特集/連載 Part ❸『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “そこにあるすべてをメンバーとともに”

法人本部 2018/09/28

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

そこにあるすべてをメンバーとともに

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会
地域活動支援センターなびぃ 施設長 伊藤 祐子

〈棕櫚亭〉との出会いの風景。

季節は秋。昭和記念公園の原っぱは、よく晴れて風が吹いています。当時、地域福祉の仕事をしていたわたしは、そこで開催されているイベントの担当者としてテントを見回りながら、ゴミを拾い発電機を点検し団体に声をかけるなどの、雑多な仕事に追われていました。
その一角に棕櫚亭がテントを出していました。他よりずいぶんのんびり準備していて、開店が遅くなった団体です。売り物はポップコーンとビールだったと思います。開店してからは順調にお客さんが訪れているようで、手作りの看板の下から頭にバンダナを巻いた何人もが顔を出し、テントを訪れるお客さんにガヤガヤと対応しています。テントの脇で看板を手にした人の「ポップコーンいかがですかぁ」の声がのどかに響いています。
そのテントの後ろ側にまわったときです。あたたかい日が射す草の上に大きなブルーシートが敷かれ、そこにいろんな人たちが腰をおろしています。紙コップを片手に輪になってのんびりおしゃべりする人たち、かたやぼんやり黙って静かな人たち、横になって目を閉じている人、そして中にはギターを弾いて歌っている人までいます。おもいおもいに過ごす人たちと、せつないような楽しいような聞いたことのないメロディーが漂うその光景が、なんともふわふわと非日常で、でもどこか日常の延長のような感じもあり、そしてどんな人もそこにいられる「懐の深さ」のようなものを感じたその不思議な眺めを、20年経った今も思い出すことができます。

時は平成17年。障害者自立支援法前夜。

それから数年後、縁あってわたしは多摩棕櫚亭協会に入職し、平成17年に〈棕櫚亭Ⅱ・だいに〉に配属されます。当時「小規模通所授産」と呼んでいたこの事業は、その翌年の平成18年に施行された障害者自立支援法によって行き先の選択を強いられることになるのですが、時はまさにその直前。今回総括する〈共同作業所〉としては最終章の場面ですので、わたしはそれを体感できた最後の世代ということになります。今この文章を読んでくださっている方に、その空気が少しでも伝わればいいなと思いながら書いています。

Ⅱは、立川駅南口の雑多な喧騒を通り過ぎた住宅街にあらわれる、ちょっと古ぼけた紺色のアパートの1階にありました。「懐が深い」というイメージを抱いて棕櫚亭にやってきたわたしですが、実際に中に入ってみると、拠り所である信条とやり方が確かであることが「懐が深い」場を維持しているのだということがわかりました。そこには、「作業所で行うすべてのことをメンバーと共有する」という信条がありました。

作業所のすべてをメンバーとともに。

ある夏の日。車を停めて小さなアパートの前に降り立つと、先月も草むしりをしたはずなのに雑草が元気よく青々と茂っています。誰かが「あー、これは草むしりしないとダメだねー」とつぶやき、「草取りやりたい人ー?」とそれぞれの希望を聞いて分担を決めるうちあわせが始まりました。場所は、立川駅から車で5分ほど走った、細い路地に建つ古いアパートです。黒いエプロンの背中の紐をお互いに結び合って支度を整えた8人は、それぞれの道具を手に、仕事にとりかかります。草取りチームは片手に小さな鎌、片手にコンビニ袋を持ち、アパート周りの隙間にしゃがみ込みます。後ろの手すりでは、拭きチームが雑巾がけを始めています。階段では、ほうきチームが、ガシャンガシャンとちりとりを使って掃き掃除を始めています。「休憩は11:15ごろにねー」「お茶持ってきたー?」という声が聞こえています。

