SSKPはれのちくもり 別冊ピアス通信35号を発行しました。

ピアス 2019/04/25

すっかり世間は10連休ムード。改元を控え、いよいよ平成の終わりを感じさせます。

さて、今回のピアス通信の特集は「ストレス対処」です。年度が変わり、環境が変わって1ヶ月、企画会議ではメンバーの皆さんから

「徐々に疲れが見えてくる時期だと思ったので。」

「今すでにちょっとストレスがあって、うまく対処したいです。」

「ストレスにはいいものもあるらしいけれど、どんなものなのでしょうか?」

などなど……ストレスに関する意見がたくさん出て、特集することになりました。

メイン記事は就労プログラム(実践)を担当する長野さんへの「ストレス対処」にまつわるインタビュー、そしてコラムではピアス職員・メンバーの皆さんにアンケートした「疲れたときのおすすめ音楽紹介」と、盛りだくさんです。記事は下をクリックすると読めますので、是非ご覧ください。

ピアス通信35号

また、通信でご案内したように「おすすめ音楽紹介」の完全版を下で公開いたします!それぞれの文字をクリックすると一覧が見られますのでぜひ、見てみてください(*^-^*)お気に入りの曲が見つかれば幸いです。

♪気分を落ち着ける……癒しの音楽ver.

元気が出る!気分を上げる音楽ver.

次回は梅雨入りの頃に発行予定です。よろしくお願いします。

(ピアス 大貫)

お待たせいたしました! 5月28日に「精神障害者のある人の就労定着支援~当事者の希望からうまれた技法~」が発売されます!!

法人本部 2019/04/24

「精神障害者の就労定着」これは今、障害者の就労支援の喫緊の課題です。しかし裏を返せば、精神障害者が当たり前に働くことが出来る時代になったということです。そして、こんな状況を今から50年前に誰が想像したでしょうか?

1964年に起こったライシャワー事件、これは当時の精神医療の在り方に大きな影響を与えました。「精神障害者を野放しにしておいていいのか?」今から考えれば何とも差別的なものですが、そんな議論が巻き起こったと当時の新聞記事は伝えています。さらに翌年(1965年)施行された精神衛生法の改正にも、紆余曲折があったと伝えられています。そして国策はこれを契機に、精神障害者の隔離収容に大きく傾き、精神病院が乱立されていきました。5月28日中央法規出版から発売となる棕櫚亭3冊目の書籍・天野聖子著・多摩棕櫚亭協会編集「精神障害者のある人の就労定着支援~当事者の希望からうまれた技法~」は、まさにその約半世紀前から話しが始まります。

閉鎖的な病院内、しかしその様な中でも当然あった「退院したい!」「自由な生活がしたい!」「働きたい!」という当事者達の希望の数々。この本にはそれを叶えようと奮闘する一人のワーカーの姿が描かれています。そして、そのワーカこそが棕櫚亭創設者そして前理事長である天野聖子さんです。しかしそれらの希望が実現するのは、その奮闘から約20年後の1987年、棕櫚亭Ⅰ開所まで待たなければなりません。この様に、棕櫚亭が現在行っている活動の多くは、病院内に埋もれてしまった多くの希望、そして叶わなかった無念からうまれたものです。

またこの本は、一冊三部構成となっており、上述した内容は第2部に収められています。第1部には、棕櫚亭が1997年から20年の歳月をかけて蓄積してきた就労支援・定着支援についての内容を、第3部には棕櫚亭Ⅰ開所から組織を作り上げ、次世代へ継承してきた30年をたどりながら、そこに詰まった人材育成や組織作りの考え方やノウハウを記しています。どれをとっても、今福祉の現場で働く方、これから働きたいと思う方に興味深い内容になったと自負しております。ぜひご一読下さい。そしてこの本が、「精神障害者の物語は、全てここから始まった」と皆さんに再確認して頂けましたら幸いです。

(理事長 小林 由美子)

※発売は5月28日ですが、先行予約は当法人のHPより5月10日から開始いたします。

詳しくは   ↓ (予約開始前につき、SOLD OUTとなります。5月10日をお楽しみに!)

