各施設の冬休みについて

法人本部 2017/12/28

今年も多摩棕櫚亭協会をご支援いただきありがとうございました。

新しい年もお付き合いいただけますよう、よろしくお願いします。

法人内の各事業の冬休みは以下の通りになります。

ピアス   12/29(金) ~ 1/3(水)

オープナー 12/29(金) ~ 1/8(月)

なびぃ   12/29(金) ~ 1/4(木)

棕櫚亭Ⅰ  12/29(金) ~ 1/4(木)

ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い致します。

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会

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職員募集(常勤・産休代替)について

法人本部 2017/12/27

多摩棕櫚亭協会では、若干名の職員募集を開始しました。

詳しくは コチラ をどうぞ。 尚、法人本部の冬休みは12月29日~1月4日までとなっております。

お問い合わせ等は、社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会(042-571-6055) 人事担当まで

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『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❻ “性格と病気について -櫻井 博からの手紙”

法人本部 2017/12/27

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part4 くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの

性格と病気について

医師と向き合うとき考えること。

前略
荒木 浩 さま

荒木さん返信ありがとうございます。
医師に関しては、脳に正しく作用する(妄想、幻聴がない状態、副作用で多少、手がふるえたり、眠気があっても)薬を処方する医師の役割に期待しています。荒木さんの言われる「何かだけに頼りたくない」というのは、自分の状態をよりよく維持する為には医師の力だけではないことを知っているからだと思います。それは現実の決定しなければならない問題に直面した時、そうなった経緯、場の状況を医師は詳しく知らないと思うからです。薬は確かに脳の器質的なものには作用します(それは薬を飲んでいる自分が感じています)。

状況をよく知らない医師の意見が果たして正しい決断に影響するか。そこにカウンセリングの力が役立つか疑問に思うからです。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

櫻井 博

自分を形成した10代のころ。

さてこういう風に思う自分の性格は、病気の変遷とともに自分の中に形成されてきました。
病気になる前には性格はおとなしく、どこにでもいるふつうな学生でした。病気になって性格を意識するようになったのは、性格がしっかりしないと、他人に中にはいり踏み込まれたり、自分が流されてしまうことを知るようになったからです。病院では暴力など(言葉の暴力も含む)があることも知りました。もともとおとなしい性格は、ここで初めて思春期にアイデンティティの確立を10代最後の年代にしなければならない事を知ります。
何十年も幻聴と妄想に悩まされ、これは病気ではなく性格の問題ではないかと思うこともありました。対人関係がうまくいかないとき、「相手の考えは変えることはできない。自分が変わらなければならない」などと書かれているハウトゥー(How to)本をこぞって読みました。
第3回目で書いたギャングエイジを経験しないのが、君の病気の原因だと、主治医から言われることもありました。
精神の疾患を書いた本のよく言われている自我の確立と言い換えてもいいかもしれません。
さて学校も卒業し、就職もしてしまった私はどこもにも自我を確立する練習場所がないと諦めていましたがありました。
「病院」です。

自我と他我。

ここでゆるがない自我をきづき、他者には侵入されない考え方をもつことの大切さを身をもって得られるほど病院はいろいろな人がいました。自我と他我(※1)のあいだにこそ境界線をひかねばならない大切さを身をもって体験します。
以前シュロの会という家族会の勉強会で慶応大学の先生の「統合失調症の原因は、他我が自我を攻撃し浸食してくると話をしていたのを聞いて、「これだ」と思いました。丸い中心部分に自我があり、その回りを他我が円で囲っているという図式で、他我が中心の自我に入ってくるという統合失調症の原因理論でした。この理論から自分が人に影響されやすかったり、他人の目を意識しすぎる理由がわかった気持ちがしました。
病院で得た体験を生かし、(私は自我の形成だと思っていますが)生きていこうと思いました。
フロイトなどの専門書を読んでもよくわからなかったですが、家族会での先生の説明は腑に落ちたという感じを得ました。