参加が少ないプログラムのかわりに、大いにやっていこうということになった作業は、地元の不動産屋さんからもらったアパート清掃の仕事でした。あちこちに傷のある8人乗りのステップワゴンに乗りこみ(ええ、その傷のうちいくつかはわたしにも身に覚えがあります…)、小さなアパートをみんなで取り囲み、せっせと掃除しました。そこにまつわるすべての事をメンバー・職員みんなで手分けしました。作業はもちろん、道具の準備から後片付け、日誌を書き、請け負っているすべてのアパートに毎月行けるようにミーティングで予定を組み、月末には請求書を作って不動産屋さんに届け、ほうきが壊れればみんなでホームセンターへ買い出しに。雨が続くと予定が進まないと焦り、落ち葉の多い季節はげっそりし、感謝の言葉をもらえばみんなで喜び、苦情がくればみんなでしょんぼりしながら改善策を考えました。暑い日も寒い日も、体調が悪い人は悪い人なりに、元気な人は元気な人なりに。
他の場面でも同様でした。そこにまつわるすべてのことをメンバーから奪わない、というのがここの流儀でした。いいことも悪いことも、嬉しいことも悲しいことも。

シンプルに。すべてをメンバーと。

みんなが自分のこととして考え行動できるように、物事はシンプルでした。例えば、みんなで使う道具や文房具、食器など、Ⅱにあるいろんな物は、どこに何があるかみんなでわかるようにしていて、使いたいと思うときに誰でも使えるようになっていました。「物がどこにあるかわからないと、知らない人の家に来たような気持ちになるもんね」、と誰かが言いました。しくみ、活動内容、時間の流れについても、一人一人が「主」であるように「お客さん」になってしまわないように、シンプルに見えやすくのが、ここのやり方でした。

それぞれの抱えている課題でうまくいかないこともいろいろありました。それもなるべくメンバー同士でお互い考えることを励ましました。体調が悪いメンバーが来所できなくなったときには、メンバーと一緒に自宅に顔を見に行ったこともありました。ソファや部屋の隅で、いろいろな人が個人的な状況を話したり相手の話を聞いたりしていました。わたしも、自分の生活状況や悩みをずいぶん聞いてもらいました。個人情報という言葉が頻回に聞かれる今となっては、懐かしい光景です。

メンバーと職員の関係性もどこか「お互いさま」というムードがありました。若く、未熟な職員は特に「メンバーに育ててもらう」ことが当たり前でした。わたしにできることといえば、安定して出勤しているということくらいだったでしょうか。人生経験も、言葉の含蓄も、まとっている文化も、メンバーの方が一枚も二枚も上でした。未熟なわたしがときに偉そうなことを言っても、うんうんと聞いてくれた年上のメンバーたちの顔がたくさん思い浮かびます。「懐が深い」とわたしが感じた棕櫚亭の魅力は、まさに、歴代のメンバーたちが造ってきたものだったんだということが、今はわかります。

挿画 バベットしもじょう ある風景 ~共同作業所 棕櫚亭を、私たちが総括する。|社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会

共同作業所の風景 画-バベットしもじょう

それぞれの船出 ~変化の波にのって。

明るく元気に美しく。創設者たちが謳ったキーワードどおり、通所メンバーも増え、活発に活動していたⅡにも、変化の波がひたひたと迫ってきていました。懐深く、いろいろな人のいろいろな活動や在りようを受け入れてきたⅡが、法の枠組みの中で何を選択していくのか。悩みに悩んで出した結論は、事業の終了でした。これは、メンバー一人一人の進路について考え、当時の社会資源、法人全体の方針を考えた上で出した苦渋の決断でしたが、棕櫚亭が大切にしてきた「変化をおそれない」という文化にも当てはまることだったと思います。Ⅱらしく、それぞれの在りたいことやりたいことに向き合っていこうという方針が決まり、ちょうどこの頃、お腹に第一子を授かったわたしは、これから変化していくⅡと同じ状況であることに感慨を覚えながら、次の地点への着地まで見守っていく作業が始まりました。

