師のおふたりには、本当に感謝感謝!です。

エンパワーYOUネットワークを立ち上げ、堤さん・山口さんを紹介して下さった岩井 美代子さんにも大変お世話になりました。ご自身の著書『こころのちから』(ワニブックス発行)を「アサーティブに興味を持った方にぜひ差し上げて!」と寄贈してくださいました。帰り際には多くの方が本を手にとってくださり、中には2冊(!)持ち帰った方もいらっしゃいました。また本代という訳ではないのですが、被災地への寄付金も募らせて頂き7,450円も集めることができました。ご協力頂いた方、本当にありがとうございました。責任を持って被災地への寄付金として送らせていただきます。(ご報告はまた後日HPに掲載いたします)。

最後になりましたが、開催にあたりいろいろな形でご協力頂いた児童擁護施設神の国寮さんにこの場を借りて改めて御礼申し上げます。一緒に企画案を考えてくださったり、広報にもご協力いただいたりとこの会のためにご尽力いただきました。本当にありがとうございました。

なんだか御礼ばかりになってしまいましたが、本当にみなさまの支えがあってこそのなびぃなのだと改めて感じました。この家族講座も地域貢献の意味もあって開催しているのですが、結局助けて頂くことのほうが多くてなかなかお返しが追いつかず恐縮ですが、今後とも地域のみなさんと一緒におもしろい・楽しい・ちょっとためになる・ちょっと助かる・ちょっと助ける、そんなことをやっていけたらと思います。              (なびぃ奥迫)

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特集/連載 Part ❿『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “贅沢な時間をすごせた時代 切り取ることができない大切な時間”

法人本部 2019/03/08

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

贅沢な時間をすごせた時代 切り取ることができない大切な時間

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会
障害者就業・生活支援センター オープナー 主任 川田 俊也
(精神保健福祉士)

 「どうして精神分野で働くことになったのか」今振り返る

思えば、物心ついた頃から僕の周りには障がいのある方がいて、彼らが地域で暮らしていることが当たり前の生活で育ってきたように思います。聴覚障害者の親戚、脳性まひがある幼馴染、そして同じマンションには気分障害の方がいて、彼らとの関わりの中で、戸惑い、何か自分にできる事はないか? どうしたら彼らの手助けができるのだろうか? などと子供時代を過ごしているうちに、気がつけば大学では心理学を専攻していました。
授業を受け、やがて教授の助手としてカウンセリングに同席し始めると、訪れる人達をみて更にいろんな思いに駆られるようになりました。
例えば、カウンセリングの間、顔色を変えず全く笑顔を見せないAさんは、どのような気持ちで座っているのか考え、気がつくとAさんをじっと見つめている自分に、はっと気がつくのでした。このようなことを繰り返すうちに、まぁ何はともあれ「Aさんの笑ったところをみてみたい! 笑わせたい! なんとかしたい!」と感情がわいてきたのを今でも思い出します。
「もう少し踏み込んで彼らに関わっていきたい」 そんな自分の心境の変化が芽生えるのも時間の問題で「もっと精神障がいのある方とかかわりあえる仕事につきたい」と考えて精神保健福祉士の門を叩きました。今ここにいるのは、このような経緯なのです。

私自身何でも全力投球して目の前のことに没頭してしまう性格でした。いまでこそ主任という立場になり、何か起こってもそれなりに落ち着いて対処することが普通になってきましたが、昔は体育会系ののりでとにかく動いてしまうことが多かったように思います。そんな私がどちらかというと文化系の臭いを纏う(まとう)棕櫚亭と出会ったのは、学生時代に実習したことに始まります。ともかく一生懸命やっている姿が評価されたのか(笑)縁あってその後棕櫚亭で働くことになりました。最初は週一回のスポーツプログラムを担当する非常勤職員として勤務がはじまりました。アルバイトでスポーツインストラクターをしていたのもよかったのかもれません。

メンバーさん達からしてみれば、「こういう職員って嫌だよなぁ」と今なら思っただろうし、「よく棕櫚亭は採用してくれたよなぁ」 と思うときがあります。
そのころ思っていたことは「精神障害者をなんとか普通の生活ができるようにしたい」、「健康にさせたい」という気持ちが強く、思いだすと「思いあがった新人」という感じがして今顔が赤らむ思いがします。もし、自分と同じような新人がきたら「頭でっかちになるな!」と言うと思います、間違いなく(笑)。

