『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❿ “生き抜いてこそ~「辛さ」と「幸せ」の境界 -荒木 浩からの手紙”

法人本部 2018/02/28

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

生き抜いてこそ~「辛さ」と「幸せ」の境界

前略
櫻井 博 さま

風が吹くと身がすくむほど寒いと感じます。それでも気のせいか昼の日差しはほの暖かくなってきているので、わずかながら東京は春に向かっているのだなぁと思う今日この頃です。ただ全国的に今年は厳しい冬のようで、特に福井県などは今もヒドイ積雪状態で農作物などがかなりの打撃を受けているとの報道があります。「寒い冬でも、いつかやがて春に向かう」という「自然の摂理」を私は東京にいて体感していますが、一方で福井県の話を例にとるまでもなく「自然の驚異」を意識することが多くなってきました。

「自然の驚異」といえば、それをテーマとしてとり扱った「ジオ・ストーム」という映画を最近観ました。ザ・ハリウッドという作品なので好き嫌いはあるかと思いますが、「アルマゲドン」なんかが類似作品だと思います。この作品は、近未来世界の設定で、人類が国を超えて力を合わせ地球に起こる異常気象のコントロールに乗りだしたことから話は始まります。宇宙ステーションでその後の気象をうまくコントロールしていましたが、やがてウイルスでステーションが故障し、再び各地で大寒波・熱波・竜巻などの大きな問題が起こってしまいます。主人公がこの大問題の解決に乗り出す話なのですが、サスペンス的な要素もあり、すごく面白くて3回も映画館で観てしまいました。天候をコントロールする未来を想像すると、人類が神の領域に入っているような気がしますね。話の落ちにはやや不満が残りましたが、気象問題に関わらず、いくつかの意味深い問題提起をしている良作だと思いましたので、機会があれば櫻井さんにもぜひ観てほしいです。

あぁ、すみません、話が横道にそれてしまいましたが、まずはお礼を言わねばいけませんね。病気と青春時代を絡めて書いていただいた、櫻井さんの前回の手紙を読ませていただきました。受験を控えた前日に統合失調症を発症してしまったのは、高校時代のすごし方にあったのではないか?しかし、今この歳になって振り返ってみると、病気に罹ったのは「不幸でもあり幸せでもある」と締めている。ただでさえ生き辛い今の格差社会の中で、なんとも櫻井さんは「幸福感を得ていらっしゃる」とのこと。

 

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

荒木 浩

 

多くの別れと自身の揺らぎ

「病気になったことが、幸福につながっている」という逆説的なこの一文は、スルーできないところですよね。櫻井さんの辛い10代後半が幸せの50歳につながっているのは、間の30年以上が激動の転換期だったということでしょうか?確かに、私も48歳になったということは、人生の半分以上を東京の地で生活し、仕事に費やしてきたということです。いろんな経験などがあったにも関わらず、それでも人生観や価値観においては10代の呪縛がなかなか解けないでいるのが正直なところです。これは何度かこの手紙のやり取りでも触れたとおりです。それだけに青春期の過ごし方が、その後の自分を大きく左右することは、個人的な考えとして間違いがないと思います。

ただ一方、ある程度自分自身の人生観、価値観、自我が重要な青春期に固まったとしても、私のような対人援助職を続けているとそこが揺るがされてしまうことがあります(いや、この仕事に限らないのかもしれませんが)。得てして、このことは頭を抱え込むような大きな悩みにもなりますが、上手く乗り越えると自己の再構築にも繋がります。言葉でさらっと語れるほどに楽なプロセスではないのですが、客観的に語るとしたら、20代・30代のこの時期に仕事を通じて精神的な辛さに直面することで自分をみつめ直し、そしてそこを乗り越えていくことで他者を知る(理解する)というようなイメージです。この時期は大切だったと今なら思えます。揺るぎは大小さまざまな場面やきっかけで生まれるのですが、私が何よりも辛いものを挙げるとしたら、メンバー(利用者)の死や彼らとの別れに直面したときでしょうか。事故など思いもよらない突然の「不自然な」お別れは本当に辛いものです。