それぞれの進路について考え、決断していく作業はたいへんなものでした。自分がこれから何をしたいか考えて結論を出し、新しい場でチャレンジするということには、いくつものハードルがありましたが、変化へのストレスと不安と闘いながら、それぞれのメンバーがぞれぞれのペースでそれを超えていきました。だんだん暑くなっていく季節でした。いろいろな社会資源を一緒に見学にまわりながら、ご本人にとって何回目かの人生の岐路に立ち会っているんだと、じりじりと照る陽射しを受けながらわたしは実感していました。汗をだらだら流しながら一緒に歩く妊婦の存在は、みんなにとってプレッシャーだったとは思いますが…。

結果的に、わたしが組ませてもらったメンバーはみんな、次のステップを決めて船出しました。それができたということは、やはり、その人自身に力があったんだと思います。そしてさらに言えば、このⅡですべてを分かち合い、ここで起こる物事を「自分のこと」として受け止め行動してきたことが、この決断につながった、ということもあるのかもしれません。悩んで揺れながら、次の一歩を自分の力で決めていく姿を、横でしっかり見させてもらったわたしは、最後まで本当にメンバーに育ててもらいました。
その後まもなくみんなに見送られて産休に入ったわたしは無事出産し、わたし自身の作業所歴はここで幕を閉じます。

育休後復帰したわたしは、今は「なびぃ」に勤務し、メンバーのみんなと向き合う日々は続いています。あのころⅡメンバーに教わったギターを、ときおり「なびぃ」メンバーとたどたどしくつま弾くとき、Ⅱの風景と手触りがわたしの中にふいに色濃く立ち上がります。その文化をきちんと次世代に伝えるという恩返しができたら…、その時こそ本当に「お互いさま」と言えるのかもしれません。車の運転の上達はもうあきらめたけど、あの頃を思い出しながら、もう少しギターの練習がんばってみようかな。

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

伊藤さんの「ある風景」を読みながら、一つのシーンが浮かびました。ゆったりとした時がながれるなかで、メンバーも職員も分け隔てなく笑いあって過ごしている風景です。
その風景が市民祭の場であったり、アパートの掃除であったりです。そこでかわされる言葉の優しさが、メンバーさんの懐の深さが、伊藤さんに大きく影響を与えたとの思いがあります。メンバーさん皆が作業所のどこになにがあるのかを知っている。皆が主役という考え方は大切にしたいと思います。皆それぞれの道に踏み出し船出していった。その後のメンバーさんに会ってみたくなりました。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会
挿画: バベットしもじょう

もくじ

 

防災訓練をしました&10/13(土)フリマ出店します

なびぃ 2018/09/25

今年は夏の異常な暑さに始まり地震、台風、水害等、日本全国で様々な気象災害が起きていて、ニュースでその様子を見るたびに被災された方や地域の大変さを思い胸が痛みます。そしてそれは決して他人事ではなく、いつ自分自身の身に降りかかって来るかもしれません。そう考えるとやはり「日頃からの備え」をしておくことがとても大切なのだと思います。

9月1日が防災の日であることにもちなんで、9/15(土)になびぃでもメンバー・職員合わせて15名が集まり、防災について考える会を開きました。

まずは3.11東日本大震災の時の地震発生時の様子を動画で見てみました。2011年に起きたこの地震の様子を7年経った今あらためて見てみると、あの当時あんなに頻繁に見ていた被災の様子や、東京でも感じたあの大きな揺れと恐怖感と混乱の記憶が、思っていた以上に自分の中で薄れていることに驚きました。

動画を見た後に、地震がおきた状況をイメージしながら自分の身をどう守るかを実際に行なってみました。東日本大震災の3分間の揺れよりは短く1分を想定して行なってみましたが、その間中揺れに耐えながら机の下などで身を守り続けることがそれだけで大変なのだと感じることができました。揺れがおさまった後には、火災が発生していないか、ケガ人はいないか、建物自体は大丈夫か、通信網は使えるのかなどを役割分担して確認しました。この役割分担も訓練では事前にどんな役割が必要かを確認していたのでスムーズに行なえましたが、実際には突然起こることですからもっと混乱してしまうのだろうと思います。さらにその後、なびぃにいる場合にはどこに避難するか、その際どんなことに気をつけるのかなどを確認しました。