(※1)自我と他我…哲学用語。自我とは、他者や外界から区別して意識される自分。他我とは、他者に存在すると考えられる我のこと。

坂口安吾「堕落論」との出会い。

高校時代読んだ坂口安吾の「堕落論」は10代最後の自分の性格に大きく影響を与えました。この本は第二次世界大戦後書かれた随筆で、「堕落は人間の本性にそなわっていると洞察し、その人間の本性は政治の変革などでは変わることも救われることもない」、「そうした他者からの借り物ではない、自分自身の美なる真理を編み出す為には、堕ちるべき道を正しく堕ちきることが必要」と述べています。「堕落してそこから這い上がることに意味を見出す」という考えに共感を持ち、ストイックに自分を追い込みました。大学受験浪人するまで、のんびりしていた性格が一年で大きく変わりました。有名校に進学する夢をみながら、一年間勉強し続けました。性格はとげとげしたものに変わりストイックに自分に課題をかす、楽しみのない一年でした。最初に勉強しすぎたために病気になったと書きましたが、むしろ性格が厳しいものを追及する、いわば自分の力以上のものに近づく為無理をする性格をうみだした結果ではないかと思います。
一匹オオカミに憧れる、そんな性格形成をしてしまった。どこかで「力もないくせに。」と思いながらです。
でもこういう性格の持ち主でも病気にならない人もたくさんいる社会ですから、病気と性格の関連を考えることは難しいことだと思います。
今ふりかえっても10代の最後の頃はいろいろな考え、思いもありました。この時期になんでも話せる人間関係が大切だったと、今思います。
もともとのんびりして、とても社交的ではなかった性格が、内向的になるとともに、他者や自分に対しては厳しいものを求める。そのへんのアンバランスさももしかしたら、孤立に拍車をかけていたのかもしれません。
数少ない友人を通じて世の中をみていたのも、今思うと社会性に乏しかったとふりかえれます。

草々

櫻井 博

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いつも往復書簡をお読みいただきありがとうございます。

冬休みになりますのでエネルギーチャージしたく、大変申し訳ありませんが、1月は17日と31日の第3・第5水曜日公開となります。新年もよろしくお願いいたします。 

櫻井 博 ・ 荒木 浩

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「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

秋の職員研修実施報告

研修会 2017/12/19

10・11月と連続して法人内研修を実施しました。 まず10月6日に「権利擁護研修―意思決定支援について」として、法人の第3者委員で早稲田大学の岩崎香さんに来ていただきました。イギリスにおける「意思決定能力法」を使っての説明は、意思決定支援の仕組みを考える上での基本の姿勢としてとてもわかりやすいものでした。特に、本人にとって危険や賢明でないことであってもおかす権利があることや、意思決定とは私たちが考える本人の利益ではなく本人の最善の利益のために行わなければならないことなど、つい支援者が思い込んでしまうポイントを再確認できたと思います。また、そもそも意思決定を尊重するためには、本人の価値を尊重し、ニーズを自ら表明できるよう支援する、そのための情報提供の方法を準備する必要があることも整理していただきました。権利擁護の視点からの研修でしたが、本人が決めていくプロセスに寄り添うこと、どう考えたかを理解しようと努めることなど、対人援助に必要な土台は変わらないということを改めて感じ、またその姿勢を日々続けていくことの大切さを肝に銘じた時間でした。

11月29日には、「対人援助実践の基本について振り返る」をテーマに、法人の元評議員で立川社協に勤務している比留間敏郎さんに来ていただきました。ご本人のニーズをどのように捉えるかという視点に加えて、スタッフとしての自分が置かれている状況をどのように分析するかを整理しました。素の自分と職業的な自分、その自分が組織の中で何を求められ、その役割に対してどこまで責任を持てるのか等を各々が考えました。特に興味深かったのは、自分の力量では無理な場合、やってくれる人を見つけることで自分の力や法人としてのやれる範囲が広がっていくということでした。自分とチームと法人のアセスメントをすることは、適切なサービスを提供する上でも、棕櫚亭の理念である「精神障がい者の幸せ実現のために地域を創造する」にもつながっていることを強く感じました。棕櫚亭をよく知ってくださっている比留間さんの例えはわかりやすく、作業中の隣同士のやり取りも面接であることや、アセスメントシートは書いて終わるのではなく、本人を理解して終わるのだなどのたくさんのポイントをいただきました。1年目から20数年目の者まで幅広い職員層で受けた研修でしたが、それぞれが持って帰れるものがたくさんあった3時間でした。

