特集/連載 Part ❾『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “始まりはボランティア”

法人本部 2019/02/08

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

始まりはボランティア

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会
地域活動支援センターなびぃ 職員 工藤 由美子
(精神保健福祉士)

出会い

あれは1990年ごろ、20年近く勤めた教師の仕事を辞め、立川に引っ越してきた私は、主婦の仕事と週2日ほどのアルバイトではなんとなく物足りなくなり、何かボランティアでもしてみようかと、立川市役所の一角にあった(当時)社会福祉協議会の事務所に行ってみました。そこで、担当の職員さんから、家から徒歩10分ぐらいで行ける棕櫚亭Ⅱ(だいに)を紹介していただきました。

・・
その頃、Ⅱは開所して間もない時で、高松町のマンションを借りて、所長の寺田さんと若い男性スタッフの天野豊さん(いずれも当時)がいました。個性豊かな利用者の皆さんが代わる代わるやってきて、奥の一室は「タバコ部屋」と呼ばれ、いつも紫煙がもうもうだったことを覚えています。

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会 地域活動支援センターなびぃ 工藤 由美子

地域活動支援センターなびぃ | 工藤 由美子

・・

私は、毎週金曜日の午前中に伺って、利用者さんと昼食作りをさせてもらいました。一緒に買い物に行ったり調理をしたり、さりげないおしゃべりをしたり。出来上がった昼食を一緒に頂いて、だんだん名前も憶えて、自然にみなさんと打ち解けていったような気がします。当時の私は、精神の病いのことはほとんど知識がなかったので、利用者さん一人一人の事情や大変さには思い至らず、少しでも役に立ってもらえれば嬉しいなぁぐらいの気持ちだったと思います。さらに、年1回の旅行に誘ってもらったり、忘年会にお邪魔したり、皆さんから思いがけない贈り物をいただいて、胸が熱くなったことなど、いまも忘れられません。

・・
また、その頃、多摩総合精神保健福祉センター主催のボランティア向けの講座があり、そこに参加することで、ほんの少しずつですが、精神の病気のことや作業所のことを知っていきました。その中で印象に残っているのは、国分寺の「はらからの家」の福祉ホームを見学したことです。その後の火災によって全焼してしまいましたが、1970年代、私が上京して初めて入居したアパートと同じく、真ん中に廊下のある古い木造の建物でした。古さのためだけではない、何とも言えない寂寥(せきりょう)感があったのは、なぜだったのでしょう。

棕櫚亭の食という文化

その後、立川に棕櫚亭Ⅲ(だいさん)トゥリニテをオープンするに当たり、調理担当として手伝ってくれないかということで、他のボランティアの方々(4・5人ぐらい)とも会い、なんだかんだと相談の結果、カレーの店にすることになりました。中心になってくれる他のボランティアさんがいたので、私は、水曜日だけ通うことになり2人のボランティアで、店の開店から閉店まで切り盛りしました。
しかし、カレーだけではお客さんが増えない状況が続き、日替わりランチもメニューに入れることになりました。水曜日の担当として、毎週無い知恵を絞って、お客さんの喜んでくれそうなメニューを考えました。大変だったけれど、お客さんが来て完売するとなんとも嬉しかったこと。(初めは、一日十食でしたが)そして今思えば、ボランティアのやりたいようにすべてをまかせ、クレームもつけなかった職員の大らかさというか、懐の深さには敬服するばかりです。
その頃の棕櫚亭は、外の手コンサートや立川競輪場を会場にしての家具祭りなどの大きなイベントが毎年のように行ない、お弁当を作ったり、ビラ配りしたり、豚汁を作ったりとなんだか学園祭のような乗りで参加していました。

スタッフとして働くことになる

そんなこんなで数年ボランティアとして棕櫚亭にかかわった私は、1996年より非常勤スタッフとして棕櫚亭Ⅲに勤務することになりました。当時の施設長だった添田さんが、「精神保健福祉法」や「障害者手帳」の資料を出して、利用者のみなさんと勉強会のようなこともした覚えがあります。
翌年、ピアスの設立とともに転任し、厨房を中心に6年間過ごしました。その中で、私自身の意識も、ボランティアのおばさんとしてではなく、他のスタッフと同じように、支援の専門職としての力を少しでもつけていかなければと変化していきました。折しも「精神保健福祉士」資格が国家資格となり、試験に挑戦しました。50代の私にとっては、なかなか厳しいものでしたが、これまで福祉についての勉強を系統だってしたことのない私にとって、福祉全体のことが見渡せる、とてもよい機会だったと思います。