 

連絡が取れず、自宅をお伺いすると食べ物を詰まらせて亡くなっていた方。この方は病院から退院するときに親御さんと話し合いをして一人暮らしを勧めました。私が20代の若造の頃のことです。ご両親も他界されていて、身内とも連絡が取れずひっそりと関係者数名で火葬されました。

 

別の40代の方は母親と二人暮らしでしたが、母親が突然病死され、親類に引き取られるように東北のとある町へと旅立っていきました。何とか東京で生活できないものかとぎりぎりまで思案したものの上手くいきませんでした。10数年後、東日本大震災でかの町は津波に飲み込まれ壊滅しました。

e.t.c…..

生き抜いてこその幸せ感

いったい彼らは幸せだったのか?自分の支援は間違っていなかったのか?彼らのことを思い出すにつけ、いろんな感情で頭の中がかき乱されます。こんな時思い起こすのは、かつて前理事長が就職したメンバーに向かって「生き抜くのよ」と笑いながら送り出していたことです。戦後の高度成長期に生まれた私にはあまりにも過激に聞こえましたが、今となっては彼女の言わんとすることはわかります。

「人が生れるということを選べないように、死ぬということも選べない。だから何としても生きていくしかない」というのが、この仕事に就いて行き当った、現時点での生死に関する私の結論です。「どんなに良い支援をしていても、その方が不本意に死んでしまったり、又は死に近づけさせたりしてはいけない」という支援の根幹の考えは、多くの別れの中で体感し確立したと言えますし、私の頭の片隅には必ずあります。実は冒頭で触れた「気象コントロール」も人為の入り込む余地のない「不自然な」振る舞いだと考えています。人それぞれで良いとは思いますが、「不自然であること」の尺度はもっておいた方が良いのではないかと思います。今の私の危機感は、社会が全体主義に飲み込まれるなかで「不自然であること」に対する私達のアンテナの感度が悪くなっていることなのです。

すみません。話が飛躍しましたね。話を戻して、少なくとも「生死に関する」このような考えは若い頃には希薄だったように思います。決して軽んじていたわけではないのですが、どこかで「人生は太く短く」みたいに考えているところがありました。しかし年月の積み重ねの中で考え方が真逆に変化したようです。桜井さんは辛くも、生き抜いてきたからこそ幸せにつながったのではないかと思います。

 

つらつらと手紙が長くなって申し訳ありません。櫻井さんは、青春期以降いろんな体験と長い時間を経て幸せを感じるまでになったと書かれていましたが、どのようなエピソードの中で変化していったのでしょうか?お話していただけますか?

それにしても「辛い」と「幸せ」というのは、漢字が似ていて紙一重なのが良くわかりますね。

草々

荒木  浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

3月の予定をおしらせします。

棕櫚亭Ⅰ 2018/02/27

まだ寒い日が続いていますが、2月も明日で終わりとなりました♪
棕櫚亭Ⅰでは、メンバーさん主体での半日レクでカラオケに行ったり、昼食会で水餃子を作ったり、と盛りだくさんの1か月となりました(^○^)

3月は1日レクで横浜に行ったり、年度末の昼食会があったり、とまたまた盛りだくさんの予定です(^.^)
メンバーの皆さんは契約の更新もあります。
詳しくは予定表をご覧ください☆

3月の予定表はこちら→3月月間予定表

HP用①HP用②

 

 

 

 

この間のウォーキングで谷保天神に行きました!
梅も色づき始めています(^^♪

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『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❾ “思春期を振り返る -櫻井 博からの手紙”