自分は精神疾患に対して偏見みたいなものはないと考えていました。しかし、地域で生活している人というよりも、「病者」と感じ接していることがあったことを考えると「偏見がなかった」といえるかは、今となってははなはだ疑問に思うところです。勿論、今はそんな考えが間違っていることは重々わかっています。

この仕事を続ける上で、切り取ることができない大切な時間

連載されている「ある風景」の執筆依頼があって、構想を練っている時に自分には「ある風景」をひとつには絞れないと思いました。考えれば考えるほど、「この日、この場所、この場面」ひとつひとつをとってみても、真剣勝負で濃密な時間を過ごしていました。

ベランダの喫煙所で「おい! 川田! お前は間違ってる」とタバコを吸いながら本気で叱ってくれたUさん、夕方、お茶をしながら「息子のように育てたいのよ」と話してくれたKさん、ソファで相談にのってもらいながら「大丈夫!なんとかなる」と励ましてくれたKさん、市民祭や一泊旅行の実行委員を担当したとき、「一緒にやれてよかった!」と話してくれたYちゃん、送別会を開いてくれたとき、ハグをしてくれたSさん…… 数え上げれば切がないほどのメンバーさん達の顔が浮かびます。

言えることは、僕を育ててくれたのはメンバーさん達の率直な話だということです。もちろん先輩同僚職員のアドバイス等もたくさん受け、感じるところや考えさせられることもたくさんありました。それでもやはり大きいのは、メンバーさんの日々のかかわりでの率直な意見や表情、空気感など関わりの中から得たものです。ちょっと今では考えられないかもしれませんが、毎月あるグループミーティングで、私自身の1ヶ月間の振り返りを「じっくり、たっぷり」してもらっていたことを思い出します(これってものすごい贅沢な時間(笑))。

当時の僕もなかなか頑固で、言われることも多かったのですが、メンバーさん達に対しての感情やああしたい、こうしたい20190308121114ということを率直にぶつけていました。「そこまで言うのか?」というのもあったかもしれません。メンバーさん達からは「いやいや違うだろう!」という押しかえしもたくさんありました。結果的に僕が間違った態度も多く、素直に「ごめんなさい」と謝ることもたくさんありました。この年になっても人に謝るということができることは大切な財産だと思います。

とことん悩む時間をもらい…なんていうと少し格好をつけていて、実際は、そのままこの分野で働くことに自信を失うこともしばしばありました。少し前言を撤回するようですが、「口で言うほど素直なやりとりというのは簡単じゃない」という気持ちも半分はあります。

それでも、社会人ほやほやの僕に対して、社会経験豊富で自分自身と向き合ってきたメンバーさん達だったから、受けて止めてくれていたのかと改めて思えます。

本当に自由に過ごさせてもらっていましたし、この貴重な時間は私のキャリアにとって切り取ることができない貴重な時間だったと思います。

メンバーさんから育てられ、自分の気持ちが変化する

私もなんだかんだで中堅職員として、職員にいろんなことを伝えなければいけない立場になってきました。そんな私が苦手なことの一つは職員を育てることだという自覚があります。だから、すこしこの場で語りたいと思います。私の場合、一つのエピソードが自分を変えたというものはありません。メンバーさんとの日常的な関わりであるユニット活動やお茶を一緒に飲むこと、一泊旅行、スポーツプログラムなどの活動を通して、本当に徐々に考えや気持ちや姿勢が変わったという感じがします。「心境の変化」とは私の場合そのようなものです。
繰り返しになりますが、入職した頃、メンバーさんの「できないところをどうしようか」と思っていました。そしてそれが、自分の仕事だと思っていました。

しかし、メンバーさんと同じ時間を過ごし、共に笑い、メンバーさん同士が助け合っていたり、褒め合い、一生に悩んで

「最近夜、眠りにくいんだよ」と話し始めた時、他のメンバーさんが相槌を打ちながら「先生に相談してみたら」と、アドバイスする

20190308121025時には泣いて。そんな日常風景が流れていき、この作業所一部に溶け込んだ時に、メンバーさんの「いいとこ探し」をしている自分がいることに気がついていました。棕櫚亭Ⅰ(だいいち)の「ワンピース」になったみたいな感じです。

ようやくその頃の自分が「朝からちゃんと起きないからだよ」と笑いながら自然に応じている姿は、他の人からも違うように見えていたのではないかと思います。

「自分のアイデンティティが崩れ」なんて言うとかっこいいのですが、逃げ出したくなるようなしんどい気持ちと向き合い、理由を自問する。これを繰り返すことで自分自身を見つめなおす…そんなことがあったことをこの文章を書きながら、昨日のように思い出してきました。
私が私の専門家であるように、精神疾患の専門家というのは実はメンバーさん本人自身であり、教科書の知識は所詮、机上の知識であり、現実はメンバーさんから学ぶことが大切なことだと思いました。こんなことを後輩には伝えたいと思っています。

