SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信30号発行しました。
今号の内容は・・・
- ピアス企業実習についての概要
- 企業実習担当職員 増田さん インタビュー
- 「企業実習」に関するメンバーアンケート
- お知らせ(定着支援事業について)
などとなっています。ぜひ、ご覧ください。
SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信30号発行しました。
今号の内容は・・・
などとなっています。ぜひ、ご覧ください。
今年度、オープナーでは東京都福祉保健局による「精神障害者就労定着支援連絡会」を事業受託しています。年4回の予定となりますが、そのご紹介をさせて頂きます。
第2回は“「発達障害とは何か」~企業における就労・定着支援の現状と課題~”と題し、約130名の方にご参加いただきました。
精神障害者雇用の定着の現状は、課題は山積しています。ハローワークからの就職を追った調査でも、1年定着率は49.3%にとどまっていること等が報告されています。「長く安定して働き続けられる」ことについて、働く当事者本人、企業、支援機関が連携していく事は欠かせません。
その中でもオープナーでは、雇用の入り口である採用面接に着目しました。私達は日々の支援の中で職業準備の整った障害者が多く採用されていないことを実感しており、戦力となる障害者がひとりでも多く採用されることを願い、企業の一助となるよう「精神障害者就労定着支援連絡会」事業をすすめていきます。
まず、東京都福祉保健局 障害者施策推進部 就労支援担当課 栁沼恵美課長より、精神障害者就労定着支援連絡会事業についてご説明をいただき開会となりました。
次に、独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構 障害者職業総合センター 研究企画部 障害者支援部門研究員 知名青子氏より「発達障害とは何か~企業における就労・定着支援の現状と課題~」と題してご講演頂きました。
はじめに、“そもそも発達障害とはどういったものなのか”を概念、制度、定義、診断項目等からご説明頂き、とても幅のある障害像なのだということを再確認しました。近年よく使われるようになった「自閉症スペクトラム障害(ASD)」とはどういったものなのかや、発達障害と手帳取得との関連についても教えて頂きました。
次に発達障害をお持ちの方が職業生活で困難さを抱えやすくなる要因を教育の面からとらえ、改めて、大人になってからの職業選択時だけではなく、学生時代からの特性理解の重要性や、それをふまえた職業生活の重要性を知りました。
また「職場における配慮の視点」も紹介して頂き、「職場のルールの指導について」等実際に起こり得る場面を想定しながら、社内だけで対応できるのか、どこからは外部の支援者と対応するのか、どのように指導・介入するか等のレクチャーがありました。
障害者職業総合センターによる研究からは、「採用時に求める“企業が求める能力”」について取り上げられていました。企業規模や段階によってかなり隔たりがあり、小規模の企業ではコミュニケーション能力よりも基礎能力を重視していることがわかりました。また、よく当事者本人は「なにか資格をもっている方が採用時優位になるのでは」と考えますが、採用する側にとってはどの企業規模でもそれ程重視されておらず、志望者と採用側に認識のズレがあることがわかりました。
ご参加の皆様からは「発達障害の方の混乱の原因等、障害特性と対策について理解を深めることが出来た」「資料に具体的な能力の掴み方がのっており参考になった」との感想をいただきました。障害者雇用がすすんでいく中、それぞれの現場ではさらに発達障害をお持ちの方と出会う事はさらに増えていく事と思います。
私は発達障害についての研修は何度か出させて頂いていますが、まだまだ障害の定義や障害の捉え方が定まらず変わっていく障害でもあり、ずっと学習し続ける必要があるなと感じました。さらに教育場面、特に学生時代から職業選択について考えるきっかけを作っていく必要性について新たな視点を得ることが出来ました。
ご参加いただいた企業・支援機関の皆様、ありがとうございました。
(高橋智子)
当時の棕櫚亭Ⅰ(だいいち)作業所は、公園清掃や昼食作りなどの作業とスポーツやウォーキングなどのレクリエーションが中心だった。30代から40代の元気な男性を中心にグループに力があり、勢いがあった。