https://shuro.official.ec/

【報告】フリマに出店しました

なびぃ 2019/04/20

4/13(土)富士見台商店街のフリーマーケットに出店してきました。

当日は天気にも恵まれ、開店直後からたくさんのお客さんが立ち寄ってくださいました。メンバーさんも準備や片づけ、売り子、お客さんとして参加してくださり、盛況のうちに終えることができました。

11時~14時の出店で総売上金額は8,970円となりました。

今回の売上金も、3/9(土)の家族講座でいただいた寄付金7,450円と併せて被災地復興支援に寄附させていただきます。

参加してくださったメンバーの方、お客さんとしていらしてくださった方、出品にご協力くださった方々、皆さんありがとうございました。

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なびぃ通信4-5月号をお届けします

なびぃ 2019/04/13

今年の桜は花冷えのおかげかいつもよりちょっと長く楽しめた印象でしたが、

天気が悪くてお花見のタイミングが難しかったですね・・・。

さて、今回のなびぃ通信には人事異動が発表されましたので、新年度の職員体制を掲載しています。

詳しくは↓紙面をご覧下さい。

2019年4月5月なびぃ通信

いつもの予定表のほかには、防災訓練の報告なども掲載しています。

 

新年度、そして新元号令和でも、なびぃをよろしくおねがいいたします。

 

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新年度にあたり ~お祝いムードの後ろに透けて見えるもの~

法人本部 2019/04/10

平成30年度が終わり、31年度が始まりました。そしてこの平成も後一ヶ月で幕を閉じ、令和と名付けられた新しい時代がやって来ます。これで棕櫚亭の活動も昭和、平成、令和と三時代を跨ぐことになります。 今、世の中は新年号決定でお祝いムード一色です。しかし、福祉の現場から社会を見る限り、おおよそそこからはかけ離れた現実が見えてきます。

平成30年度は障害者総合支援法や障害者雇用促進法の改正、さらには報酬単価の見直し等様々な外部状況に揺るがされた年でした。 棕櫚亭でも、ピアスで就労定着支援事業を、なびぃでは自立生活援助事業を新たに展開し、オープナーでも精神障害者の職場定着のための新規二事業(「医療機関・就労支援機関連携モデル事」「精神障害者就労定着支援連絡会事業」)を受託しました。これらの事業を通し昨年度は今まで以上にたくさんの当事者の方や、関係機関の方に出会う事が出来ました。現場もいろいろ苦労はありますが、非常に盛況で多忙を極めつつも職員全員で頑張り切った1年でもありました。そこは確かにそうなのです。でもどうしても拭えない思い…

「本当に困っている人に私達は出会えているのか?」

それはどんな時代でも、自分達の支援が全ての人に届く訳ではありません。しかし、それを承知の上でも、その届かない感覚は年々広がる様に感じています。 今、福祉現場は報酬単価のという見えない鎖でがんじがらめにされ、そことの格闘でエネルギーを使い果たしているのが現状です。一方、経済の停滞や少子高齢化を背景に、社会問題はますます複雑化、深刻化しています。タイトになる福祉現場と、一見の豊かさで覆い隠されていく社会問題、出会わなければならない二者の溝はさらに深くなっていく様に感じてなりません。どんどん掻き消されて行く声に、私たちはどうコミットメントしていくのか?お祝いムードに浮かれる世の中を見ながら、その後ろに透けて見える本当の社会の姿を見続けて行かなければと思いを新たにしたところです。取材・メディア掲載/講演

今年は、棕櫚亭の30年をまとめた天野聖子著「精神障害のある人の就労定着支援~当事者の希望からうまれた技法~」が5月28日に発売されます。ここには正に、社会にコミットメントし続けて来た棕櫚亭の足跡が記されています。ぜひ皆さんご一読下さい。 そして今年度も棕櫚亭をどうぞよろしくお願いいたします。

理事長 小林 由美子

当法人ホームページ www.shuro.jp で近日中に

新刊予約ページをOPEN予定です!

ホームページのチェックをお忘れなく!