後半は、実際に避難生活を送る時に食べることになるであろう缶入りの「カンパン」と、水を入れるだけで食べられる「白飯」に3年保存できる常備食用に作られた「レトルトカレー」かけて試食をしながらミーティングを行ないました。昔に比べると非常食の味も良くなっていて「思ってたよりおいしい」という感想が多く出ていましたが、それでも「これを避難中、何日も食べ続けてたら辛いだろうな・・・」という声もありました。食べ物や飲料水の備蓄を自宅にどのくらい用意すればいいのかや、「東日本のときはトイレの始末がとっても困ったらしいよ」、「今日は訓練だったけど本当に揺れたらこの辺の棚とかみんな倒れて来て危ないね。そういえば家では布団の横に大きい本棚がある、まずい!」などなど色々な話しが出ました。

またなびぃのメンバーさんはほとんどの方が服薬をされています。避難するときには必ず薬を持っていくことや、避難生活が長引いた場合を考えて「お薬手帳や処方箋などもすぐに持ち出せるようにしておかないといけないね」という話しもありました。住所氏名や家族の連絡先、通院先や普段関わっている支援者の連絡先、そして薬についてなどを記入したものを準備しておくとより安心かもしれません。

1時間半という短い時間では到底全てのことについて考えきることはできませんでしたが、それでもこうして普段からときどき意識して備えをしておくことで必要以上に恐れずに済むのではないかと思います。「いつ起きるかわからない」けれど「いつ起きてもこれをすれば良い」を分かっておくことが、安心そして安全につなげて行くために必要なんですね。これからも時々みなさんと一緒に、いざという時のための備えについて一緒に考え取り組んでいきたいと思います。

 

そして最後になりましたがおしらせです。むっさ21で行なわれるフリマで10/13(土)11:00~出店します。いつもと同じようにチャリティとして行ないますので、売上は全額被災地へ寄付します。お近くへお寄りの際はぜひお立ち寄りください。

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賛助会通信「はれのちくもり」発行しました(30年9月号)

法人本部 2018/09/13

多摩棕櫚亭協会 賛助会通信「はれのちくもり」第104号(平成30年9月号)を発行しました。

賛助会通信H30年9月号

主な内容は

  • H29年度事業報告・H30年度事業計画
  • H29年度会計報告
  • 6月23日 法人活動報告会&講演会のご報告
  • H30年度賛助会費 お振込みのお願い
  • 各施設の予定・お知らせ

です。是非ご覧ください。

また、賛助会へのご入会につきましては、こちらのページをご覧ください。

賛助会へのご入会

【連載】時事伴奏③~ニュースと共に考える

法人本部 2018/09/10

「障がい者雇用率」水増し報道を受けて

多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ 櫻井博

東京新聞8月29日朝刊で官公庁の障がい者就労水増し問題について、小林理事長のインタビュー記事が3面にて大きく取り上げられました。

      • 障がい当事者スタッフ(ピアスタッフ)である私の見解を少し書かせていただきたいと思います。

この記事について、誤解のないよう補足すると、精神障がい者はその特性で様々な症状があり一人一人症状も異なるし、仕事の特性でマッチングも大切だということです。つまり、紙面でいう精神の病を2つの特徴だとは簡単097d9e0c03342fb0ebf122b507073661_tに言い切れないと考えています。

そもそも一般紙を読む読者の方で、障がい者に関わったことのない人の中には「障がい者って働けるの?」という疑問を持つ方もいるかもしれません。

案外、障がい者に関する記事は、書き手の力量や読み手の力量などが問われる難しい問題のかもしれないと思いました。

後日談として、小林理事長から聞いた話なのですが、取材のときに説明した「チャレンジ雇用」の話が取り上げられなかったということです。行政が雇用を進める方法として、チャレンジ雇用というものを活用しているのですが、これについて私なりに少し解説したいと思います。

チャレンジ雇用※1)というのは、行政が1年間ぐらいの短い期間、障がい者を非常勤職員として雇う形態です。ハローワーク等にこの期間を就労した期間として報告し、その後民間企業へ就労する方もいます。すべてではないにしろ、このような雇用形態が、障がい者雇用としてカウントされていることは少し問題であると思うのです。