ちょうどその頃、障害福祉分野の大きな転換点となる時期だった。『措置から契約へ』。他障害の分野では支援費制度が始まっており、精神障害者は支援費制度の枠からは外れたが、今までの医療モデルの考え方から、生活者モデルへの転換をどのように行なうかという時代だった。
施設長(当時)の満窪順子さんが、『棕櫚亭Ⅰがどうなりたいか』を職員だけでなく、参加するメンバーに声をかけ一緒に考えようと、障害福祉関連のニュースや、文献をミーティングなどで紹介してくれていた。
その中に『クラブハウスモデル』があった。
クラブハウスモデルは1940年代にアメリカ・ニューヨークではじまった。デイプログラムというクラブハウスを運営していく『仕事』を、メンバーとスタッフが共同し行なっていくというものだ。従来の施設のように授産事業を行い、福祉的な就労の機会を提供するのではなく、『仕事』を行うことを通じ自助を育み、相互支援を行うことで自信を回復していくことを目的にしている。その活動は世界的に広まり、日本でも活動が行われている。
つまり、クラブハウスの活動は、単に作業を行うのではなく、自分達で作業所を運営し、自分の活動を発信する。価値ある仕事を誰もが担い、元気や自信を取り戻す。地域に閉ざされた楽園を作るのではなく、安心できる港を手に入れ、それぞれが船を出す。棕櫚亭Ⅰをそんな場所にしていきたいと皆の気持ちが固まっていくことになるのである。
そもそも、私は福祉職を希望していたわけではなかった。大学には行っていたものの、あまり勉強に集中していなく、モラトリアムを満喫していた。たまたま友人が社会学の単位取得のためにボランティア活動をしていて、立川社会福祉協議会に登録をしていた。大学2年の時に、その友人から外国人の健康診断を目的にした地域のお祭りがあるからと言われて、思いがけず手伝うことになった。思えばそこが福祉との接点だった。
近隣の学生や社会人が集められ、お祭りを賑やかなものにするために出店するというものだった。「何かを企画し、誰かと共同して作業する、お客さんに喜んでもらう」そんな共同作業はとても新鮮で楽しく、その後も何年かそのお祭りに参加している。そんなひょんな事から始まったボランティア活動であったが、いつの間にかお祭りの他にも身体障害者の介助や外国人の為の日本語教室のキッズルームで子守をするなどを始めてしまっていた。
大学4年の時に就職活動を早々に諦めて、バイトでもして暮らすかなと考えていたところに、立川社協の職員から『人と接して働くのが好きでしょ?』と言われ棕櫚亭の非常勤に応募してみないかとの誘いを受けた。元々人と接するのに緊張感を感じ、うまく馴染めないなとも感じていたのでその言葉を聞いた時にとても意外でビックリしたのを覚えている。
まぁ、それでも食っていかなくてはいけないのでとりあえず面接を受けてみることにした。面接は当時の理事長石川先生と天野さんだった。何を話したのかは覚えていないが、非常勤での採用が決まり、福祉の道に踏み出すことになったのだ。
棕櫚亭Ⅰ作業所に配属され、公園清掃や昼食作りをメンバーと一緒におこなっていたのだが、毎日が驚きの連続だった。私自身、それまでの人生で精神障害のある人たちとの接点がなく、福祉系の大学でもなかったので、今思い返すと恥ずかしながら精神障害と知的障害が何がどう違っているのかも全く知らず入職したのだ。
そのような状況の私が、「皇族の関係者ですよね?」とメンバーに言われたことは忘れられない経験の一つだ。
しかし、メンバーと作業を共にし濃密なかかわりの中で、一人一人の魅力的な部分に触れることになる。
料理が得意な人がいたり、笑顔がとても素敵な人もいた。棕櫚亭Ⅰはそんな彼らによって毎日が明るく盛り上がり、エネルギーが生み出されるそんな場所だった。ゆったりとふくよかな空間だったと今も心から思える。
ただ若かったあの日、ふとその一日を振り返った時に、なぜこんなに素敵な人たちが社会に出ることができず、社会の中では自信なげにすごさなくてはいけないのかという思いもわき、こころがかき乱されるようなこともあった。どういうわけだか気持ちがあせることもあったと思う。健康を疑わなかった自分のどこかに揺らぎをいつの間にか抱えているような気がした。
棕櫚亭Ⅰには、30代の男性で、Aさんという人がいた。棕櫚亭Ⅰのことを思い出すと彼の事が真っ先に浮かぶ。作業を一緒におこなったりすることも多く、同じ喫煙者という事で、灰皿の前で身の上話やバカ話をすることが多かった。
彼は棕櫚亭Ⅰのエネルギーの中心になっていた一人だった。
彼は周囲への気配りだけではなく、時におちゃらけムードを作ったりもできる人で、他の利用者も彼には一目置いていた。私は、そんな彼にとても魅力的に感じ、職員として何ができるんだろう、何かできないかと考えることが多かった。ミーティングなどでは必ず彼に話を振ったり、時に頼るようなこともしたと思う。そうすることが彼の発揮できる場所を作ることにもなるんだと心から思っていた。