 

 

福島・被災地への旅に思う(元理事長天野編)

研修会 2019/04/06

やっとやっとの連休なのに、出勤扱いでもないのに、しかも4万円の自己負担-それでも本部主催の「福島大熊町避難困難地域見学ツアー第2弾」には十六人もの職員が手をあげた。昨年の経営陣の見学後、案内してくれたソーシャルワーカーを招いての講演会、そしてその後の交流会で、知りたいこと、聞きたいことが体の奥から湧いてきた若手の職員達だ。3.11、あれはなんだったんだろう?電気を煌々とつけスマも家電も使い放題のいまの暮らしでいいんだろうか?この先の便利さだけを享受して、脅威的に進化する社会をこのまま続けていくんだろうか。たくさんの疑問符のさきにある福島。それは知りたい、見たい。とにかく行きたい、こんなチャンスはないだろう、そんな思いが結集した見学ツアーだ。
やっぱり-と誰もが思った。日頃の現場の喜びや悲しみとはまた次元の違うような光景に圧倒された。これはなんだ、どう考えるんだ、これは何と繋がっているんだろう。それぞれの心の中に入り込んだものを必死に組み立てその正体を探す、こんなに言葉を探したことがあっただろうか。一言一言にためらい、戸惑う事があっただろうか。地震、津波、放射能、そして避難の後の帰還不能のままの四万人を越える人たち、ディアスポラも難民もどこか遠い外国のことと思っていたら、東京から電車で3時間のところにこんな地域が広がっていたことも驚きだ。

考えることはいくらでもある、除染中間処理から始まる最終処分場の問題。5回も6回もの転居と適応や不適応、家族の解体、子供の学校やひろ月差別、作業員の健康被害や生活保護からホームレス。終わらない恐怖の放射能に再稼働の動きも出てきて、電力問題やら再生エネルギー、加速する二酸化炭素と地球温暖化、どこでどう折り合いをつけるのか頭の中は混乱するばかりだ。東京に電気を送る太い送電線の下にソーラーパネルが広がり、そこをすぎると除染の山がデイズニーシーとディズニーランドを合わせた面積の16倍の広さで広がっている。複雑系をなん乗にもかけたこのどうしようもなさに身震いがする。そんな職員の声にならない様子を伺いながら、きっかけ作りをした私も、一緒にきてよかったとつくづく思った。少なくとも次に繋がった。かれらにはまだ時間がある。

思えば社会人になって働くとその世界、業界で何十年も生きるから、社会で起きている根元的なことと無関係になりがちだ。これだけ人が孤立してゆく社会なのに専門とかプロいう言葉を隠れ蓑に大事なことを知らないまま歳を重ねてしまう。100年生きることが当たり前の時代と言われているのだし、精神障害の問題はいつの世も社会の矛盾と深く関わっているのだから。多くを知ってまた現場に戻るという学習の仕方を提供したかった。この見てしまったことの足場から考えを、言葉を、行動を広げていって欲しい。

3.11から8年目を迎えた今年。テレビでも毎日のように様々な報道が流れた。何時間何日費やしても語りきれないほどに課題は、毎年膨らんでいくばかりだけど、日本中のみんなが共有しているという気持ちも合わせて持てるようになった。

昨年出逢った浪江町の自治会長さんが言っていた。見て欲しい、語って欲しい、これは一つの世代で終わる事ではないのだからと。
だから贅沢すぎる見学ツアーだった。受け入れてくれた大熊町の高瀬さん、コーディネーターの松本さんの度量の深さには感服するばかりだ。

特集/連載 Part ⑪『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』 “十年先に向かって ― 回想”

法人本部 2019/04/05

ある風景 ~共同作業所棕櫚亭を、私たちが総括する。

“十年先に向かって―回想”

社会福祉法人 多摩棕櫚亭協会
障害者就業・生活支援センター オープナー 施設長 山地圭子
(精神保健福祉士)

採用面接

棕櫚亭が二つ目の共同作業所を作った頃は、法外施設と呼ばれた無認可共同作業所がどんどん増えた時代です。作業所が持っている安心できる空間や様々な活動は精神障害者の社会復帰、再発・再入院の防止に力を発揮していることが認められて、毎年作業所の数と補助金が(ばんばん?)増えていきました。当然棕櫚亭も事業展開に忙しく、「運転できる男性」が求人条件でした。

ジャズが流れるマンションの一室で髭をたくわえた職員の天野寛(ユタカ)さんは、ウェルカムドリンクの薄味のコーヒーを入れてくれます。棕櫚亭Ⅱの朝はみんなでコーヒーを口にしながらミーティングで始まります。