作業所の危機

その後自立支援法が成立し、棕櫚亭もその対応にあわただしい時を迎えます。私自身は病気で1年間休職しましたが、2008年の棕櫚亭Ⅰの谷保への引っ越しにかかわりました。
それに先立つ、引っ越し前の夏のある日の光景は、忘れることができません。それは、棕櫚亭Ⅰが、「地域活動支援センター」への移行を申請するに当たり、国立市の中には「棕櫚亭には、すでになびぃが地域活動支援センターとして存在するのだから、棕櫚亭Ⅰはなびぃと一緒にすればいい」という意見がある。Ⅰを独立したものにするには、利用者の思いを直接市長に訴えたほうがいいという市の担当者の計らいで、当時の国立市長と棕櫚亭側からは小林(現理事長)、工藤の両名と、利用者数名で懇談しました。市長の心を動かしたのは、職員の説明より、「安心していられる」「行く場所があって、みんなと会えるのが嬉しい」「生活にリズムができた」「料理ができるようになった」等等…… 自分の言葉で切実にあるいは淡々と語る利用者の姿だったと思います。
其のおかげもあって、翌年棕櫚亭Ⅰは「地域活動支援センターⅡ型」、なびぃは「地域活動支援センターⅠ型」と国立市から認められ、現在に至っています。この利用者の力は、引っ越し作業でも発揮され、寒くなり始めた12月、無事新しくなった現在の谷保の場所へ移ることができました。

30年近い関わりの中で今思う事

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会 地域活動支援センターなびぃ 工藤 由美子
それから10年近く、たよりない施設長だった私は、いつもいつも利用者のみんなに助けられてきたような気がします。様々な問題や課題はいつもありましたが、其の都度、利用者に問いかけ、相談し歩んできました。ぶつかることはあっても、お互いの信頼さえあればなんとかなる。棕櫚亭Ⅰで力をつけた利用者・職員が、次に来た利用者のために、あるいは新しい職場でその力を発揮し伝えていけたら、こんな素晴らしいことはありません。

・・
そして私事になりますが、常勤職員としての定年を迎え、昨年の4月より週2日なびぃで非常勤職員として勤務しています。私でいいのかなと思いつつ、60代・70代の利用者も増えている今、行く場所・自分を必要としてくれる場所があることは、障害の有無に関わらず、とても大切なことだと痛感しています。高齢化が増々進む中、作業所の良さをもう一度生かしていくことは、棕櫚亭にとって外せない柱だとおもうのですが。

・・
最後に、ボランティアから出発した私が、なぜこんなに長く棕櫚亭にかかわることになったか。
それは、「私が私でいられる場所だったから」

 

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

「私が私でいられる場所だったから」という言葉は棕櫚亭に関わる多くの人が共通に持つ思いだと感じます。
「はらからの家」は私にとっても懐かしい思い出があります。病院から退院した当時、「はらからの家」の前にドラム缶で家庭用油から石鹸などを作っていました。「はらからの家」の伊澤さんが大学出たばっかりの頃だったので、何十年前か推し量ってしるべしです。
工藤さんの文中にある2008年の引っ越しと市長への請願も経験しました。まさにその頃は棕櫚亭Ⅰのメンバーとしてライブで工藤さんと過ごしました。
工藤さんが現在なびぃで多くの電話相談者の声を聴いて的確なアドバイスができることも棕櫚亭で培った人間力のようにも感じられます。
「私が私でいられる場所」は工藤さん自身が築きあげたものですが、翻って考えるとメンバーさんにとってそこは心地よい場所なのです。

あたたかい日のあたるその場所は次世代に確実に受け継がれていると思います。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

もくじ

 

SSKPはれのちくもり 別冊ピアス通信32号を発行しました

ピアス 2019/02/06

世間ではインフルエンザが流行していますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

さてさて、SSKPはれのちくもり ピアス通信32号を発行しました。今回はピアスメンバーの多くが通る「企業体験実習」について取材をしました。これを編集しているメンバーさんが「自分も実習に行ってみたくなった」とお話されていたのが印象的でした。