法人本部 2018/02/14

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

思春期を振り返る

偏差値教育におけるゆがみ

前略
荒木 浩 さま

前回、自我と他我に関して触れました。私は自我と他我の考え方をここで話そうと思いはありません。
ただ自分が物心ついた頃、集団にはいるのが怖かったことで、避けて逃げていたことがありました。そのことで社会性みたいなものの形成が遅れ、自分を追い込み、その結果病気になったのかもしれないとの思いがあります。自分の殻に閉じこもり、気の合う人と話し遊び群れるという考え方です。
その当時(1980年代)も大学生が大人の社会性についていけず、悩みひきこもる人もいました。私の場合
「自分が大人の社会になじめない」そのような苦手意識はありました。今考えると「なんでだろう」と、疑問に思います。自分が社会を見ようとしないで、見ないですぎた分、あとにつけはまわってきました。
荒木さんは自我と他我についてエピソードは忘れたと言っていますが、わかった時があったのですね。自分と他人を違うとういう認識が確固としてあったということですね。
その認識も荒木さんが社会になじんでいたからだと思います。

荒木さんに前回、自我と他我について説明していただいたことありがたく思っています。前回は性格と病気に関して私なりの考えを書きましたが、「アイデンティティの確立は今受けしない」と、荒木さんは書かれていて、その根拠がインターネットの出現だと言われると「なるほどなあ」と、納得するも、隔世の感に似たものがあります。

私の高校生活はサッカー部の練習に多くの時間を割いたと思います。進学校な為か部活は盛んではありませんでした。一回目の書簡で荒木さんが触れた、偏差値も私の年代(1970年代後半)も重要視されていました。私が現役で大学を受けた年が共通一次試験元年でした。私はクラブ活動に身を入れるいっぽうで、なにか自分の確立した考えを確立したいと思いました。勉強はできるほうではなかったですが、そのころ読んだ、前回お話しした、坂口安吾の「堕落論」にひかれ、勉強からドロップアウトしました。自宅学習が必要な理数系はほとんど勉強しなかったです。

大学進学があたりまえの高校で、すこしでも偏差値のいい大学を目指す校風には当時馴染めなかったです。
大学浪人時代、「偏差値を上げるのは皆ができない問題に正解することだ。」と思い、そのへんの技術的なことに一生懸命になったことは、ゆがんでいるとおもいました。基本的なものを飛び越した感じはありました。(基本的な知識はおざなりにし、応用的知識の習得訓練)

浪人時代の一年(多分一生で一番勉強した一年)は自分にとっても、精神的にも肉体的にも追い込まれた一年ではなかったかと思います

自然気胸を発症したのもこの一年の冬でした。そして受験を控えた当日、統合失調症にかかりました。
このおいこまれた経験は、自分の性格ではなく、自分がつくりだした世界にも起因するのではないかと思うこともあります。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

櫻井 博

小さいころ病気の兆候はあったか?

小学生の頃、落ち着かず人にちょっかいをだして、いじめられた経験から発達系の障害もあったのかなと思うこともありましたが、少なくても幻聴、妄想がなかった日々があったのですから、やはり病気になったのは高校生活の過ごし方が大きく影響したのではないかと思います。
やるせない気持ち、不安な気持ちを内包しながら、罹るべくして罹った病気ではなかったかと思うこともあります。

病気になっても幸せ感を得られた

自分の偏差値で、せーいっぱい背伸びして入学した高校で劣等感をもちながら過ごしたことも、自分が歩んできたことには変わりません。今回この往復書簡を書くにあたって思い起こした高校生活も綺麗ごとばかりではなかったかと思います。
ついつい自分の過去は脚色しがちです。
でもこの10代最後の年に病気に罹ったことは、「不幸でもあり幸せでもあるかな」と最近思えるようになりました。そうでなければ、ズーっと偏差値のより高いところを目指し続け、数字でその人の能力をみて、格差社会における、いわゆる上のほうを、偏差値を上げるのと同じように目指す。そんな生き方だとしたら、いまのような幸福感は得られなかったと思うからです。

草々

櫻井 博

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

家族講座(第2回)のお知らせ

なびぃ 2018/02/03

なびぃでは、毎年ご家族向けの講座を企画しています。

1月にはお金のことについて講座を開催し、ご好評をいただきましたが、今年の第2回は「笑いヨガ」をやります。「笑いヨガ」は誰にでも簡単にできる笑いの健康体操です。

身体に酸素をたっぷり取り込める笑いの体操で、健康効果を実感してみませんか?