採用実習でⅡのミーティングで紹介された私はまず、職員ではなく「監督」と呼ばれる男性に内職のペーパーバックづくりを教われることになりました。その人は、テーブルを囲み黙々と作業をする老若男女の後ろで時々指示し、でも何もしません。

休憩中は「どこから来たの?」「麻雀できる?」「棕櫚亭で働くの?」と皆声をかけてくれるので、緊張なんてほぐれませんでした。

「監督」は作業手順を確認し仕上がりを指摘したり、運転免許の有無を聞いてきたりと、「試し」をいろいろしてくるので気が抜けず、必死感が出まくりだったと思います。後日採用の知らせを受けたとき、決め手は「監督」の一押し「運転もできるし、女でもいいんじゃないの・・・」棕櫚亭の一員として迎えられる素晴らしい一言をもらったのでした。

精神保健福祉の分野に無知だった

知識も経験も知らなかった私は、メンバーとともに作業して、食事を作って食べて麻雀する日々の中で、少しずつ心の病や精神病院の現実を教えてもらいました。小説のような物語が一人ずつにあり、棕櫚亭と縁あって利用するまでの長い道筋には、医療・福祉・家族・法律などいろんな社会の問題が透けて見えました。ぽつりぽつり語る赤裸々な体験談に私は驚いたり腹立たしく思ったりし、世間知らずであることが申し訳なく思いました。私のような無知や無理解が精神保健福祉業界を遅れさせている原因だと強く感じ、一人でも多くの人に棕櫚亭を知ってほしいと私はバザーやコンサートに打ち込みました。

自分と向き合うことの大切さ

対人援助の上で利用者と自分は「合わせ鏡」です。若かりし私はメンバーを傷つけ、傷つき、調子に乗って失敗し悔やんで眠れない夜を何度も経験しました。感情を引き出し、引き出されてしまっていたのだと思います。こういう時は、思い込みや先入観で相手を決め付けていたはずです。価値観や常識に囚われていたかもしれません。自分と向き合うこと・自分を疑ってみること、自分の中に生まれる感情をコントロールしていかないと、この仕事は続けていけないと深く思いました。反省や後悔を通じて、対人援助の仕事への覚悟をしていきました。

「縦でなく横」の関係

作業所では支援者の前に、「生活者として居る」ことを求められました。一緒に悩むこと、横に並んで取り組むことが基本。目上のメンバーに甘えたり、対等にものを言うことが当たり前な空間です。自然に生まれる関係は横のつながりでした。こうして出来上がる関係はメンバーも職員にも成長を与えてくれました。

団塊の世代の創設者は議論好きで(時に迷惑だったが)、喧々諤々にものを言い会議は白熱するので私の眼には恐ろしく映りました。でも決めるときは話し合い、判断に悩むときほどメンバーに意見をもらって、隣の林さん・知り合い・有識者などから情報を引き出し論議することは重要なことだと言う事を知りました。私は言いたいことを言う仲に入れてもらえて「何かしゃべってやろう」と背伸びしながらワクワクしていたことを覚えています。仕事に生きる体験とはこういうものだと思います。

設立から30年の間には精神保健福祉の法律や行政の変革が絶えませんでした。時代の潮流に抗い、批判しながらも周りを味方につけながら棕櫚亭は一つ一つ丁寧に方針を作ってきました。難しい判断の時には「一旦3か月やってみて、うまくいかなければ軌道修正」で乗り越えてきたと思います。しっかり振り返りすることを課し、問題を明確にして前に進むことは棕櫚亭のスタイルです。

障害者自立支援法に対して

施行の前「グランドデザイン」という言葉を聞いたのは、元厚労省 村木厚子さんからです。彼女は淡々と優しい口調で、風通しの良い福祉になるイメージを説明しました。妙な説得力で反論することもできず、「就労支援」が制度設計に組み込まれたこともあり、神妙に聞き入ったことを覚えています。

ところが作業所は事業所、活動はサービス、運営は経営。メンバーはサービスの受け手、補助金で安泰は無い。違和感だらけの中、頭の中も切り替わらず渦の中に巻き込まれていきました。作業所時代を恨めしく思ったものです。