ピアス通信32号

↓内容は↓

  • 1p 企業体験実習について
  • 2p 職場実習体験面談会 担当者インタビュー①
  • 3p 職場実習体験面談会 担当者インタビュー②
  • 4p 定着支援事業報告(鍋パーティー)・ピアスライブラリー紹介

「ピアスライブラリー」(図書貸出コーナー)は以前ホームページでも取り上げておりますので、よろしければそちらも併せてご覧ください。

SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信31号発行しました

ピアス 2019/01/28

報告が遅くなってしまいました。早くも1ヶ月経過しそうな今日このごろですが、今年もどうぞよろしくお願いします。

SSKP はれのちくもり ピアス通信31号を発行しました。

ピアス通信31号

今号は棕櫚亭本部にスポットを当てて、取材をしてきました!

  • 1p 棕櫚亭本部の概要
  • 2p 事務局長インタビュー“地域貢献事業について”
  • 3p 「くにたち秋の市民まつり」参加報告
  • 4p 定着支援事業(クリスマス会)報告

「本部っていったい何をしているんだろう」という、日ごろなかなか聞けない疑問にお答えした内容となっています。ぜひご覧ください。

今年も絵画ワークショップを開催します!【2月の予定をおしらせします】

棕櫚亭Ⅰ 2019/01/25

棕櫚亭Ⅰの2月といえば…絵画のワークショップ!!

ということで、3年目になるワークショップを今年も開催します!

おかげさまで年々参加者が増加していますが、絵画のワークショップとは、棕櫚亭Ⅰの絵画教室で講師をしてくださっている小堀令子先生をお招きし、国立市内(在住・在学・在勤)の方にも一緒に絵を描いてたのしんでいただこう!という企画です。

小堀先生には20年ほど前から棕櫚亭でお世話になっています。

そして今年も去年に引き続き、山口圭子さんをお招きしてアフリカ音楽の演奏をしていただく予定です(^○^)

思い思いに絵をたのしめる時間を一緒に過ごしませんか?

昨年の様子↓↓

HP用⑤ HP用③

 
HP用②HP用①

 
参加をご希望の方は件名に『絵画申込』と明記し、①氏名②所属施設名③連絡先電話番号を記載の上、daiichi@shuro.jpまでご連絡ください。

お問い合わせは042-576-6783でも承っています。
詳しくはチラシをご覧ください(^○^)

ワークショップのチラシはこちら→チラシ

他にも2月は半日レクでカラオケにいったり、昼食会があったりと、またまた盛りだくさんの予定です。

2月の予定表はこちら→2月月間予定表

 

初詣と初釜をしました

棕櫚亭Ⅰ 2019/01/25

 

ご挨拶が遅れてしまいましたが、あけましておめでとうございます。

1月も新年のイベントが盛りだくさんだったので、その様子をご報告します!

まずは、7,8年ほど前から恒例となっている大國魂神社での初詣。
今年もウォーキングのプログラムでバスに乗って行ってきました(^^)/

HP用① HP用②

 

お天気もよく出店もまだ残っていて、新年の気持ちよさを存分に味わうことができました。

そしておみくじでは大吉を引くメンバーさんが続出!!

HP用③

 

 

 

今年も素敵な一年になりような予感ですね。

 

そしてその翌週には、20年ほど前からお世話になっているお料理の杉田先生にいらしていただいて初釜をしました。

数年前までは餅つきをしていたのですが、最近は室内でお抹茶をたのしんでいます(*^_^*)

HP用③   HP用②

日頃お世話になっている先生にお茶をたててくださるメンバーさんもいらっしゃいました。

HP用①

バタバタと過ぎてしまう新年の中に、このようなゆったりとした時間はとても素敵な時間でした。

今年もよろしくお願い致します。

 

特集/連載 Part ❽『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “組織にとっての過去の意味”

法人本部 2019/01/18

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

組織にとっての過去の意味

株式会社 エムエフケイ
代表取締役社長 森内 勝己
(棕櫚亭OB)

森内 勝己さん プロフィール

株式会社エムエフケイ 代表取締役社長
精神病院ケースワーカーを経て、棕櫚亭には 2000年〜2009年 在籍(棕櫚亭Ⅱ・生活支援センターなびぃ)。退職後現在の会社へ。