しかし、それは勘違いだったのだと思う。彼はある時期から作業所に通所できなくなった。私は状況を理解できず、困惑した。『なぜこれなくなったのだろう?』
後に、私が良かれと思って親しく接したことや頼るようなことが、Aさんにとって、彼の兄弟関係を彷彿とさせるものだったと他の職員に聞かされた。自分の思いが彼にはとても負担だったようだ。
その後、私とは距離を置くことで、彼は徐々に復帰することができるようになった。理屈では負担だったことが理解できても、私はその後悶々とした時間を過ごすことになる。
時は過ぎ、少しほとぼりが冷めた頃だったと思う。多摩総合精神保健福祉センターで行われる『ピアカウンセリング』の研修があることをたまたま耳にしたAさんが、参加を希望したと聞いた。この研修は職員と一緒に参加することが条件となっていた。なぜだか、Aさんは私と一緒に参加したいと申し出てくれたのだ。このことをきっかけに徐々に彼とのやり取りが増えていったことのうれしさはあったのだが、しかし依然として職員としての距離や関わりというものにもやもやとした感情があったのも事実だ。
その研修後、JHC板橋会の「クラブハウス」研修をAさんと一緒に受け、棕櫚亭Ⅰに持ち帰った。皆の関心も高く、私たちもよりクラブハウスについて知りたいということで、小平市にある「クラブハウスはばたき」で3日間の実習をすることになった。
「クラブハウスはばたき」では利用者が積極的に事業所の運営にかかわっていた。職員室などの職員専用のスペースは存在せず、誰でも自分の行きたいところに行くことができる。職員会議などはなく、運営について話し合う時間は誰もが参加でき強制されない。さらに、自分たちの活動を広報誌にまとめ、世界に発信していた。過渡的雇用(クラブハウスと企業が契約し、利用者が労働する)というクラブハウスから社会復帰へのきっかけがあり、安心感を持ちつつ就労にチャレンジしていた。
その時の私はクラブハウスを理解をするので精一杯だった。しかしAさんは職員と利用者の関係性など(クラブハウスモデルでは利用者と職員はパートナーシップといい、運営する上では協働する関係となっている)を利用者に質問をし、クラブハウスモデルがどんなものなのかをどんどん吸収していた。彼の姿勢に圧倒されっぱなしだった。
実習後、メンバーとクラブハウスに関するミーティングを行った。全員が、一致してクラブハウスを目指そうとなったわけではなかった。そこまで考えられないという人もいたし、そもそもそんな責任のあることは出来ないという人もいたように思う。
話し合いの結果、次のようなルールを皆で取り決めた。「作業以外にも工賃の計算や、実習生のふりかえり、利用希望者への説明、事業計画や総括、とにかく一緒に行うこと」「職員だけでの会議は持たない」「パートナーシップという関係を結ぶ」「みんなの事はみんなで考え、みんなで分担する」「クラブハウスの考えをすべて実現することはできないもののまずは自分達で出来る事を増やしていく」 メンバーの皆さんは誠実だったと思う。一方、できないこと、受け入れられないメンバーの気もちや姿勢を受け止める器が、作業所にはあった。
このような喧々諤々意見を交わしているうちに、一人一人の意識が変わっていくのがよく分かった。勿論、私自身もである。時に睡眠不足で身の入らない学生実習生に「誰か相談できる人はいないか?」と親身になったり、今まで、人の前に出る事が苦手な人がすすんでミーティングの司会をかってでくれるようになったり、引きこもりがちになっているメンバーを迎えに行き作業所まで同行する人がいたり、『GM(グループミーティング)』では幻聴で困っているBさんのためにみんなでその対策を考えたりと。人によってそれぞれだが、少しずつ少しずつ皆がすすんで行動する事が増えた。お互い思いやり、尊重される場があることで、安心してチャレンジすることができたように思う。自分のことだけを考えるのではなく、『みんなでみんなの事を』考えることが増えていった。何事も話し合いという労力と時間をかけながら。
最後に平成17年度当時の活動報告会で、棕櫚亭Ⅰが年度の活動目標として掲げた言葉をお伝えしたい。
『棕櫚亭Ⅰで活動する私たちは人との触れ合いを、支えあいを大切にしたい、作業所の運営など意味ある役割を通じて、責任感や達成感を持ちたい。病気があっても一人の人間としていろいろな経験をして、より豊かな人生を送りたい…と願っています』