当時の棕櫚亭Ⅰに勤務できたことは私の財産であり、そのことには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

終わりに

仕事を始めて時間がすこしたち、自分がメンバーさんと共に生活をしていくにつれ、仕事をしているというか、自分も成長させてもらっているので、これでお給料を頂いていいのかなぁと思うことがありました(笑)
当時、作業所でメンバーさんにこんな質問をしました。「職員の役割ってなんでしょうか?」と。

メンバーさんは「一緒に悩んでくれて、側にいてくれて、何かあったら話せる相手」と答えてくれました。この言葉は今でも心に刻んでいます。
私の仕事のスタンスは「まず本人に教えてもらう」そして「黒子になろう」ということです。
これからも学ぶ・教わる姿勢は忘れないような関わり方を大切にしていきたいと思います。
たまに、先回りしてしまうことは自分の個性として受け入れてもらう他ないですが(苦笑)

この仕事に対する姿勢というものは就労系のオープナー勤務になった今も胸に刻みながら、職場と職場、そしてオープナーを汗をかきかき駆け回っています。

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

川田さんが実習生で来て、非常勤として働き始めた頃からを知っているので、成長したなあ、Kさんが言うように育ったなあという感じをもちました。
川田さんが入職した頃とてもハンサムで(今もか(笑)) スマートで都会的センスにあふれ、かっこいいなとメンバー皆で話していたのが昨日のように思い出されます。
障害者自立支援法ができ、いろいろメンバーの活動が制限されていった頃、当時あった車の棕櫚亭号を運転し、いろいろな所にメンバーを連れて行ってくれました。
今で言う地活のⅡ型で(その当時は作業所)生活全般にわたって川田さんには相談を引き受けていただきました。その頃のメンバーは40代、50代の重鎮もいて正直仕事しづらかったかとも思います。もともと誠実で素直な性格だったので、この並み居る重鎮に言われたことを自分で消化し自分の仕事に生かしていったことかと思います。
今や棕櫚亭になくてはならない人になった川田さんの考えが後の方に継承されればと思います。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

もくじ

 

[受付状況更新済]精神障害者就労定着支援連絡会 第4回セミナーのお知らせ

オープナー 2019/03/07

【3/7(木)18:00現在 申込状況 : 残り若干名の受付となっております。3/7までにお申込み頂いた皆様はお席を確保しております】

今年度、オープナーでは東京都福祉保健局による「精神障害者就労定着支援連絡会」を事業受託しています。

8月30日、10月31日の2回は統合失調症をはじめとした精神障害、発達障害を知るセミナーを開催してきました。また、1月18日には例年オープナーが行っております「当事者セミナー」との共催として「働く当事者に聞く! 働く準備と職場定着」と題しセミナーを行いました。お陰様で毎回満席を頂き、キャンセル待ちが出ている状況となっております。

つづくシリーズ第4回では、「平成30年度精神障害者就労定着支援連絡会 事業報告」および「精神障害者の採用面接ポイント~面接は雰囲気作りから始まる~」と題し、精神障害の方を雇用するための採用面接についてデモンストレーションを交えながらポイントを学ぶセミナーを開催致します。

基調講演

講 演 : 大森 理智 氏 (みずほビジネス・チャレンジド株式会社 企画部 職場定着支援チーム)

・日時  2019年3月13日(水) 13:30受付 14:00~16:00
・場所  立川グランドホテル
・対象者 精神障害者の方をすでに雇用している企業担当者、これから雇用しようとしている企業担当者、就労支援機関(就労移行支援事業所)
・定員  150名
・申込〆切 定員になり次第締め切りとなります

詳しくは以下をご覧ください。

精神障害者就労定着支援連絡会 第4回講演チラシ

【告知】ご家族向けの講座を開きます

なびぃ 2019/03/05

毎年、恒例となっていますなびぃの『家族講座』を今年も行ないます。

今年のテーマは『アサーティブネス』です。(詳細は↓家族講座ちらしをご覧下さい)

日頃、ともに地域福祉に取り組んでいる神の国寮さんと、子育て中のご家族にも聞いていただきたいという思いで企画しました。

大切なご家族との日々のかかわりを考える機会にしませんか。どうぞお気軽にご参加ください。

 

※申し込み方法・日時など詳細はこちら→家族講座ちらし

お申し込みを心よりお待ちしております。

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