出会い

私が出会った上司は、みんな弱さを隠さない芯のある人たちばかりでした(気が強いともいうけど)
そして彼女たちの伝えてくれる言葉には必ず強い意思がありました
「私はこう思う」
今思うのは、
その一言は私やその場所に存在する全ての人たちへの強烈なメッセージだったと思います
そこには目の前の人を、あの人がこう言ってたからみたいな
「他人の目」を通して見るような風景は皆無でした
だからいつも突きつけられていたように思います
「で、あなたはどう思うの」
だから必死で関わるしか有りませんでした
そこでは学校で学んだ知識や綺麗事が書いてある教科書は
一切役に立ちませんでした(そもそも学んでないけど)

私の仕事って何

所長代行という役割をいただいて初めてのメンバーミーティング201901151505261
メンバーに決めてもらうという理想と現実とのギャップ
発言できるメンバーの影響力と言葉にできないメンバーの表情
人を枠にはめようとするおこがましさ
自分を安心させたい・いい人でありたい
たった一回のたった20分ぐらいのミーティングが怖くて仕方ありませんでした
でも、ないものはない、あるもので関わるしかなくて
特に息子だったり、同級生だったり、兄弟だったり、親だったり、近所の知り合いだったり
どんどん裸(等身大)になっていく・いや…… 裸になれない感覚の中でいつも考えていました
「私の仕事ってなに?」
よく思い出す夕方の風景があります
ソファーでじっと佇むSさん
今でも思います。何を思ってたんだろなぁ…… と

いま思うこと

20190115150042私が棕櫚亭を退職してから10年近い年月が経ちました
その間私は、福祉といわれる業界と真逆の世界で過ごしてきました
そして、報道や新聞といった媒介以外で福祉業界と関わることは皆無でした
そんな私が「作業所の風景」を語ること自体おこがましく、恥ずかしさすら感じます
私にとっての作業所は、やっぱり言葉では説明しづらい場所だったように思います
あえて言葉にするなら……
来る理由や好きな理由なんてものは、別に今無理やり言葉にしなくてもいい
今のニーズ・動機ありきでないと何も始めちゃダメみたいな風潮
失敗を攻め立てるような風潮とは違う
来たいからきてる、それでいいじゃんみたいな
それをわざわざ綺麗な言葉・計画書にしなくてもいい
したかったら、そのうち自分でするんじゃないみたいな
でもほっとくのだけはやめよう、決めつけるのだけはやめようみたいな……
実はそれが一番難しいんだけど……

過去の意味 何故作業所を振り返るのか?

最近私が出会った「意味の原理」という言葉があります

“起きた出来事は変えられないが、出来事の意味は事後的に決まる
意思が未来を切り開き、未来が過去を意味付ける”

『人を助けるすんごい仕組み – ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか』
(西條 剛央 著 ダイヤモンド社)

私なりに解釈すると
長期入院問題の歴史や作業所がなくなったことは変えられないけれど
いつかこうなってほしいという先人たちの願い(意思)が担い手を育て(未来を切り開き)
育った担い手たち(未来)が先人たちの取り組み(過去)を意味付ける的な感じかなと思います

自分がどうしてもらってきたのか
どうしたかったのか
なぜ今こうなっているのか
ほっておくと、歴史や人との関わりって年数に応じて薄れて行くものだと感じます
だから今回のようなプロジェクトはそんなことを薄れさせない組織にしていくための
大切なプロセスのひとつじゃないかと思います
私は、作業所の存在意義はこれから決まっていくものだし
これから作っていかないといけないものなんだと思います

最後に

私自身、先代の会社を引き継ぎ、10年がたちました
そこで一緒に働く仲間から気づかせてもらった一番大切なことは、
過去を理解し、引き継ぐことを諦めないことなのかなぁと私は思っています
それは長く働いてくれている社員を理解することであったり、組織の考え方、風土、行事……
いろんな学びや時代の流れの中でついつい変えてしまいたくなる・変えなきゃいけないと思い込んじゃうものばかりです。たくさんの反発や失敗をへて気づかせてもらいました。もちろん組織として変化していくことはとても大切なことだと思います。ただ、忘れてはいけないなとも思います。
振り返ることができる歴史は、組織(棕櫚亭)にとって未来を作り出す何よりの財産だということを