お二人ともお忙しい中ありがとうございました。

常務理事   高橋 しのぶ

 

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『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❺ “力強い生き方のヒント ~ 判断と選択の連続を生きていく -荒木 浩からの手紙”

法人本部 2017/12/13

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part4 くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの

 

前略
櫻井 博 さま

精神科医との距離感 ~ 櫻井さんの場合

~「現在精神科医とは程よい距離をとり、うまくつきあっていくことしか考えません」~

先日いただいた手紙のこの一文を読む限り、櫻井さんは精神科医師の存在をかなりドライにとらえていらっしゃる様子。これは意外でした。確かに思い起こすと、櫻井さんからあまり主治医の話を聞いたことがありません。勿論ドライというのは、軽視しているという意味ではありません。重要視しているのだが”全てにおいてではない”という意味に解釈しました。

我々支援者(いうまでもなく櫻井さんも支援者なのですが)は、精神障がい者と精神科医の強力な二人三脚と一途な信頼関係が、社会復帰への必要絶対条件のように考えがちです。そしてともすれば、利用者に何かあれば、安易に精神科医に話をもっていってしまうことが私自身過去に無かったとはいえません。乱暴な言い方をしてしまえば「精神科医が何とかしてくれるだろう」「問題は精神的なものにある」と言わんばかりに。今はさすがにそんなことはありませんが、これは反省しなければいけませんね。

そしてどうも目の前の櫻井さんは、問題を全て精神科医に解決してもらおうとは思っていない。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part3 精神病の原因に対するささやかな反論

荒木 浩

精神障がい者の地域生活を支援する大切な視点

本音を言うといただいた手紙を読んで、私自身かなりハッとさせられました。作業所に利用者として通っていた櫻井さんが職員になるまでに紆余曲折があったことは薄々聞いていますし、その時期のなかで櫻井さんの心の中に大きな地殻変動があったのではないかと想像できます。支援を受ける側から支援する側にまわる、具体的には、利用者が精神保健福祉士の資格をえて職員になるという一つの社会復帰のモデル的な過程を経た櫻井さん。そんな彼が思う精神科医との「程よい距離感」についての解釈に当初悩みました。しかしここは「病気」と「障がい」の違いという視点に立ち戻って、次のように櫻井さんの考えを整理した結果、冒頭の「重要視しているのだが全てにおいてではない」という解釈を私なりにしてみたということなのです。

精神障がいの場合、幻聴、幻視、妄想、うつなどの「精神症状(精神病)」と、その精神症状に伴う生活の不自由さ、つまり「コミュニケーションがうまくいかない」、「家から出ることができない」などの「精神障がい」の面は支援をする上では分けて考えにくいことです。しかし櫻井さんの場合、薬を主体として「精神症状」のコントロールは医師に、ストレス対処や生活面での「障がい」の対処は信頼できる人に相談、解決しているようです。そういう意味では、少しきつい言い方ですが精神症状をコントロールできなかったという意味では、大学時代に出会った「面倒見の良い」先生の薬使いは櫻井さんを満足させることができなかった。

彼の考えを借りるならば、精神障がい者の生活支援においては、私たち地域の支援者の役割も少しは重くなるのではないでしょうか。少なくとも、精神保健福祉士という資格ということを離れて昔を振り返ったときに、上司や先輩にきつく言われたことは「支援者は、病気そのものに目を向けるのではなく、生活者としての視点にたち、信頼関係を作りながら考え行動しなさい」という言葉です。

櫻井さんは「(医師との)相談・意見交換が現実に沿わない」旨のことを話されていますが、もしかして精神障がい者の生活支援者としての自負を先輩方はこの言葉にこめていたのかもしれません。

何かを妄信しない生き方 人生は判断と選択の連続

そしていただいた手紙を読んでいるうちに、櫻井さんのもつ価値観の一端が薄っすらと見えてきました。つまり、櫻井さんは、決して一つのものを妄信していないということです。一般には医師を権威的に見がちですが、櫻井さんの場合そうではなく、自分に力になってくれる必要な方をきちんと判断し選ぶ。これは個人的には大切な考え方の様な気がします。