それからの棕櫚亭は、自立支援法の事業体にソフトランディングすること舵を切り、事業縮小の苦渋の決断を行い、働き方も変えながら時間をかけ切磋琢磨してきました。

この法律も今年で施行10年目だって・・・

「精神障害者の幸せ実現」に向かって

IMG00004_Burst04福祉のあり方が大きく変わり、制度への疑問や戸惑いが残る中ではありますが、こんな時だからこそ課題や目指すべき方向性をだして私は頑張っていきたいです。発想を変えることも迫られるかもしれませんが、一人一人が役割とミッションを自覚して「理念」を追い求めていこうと思います。職員同士とのコミュニケーションを活発にし、モチベーションを高くすれば超えていける、手に入るものも多くなるはずではないか思う。

作業所で得られた経験と実感を持って自分を鼓舞し、変革を恐れずみんなで挑戦したいと思っています。

理想は、「10年先も精神保健福祉業界のパイオニア!!」

End

~ 追記 ~

この原稿を書いた後しばらくして、声帯と飲みこみの神経が動かなくなるケッタイな病気に罹りました。医者はストレスフリーを心掛けるようにと仕事を休む指示と大量の薬を出してきました。丈夫がウリの私は結構へこんで、あれこれと考え弱気になる「どうした?自分」状態が続いたのです。8日間休んで無事に復帰していますが、体力勝負の働き方に反省しきりです。

2019年の4月から私の働き方改革を決意し、実施していきます。

目標は、「悔いのない10年に!!」

当事者スタッフ櫻井さんのコメント

山地さんの原稿はある風景が浮かぶだけではなく、棕櫚亭が大事にしてきた、振り返りの大切さ、横の関係の大事さがうかがえます。自立支援法でおおきく舵とりの変更を迫られましたが、10年先も精神保健福祉業界のパイオニアたる矜持をもちつづける心意気は一緒に働かせていただいている身に取って心強く思います。とりあえずやってみて振り返り少しづつ修正していく理念は作業所時代にできていたのかもしれません。職員同士のコミュニケーションを活発にし、モチベーションを高く持つ心意気で皆が同じ方向を見た時、精神障害者の幸せ実現を多くの疾患にある人々との船出を共に歩んでいくのではないかと希望の光をともに照らしすすむ。そんなことを考えました。

編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会

もくじ

 

SSKPはれのちくもり 別冊ピアス通信34号を発行しました

ピアス 2019/04/02

いよいよ新年度が始まりました。ピアスも新しい職員を迎えてのスタートです。

それに伴いピアス通信34号を発行いたしましたので、ご紹介します。今回は2月に職員有志で行った福島被災地研修を主に特集しました。

「福祉の施設なのになぜ被災地に?」

「自分たちの支援にどう活かしていくのだろう?」

「またとない機会だと思うので、ぜひ特集してみたい。」

メンバーから上のような声が集まり、満場一致で特集することになりました。早速研修に行った職員向けにアンケートを作成し、しっかりと書いてもらいます。熱い思いのこもった意見が多く(中には枠をはみ出して書かれている方も!)集計がたいへんでしたが、なんとか形になりました。

その一方で、季節はすっかり春。お花見のシーズンということで、春にぴったりなスイーツ特集を組んでみました。ピアスメンバー・スタッフおすすめのお店やスイーツについてアンケートを行い、まとめてみました。

さらに毎回恒例となっているOB会報告や退職された職員のあいさつ等々、今回も盛りだくさんです。ぜひ、ご覧ください!

ピアス通信34号

今年度もどうぞ、よろしくお願いいたします。

(ピアス 大貫)

4月の予定をお知らせします

棕櫚亭Ⅰ 2019/03/29

HP用

 

 

棕櫚亭Ⅰの玄関も春めいてきました。

 

手前の桜の枝は、国立市から委託されている公園清掃で行っている第四公園に落ちていた桜の枝です(^O^)

綺麗に咲いてくれています!

さて、4月は1日レクを行います。
今年は立川にある、焼肉やお野菜、お寿司、ケーキなどが食べ放題のスタミナ太郎へ行く予定です!