※1)チャレンジ雇用とは、障害者を、1年以内の期間を単位として、各府省・各自治体に おいて、非常勤職員として雇用し、1~3年の業務の経験を踏まえ、ハローワーク等を通じて 一般企業等への就職につなげる制度です    (厚生労働省HPより)

残念ながら、障がい者就労という枠組みで働くかたが、正社員になれる確率はとても低いです。したがって、中央官庁こそチャレンジ雇用ではなく正職員として雇い、障がい者と一緒に働くということはどういうことか、現場で知ってもらう努力をしてもらうことが大切だと思います。

民間の会社はその意味では相当努力していると思います。雇用率が達成されなければ、罰金が課されることもその一因かもしれません。

但し、私としては、特例子会社という制度については若干の疑問を感じています。障がい者だけを集めて、同じ0d8ee6c371902d77196ab3bc4c976bd8_tフロアーで雇用することをいうのですが、大手の会社はこの制度を活用しているところもあります。確かにこのほうが障がい者を管理しやすいし、特性もいかされるかもしれません。が、しかし健康な人も障害のある人も一緒に働く社会、つまり共生社会という考えかたがあります。この考え方によると、この特例子会社というやり方は、共生という意味で疑問が残ります。

最後に、新聞の見出しとして「職場環境の整備を!」とあったのですが、小林理事長は障がい者雇用の問題は、制度や職場環境の整備はもちろんですが、働きたい障がい当事者の準備の必要性も常日頃話されています。そういう意味で、障がい者を雇う、働けるようになるには時間がかかるということを小林理事長は訴えたかったのではないかと思います。

就労移行支援事業所ピアスでも障害がある人は最大で2年間という期間のなかで、「1.就労トレーニング」「2.就労プログラム」「3.個別相談」を受けながら、働く為に必要な力をつけるために日々努力しています。この春の法改正によって雇用率が上がったことは喜ばしいことですが、制度上、雇用率が上がることのみに、たいていの方は一喜一憂しているのではありません。

働きたいという希望をもちながら、日々の就職への取り組みのなかで、自分自身を見つめ、成功体験を積み重ね、自信につながり就職しているのだということについて、社会の人に知っていただき、そして雇用という形も含めて、社会がより私達を受け入れてほしいと考えているのです。

私自身、このような文章を書きながら、新聞ではありませんが、考えを伝えることの難しさを実感しています。そして、今回の新聞記事を読んで、当事者スタッフである私の思いを書いてみました。

皆さんに伝わりましたでしょうか?

    • 「本当の意味での共生社会の実現」こそが私の強い願いです。

(了)

特集/連載 Part ❷『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “作業所は「メンバー抜きにはメンバーのことを決めてはいけない」ことを教えてくれた場であった”

法人本部 2018/09/07

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

作業所は「メンバー抜きにはメンバーのことを決めてはいけない」ことを教えてくれた場であった

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会

理事 荒木 浩

メンバーによる職員の採用面接その風景(その1)

社会はバブルもはじけた今から25年前、僕は、畳敷きの20畳ほどの広さの集会場の座布団の上に座らされていた。まだ、吐く息も白い寒い1月下旬で、それでもガラス窓から入り込む日中の光は柔らかではあった。畳のにおいを久しぶりに嗅いだ気がする。
一段高い舞台を背にした私は、20人近くの老若男女の一団と向かい合っていた。緊張していた私ではあるが、彼らのまなざしは一様に優しく、つかの間ほっとした気持ちにはなったが、しかし、私はここにいるひと達に、この後、冷や汗を受けながらの質問攻めにあうのである。
私にとってこれが、棕櫚亭のメンバーさん達による、棕櫚亭入職のための第2次面接だった。
棕櫚亭入職のためには、所長面接後、メンバー面接があり、最後に理事さん(当時運営委員)たちの面接を潜り抜けなければいけなかったのだ。(写真はイメージです)