今や、現在があっという間に過去の話になってしまう、あるいは何が正しくて、正しくないのかわからない、言い換えると善悪の区別をつけることが簡単に出来ない複雑な社会になっています。例えば、ちょっと大きな話になってしまうのですが、ちょっと前まで「世界はグローバル化(国際化)の方向に向かう」なんて言っていたのに、今や「ナショナリズム(国家主義)」の台頭。地震と原発の恐怖とついぞ報道されなくなった日常生活。あれだけ批判されたトランプが選挙で勝って、なんだかいつの間にかそれなりにすっぽりとアメリカ大統領らしくおさまっていたりするのを見ると、魔訶不思議な気持ちになったりします。そんなスピーディかつグレーな世界の中で、価値観もマスコミのたった一言で揺らぐなか、心情的には権威的な何かにすがりつきたくなるものじゃないですか(ちょっと余談になりますが、グレーな世の中だからこそ曖昧さが苦手な発達障がい(※1)をお持ちの方にとってはますます生きにくい時代なのかもしれませんね)。そして以前書きましたが、私が忌み嫌っていた偏差値もそう考えると、裏返って実は私の大きな心のよりどころだったのかもしれませんね。大人になって考えると、こうも物事がひっくり返ってしまうことに驚愕してしまいます。

櫻井さんが生きる術として精神科医(他者)に対してドライであるという心情は、私もレベルは違えども解からなくもないという気持ちもあります。「他者を妄信しない、すがらない」という気持ちは、現役時代に大学受験に失敗して頼るものもないまま、東京に逃げるように住みつくころ沸き起こりました。高校時代に母子家庭になったため、経済面で母親に負担をかけることが出来ず九州での自宅浪人は無理だと考え、ほとんど無一文で上京。東京での食い扶持探しに奔走した日を悪夢のように思い出します。「明日はどうする、どうなる」と眠れない夜を過ごした日々でした。まぁ結果的に新聞販売所での住み込みの仕事に潜り込むことができたのですが、そのころは精神的に追い込まれていたような気がします。物理的にも精神的にも「孤独」と感じたこの時期は、今思えば些細な「方言」、私の場合「こってこっての北九州弁」でさえもコミュニケーションの足かせになっていました。そのように考えると、今ここに生活し対人援助の仕事をしていることが奇跡なのですよ。どこでひっくり返ったのでしょうか?

(※1)発達障がい…対人関係・社会性やコミュニケーション能力に障がいがあり、物事に強いこだわりがあるのが特徴と言われます。またものごとを柔軟に思考することや変化に対処するのが難しい方も多いです。

 

ふと思いついたのですが、そうはいっても単にどこか楽観的で私がルーズな性格なので、このような危機感のなかでも精神病にならなかったのかもしれませんね。病気になる前の性格(病前性格)は精神病の発症と多少関連があるとも言われていますが、そうすると櫻井さんが繊細な性格だから精神的な危機感の中で病気になってしまったのかなぁと考えてしまいました。もしよければ櫻井さんが思う自身の性格について語ってくれませんか?性格について語ることは、気恥ずかしいですか?

草々

荒木  浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

やはり「多摩の精神医療を変えたい!!」~二年目のご挨拶に代えて~

法人本部 2017/12/07

先月の11月19日に、理事会・評議員会が開催され無事終了いたしました。思い返せば一年前のこの日、理事長交代が行われ、天野前理事長から理事長職を引き継ぐ事となりました。渡されたバトンは重く、「さぁ、困った、これからどうしよう・・・・」、そんな思いで一杯だった事を思い出します。緊張や不安、焦りや戸惑いと、様々な気持ちがない交ぜとなり、何とも形容しがたい思いばかりが広がっていました。前に進むにもどこに足を置いていいのか分らず、無我夢中の一年だった様な気がします。

でも、具体的な体験や行動は、いい意味で人をシンプルにしていきます。一年前の重たい思いは、少しずつすっきりしていき、不安や緊張に少しの「やりがい」も加わり始めました。躊躇して踏み出せなかった一歩も、「とにかく動こう。」「とにかくやってみよう。」と、思えるくらいになってきました。と、こんな書き方をすると、なんだか順調そうな毎日に聞こえるでしょうが、そんな事はなく、十戦十敗は言い過ぎですが、日々修行、それが新体制を強くしていくと自分に言い聞かせながらの毎日です。