私は思いもかけず、この精神保健福祉の業界に飛び込んできて、今も色々な思いを抱えながら仕事をしている。自分の支援が正しいのか? 間違っていたのか? 悩むこともある。それは、今も昔も変わらないし、これからも揺らぎは続くであろう。ただ、この頃に棕櫚亭Ⅰの活動の中で考えたことは、悩み続けること、揺らぎこそ大切なことなのだということ。だから、Aさんとのことも私の気持ちの中では簡単に解決してはいけないことだったのだと思う。むしろ揺らぎの中で自分や自分達のことを深く考え、他者に思いを馳せ、そして何よりも、対話の中で相互理解しようとする姿勢が大切なのだと気付かされた。「パートナーシップ」という考えの基に。
作業所で「パートナーシップ」という対人支援の基本を体感できたこと、そしてそこで起こる葛藤が許された時間のながれと空間。これが、今も精神保健に携わる私にとって大切な宝物だと思う。
当事者スタッフ櫻井さんのコメント
吉本さんがボランティアから福祉業界に入ったのもこういうきっかけだったのかとわかりました。今、棕櫚亭の若手管理職として大切な仕事を担われている吉本さんにも若いころメンバーと語り、悩んだ日々があったことに、とても親近感を覚えます。メンバーもまたクラブハウスモデルの中で同じように役割を担い、変わっていったのかもしれないとも思えます。クラブハウスモデルは現在の棕櫚亭Ⅰに引き継がれていますが、初期の頃いろいろ試行錯誤した吉本さんの苦労が根をはっているように思います。この仕事に魅力を感じている他のスタッフも、メンバーさん達に育てていだだいたのだと思います。棕櫚亭Ⅰを皆でつくりあげた当時の思いをこれからも大切にしていきたいと深い思いに至りました。
編集: 多摩棕櫚亭協会 「ある風景」 企画委員会
- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ❶ “はじまりにあたって” – 多摩棕櫚亭協会「ある風景」企画委員会
2018年8月17日(金)公開- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ❷ “作業所は「メンバー抜きにはメンバーのことを決めてはいけない」ことを教えてくれた場であった” – 荒木 浩
2018年9月7日(金)公開- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ❸ “そこにあるすべてをメンバーとともに” – 伊藤 祐子
2018年9月28日(金)公開- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ❹ “失われた〈共同作業所〉が、もしかしたら世界のトレンドになるかもしれないというウソのようなホントの話” – NPO法人多摩在宅支援センター円 添田 雅宏(棕櫚亭OB)
2018年10月19日(金)公開- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ❺ “悩みが許された時間と空間がそこにはあった” – 吉本 佳弘
2018年11月16日(金)公開
(このページ)- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ❻ “Keywordは、「就労」「ピア」「生活」「食事」…かな。” - 森園 寿世
2018年12月7日(金)公開- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ❼ “対談編 – 『ある風景』から見えてきたこと” – 理事長 – 小林 由美子 × ピアスタッフ – 櫻井 博
2018年12月28日(金)公開- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ❽ “組織にとっての過去の意味” – 株式会社エムエフケイ 森内 勝己(棕櫚亭OB)
2019年1月18日(金)公開- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ❾ “始まりはボランティア” – 工藤 由美子
2019年2月8日(金)公開- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ❿ “贅沢な時間をすごせた時代 切り取ることができない大切な時間” – 川田 俊也
2019年3月8日(金)公開- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ⑪ “十年先に向かって ― 回想” – 山地 圭子
2019年4月5日(金)公開- 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ⑫ “未来へのヒント – 高橋 しのぶ”