日 時  平成30年3月17日(土) 13:30~15:00

場 所  社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会 法人本部ビル2階 (アクセス

講 師  岡井 裕美 氏 (日本笑いヨガ協会)

定 員  30名 定員になり次第、締め切りとさせていただきます

参加費  無料

申込み  お電話にてお申込み下さい

なびぃ:042-571-3103 (火曜日~土曜日 10:00~18:00)

【報告】家族講座を開催しました

なびぃ 2018/02/02

去る1月27日(土)、今年度1回目の家族講座を開催しました。雪の残る寒い中、39名の方にお集まり頂きました。

講師の村井さんからはファイナンシャルプランナーの視点から、10年後20年後・・・家族全体の、そして親亡き後のこどもの家計をどう考えていったら良いのかというお話を聞かせて頂きました。

将来の収支の予想を自分たちで立ててみる方法や、その時にどんなポイントを押さえておけば良いのか、IMG_4586また親がいなくなった後の相続のことやどんなお金の残し方があるのかなど、具体的なエピソードなども交え分かりやすく解説してくださいました。

 

私自身、「お金のことはデリケートだし、とっつきにくいテーマだな・・・」と思っていたのが、「こういう風に考えていけばいいのか」と思えるようなヒントをたくさん頂けました。中でも一番印象的だったのは「意外と何とかなるんですよ」という一言でした。「今考えても仕方ない」そうは思っていても、やっぱりまた不安になってくるお金のこと・・・その道のプロにそう言ってもらえると、今までよりもうちょっと安心出来たりするのではないかな、と思いました。

現在、2回目の講座の企画を準備しています。決まり次第またこちらでおしらせいたします。乞うご期待です!

最後になりましたが、講師を引き受けて下さった村井さん、当日お集まり下さったみなさま、本当にありがとうございました。

(なびぃ奥迫)

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なびぃ通信2・3月号

なびぃ 2018/02/01

なびぃ通信2018年2・3月号をお届けいたします。

好評連載中の「みなさんに聞く!」、

今回は「もやもやしたとき、みなさんはどうしていますか?」というテーマの座談会です。気楽に読める記事なので、ぜひ参考にご覧になってください。

2・3月も閉所を予定している日があります。

その他のスケジュールも掲載していますので、フリースペース等をご利用の際は事前にご確認の上、ご来所ください。

2-3月なびぃ通信1面

2-3月なびぃ通信2-3面・特集

2-3月なびぃ通信4面予定表

なびぃ通信の内容についてのお問い合わせはなびぃまで・・・

長く楽しく生きるために~天野さんの講演を聴いて~

そのほか 2018/02/01

「長く楽しく生きるために」

SPJで先に行われた勉強会(講師は天野さん:H29年11月11日土曜日)の報告をさせていただきます。

当日は天野さんの講演が1時間強で、そのあと休憩をはさんでグループでの話し合いが行われました。今回勉強会の個人が特定されない範囲で概略と感想を載せたいと思います。

勉強時間は2時間30分ぐらいでした。

参加者は16名で3グループに分かれ、天野さんからは講演のレジュメ、年齢の表、睡眠の資料などが配布されました。

話は「20、30、40代」は「50、60、70代」の気持ちはわからない。なぜ精神障害者は寿命が短いのか、参加者に理由を聞き、どんどんホワイトボードに書いていくことから始まりました。薬、自殺、治療拒否、たばこ、肥満、社会活動の狭さ、運動不足、不規則な生活、生きがいを見いだせなくなる、精神科以外の医療施設で差別を受けるなどがあがりました。