また、10連休とも騒がれているゴールデンウィークですが、4/30(火)、5/1(水)、5/2(木)は開所します。
絵画展のポスター貼りや大掃除を行う予定ですので、お時間のある方お待ちしています(*^_^*)

詳しい予定は下記をご覧ください。

4月の予定表はこちら→4月月間予定表

来年度もよろしくお願い致します(^^)/

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福島・被災地への旅に思う(熊谷編)

研修会 2019/03/19

就労移行支援事業ピアス 調理スタッフ 熊谷 敏郎

福島の被災地のことはずっと気になっていた。実は、東日本大震災当日、ぼくは福島を旅行中であった。被災したのは福島市内だったが、移動した郡山の公民館で2泊お世話になり、原発事故から逃げるようにして東京に戻ってきた。

その年(2011年)の7月、友人の誘いを受けていわき市の久之浜付近でガレキの処理のボランティアをしに行ってきた。その当時、被災地のあちこちにガレキの山があり、被災した家の中はメチャクチャで浜には船やクルマが引っくり返ったまま放置されていたりした。ぼく自身が福島で被災したこともあり、公民館へのお礼も兼ね、まず現地がどうなっているのかこの目で見たいというのが動機であった。以来、被災地とりわけ福島にはとくべつな想いがあり、東北への旅の途上、福島には何度か立ち寄ったり、すっと気にかけていた。震災後の8年でどう変わったか見てみたいということもあり、今回参加したわけである。

1-a2 (2)ガレキに代わって除染で出た汚染土が大地をおおっていた。被災した建物が広大な荒地にポツンポツンと残されている。人がこなくなり土地が自然にかえっていく。だが、これは津波や地震という天災だけがつくりだしたものではない。原発事故という人災が重なることによって、荒涼とした風景がつくりだされたのだ。この地に立つと、オリンピックだ万博だと浮かれている場合ではないとつくづく思う。汚染土の中間貯蔵施設が30年たってもそのあとはどうなるのかと思うとやりきれない。国は放射線濃度が基準値以下の汚染土を県内の公共事業で再利用する計画をすすめている。二日目に通った常磐自動車道は片道二車線にする工事中だったが、そこにも使われるのだろうか。するとこれこそまさに最終処分そのものではないか。そんなに安全というなら東電や政府のおえら方の広い庭に埋めてくれといいたくなる。高瀬さんから現地の住民の帰りたいけど帰れないという葛藤や孤立感をうかがって、ぼくは言葉を失った。家や土地を失うだけではない。そこで暮らした日日の生活、代々の歴史や文化や自然、人と人とのつながりが断たれてしまった。

他人事ではないと思う。原発を受け入れた生活を選んできた都市の我々にも責任がある。1986年のチェルノブイリ原発事故のあと、日本でも脱原発の動きがあった。1988年には、四国の伊方原発で危険な出力調整実験が予定され、ぼくが当時住んでいた杉並・西荻でも脱原発の声が高まり、有志が四国の高松(四国電力本社)まで抗議に行った。その後も西荻ではデモの呼びかけに700人もが集まったこともあった。そんな反対の声も届かず、脱原発の動きはいつの間にか下火になり、変わらずの日常が戻ってきた。なぜつづけられなかった、という反省を大震災での福島第一原発の事故はぼくにつきつけた。悶々とした日日がつづいたが、それもいつしか日常にのみこまれた。そして今、福島の現実の一端を目のあたりにして僕は考え込んでしまう。

こんかいの旅では福島出身の山地さんが、おみやげを買ってください、と何度も呼びかけていた。ぼくには田舎らしい田舎がないので、自慢できる田舎のある彼女がうらやましかった。その山地さんでも福島を去って東京にでてきた人である。東京とはなんだろうとも思う。それはともかく、何でもいい、福島を応援する手立てはいろいろあって、こうでなければということはないと思う。旅行する、宿泊する、おみやげを買う、歴史や文化を知る、自然の中を歩く…自分で出来ることから始めてみてはどうだろう。

高瀬さんの実家のある大熊町ではイノシシに遭遇した。キツネもいた。彼らは放射性物質を浴び、汚染された食べもので相当内部被爆しているはずだ。動物どころではない、というなかれ。除染がされているのは家とその周辺だけである。里山や森林など手つかずのままだ。そこを動物たちは自由に動きまわっている。被爆は子孫に影響する。人間も動物の仲間であり自然の一部である。人間は社会的存在だが、それをとりまく自然生態系なしには生きられない。そこにももっと目を向けてほしい。

 

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