「山ぢさん、どう思う……」

 

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

森内さんには、大変忙しい中とは知りながらも、多くの職員が読んでみたいということで原稿をお願いしました。退職された中でも、かなりの存在感があった職員です。メンバーさんからも大変好かれていて、退職する際には、大変惜しまれつつ去っていったという強い思い出があります。個人的には作業所勤務時代、メンバーさんスタッフ30名ぐらいで熱海に旅行に行き夜中、お風呂に入った記憶があります。
森内さんの『ある風景』は散文的で、いろいろに読み取れる点で興味をそそられました。前半の部分では、棕櫚亭がとても熱い気持ちを持った人の集まりだったということが感じられました。組織にとって未来が過去を意味づけるという西條氏の引用と福祉の世界の取り組みと経営されている会社にあてはめた解釈はわかりやすく読めました。過去を総括する大切さもうかがえました。「ソファーで佇むSさんは今頃なにをしているんでしょうか。自由で人の生き方がいろいろあったのだな。」という思いをもちました。そこには説明はいらないという森内さんの姿勢は、多様性を受け入れる今の棕櫚亭にも息づいているように思いました。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

もくじ

 

ピアス 忘年会の報告

ピアス 2019/01/18

年が明けて、あっという間に1月も半ばを過ぎましたが、ピアス忘年会の報告です(笑)

今回も大いに盛り上がりました。当日までに実行委員で何度かの話し合いをし、やることを決めていきました。今回は実行委員の立候補者も多く、やりたいこともたくさんでましたが、しぼりに絞って決まった内容は、ケーキ作り、小さいころの写真あてクイズ、バンド演奏でみんなで歌う、プレゼント交換、作品展示でした。

当日は、まずはグループに分かれてケーキ作り。今回女性の参加が少なく、男性のみのグループもありました。そのグループは、怖々作っていましたが、作品名「男のケーキ」は見事人気投票1位を獲得していました!ケーキは個性派ぞろい。自分たちで作ったケーキはまた格別美味しかったです!

IMG_5697IMG_5705IMG_5698IMG_5701IMG_5722IMG_5702

クイズ「タイムトラベル」は、幼い頃の写真を持って来ていただいて(スタッフも)その写真が誰だかを当てるクイズ。これがなかなか難問で、昔の可愛かったり、ヤンチャだったり、写真から年代を推測したり‥グループ対抗で答えを考えますが、難しすぎて大盛り上がりでした。

最後は、メンバーさんとスタッフで練習を重ねているバンドの演奏に合わせてみんなで歌いました。「明日があるさ」と「世界にひとつだけの花」、みんなで歌うと楽しいです!

部屋の一角には最近恒例の作品展コーナーを作り、自慢の作品を持ち寄りました。

 

当日の楽しさはもちろんありますが、みんなで楽しむためにはその前の準備が大事です。実行委員を中心に、みんなが楽しめる為に案を何度も練りました。そして、それがきちんと引き継がれるようにと、イベントノートが作られました(今までなかったんです。)

ピアスは、働きたいと思う方が利用するところですが、ピアスが大事にしているのは、働くための「準備をする」ということです。準備をすることで、自信を持って安心して働き続けることができるようになります。それが、利用者さんの幸せ実現につながると考えるからです。

こうしたイベントもその準備の大切さを実感したり、人と協力しながら何かを成し遂げる楽しさを味わったり、人に感謝されたり、感謝したり、そんなことへつながっていくのだと感じています。

今回、私がとっても素敵な提案だなと思ったのは、実行委員の方たちから、当日参加せず厨房やくにたち苑でトレーニングすることになった方に、作ったケーキを持って行って食べてもらおう!というものです。裏でがんばってくれている方たちへも感謝を贈りたいとの願いからです。

ちなみにしのぶさんと荒木さんの対決シーン、しめの挨拶をどちらがやるかを決める勝負。みごと?勝った荒木さんが挨拶権を獲得したわけですが、結局はしのぶさんも私にも挨拶させて!とお話ししてましたけどね。

楽しいだけじゃなく、優しさも満載の忘年会でした。

(ピアス 増田静枝)