2019年4月26日(金)公開- 【最終回】 『ある風景 〜共同作業所〈棕櫚亭〉を、私たちが総括する。』
Part ⑬ “対談編 – 過去を振り返って未来へ – 小林 由美子 × 櫻井 博”
2019年5月31日(金)公開
11/4に行われたくにたち秋の市民まつりに、ピアスも参加してきました。
去年はピアスとしてホットドックの出店をしましたが、今年は棕櫚亭Ⅰと合同で、ポップコーンを販売しました。
棕櫚亭は、地域貢献として地域のイベントや活動に参加しています。その一環として、毎年市民まつりに出店し、地域の方に棕櫚亭を知ってもらえるよう活動しています。
普段、ピアスでは就労に向けた訓練をしていますが、時にはこのように、地域の中にメンバーが出ていく機会を大切にしています。また、棕櫚亭Iやなびぃのメンバー・職員と一緒に活動することで、棕櫚亭グループの一員であることを意識することも大事にしていきたいと思っています。
~準備&当日の様子~
ピアスメンバー&職員にとってポップコーン作りは初めてだったので、事前に何度か棕櫚亭Ⅰに練習に行きました。
また、ポップコーンを入れる紙コップは、ピアスの生活訓練で行っている軽作業の時間で、皆さんにデコレーションしてもらいました。色とりどりのシールや手書きイラストを使用し、一つとして同じものがないオリジナルで賑やかなカップが、お客さんの手元に旅立っていきました。
当日は鍋でのポップコーン作りや販売(じゃんけんも!)、呼び込み等を、分担して行いました。ポップコーン作りの練習をしていなかった方もすぐにコツをつかみ、次のシフトの人に技を伝授していったお蔭で、焦げることもなく上手に作れました。
参加したピアスメンバーの声をいくつかご紹介します。
ピアスからは職員が2名参加しましたが、ピアスにいる時とは違ったメンバー(&職員)の顔を知ることができ、貴重な時間でした。今後も棕櫚亭法人内での横のつながりや、地域との関わりを引き続き大切にしていきたいと思います。
参加されたみなさん、お疲れ様でした。そして、お店に顔を出してくれたメンバーや卒業生、関係者の皆さん、ありがとうございました!!
10月24日(水)に、平成30年度 第2回目のピアス家族説明会を行いました。
ピアスには、年間を通して次々と新しい利用者が入所されますので、年に数回、定期的に、利用者のご家族に向けて、ピアスの説明会を行っています。ご説明や見学を通してピアスのことを知って頂くと共に、ご家族同士及び職員との交流の場となる懇談会も行っています。
今年6月の第1回家族説明会では、ピアスの説明および懇談会を行いました。今回の第2回目は、ピアスについての説明に加えて、なびぃ職員の奥迫より、地域生活を送るうえで活用できる地域資源(制度など)について、お話させて頂きました。
かいつまんでではありますが、手帳や年金に始まり、金銭面や住まい、食事、地域の通所先や相談先などについて、家族と暮らしながら利用できるものから、一人暮らしを考える際によく活用されるものまで、ご紹介いたしました。ご家族の方はすでにご存じの内容もあったかもしれませんが、皆様お帰りの際には、ご自分たちが歳を重ねていった時のご本人のことを口にされる方が多く、どのご家庭でも関心の高いテーマなのだと実感いたしました。今日では様々なサービスが地域にありますが、今回このようになびぃよりご紹介でき、とてもよかったのではと感じております。少しでもご家族の皆様のご参考になれば幸いでございます。
この度は平日午後ではありましたが、12家族、合計16名の方々にご参加頂きました。お忙しい中いらしてくださった皆様、ありがとうございました。
次回は年明け頃に開催したいと考えています。詳細が決まりましたら随時お知らせいたしますので、どうぞよろしくお願い致します。
(ピアス 尾崎)
10月のお知らせで、省庁の障害者水増し雇用問題について、中東カタールに本拠地を持つアルジャジーラが取材に来たことをお伝えしました。
そして、今回はその第二弾。
今月9日にその模様が放映された事をお伝えいたします。
今回、棕櫚亭では水増し問題の取材を受けましたが、取材全体のテーマは「Japan’s disability shame」直訳すれば、「日本の障害は恥」と言う、もっと大きく、もっとショッキングなもの。
取材前には、「日本は、2020年にオリ・パラピックを控えているが、来日していつも思うのは、外で障害者に出会わないと言うこと。海外(とりわけ欧米)では、もっと普通にダウン症の子供等に出会うのに…そんな疑問に端を発したのが今回の企画です。日本人の障害者観が浮き彫りになる様なものになればと思っています。」と、そんな説明を受けました。