十戦十敗と書きましたが、この一年はたくさんの方々から様々アドバイスを頂きました。時には厳しいお言葉もあり、自分の至らなさを痛感することも多々ありました。しかし、厳しい言葉の裏には、棕櫚亭を大切に思ってくださる思いが透けて見え、「もっともっと自分が大きくならなければ・・・・」と、常に発破をかけてきた様にも思います。また一方で、その何十倍もの温かい励ましやご支援を頂き、改めて、棕櫚亭がたくさんの方々に愛されている事を実感した一年でもありました。そのような方々を残して行ってくれた創設世代には、本当に感謝の思いで一杯です。

こうして二年目に突入した新体制ですが、この一年をどの様に過ごそうかと考えています。その時気になるのが、最近の精神医療、精神病院の動向です。先日参加した東京つくし会主催の「マル障実現都民集会」では、杏林大学の長谷川利夫氏より、身体拘束がここ十年で二倍となり、治療の一環として当たり前に行われているという報告や、巣立ち会の長門大介氏からは「精神疾患を持つ人の余命は20年以上短い」という研究報告がありました。日頃、就労支援の現場に身を置くことが多い私にとっては、非常にショッキングな内容でした。

精神障害者にとって、一番身近なサービスであるはずの精神医療は、何も変わっておらず、むしろ悪い方へと変化している、そして、さまざまな課題は積み残されたまま・・・そんな状況を目の当たりにすると、精神障害者が法定雇用率の算定基礎に加えられ、「働ける時代がやってきた!」とばかりは言っていられない気持ちになります。やはり、私達支援者はこの現状から目を背けず、なんらかのアクションをしていかなければならないと思っています。なぜなら、このつけを払わされるのは、いつも精神障害者の方々自身なのですから・・・・。

 棕櫚亭の始まりは、「多摩の精神医療を変えたい!」という熱い思いからです。それから三十年が経ちました。そして新体制が二年目を迎えた今、やはり「多摩の精神医療を変えたい!」と強く思う今日この頃です。地域からどんな発信が出来るかはわかりませんが、職員一同で試行錯誤しながら、「自分たちが出来る事を考える。」、そんな一年にしていきたい思っています。二年目も温かく、そして時には厳しく見守っていただけたらと思います。                                                                        (理事長  小林 由美子)

 

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『卒業生インタビュー 2』

法人本部 2017/11/29

退職のため掲載を終了しました。

もくじ

 

『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❹ “くくりつけられた心 精神科医との出会いを振り返る -櫻井 博からの手紙”

法人本部 2017/11/29

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part4 くくりつけられた心。主治医との出会いがもたらしたもの

くくりつけられた心 精神科医との出会いを振り返る

前略
荒木 浩 さま

お便りありがとうございました。荒木さんが相当自己開示して、自分のことをお話していただいたことに感動しました。この書簡で荒木さんの疑問にどこまで答えられるかわかりませんが、今回は過去の辛い時期のこと、そして主治医との出会いなどを振りかえってみようと思います。
これはじつはかなり辛い作業でもありますが。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博

櫻井 博

妄想の世界。人生の終焉(しゅうえん)。

1975年に公開された「カッコーの巣の上で」というアメリカ映画を高校二年の時、新宿まで観に行きました。この映画は精神病院のことを描いており、その年のアカデミー賞を取った有名な作品です。高校の頃は映画が好きでいろいろ観ましたが、主演のジャック・ニコルソンがこの映画の最後で、電子プラスチックを頭に埋め込まれてロボトミー(※1)にされてしまうシーンが印象に残り、社会のいわゆる道徳、法、慣習などを壊すものは罰せられると強く心に植えつけられたのです。
以降この主人公のことが忘れられず、不調で病院に入院となるたびに、「自分はロボトミーにされるのではないか」という恐怖感で、病院が死の場所だという考えが浮かびました。
被害者意識、被害妄想、誇大妄想が強くなると、自分が見るもの聞くものが関連づけられていて、私はキリストの再来だとか、BMW(ドイツ車)が道に止まったのは、そこからやくざが降りてきてなにかされるのではないかなどという考えが強くなりました。また病院内では密かに殺人も行われているのではないか?とあらぬ考え(間違った認識)から、病院で「人生は終わる」と思いながら、恐怖に怯えながら過ごす日々もありました。いわばそれは自分の頭のなかで生まれた世界です。
もちろん「妄想が現実とは違う」という認識がないわけではないのです。映画の主人公にはならないし、キリストの再来などに違和感があることも知っています。でも入院時(不調な時)はどうしても現実と妄想や違和感を整理できない自分がいるのです。