特集/連載『ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。』

私という人間について

ここで少し自分の身の上話をすると、私は大学4年生を迎えようとしていた。1年浪人の時期も含むので大学3年までの4年間、地方から東京に出て新聞屋さんで新聞を配りながら、大学に通っていた。世にいう新聞奨学生である。特にその生活がつらいということもなかったので、続けることはできたが、高校時代から福祉に関わる仕事がしたいと思っていたので、続けるのは4年間と決めていた。新聞配達員としては優秀だったので(笑)やめ際、所長に引き留められた。辞めるということを強く宣言し、後に引けない状況を作ったうえで、求職活動に入ったのだが、これがなかなかの苦戦をするのである。残り1年ではあるが大学との両立でもあったので、少し稼がなければいけないということもあって「常勤職員」を探していた。しかしながら、大学を卒業していない3年生の身では、何の資格もないし、就職先が簡単には見つからなかった。携帯もネットもまだ普通の人が使えない時代である。大学の学生支援室・東京都社協の「福祉のお仕事」等色々当ってみるが見つけることができない。12月半ばになり、福祉への就職をあきらめかけていたとき、大学の掲示板にやや茶がかった紙に「常勤職員募集」を見つけることができた。B5サイズの手書きのそのチラシは、宝物を見つけたような嬉しさがあったことを覚えている。
当時、私は都心(港区)に住み込んでいたこともあって、多摩の市部のことなど全く無知だった。「国立」という地名にまったくピンとこなかった。初回の職員面接ではじめて中央線にのったのだが、25年前の中央線の風景は新宿→中野→吉祥寺と西に向かうたび、鉄筋のビルが木造に、そしてその背丈がだんだん低くなる。景色が東京都は思えないほどかなり寂しくなる。そして「都落ち」という言葉が頭をよぎった。そして「谷保」の駅前に降り立ったとき「ここか」と落胆の声を落とした。ほどなくお目当ての「くにたち共同作業所 棕櫚亭」は見つかったが、当時の谷保の町にマッチした木造平屋のボロボロの建物だった。
自分自身がみえていない若造だったから「大学を出てまで…」と言葉に詰まってしまった自分がいた。まだ、バブルに浮かれる社会のイメージが抜けていなかったらしい。一時間程度の所長面談をして帰宅した。手ごたえは覚えていない。そして数日後、電話があり「二次面接に進む」旨伝えられた。2週間後にまた谷保の駅に下りたつことになるのである。感覚がマヒしていたのだろうか、もはや驚かない自分がいた。そして冒頭の集会場につれていかれることになる。

メンバーによる職員の採用面接その風景(その2)

今思えば、そこは「下谷保防災センター」2階だった。思いのほか、穏やかなムードで、そこにいる人たちは気軽に挨拶や声を掛けてくれる。
今、正直に告白するならば、「精神障がい者」という人たちのことは、求人を見て以来本を読んで知識を得ていたが、いわば一夜漬けの状態。いまいちよく解っていなかったというのは、時効ということで許してほしい。更に言い訳を許していただけるならば、うちの大学の学科には実習という授業科目がなかった。でも福祉で働きたいという思いはあったので、親友の父親の社会福祉法人理事長の伝を頼りに、自主的に実習(児童養護・特養など)を行っていた。しかしそこにいた人たちとは明らかに違う。そもそも職員とメンバーさんの区別がつかない。どこが障がいなのだろうか?対面した私にこの人達は何を問いかけてくるのだろうか?緊張感がみなぎる。
定刻が来て、職員と思われる方から、今日が職員採用のためのメンバーさんによる二次面接であり、彼に聞きたいことがあれば質問してください、旨の説明があったように思う。堰を切ったように斜め右に座る40代の女性が手をあげ質問する。
「荒木さんは、どのようにして私たちを幸せにしてくれますか?」この後も厳しい質問攻めは続く。

作業所という組織は精神障がい者にとって何を大切にする組織だったのか?