取材先は棕櫚亭の他に、旧優生保護法の下、精神病者にさせられ、無理やり精神病院に入院、強制不妊手術を受けた男性の半生や、津久井やまゆり園で起きた障害者殺傷事件の犠牲となり、辛うじて生き残った被害者家族の今。さらにはパラリンピックを目指す青年アスリートなど、30分番組では収まらない内容ばかりものばかりでした。
9日当日、私もインターネットで番組を見ましたが、言い方は不謹慎かもしれませんが、水増し雇用も吹き飛ぶ、それ以前の日本ひいては日本人が、障害者の尊厳をどの様に捉えているのかを大きく問われる様な番組の仕上がりでした。しかし、その延長線上に今回の省庁の水増し問題が繋がっているのだという事も痛感せずにはいられない30分間でした。
最後にこんな事を思い出します。取材時、インタビュアーがこんな事を私に問いました。「日本人は全てに完璧を求めすぎるのでは?」と。それは何かに限定された質問と言うよりは、今回の取材で彼が感じた日本全体への率直な感想だったように私には思えました。
日本が世界に誇る「おもてなし」。しかしこれは、もしかしたら障害者はもちろん、日本人全体にある窮屈さを強要しながら成り立っているのかもしれません。
精神障害者の幸せ実現を掲げながら、その問の答えに窮した私も、その中にどっぷり浸かった一人なのかもしれない・・・・そんな事を、アルジャジーラはやって来て、私に気付かせてくれました。
とにもかくにも、貴重な体験となりました。
理事長 小林由美子
*映像はこちらから(1:40~)
おかげさまで10月13日(土)の富士見台商店街フリマの出店が無事終了いたしました。
メンバーさんも準備のお手伝いや売り子として活躍してくださり、11時~14時の出店で総売り上げは7,100円となりました!
足をお運びいただいた皆様、お買い上げくださったみなさま、ご協力ありがとうございました。
売り上げはお知らせしていた通り、全額寄付に充てさせていただきます。寄付先は現在検討中ですが、決まり次第またご報告いたします。
なびぃでは地域貢献の一環としてフリマ参加を続けていきたいと思いますので、今後もご協力よろしくお願いいたします。
追記(H30.11.30)
遅くなりましたが売上8,951円すべてを、東日本大震災被災者支援を行なっているジャパン・プラットフォームに寄付いたしましたことをご報告します。これからも小さな社会貢献を続けて行きたいと思います。
11/4(日)に行われた市民祭に参加させていただきました!
毎年恒例となっている棕櫚亭Ⅰのポップコーン(^^)/
今年もコーンポタージュ味を作りました!
長年に渡り参加させていただいており、毎年地域のみなさんと交流ができるよう色々な工夫を凝らしています。
今年は去年に引き続き、お子さま限定のじゃんけん勝負を行いました(^O^)
買った子には、ミニカップ1つプレゼントという企画!
じゃんけんをしてくれたお子さまも、メンバーさんも楽しんでくださいました(^^)
呼び込みのおかげもあって大盛況!
作る方も必死でフライパンを振ってくださいました(^O^)
今年はなびぃのメンバーさんからいただいた手裏剣もおまけに付けさせていただきました!
おかげさまで、お子さまからも大好評(^^)/
およそ300個近くのポップコーンを売ることができました!
お買い求めくださった皆様、ご協力してくださった皆様、ありがとうございました。
SSKP はれのちくもり 別冊ピアス通信29号を発行しました。
今号の内容は・・・
などとなっています。ぜひご覧ください。
10/21(日)に国立市立第五小学校の校庭で開催された、ふれあいスポーツのつどいに参加してきました(^^)/
昨年度はあいにくのお天気で市民体育館での開催だったため、今年はいままで以上にたのしみな行事でした♪
初めに参加したのはパン食い競争!
棕櫚亭Ⅰのメンバーさんには特に大人気の競技です(^O^)
お目当てのパンをゲットしてみなさん大満足の表情でした!
そしてお昼はみんなでブルーシートの上でおにぎりと健康スープを頂きました!
青空の下でみんなで食べるごはんは格別なおいしさでした(^^)
そして食後は、ゲートボールの体験をさせていただきました。
初めての体験だった方も多くいらっしゃり、たのしく参加させていだたきました!
そして毎年恒例の玉入れに綱引き!
綱引きは全勝することができ、ついついハイタッチ!(^^)!
今年はお天気にも恵まれ、久しぶりに思い切り体を動かせたので、大盛り上がりで幕を閉じました。
多摩棕櫚亭協会は地域の方との繋がりを大切にしています。このように地域の方と交流できる機会は、これからも大切にしていきたいです(*^_^*)