(※1)かつて「精神外科」という、精神科医が大脳手術で精神病を治療するという医療分野があった。代表的なものが前頭葉切截術(ロボトミー)である。

精神科医との出会い。

それではせめて、その病院の中で頼りにできるはずの精神科医との治療関係の中で納得し信頼関係を築けたか?というと疑問が残ります。受験期の入院は親が同意する医療保護入院であったし、この時の医師は私が医師の質問に答えないのをみて、入院を決めたという感じであります。その質問は「どうですか。気分は?」という感じだったと記憶しています。
大学の時出会った先生が一番長く私をみてくれました。先生のお宅に呼ばれたり、ジッポライターの交換をしたり、人間にとってなにが大切なのかを教えてくれました。ただ趣味の話にとどまらず、「男子たるもの高校時代はギャングエイジ(思春期の特徴で、親や先生に隠れてこっそり、友達皆といたずらをすることなど)といった連帯感の中でアイディンティは確立される」と社会の荒波にもまれることの重要さも話してくれました。一回目の手紙で「頭を使いすぎた」と原因にあげたともに、思春期のアイディンティの確立のないまま過ごした自分にとって、納得のいく理由を示してくれたように思います。しかし、この先生の処方する薬のきれは悪く、幻聴、妄想の症状は一向に良くなりませんでした。この間15年ぐらいにわたり、入退院の繰り返しも10回近くあったかと思います。
他人の考えに流され、自分の考えがないと、この頃いつも思っていました。確かにこの医師は私のとりとめのない妄想話につきあってカウンセリングしてくれました。でも薬のきれが悪いのは、その後新薬をためして、良くなった現実を考えると納得せざるを得ません。

精神科医に、今思うこと。

人間関係を良好に保つことや、病気にあった薬を選ぶことは大切ですが、あまり医師の言う通りに行動することが、現実にそぐわないことは、精神の病気の人は皆体験しているのではないかと思います。
現在の医師はカウンセリングをほとんどしません。でも自分にあった薬をみつけてくれたことには感謝しています。
先生とよく話しあうのは障害年金の更新の時ぐらいになっています。現在精神科医とは程よい距離をとり、うまくつきあっていくことしか考えません。
相談や意見交換が現実に沿わないことを知っているし、症状も改善してきているからです。
でも肝心な時は精神科医の力はすごいことも知っています。外来に通い薬を服用していますが、このつきあいは一生続くのかと思っています。
さて、自身の精神病の原因と考えている「勉強のしすぎ」ということに関しては、またの手紙の中で話を深めさせていただければと考えていますがいかがでしょうか?

草々

櫻井 博

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

『往復書簡 1 – 櫻井博 と 荒木浩』 Part ❸ “病気の原因に対するささやかな反論 -荒木 浩からの手紙”

法人本部 2017/11/15

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part3 精神病の原因に対するささやかな反論

櫻井さんの主張に対するささやかな反論

櫻井さんへの深い感謝と彼との対峙

前略
櫻井 博 さま

櫻井さんの気持ちを振り絞るように書いてくれた手紙には、心揺り動かされるものがありました。情景や心情が目の前に浮かびます。これほどリアルに、そして誠実に答えてくれたことに感謝します。私自身、支援者としての医療保護入院などに何度も立ち会った経験がありますが、本人はもちろん、取り巻く家族などの複雑に交錯した思いにいつも困惑し、何が正解なのかと悩んでしまいます。