私は今回初めて忘年会の運営に参加したのですがそこで感じたのは、メンバーの皆さんの「楽しみたい」「成功させたい」という強い気持ちでした。それがまず現れたのが具体的にどういうゲームや出し物をやるかを決めるミーティングの時です。やりたいゲームなどのアイデアを出し合うのですが、困るくらいどんどん出てきます。削るのも一苦労、こういう時に頼りになったのが以前から忘年会や納涼会の運営に参加した経験のあるメンバーさんでした。実現可能なライン、具体的な時間やスペースの使い方を示してもらい、最終的には新しい世代のメンバーさん主導で現実的なところに落とし込んでいく。結果としてはみんなで冷静によい着地点を見つけられたと思います(吟味の末、残念ながら落選してしまった良いアイデアがいくつもありました)。こうしてピアスの「遊び」のノウハウが次の世代に受け継がれていくのか、と実感した瞬間でした。

私が主に担当したのは音楽演奏(忘年会の中での最後の出し物)でした。 さかのぼると秋ごろから「音楽会」と名付けて、月に1、2度ピアスの2階でスタッフ、メンバーさんを交えながら毎回数曲を取り上げ(スタンドバイミー、井上陽水など)演奏会を続けていました。その成果を発揮する機会がついにやってきたのです。本番直前のタイトな練習にもかかわらず演奏陣の集中力は素晴らしかったと思います。皆口には出しませんが忘年会にかける並々ならぬ思いを感じました。その積み重ねが実を結び当日もかなり良い演奏ができたように思います(演奏したのはウルフルズ「明日があるさ」、スマップ「世界に一つだけの花」の2曲です)。忘年会に参加している皆さん全員に歌ってもらったり、打楽器を鳴らしてもらったり、さらにはフラッシュモブのように踊り出す人まで出現したり、私自身演奏しながらそこに新しいコミュニケーションの形が生まれていくことにワクワクしていました。

ピアスとはメンバーさんにとって、生活のリズムを整えたり、就労のトレーニングをしたり、あるいは就職に必要な知識を学ぶ場であったりすると思います。毎日心にも体にもプレッシャーがかかっている状態が続いているでしょう。それは次のステップに行くにはとても大切な事です。ただこの忘年会のような少し非日常的な「遊び」の場所で一瞬でもプレッシャーを忘れることも大切だと思います。うまくリフレッシュができればまた日常への活動力が生まれてくるのだと思います。こうした「遊び」が次の世代に引き継がれることでピアス自体も活力を持ち続けることができるのはないか、そんなことを思った楽しいイベントでした。

(ピアス中野裕介)

IMG_5667IMG_5677 IMG_5676
IMG_5719 IMG_5731 IMG_5694 IMG_5783 IMG_5784 IMG_5743 IMG_5726

カテゴリから関連する記事をさがす
ピアスピアスⅡ
タグから関連する記事をさがす

タグはありません。

【連載】時事伴奏⑤~ニュースと共に考える(新年号)

法人本部 2019/01/10

新年明けましておめでとうございます。

今年は4月に新元号が発表され、新しい元号が5月から採用されるようです。私などは昭和・平成に加えて新しい元号までの3つの時代を生きることになるわけですから、自分が明治生まれの人達に抱いた感慨のようなもの、まぁ例えば「なんてこの人達は長生きなんだ」などという感情を、私に対して若い人達からはももたれるのかもしれませんね。

さて、昨年末に「ある風景」対談を行ないましたが、皆さんにも読んでいただけたでしょうか?対談の後半で「棕櫚亭でも引き続き、人材育成の必要性があり、課題である」と小林理事長が話されていましたが、この言葉が心に少し引っかかったまま正月休みに突入しました。

正月のテレビ番組は、紅白やお笑いなどが目白押しですが、先ほどのような考えが頭にあったものですから、ついつい人材育成にまつわるあるimages番組を観ましたので少し紹介したいと思います。

それは、「ひとモノガタリ」というNHKの番組で何日間か連続で様々な人を取り上げる番組です。一日目は「左官業」という人の定着率が極めて低い業種の会社で、「どうしたらこの会社で長く働いてもらえるか?」という取り組みを始めたという話でした。この会社では新人に一対一でつき、指導するということでした。いつも会社に遅刻して、将来に展望も描けないようなある若者が、お客さんの褒められた言葉を機に変わっていき、いずれかは一人で現場を任されるようになるという展望がみえてきてすばらしいと感じました。話しの要点は、この言わば「会社の問題児」をどのように育成するかという積極的人材作りにあり、その苦悩がよく描かれていることです。左官の親方が、若い人を手にもてあましながらも不器用に愛情を注ぐ姿に感動しました。