天野さんはデーターを示しながら精神障害者の自殺率は約10%、全体の率よりずっと多い、また精神障害者の人の心筋梗塞、脳梗塞にかかる率は普通の人の2~3倍という話がありました。

年齢の表を使って親族等(父、母、同居人)の年齢の比較をしました。自分が今30才で20年後は50才だが父は76才とかが一目瞭然にわかり、天野さんからこれからは自分だけの年齢だけではなく、親との年齢をセットにして考えてみるべきで、その頃には「介護問題」もでてくる。と、結びました。いつまでもお世話になっていられなく、同居していてもごはんを作れるようなスキルを身につけるべきだともおつしゃってました。

元気に生きるための要素

収入と支出としてどういうものがあるか?「支出」つまり「衣・食・住」を「だれが行なっているか」を把握することが大事であり、食事、運動、社会性についてどんなことが大切かについて話しがありました。休憩時間をはさんでこれをグループに分かれて話しました。

食事に関しては親との関係性、特に社会性のところで天野さんのコメントで、会社でのつながりはつくりやすい(ラク・簡単)しかし退職すると、それは途切れることが多いため、その後のことを考えて、別のつながりも考えたほうが良いとの示唆もありました。趣味は体を動かす趣味であれば運動と社会性の両方を養えると指摘もありました。

 講演を聞いての感想(抜粋)

(A氏):講演を聞いて寿命を伸ばすことは健全な生活をすることで、より深く知る努力をしないといけないと、思いました。親の介護も自分の力でできるか不安です。今日の話のなかで「料理を作る」と大きく考えるのではなく、「何か作って、それに『乗せる、加える、足す』という考え方で良いというのは、目からうろこで、これならできそうだと思えるものでした。日曜日などに暇のある時は是非チャレンジしてみたいと思います。私は料理はやってみると楽しいものだと思います。ここにきているような、働いている精神障害者が元気なことが、全体の精神障害者のレベルがあがることにつながる。というまとめで力をもらえました。

(B氏):料理の話を聞いていてお金と時間をどういう配分で、効率よく使うか。料理を今のうちに覚えておかないと、お金と時間の使い方が悪くなり、結局、レトルトなど時間はかからないが比較的高価な食品を買うことになり、食費がかかる、というパターンにおちいりかねないということがわかった。食べ方や食べ物でもよい効果があるというのは、意外だった。早く食べるのが習慣化している場合は気を付けたい。交友関係もどうにかしないと、社会生活がせばまってくると感じた。今日の話しを聞いて月1で、料理の勉強を母親に教わり、あとの自由時間を部屋の片づけに回したいと思っている。天野さんのお話は、前置きで「シビアな話をする」とおっしゃっていたが、すごく的を射ている話だった。これからの自分自身のために、何を今すべきか、立ち止まって考えるべきだと思った。

 

感想はいいことがたくさん書いてあってここに紹介するのは一部なのが残念です。天野さんには、「年度の変わり目に又講演していただける機会があるといいな」と個人的には思っています。

SPJは機会あるごとに天野前理事長に相談させていただいています。

(SPJ事務局:櫻井 博)

※SPJ(棕櫚亭のS、PEERのP、事務局のJの略 棕櫚亭で働いている人の当事者グループ 現在事務局6名で運営)

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賛助会通信「はれのちくもり」発行しました

法人本部 2018/02/01

多摩棕櫚亭協会 賛助会通信「はれのちくもり」第95号(平成30年1月号)を発行しました。

大変遅くなりましたが、新年のご挨拶もかねての内容となっております。是非ご一読ください。

賛助会通信30年1月号

同封資料 棕櫚亭I絵画ワークショップチラシ

また、賛助会員の皆様にはいつもご支援賜り厚くお礼申し上げます。平成29年度賛助会費の振込用紙を同封させて頂いておりますので、引き続きご支援頂けましたら幸いです。

また、賛助会へのご入会につきましては、こちらのページをご覧ください。

賛助会へのご入会

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