ところで、櫻井さんは今も「人生は終わった」と思っていますか。確かに当時の櫻井さんの入院の辛さはわかりましたが、正直言うと「その程度」に対して忠実に思いを馳せることは、経験を積んだ今をもってしてもかなり厳しいです。しかしこの書簡を通じてそのあたりの繊細な部分に触れさせていただければありがたいと思います。そしてここで筆を終えてしまうことは「健常者職員」のありようを探る始点につながっていかないので、あえてすすめさせて頂きます。
そして、これから櫻井さんが書かれた発症の原因について、少し私見を書きたいと思います。
私はいわゆる団塊ジュニアと呼ばれた世代で、櫻井さんとは10歳ほどの年齢差があります。
従って、これから書くことは時代を考慮しないという前提で櫻井さんにお読みいただければと思います。

往復書簡 01 荒木浩と櫻井博 Part3 精神病の原因に対するささやかな反論

荒木 浩

猛烈な勉強からは、精神病の入り口には立たなかった私

当事者である櫻井さんは「病気の原因」について、頭を酷使した結果であると書かれていますが、私は精神科医ではないのでそこに関しては答えることはできません。
ただ「頭を酷使した⇒(結果)病気になった」という構図には賛成しかねるという意見を持っています。「頭を酷使して」の解釈がもしかしたら違うのかもしれませんが、手紙を読む限りは「勉強して」と同義のような気がしましたのでそこをスタートとしました。勿論、誘因にならないと思っているのではなく、主因にはならないのではないかということです。
まぁ、そう思うのには私事を少し綴らなければいけないのですが、私自身が世代的にもいわゆる偏差値戦争に巻き込まれてきた苦い経験があります。「推薦入学」などもわずかにありましたが、学力一発!が幅をきかせていた時代だと思います。AO入試なんて、子供を持った今でも実はよく理解できていません。
「偏差値」これが私にとっては大きな意味を持つ数字でした。
特に父親の学歴コンプレックスはひどく、週に1時間しかテレビを見せてもらえない。結果、朝教室で友達が無邪気に「昨日のテレビ面白かったよね」などと話す会話に入っていくのが辛かった日々の思い出は、今も強烈にあります。案外とこういう思いは強くながく心に残るものなのです。ただ、立ち振る舞いが上手かったのかちょっと癖のあるこんな私がいじめ等にあわなかったのが、今思えば不思議なことです。特に中学生時代の学習は濃密でした。体育会系の部活動もしていたので、帰って1時間ほど寝て、朝の3時ぐらいまで机に向かう生活をしていました。そうして県内でも有数の進学校に入学しましたが、所詮はお山の大将で、偏差値お化けが沢山いることも思いしらされ、ショックを受けました。努力だけじゃ越えられない何かがあるのだと、子どもながらに思ったものです。
いえ別にここで自慢話をしたいわけではなく、櫻井さんに言いたいのは、単純に「私は精神病院にいかなかった」ということです。

精神病の入り口に立った者、すり抜けた者

それでは、自分が健全な子どもだったかというと、振り返ると後悔で過去を消してしまいたい思いに駆られることも数え切れないほどあります。今考えると「すさんでいたなぁ」と思うことも多々あります。このあたりのことは追々書いていくことになるかもしれません。勿論、個人の精神的負荷というものは主観的なものですから、櫻井さんと私のどちらが、大変な思いを重ねたかは比べることはできません。まぁ客観的には櫻井さんの方が大変な思いをしたのだと思いますが。

「ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない」と劇作家の寺山修司はある詩の中でこのように書いています。私はこのフレーズが大好きです。特に若いときには何度もこの言葉に助けられました。確かにそうかもしれませんが、しかしこの年になると「ふりむいて ふりむいて 前に夢をもつ」ことはできないかとも思うのです。ですから何らかの夢をもちながらも、壁一枚のところで違う青春時代を過ごした二人の青年期のことをもうすこし話してみませんか。もちろん私は、一介のしかも優秀とは言い難い精神保健福祉士でしかありません。ですから生物学上のとか、医学上のとか、アカデミックな話をすることはできませんので、櫻井さん個人の視点に立った精神病の実態を軸に「健常」とは何かということについて考えさせていただきたいと言うお願いです。
そこでまず「主治医」や「薬」といった病気や障がいと切り離せない事柄のお話を聞いてみたいと思いました。
いかがでしょうか?