恐らく、今の時代だと上のような面接はプライバシーの問題などがあって成立しないと思う。推測するに当時の私のプライバシーはメンバーさんにダダ漏れだったと思う。「彼女いますか?」なんて質問もあったからセクハラ要素もあったかもしれない(笑)
しかし、ただ、どうだろうか?今考えてもなかなか画期的なやり方だと思う。自分たちの支援者を自分たちで選ぶという発想とそれを実現させる棕櫚亭という組織のすごみはここから感じた。
社会では情報公開ということがいわれて久しい。第三者評価などという制度もでき、自分たちの受けるサービスを、自分たちで選択することが容易になってきたといわれる。果たしてそうだろうか。かつて「第三者評価を見てきました」という利用希望者に出会ったことがない。やはり多くの方は「噂を聞いて」とか「医師や関係者に勧められて」という方がほとんどである。やはり、少なくとも棕櫚亭は長い歴史で培ったメンバーや関係者などの信頼関係で社会的存在として成り立っているのだと思う。

話を戻すと、私の入職当時の精神病院は、依然閉鎖的な空間で、急性期ならともかくも、社会的な受け皿がないなど理由で長期入院を余儀なくされていた。そんな彼らが恐る恐るも地域にでてきて生活をする。不安はいっぱいである。そんな時に誰にお手伝いをお願いするかなどという選択肢はほとんどなかった。そのような中メンバーさんの思いを中心にしながら、信頼関係を育み、やがて誠実に率直に職員が意見を伝えながら、最後はメンバーが決めていく。場合や物事によっては作業所の方向性を決めていくことにつながることもあった。まぁ時として意見が合わず、激しい言い合いが繰り広げられることもあったが。でもそこには強い信頼感があった。
「メンバー抜きには、メンバーに関することは決まらない」それは簡単なことではないが、これこそが、棕櫚亭の理念である「精神障がい者の幸せ実現につながっているのだ」と思う。
私の就職時の面接の場面が象徴的ではあったが、このような「自分あるいは自分たちが何を選び、どんな決定をしていくか」そのようなことが組織の決定の中にもあった。大事なのは「彼らの思いである」と教えてくれたのは作業所であったと思うし、今もその精神は息づいているのである。

因みに、後で聞いた噂によると、男性職員がほしかったのに女性が十数人来て男性1人だったから選ばれたのが実情のようだ。その話を聞いた時はかなり気恥ずかしい思いをしたものである。「あまり役立たない職員を採用してしまった」という組織的な判断だったのか、プライバシーの面で社会的に許されなくなったと判断したのか、この採用をもってメンバーによる二次面接は終了してしまったという落ちもある(笑)

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

「メンバー抜きにはメンバーのことを決めてはいけない」という考えは支援者の誰もが思う理念だと思う。現場では、メンバーさんの意思決定能力が衰えていたり、自分の意思で「こうだ」と言えないメンバーさんの存在もある。
しかし支援者がメンバーさんの不利益になることはしてはいけないという考えを誰もがもち、相談支援の場で丁寧な聞き取りが行なわれているのが実際である。だから支援の場が透明性をもあって、メンバーさんにすべての情報が集まっているというのが理想だと思う。
そのような棕櫚亭支援の場はまさに共同作業所時代に育まれた宝だと思う。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

もくじ

 

SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信27号発行しました

ピアス 2018/09/07

SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信27号発行しました。

ピアス通信27号

今号の特集記事は・・・

  • 東電ハミングワーク株式会社 清掃研修の報告
  • 環境衛生講習 講師 増村さんへのアンケート
  • あなたの知らない環境整備 職員 浅野さんへのインタビュー

などとなっています。ぜひ、ご覧ください。

9/8(土)9(日)の福祉のつどいに参加します!

棕櫚亭Ⅰ 2018/09/06

9/8(土)9(日)に、くにたち福祉会館さんで行われるくにたち福祉のつどいに参加します(^O^)♪

今日はそのために絵画展示の準備をしてきました!

HP用②

絵画教室でお世話になっている小堀先生にもお手伝いいただき、素敵な展示になりました♪

HP用①

明日は9:00~16:00まで、明後日は9:00~14:30まで
くにたち福祉会館の3階廊下で展示しています(^^)/

力作が勢ぞろいですので、是非見に来てください!

 

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