「ひとモノガタリ」の二日目は、卓球の平野未宇選手を育てた母親の話です。彼女の開いている卓球教室で、試合の時にみんなが一致団結して応援しなかったことに腹を立てて、子供達を怒ってしまったエピソードを取り上げていました。平野選手の母は、その後よくよく考えて、団結して応援しない状況をつくっていたのは自分で、その自分に対するふがいなさに実は腹を立てていたのだと気がつき、反省していたのが印象に残りました。

この二日間の番組では、人を育てる難しさや工夫が語られていましたが、少子化の中で人材育成にきちんと取り組まなければ、結局どこの業界もやがて先細りしていく危機感のようなものを私は感じました。

そんな中、私自身が一番興味を持ったのは、怒らない指導、共感の指導を学ぶことができたことです。

アドラーという心理学者の言う、その人の目で物事をみて感じて寄り添い、共感するという思想がそこに流れていることも感じました。アドラーは著書「嫌われる勇気」で有名になりましたが、続編「幸せになる勇気」ではこの共感することの大切さが書かれています。人に思いを寄せるときに、自分の目ではなく、その人の目から見える風景や心情を大切にすることは、小林理事長のおっしゃった、棕櫚亭の大切にしているパートナーシップを理解する上で必要不可欠かとも思いました。

つらつらと筆を走らせましたが、昨年末に小林理事長と語った「人材育成」について、年末年始のテレビ番組から考えてみました。

ところで、冬休み期間に、仕事のことを考える私ってやっぱり、昭和生まれの古いタイプの仕事人間なのでしょうか(笑)

新年の挨拶方々、文章を書き綴ってみましたが、時事伴奏を今年もよろしくお願いします。

ピアスタッフ 櫻井 博

【急募】「調理・調理補助スタッフ(非常勤)」募集中!

法人本部 2019/01/10

「調理・調理補助スタッフ(非常勤)」募集要項

社会福祉法人多摩棕櫚亭協会とは

1987年、多摩棕櫚亭協会は、一人でも多くの精神障害者が住み慣れた地域で生き生きと暮らしていくことを願い、国立市内に共同作業所棕櫚亭Ⅰを立ち上げました。現在は就労移行支援事業ピアス、国事業の「就業・生活支援センター、オープナー」の連携で積極的な就労支援を行っています。生活支援は、国立市内で地域活動支援センターⅠ型とⅡ型が担い、計画相談事業も行っています。小さな法人ですが、さまざまな活動を組み合わせながら理念である「精神障害者の幸せ実現」めざして職員が一丸となって働いています。

業務内容

精神障害者福祉事業所での配食(宅配)事業の調理及び調理補助業務

  • 普通運転免許取得者は配達業務をお願いすることもあります(応相談)
応募資格

普通運転免許あれば尚可

勤務条件
    • 雇用形態: 非常勤
    • 勤務日: 週2日~(応相談)
    • 休日: 夏季休暇・冬季休暇
    • 休憩時間: 45分
    • 勤務時間: 9時00分~17時00分(応相談)
    • 勤務地  ピアス 就労移行支援事業 »  国立市富士見台1-17-4
    • 試用期間: 3ヶ月あり
給与

※ 2018年6月1日現在

  • 基本給: 1,070円/時間
  • 運転手当
  • 交通費: 1,000円/日(上限)
  • 加入保険等
    各種社会保険完備(社会保険、雇用保険、労災) ※ 該当者のみ
募集人数

若干名

応募方法

まず、以下の担当者にご連絡ください。書類選考、面接、現場実習(謝礼あり)をいたします。

  • 提出書類: 履歴書
履歴書送付先/お問い合わせ

ご不明な点があればお気軽にご連絡いただければ幸いです。

社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 事務局
人事担当 小林由美子/高橋しのぶ
〒186-0003 東京都国立市富士見台1-17-4 アクセス »
tel. 042-575-5911

トピックス