草々

荒木  浩

「手紙」を交わすふたり

櫻井 博

1959年生 57歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 当事者スタッフ(ピアスタッフ)

大学卒業後、職を転々としながら、2006年棕櫚亭とであい、当時作業所であった棕櫚亭Ⅰに利用者として通う。

・2013年   精神保健福祉士資格取得
・2013年5月  週3日の非常勤
・2017年9月  常勤(現在、棕櫚亭グループ、なびぃ & ピアス & 本部兼務)

荒木 浩

1969年生 48歳 / 社会福祉法人多摩棕櫚亭協会 ピアス 副施設長

福岡県北九州市生れ。大学受験で失敗し、失意のうち上京。新聞奨学生をしながら一浪したが、ろくに勉強もせず、かろうじて大学に入学。3年終了時に大学の掲示板に貼っていた棕櫚亭求人に応募、常勤職員として就職。社会はバブルが弾けとんだ直後であったが、当時の棕櫚亭は利用者による二次面接も行なっていたという程、一面のんきな時代ではあった。
以来棕櫚亭一筋で、精神障害者共同作業所 棕櫚亭Ⅰ・Ⅱ、トゥリニテ、精神障害者通所授産施設(現就労移行支援事業)ピアス、地域活動センターなびぃ、法人本部など勤務地を転々と変わり、現在は生活訓練事業で主に働いている。

・2000年   精神保健福祉士資格取得

もくじ

 

Photography: ©宮良当明 / Argyle Design Limited

「じっくり」という事。~なぜ今、往復書簡なのか?~

法人本部 2017/11/02

「往復書簡の様な事が出来ないだろうか?」こんな事をスタッフの荒木さんに相談したのはまだ暑さが残る頃でした。新体制がスタートして半年が過ぎようとしていた頃の事です。創設世代の熱さはそのまま引き継ぐにしても、「私達なりの外部への発信の仕方はどの様にしていけばいいのか?」そんな事に悩んでいました。併せて、福祉分野に参入してくる民間事業所の広報力に、資本もマンパワーも敵わない中「どの様に対抗していったらいいのだろうか?」という思いもありました。

そんな時に、口について出たのが書き出しの言葉です。今はSNSの時代、スマートフォンが一台あれば世界と繋がる事が出来ます。時間も場所も選ばず、情報伝達も早い、倍々ゲームのように拡散するその広がりが、SNSの魅力なのだと思います。だから、生き馬の目を抜くような現代に、このコミュニケーションツールは爆発的な人気があるのでしょう。

でも、だからあえて「往復書簡」と考えました。「手紙」は一人の人が、ある特定の人に向けて、自分の思いを綴ったもの。そこからは、その人の心の形が見えてきます。SNSの様は速さや、一気に拡散する広がりはありませんが、そこには「じっくり感」があります。常に宿題を抱え、それに答えを迫られる日常の繰り返しは、人の心を手に取って味わう事を後回しにします。

先日、障害者雇用企業支援協会(SASEC)を訪ねました。混迷を極める障害者雇用の現状を、どう読み解けばいいのか?ヒントが欲しくて数々の質問をする私に、諭すように畠山理事がおっしゃった言葉が印象的でした。「障害者雇用は雇用促進を急ぎすぎるばかり、支援者、企業、そして、当事者自身もじっくり育て、育つ事をやめてしまったんでしょうね・・・・」

もしかしたら、今起こっている企業の不祥事などの社会問題は、世の中が「じっくり」をやめてしまった事と関係があるのかもしれません。ただ、この激流のような社会の流れを戻すことは出来ないでしょう。ですから、この流れに乗りつつも、ホームページの中だけでも、一つのテーマに時間をかけて考えていきたいと思いました。

  それを担うのは、櫻井さんと荒木さん、これまた二人がじっくりと練った企画です。両氏なら役者に不足はありません。据えたテーマも、なかなか本質的もので答えが出るのか?とも思いますが、私も二人の手紙を読みながら、時間をかけて一緒に考えていきたいと思います。

(理事長 小林 由美子)

特集/連載 『往復書簡』
www.shuro.jp/tag/friendship-letters 👉

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